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祝福充満のクリスマス

祝福充満のクリスマス

 「へェ、教会でもクリスマスをするンですか」
 と、バーの女性が言ったとかいうウソみたいな話もあります。ともかくクリスマスという言葉は、商売のためのよい名目【キャッチフレーズ】になってしまいました。
 このように、世間の人がクリスマスにあてこんで金もうけにニンマリするに倍して、当のクリスチャンがこのクリスマスより豊かな祝福を受けるのでなければ話にならんではありませんか。

「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう」(ピリピ4:19)
 栄光という言葉は、光芒、輝きのことです。子どもが太陽の絵をかくと、丸い太陽のまわりに光のすじをかきますね、あれです。栄光は、そのものに属し、そのもの自身でないようだけれど、そのものを指し示し、そして栄光を通さなくては、そのもの自身を感覚できません。
 一例をひきましょう。百万円を定期預金に入れると、きれいなイラストの定期預金証書をくれます。きれいなこの一枚の紙は、百万円定期預金のいわば栄光ですね。預金自体は、銀行のしくみの中にくみ込まれてしまって、金はどこへ行ったか分らなくなりますが、証拠として銀行に帳簿が、こちらの方に預金証書が残ります。人は通常、銀行の内部の帳面は見えませんから、手許の預金証書だけを見て安心しています。事実、時がくれば、この証書をもって行くと、銀行は約束の金をくれるのであります。
 さて、神様は見えません。神様の中にある偉大な力も豊かな富も見えません。無限なものは有限者に見えません。永遠の国は時間の子には感じられません。しかし、ひとり子のキリストのみ、この見えない神を表現するのです(ヨハネ1:18)。キリストは神の栄光です。神様は神の国銀行です。そこに無尽蔵の富が眠っています(エペソ3:8)。それを引き出す人が少ないからです。引き出すカギはキリストです。キリストは神の国銀行の預金証書でありますから。
「あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである」(コロサイ3:3)
 と聖書にあります。当然、祝福もキリストと共に神の中にかくされている筈です。

 私は子供の時、父親に連れられて銀行に行き、自分名義の預金通帳を作ってもらった時の喜びを忘れる事はできません。しかし、ためる事だけ知って、引き出す事を知りませんでしたので、あとで困りました。欲しいものが買えず泣きべそをかきました。
 私たちは、イエス様を信じ、私たちが神の子となり、私名義の神の国銀行の通帳ができたことを喜びながら、その無尽蔵の富を引き出すすべを知らず、不足と貧しさに悩んでいるのではないでしょうか。
 西ドイツのマリヤ姉妹会は、プロテスタントの女子修道会ですが、ここは現代の奇蹟です。必要のものすべて(ボールペン一個、チリ紙一枚にいたるまで)祈りによって不思議に与えられています。水脈が全然ない所を掘って池を造ってセメントをはり、池が出来上がった時、水が見つかりました。

 「いっさいの必要を満たして下さるであろう」と、ピリピ4:19にありましたが、この必要を充満して溢れるほどに祝福して下さるキリスト、このお方を私の中に迎える、これが今、わたしたちに必要なクリスマスではないでしょうか。霊に、心に、肉体に、家庭に、職場に、あらゆる人生の場に、豊かな祝福を注いで下さるキリストの誕生を、あなたの上に祈ります。
 よき年をお迎え下さい!
【1980.12.28週報「キリストの福音」掲載】









# by hioka-wahaha | 2021-05-26 20:18 | 週報「キリストの福音」

《聖書のことば》永遠の時が裂けて……

《聖書のことば》聖句暗記コースはお休み
永遠の時が裂けて……

「主のみ前から元気回復の時が来て……」(使徒行伝3:20私訳)

 時間を過去から未来に流れるものと見るのは、静的受動的宿命論的人生観からきます。
 永遠の時が向うから来て、私を切点として裂けて過去に向っていく。その切点に現在がある。時間は一つの意識で、回想するからあるのである。現在をのみ見つめるものに時間はない。あるとすれば、未来からこちらに向ってくるのです。
 神の御前から、私の息を回復させ、元気づけ、励ましてくれるがくるのである。
 キリストの臨在こそ、本当の永遠の裂け目である。キリストに真の時がある。
【1980.12.28週報「キリストの福音」掲載】







# by hioka-wahaha | 2021-05-19 10:24 | 週報「キリストの福音」

《どう祈ったらよいか》息でする祈り

《どう祈ったらよいか》六
息でする祈り

 今回見えられた韓国の牧師先生方の、その祈祷のしかたについて、多くのかたが異様に思われたかもしれません。第一の特徴は大きな地ひびきするような声、第二は異言、第三は神癒祈祷の際などの被祷者の体をゆすぶり返すような猛烈な祈り、第四は「シューッ」という烈しい息の吹きつけ、などでしょう。第二、第三についての説明は別の機会にします。第一と第四の説明を簡単にしましょう。問題は、息です。
 日本人の声の出し方は胸式呼吸です。故に大きな声を出しても、それは上ずった声か、だみ声です。声を腹式呼吸で腹の底から出すと、どっしりした重い声で交感神経を刺激して意識の深い所を目ざめさせます。
 ギリシャ語やヘブル語では、霊と息と(そして風も)同じ言葉です。霊を動かし霊をきかすには息の役目は大変重要だと私は考えています。イエス様が「聖霊を受けよ」と言って息を吹きかけたというのは理由のあることです。
 手裏剣のような短い鋭い息、長剣のような長い切れ味のよい息、これを声を出さず念をこめて射込むように祈る。これは前回までの声を出す祈りと違って、だいぶん高度な技法(?)と言わねばなりません。
【1980.12.14週報「キリストの福音」掲載】







# by hioka-wahaha | 2021-05-12 15:36 | 週報「キリストの福音」