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No.189 平和論者はどこへ行く? 2005.8.14

平和論者はどこへ行く?

 毎年、2月と、8月が来ると、キリスト教関係の新聞に私は必ず「平和憲法を守ろう」という協賛広告を出す(小さい枠だが)。2月は建国記念日の2月11日(戦前の紀元節)を意識してのことだが、8月はもちろん敗戦の日を意識してのことである。
 もう一つ、12月8日の真珠湾攻撃の日、つまり大東亜戦争が太平洋戦争に拡大した日であるが、この日を控えての「平和憲法を守ろう」という広告も出したいのであるが、新聞社側がこの企画を持って来ない。
 12月8日の真珠湾攻撃の記事は一般紙でも載らないことがある。まして2・26事件や支那事変の勃発等、滅多に新聞に載らない事が多い。一般読者に興味の無さそうなことは記事にしない癖が新聞各紙には有りそうである。
 明治時代には社会を啓蒙し、権力や社会に嫌われそうな意見もデカデカ発表する新聞があったようだが、その後、新聞経営は肥大して利益本位となり、理想主義が卑小化したのか、かつての意気込みが無い。
 せめて、キリスト教関係の新聞は積極的に平和論を大声叱呼してほしい。(大声叱呼という言葉は私の慣用語らしく、辞典には同音の言葉はあるが、この言葉は無い)。
           *
 先週の「日岡だより」の付録として一部の方々に配布した文章がある。以下のようなことを書いた。
 8月6日の新聞各紙に一頁全面広告が出ていましたね。皆さん、見られましたか。
 「『憲法を変えて戦争に行こう』という世の中に
  しないための18人の発言」
 と称して、井上ひさしや、黒柳徹子、美輪明宏、吉永小百合さんなどの名前が連なっていました。
 なんという気の弱い見出しでしょう。私は言いたい。真の平和主義というものはそんなものではない。国(国会)が憲法を修正して、国を挙げて戦争をおっぱじめた時、その戦争のさなかで、我々戦争反対者は、どうしたらよいのかという覚悟が見えない。今からでも、その用意をしておかなくては、イザという時、間に合いません。
 某国が日本列島に水爆を落して、東京、皇居、大阪、名古屋、北九州、沖縄が壊滅する。政府の機構は文書やインターネット関係、全国を網羅する産業、交通、通信、地方行政の把握が一切メチャメチャになる。
 その時、どういうわけか軍事機能だけが、つまり軍人さんだけが残って健気にも日本列島を守ってくれている。そういう光景が国民の前に現出されたとしたら、誰でも主戦論者になるだろうと思う。これは、
 私のしろうとらしい、やや誇張したシミュレーションですけれど、こうした事が起こりはしないかと思うのです。その時、平和主義者はどこへ行くのか。


世界の終末が来るか

 戦争どころか。もう一つ問題があります。地震です。関東の人からハガキが来ました。「東京地下地盤が地震必至という噂があります。日本は大丈夫でしょうか。最近の小型地震の頻発に恐れています」と。
 ファチマの預言というのを聞いたことはありませんか。1917年にポルトガルのファチマという村でルチアという少女に聖母マリヤが表れて、3つの預言をしました。
 それはまず、第一次世界大戦と、第二次世界大戦の預言でした。そして、その預言はズバリ当たりました。残る第三の預言がヴァチカンの奥深く納められて、聖母マリヤのご命令で、秘密にされていました。
 その禁が解かれる1960年?に、時の教皇さんが開いて見て、その恐怖的内容に失神したと言われています。そしてその預言文書は再び秘密にされました。
 さて、噂らしいが確かなことらしい。その第三の預言というのは、近づく第三次世界大戦と聖書のヨハネ黙示録にある世界終末の地震やその他の地上の惨劇を預言しているのだというのです。
 その時代が、今、近づいているのではないか。私たちクリスチャンは単なる平和憲法論や、戦争が起こったら、どうするか、そんなことを言っているどころではないのではないか。
 地球最後の終末が来る。単なる「戦争はキライです」というような小児病的非戦論では収まらない時代がくる。主イエス・キリスト様の到来を迎えて、教会は奮闘的対応が迫られている、そういう時が来るのです。
 悪魔の力、そう、闇の力です。その闇の力が現れます。その力に打ち勝たねばなりません。そのためには福音の力が待たれます。
 全世界に福音が宣布され、世界各地に霊的、道徳的変革が起こり、地球に新しい地殻と気象の変動が起こり、新人類が生れます。全世界が一つになります。聖書でいう千年王国です。……しかし、まず地震が来るべきなのです。《く》


新聞の不思議さ

 この8月6日の産経新聞でしたが、その日の「産経抄」というコラムに、当時としては「郵政改革案賛成」と小泉さんを驚喜させるような記事が載っていました。しかもこの日の読者投書欄では、その見やすい箇所に、「郵政改革の利点」と称して、具体的な民営化利点を挙げた投書が載っていたのです。今まで、こんな記事を産経新聞でも見たことがなかった。まして、他の各社の新聞ではそうです。なぜでしょうか。
 他に例をあげましょう。本年当初の頃だったか、自治体の合併問題の扱い方がそうでした。「今、なぜ市町村の合併が必要なのか」、政府や関係市町村の説明も、そして新聞(!)の解説も全然ない。これも不思議だった。
 こうした重要問題には、新聞はもっと解説や意見を出すべきだと思う。郵政民営化の問題など、宙に浮いていて、衆議院解散の時に至るまで、万事まったく蚊帳の中で、遂に解散だ。なぜ政界であんなにもめたのか。さっぱり分からなかった。当事者も新聞も説明不十分のまま、幕は下りたのです。
 これは政府も周知徹底不十分というべきでしょうが、新聞には尚更、その責任があると思うのです。それにしても、最近の県警の捜査費の使途不明の事件は、少なくとも大分県の地元紙はかなり執拗に追及しています。しっかりしてきたと言うのは失礼かな。《く》


主は今、生きておられる

 先週、8月4日から同6日まで、久留米ベテル・キリスト教会を会場にしてイエス・キリスト福音の群の九州リバイバル夏季聖会が持たれました。当教会からは牧師を含めて5名しか参加が出来なかったのは残念でしたが、そのすばらしい聖会の霊気にふれて、私はいっそう深く残念に思いました。当初、私がもっと熱心に信徒の皆さんにお勧めすれば良かったのにと、ひとしお後悔したことです。
 今回の聖会の主題聖句はヘブル13章8節、「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも、同一のお方です」です。それを、最後の聖会で永井明先生が「これはつまり『主は今生きておられる』ということです」と言い替えて熱弁を振るわれました。
 先生は、どこまでも開拓伝道者、九州の小都市・鳥栖にお出でになって、まず奥様のご肉親、ご親族の最後に残られた、奥様直接のお兄様に伝道なさって、バプテスマを施された。しかも、遠慮なさらず、あっさりと酒や煙草もお止めになられるよう、義兄にあたられるお方に対して見事なご指導です。このお証しに感銘しました。
 なお明先生に先だって、信義先生は第一回は「イエス様に従え」。第二回は「イエス様を決して離れるな」との素晴らしい説教でした。最後の名フレーズは「いつも、どうしようもなく、神様を必要としている」。私は両先生の説教を身震いしながら、お聞きしましたよ。テープが間もなく出来るでしょう。みなさん、お求めください。《く》


【福音春秋】
 私の書いた小冊子「笑えば必ず幸福になる」がだんだん有名になって来ました。盛岡の鵜丹谷先生と、大和カルバリチャーチの大川先生の宣伝が大きく効いていると思うのですが、それにしても今回の私の手元に舞いこんだ情報に私もつい嬉しくなって、それこそ「ワッハッハハ」でした。
 昨日、前橋市の富沢内科小児科医院の院長先生から電話があったのです。先月、この医院の先代院長先生から「笑えば必ず幸福になる」を150冊の注文があったのですが、今回追加注文で50冊ほしいと言われる。というのもこの小冊子を患者さんたちに勧めたところ、実践してみた患者さんたちの疾病が治ってきているというのです。
 もっとも詳しいことは電話で分かりにくかったので、あらためて文書でお知らせくださいとお願いしたのですが、とにかく例えば、「神経痛の痛みが引きました」と言っておられるのを確かに聞きましたが、他にも癒しの証しが沢山ありました。ともあれ、小冊子「笑えば必ず幸福になる」で現に痛みが治ったなどと、現業医の先生からお証しを聞くのは嬉しいです。みなさん、ますます笑ってください。シャローム!《く》

〔あとがき〕
私はどうも長文大冊が書けません。小冊子が好きです、と言うよりそれしか能力が無いのか。前記の「笑えば必ず幸福になる」や「誰でも出来る『心の強化法』」など好評ですが、最近、永井明先生のご要望で1988年に書いた「ヨブ記説教集」を復刻出版しました。これも1冊100円の小冊子です。けっして重厚な本ではありません。重量的にも軽い。それこそ軽く手に取って読めます。なるほど、難解ヨブ記が楽しく読めると皆さんも言ってくれます。評判です。製本にやや難点があり、ですが安いのが取りえです。《く》
# by hioka-wahaha | 2005-08-14 00:00 | 日岡だより

No.188 「真の勝利者」 2005.8.7

「真の勝利者」

 栃木の稲葉兄から、はがきが来た。「リバイバル新聞7月31日号の奥山実先生の『ハイデッガーとボンヘッファー』を読みましたか」とある。
 慌ててリバイバル新聞7月31日号を開いた。実は昨年の3月からリバイバル新聞で毎月1回、奥山実先生が「聖書とエスプリ」という連載を書いておられる。その途中、サルトル論だったか、その中でやはり、「ハイデッガーとボンヘッファー」に触れて居られた。
 ちょっと余分なことを書くけれども、この「聖書とエスプリ」という連載は非常に面白い。いささか量子力学など一般の人にはなじみのない学問も出てくるので、読みづらいかもしれないが、無理をして読んでいると少しずつ判ってくるものです。
 ハイデッガーは20世紀最高の頭脳と言われた哲学者だったが、ドイツ人としての誇りに驕ったのか、ヒットラーの政治思想に魅惑され、ナチス敗退後も山にこもり沈黙したまま悔い改めた様子はないという。
 引換え、ボンヘッファーは若い牧師だったが、政治指導者が偶像化されることに絶対反対だとヒットラーを批判、その所説をラジオで放送した。
 奥山先生は言う。全体主義体制のもとでは、教会は必ず2つに分裂する。体制側の「公認教会」と、「抵抗する教会」(ドイツでは告白教会)」である。
 ボンヘッファーは遂に逮捕され、ヒットラー自殺の3週間前だったそうだが、処刑される。死の直前に、こう語ったと言われている。
 「私にとってこれがいよいよ最後です。しかし又、
  これは始まりです。
  そして私たちの勝利は確かです。」
 ボンヘッファーこそ真の勝利者であった。《く》
 

かつての日本では 

 大東亜戦争(太平洋戦争)下の日本は全体主義政治体制であった。だから前頁の奥山先生の言葉によれば、教会は必ず二分化するはずだった。日本はどうであったか。
 いいえ、日本は違った。二分化どころか、一極化されてしまった。戦前の日本基督教団がそれである。当時日本にあったプロテスタント教会の殆どが加盟した巨大な組織であった。カトリックは別建てだったが、それも一つになって日本政府に従順に従った。
 反体制派は私のような二、三の個人を除いて、いくらも出ない。さびしく孤立した。
 さて、この教団が合同化するときの、総会の様子を当時某牧師から聞いた覚えがある。教会合同をせきたてる軍部の恐喝というか、威圧であろう。会場の外のロビーから軍人たちの歩き回るサーベルの音が聞こえたという。
 余談だが、そういう報告をしてくれる牧師には、私に対する一つの警告があったのである。私はすでに当時、非戦論者であったし、その意見を教会の青年会などで隠す事は無かった。そこで、「釘宮君、時代はこんな風に変わってきている。軍部の勢力は大変なものだ。これに反対するのは危険だよ」と言いたかったのである。その牧師の私に対する一種の「愛情?」はよく分かった。
 戦時下に作られた日本基督教団の規定には、牧師向けの懐柔策もあったと思われる。当時、前記の牧師が鼻をうごめかして言ったものだ。「今度の教憲ではね、牧師は教会の主管者として位置付けられ、教会の最高責任者として認められたんだよ」。
 これは今の私にしてみれば聖書的には当然のことであるけれど、戦前の共和制的教会政治の中で、信徒の長老役員たちの弁力が強く、牧師の意見が閉ざされることも多かった時代、牧師にとってこれは息を吹き返させてくれる思いだったかも知れない。
 また、牧師の立場が国家権力によって擁護されるような錯覚を生んだかも知れない。これも、全体主義体制下にまるめこまれて行く際のキリスト教会の一スナップであった。
            *
 戦前の賛美歌には、その最後の頁に日本国国歌の君が代の歌詞と譜が載っていた。末尾に「この書の歌詞にあらず。便宜上ここに収む」とあったように思う。信仰保持と国家主義とが厳密に丁重に扱われていて明治以来の教会の良さも表れていると思うが。
 しかし、ここから悪い扱いかたも生まれてくる。教会の礼拝中に東方遥拝が行われるようになる。東方遥拝とは九州からは東京は東である。天皇の住まわれる皇居を戦前は宮城と言った。(みやぎではない。きゅうじょうと呼んだ)。この宮城のある方向に向かって礼拝するのである。ちなみに当時東京の遊覧バスに乗ると、二重橋前ではバスガイドの指示で礼拝をさせられたものだ。
 そういうことで、礼拝の中で国歌の君が代も歌われるということがおこる。これはどこの教会でそうだったとは言えないが、特高警察が礼拝監視にでも来ていたような教会ではそれも有り得たと思われる。私の教会ではさすがに君が代は歌われなかった。しかし東方遥拝は行われた。こうしたことは各教会まちまちであったであろう。ここでは私の経験のみを書くことにする。
 私はこういう時、かたくなに正面を向って立っていた。私の教会では東が正面に対して左側になっていた。信徒の皆さんは従順に左向け左で東を向いて、最敬礼するのである。私は冷やかに突っ立っているから、その筋から見れば危険分子である。さいわい憲兵や警察が来ていなかったから、私は無事だったが、しかし牧師はヒヤヒヤしたと思う。
 遂に1941年12月8日、日本空軍の真珠湾攻撃が始まる。天皇の名による「宣戦布告」がなされる。私はその翌日、牧師を訪ね、「教会に迷惑をかけてはいけないから、今日限り教会を脱会します。教会と縁の無いことにします」と挨拶した。もちろん、牧師は了承したし、ホッとしていたようである。
 その後、戦局は拡大して行く。ついに日本基督教団から戦闘機「日本基督教団号」が献納されるまでになる。
 私はその後、投獄され刑務所の独房で回心した。それまで、信仰の確信がなかったのである。キリスト教的思想によって非戦主義を唱えてはいるが、可笑しなことに、その実しっかりした信仰を持っていなかった、それは私の嘆きだった。
 信仰を求めていた。内村鑑三のいうコンボルションが欲しかったのである。それが無いばかりに、私は無理矢理に非戦論を言いつのり、憂国の志士になったつもりで悲壮な気分を作り上げていた面もある。
 確信的信仰を神様から頂いてから、「しまった」と思うようになった。「宣戦布告」の翌日、教会に迷惑をかけまいと思って「脱会」を申し出た、それである。あれは失敗だった、教会に迷惑がかかるように籍を残しておくべきだったと考え直したのである。理由はこうだ。
 私のお陰で、あらためて思想調査を受ける信者さんの中で、一人でも信仰を告白し、「戦争は間違っています」と警察で言える人の出るのを待つべきだった。そういう人が出ないにしろ、教会の牧師や信徒の皆さんに信仰とは権力とぶっつかるものだ。キリシタン迫害は昔のことではなかった。現代でも起こり得る事なんだと認識させることは、迷惑かもしれないが、良いことなんだと、思ったのである。
            *
 私の母は当時52歳であったろうか。今の人にくらべ年老いて見えた。刑務所に面会にくる母の老いた容貌に私は泣いた。自分は親不孝だなあと思った。その母だが、警察に参考人として呼ばれたらしい。私はそのことを、随分後年になって知ったのだ。
 私の少年時代、私の一年先輩にMという人がいた、お姉さんがメソジスト教会の伝道師で、そのMさんもクリスチャンだった。そのMさんが戦後、大牟田の炭鉱で働いていたが、大牟田の新聞にコラムを担当してエッセーを書いていた。その中で、「釘宮さん、あなたのことを書いたから」と言って新聞の切り抜きを送ってくれたのである。その記事によると、
 Mさんは戦争中、満州の奉天にいて、なんと憲兵になっていたという。ある時、東京の本部から通達が廻ってきた。その中に、「九州大分市の釘宮なる男が非戦論で事件を起こしているのは既報のとおりだが、その母親が警察の取調べでこういうことを言っている。うちの子は聖書の言葉に従って戦争してはいけないと言っているのですから、あれの言うことは正しいと思います、と。この親にしてこの子ありだ。今後、キリスト教徒の思想は厳重に監視しなくてならない」とあったそうだ。
 Mさんは大分にいるとき、私の家の家業にアルバイトにきたことがあって、私の母親の気弱と言っていいくらいの温厚な性質を知っていたからびっくりしたそうだ。そして彼自身は私と同じ学校に通っていたときは、宣教師からキリスト教的匂いのする英語演説を習って得意げに雄弁大会に出たりした。いっぱしのクリスチャン顔をしていたのが、今は憲兵隊に入れられて結構憲兵づらをしている。恥ずかしさで身悶えしたそうだ。第一、1年後輩の私は在学中は軟派の女の腐ったような見栄えのない男だったから、あの釘宮君が……? と思うと呆然としたそうだ。
 その新聞記事の切り抜きを読んで、私も母を見直したものである。母は決して剛毅な人ではない。頭も賢くはない。信仰論や政治問題など難しい事は分からない。ただ私の伯父や夫の私の父の日ごろの言っていることをオウム返しに言っているに過ぎない。
 戦争中の町内では、ときおり区長さんが各戸に伊勢神宮のお札(大麻)を持って廻る。いくらかの金を払う。戦時下、これを断る人はいない、断れば、非国民である。それを母は簡単に断る。
 「へい、私の方はいりません。私の家はキリスト教ですから」という。区長さんは「ええ?」とびっくりして、「それでも、日本人じゃろうに。日本人はみんなお伊勢さんの氏子ですぞ」と言いながら、私の家の中をうさんくさそうに睨み廻す。
 母の信仰は決して偉いのではない。素朴に夫や、尊敬するその長兄の信仰に倣っているだけなのである。父の長兄は釘宮徳太郎、2・26事件の翌日に肺炎で死んだ。この伯父の召天の知らせを受けた東京の友人たちは悲鳴に近い声を上げた。
 大分の聯隊の将校たちが反乱をおこして釘宮さんは血祭にあげられたのではないか、と思ったかである。日頃、内村鑑三を尊敬した伯父なら、それも有り得たと思われた。母の警察での姿勢は、そんな伯父の影響であった。
 何かと書きたいことは山ほどあるが、今回はこの辺で結文したい。私の非戦論事件はなんだったか、実は書くのも恥ずかしいのだが、いずれ又、稿を改めて書くことにする。《く》
# by hioka-wahaha | 2005-08-07 00:00 | 日岡だより

No.187 「読み聞かせ」の極意 2005.7.31

「読み聞かせ」の極意

 志茂田景樹さんの自作童話の「読み聞かせ」活動の現場に触れて来ました。トキハ本店の地下です。時間がなかったので半分ほどで早退して、大変失礼でしたが、私は大変よい勉強をしました。
 子ども向けの童話ですけれども、大人の私たちも聞いていてジーンと心にしみます。洗練されたテキスト、その持っているメッセージ、更に話してくれるその人の人格から発散される暖かさ、そうしたものが私たちの心を打つのでしょう。
 私は教会に帰って、考えさせられました。そして発見しました。「読み聞かせ」こそ、聖書が率先してやって来たことではなかったか、と。
 グーテンベルクの印刷術の発明は聖書の大量印刷をもたらし、聖書はそれ以来毎年ベストセラーになった。これは宗教改革の成功を荷なう功績でもあった。しかし、聖書の音読の習慣をさまたげ、更に聖書の読み聞かせの重要さを忘れさせるマイナス面も生じたわけだ、と今にして思わせられるのです。
 かつて古代、聖書は写本であった。教会では牧師が聖書を朗読した。パウロは弟子のテモテに「教会で、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい」と言っている。
 旧約時代では尚更のことである。モーセは民に律法を読んで聞かせた。またネヘミヤ記8章を読むと、学者エズラが広場であけぼのから正午まで律法の書を明瞭に読んで聞かせた。その時、民は大いに喜んだとある、有名な「主を喜ぶことはあなたがたの力です」という聖句が生まれるのもこの時です。
 古代の教会は聖書の「読み聞かせ」の極意を持っていたのではないか、それを現代の教会は失っているのではないか、と思わせられたのです。《く》


救いの条件ただ一つ

 大分市の森町にある専想寺というお寺は由緒ある古いお寺だ。その初代のお坊さんがしっかりした信仰者だったと聞いている。そのお寺に、今おられる和尚さんも熱心な布教精神をお持ちのようで陰ながら尊敬している。
 この方は毎月一枚の紙に法語を書いて、あちこちに掲示板を立てて貼っている。私方の近くにも、その掲示板がある。
 仏教の方の書く、この手の標語類は日本人の心に素直に入り込む特徴があって、いつも羨ましく思うが、今回の法語はこれだ。
   「お救い」に
   ご注文無しの
   アミダサマ
 この、真宗信仰の徹底ぶりには恐れ入る。私も少々呆れたほどだ。しかし、私たちでも「委ねきる」信仰を持つ時、これに似た心境になることがある。主観的告白としては肯定できる信仰表現であろう。
 でも、正確にいうと、やはり「ご注文」はあるはず。真宗で言うなら、「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』と、よきひとの仰せをこうむりて、信ずるほかに別に子細はなきなり」という歎異鈔記載の言葉のとおり、「念仏」だけが唯一のその「ご注文」であることが分かる。
 とは言え、やはり前述の「ご注文無しのアミダサマ」には何か教えられるところがあります。
 さて、私は若い時、前記の親鸞の歎異鈔や、法然の一枚起請文によって、真宗信仰の深さを学んだのだったが、もう一つ仏教で学んだのは禅宗だった。
 禅宗の要点は私に言わせれば「全宇宙、これ無、これ空」とまとめることができようか。般若心経で言う「色即是空、空即是色」である。
 最近、この言葉を柳澤桂子さんという生命科学者が苦しい闘病生活の中で悟ったという本が出て、その本の書評を読んだのだが、よく釈迦の宇宙観を見ていると思えた。とは言え、肝心なことは、
 思想体系として般若心経を読むのではなく、その中核を悟ることにある。「悟る」ということは禅宗体験の中心である。柳澤さんは本当に悟ったのかなと、やんちゃな詮議心も湧くのです。
 仏教では宇宙をただ「在るもの」として見るのだろうか。そしてこれも所詮「無である」「空である」と言うのでしょうか。対して、聖書は言います。
 「初めに神が天と地とを創造した」(創世記1:1)と。神は又、自ら「私は有って有るものだ」(出エジプト記3:14参照)と、自己宣言します。
 聖書では神は自ら語り行動する方です。だから作られたものも自動運動を起こします。じっとしていると見えるものも、内部では原子構造は営々として働いているように。そして運動は時間を生みます。
 「時間は運動の物差しである」と言ったのはアウグスチヌスですが、「存在と時間」は実存哲学者に待つまでもなく、太古の聖書以来の神学的課題です。
         *
 ともあれ本題に戻ります。「悟る」ということは真宗にもあります。それを「廻心(えしん)」と言っています。心が信仰に転じる時の心の動きを差しているのです。これはキリスト教で言う「回心」に似ている。
 親鸞は言う、「腹を立てたり、悪いことをした時、必ず廻心せよという人がある。そういう人はきっと廻心という言葉を断悪修善のことと思っているのだろう。(キリスト教でいう「悔い改めよ」というのに似ています)。
 しかし、親鸞は言う。「私たち信仰一筋の者にとって『廻心』はただ一回のことである。これまで信仰のことを何も知らなかった者が、弥陀から知恵を頂いて『今のままの心では極楽往生はかなうまじ』と、本心を引きかえて弥陀の本願を頼みまいらすことを『廻心』と言うのである」と書いている。(文章は現代調に書き直した)。
 この「廻心はただ一回のことである」という所が親鸞の体験と認識の凄い所である、この「廻心」とは、一人の人の前生涯と後生涯との分水嶺であってキリスト教でも同様である。
 生涯を信仰に転換させる心の動きを「悔い改め」と呼ぶのは危険なので、私は必ずこれを「回心」と呼んでいます。(この回心については石原兵永先生の「回心記」を読んでほしい)。
 マルティン・ルターが「クリスチャンの生涯は悔い改めの生涯であるべきである」というのは、この回心ではない。しかし、生涯にくりかえし、もたらされる聖霊充満の経験を回心経験と称する方々もおられるが、これは最初の回心とは区別して聖霊経験とでも名付けたほうが良いと思う。
 冒頭に戻るが、聖書に従えば、私たちの救いについて「ご注文が無い」とは決して言えない。ただ一つの注文が聖書に載せられている。それは、「主イエス様を信じる」ことである。主イエス様のお名前に頼ることである。「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」のである(ローマ10:13)。
 だから、「この人(イエス様)による以外に救いはない。わたしたちを救い得る名は、この方を別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4:12)と聖書は言います。
 このイエス様を信じる心が起こる時、人生ただ一回の奇蹟が起こります。その時、私たちは神様の子になります。「その人は新しく造られた者」と言われます。「古きは過ぎ去り、すべては新しくなった」(第二コリント5:17)という回心の奇蹟です。
 更に引き続き、「内なる人は日毎に新しくされていく」(第二コリント4:16)ということが起こります。回心後の成長の奇蹟です。御霊の賜物と御霊の実が加えられ始めます。聖霊のバプテスマを受けて、喜びに溢れ、新しい言葉を語り、力ある信徒に成長します。信仰は日々成長するのです。《く》
# by hioka-wahaha | 2005-07-31 00:00 | 日岡だより