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おのが十字架を負え

おのが十字架を負え

 昨年の最終の主日礼拝には、「来年の計画をたてよ」と題して説教しました。この題の真意は、神の計画にあわせて、あなたの計画を作れ、と言いたいのでありました。国や県の建設計画にあわせて、建設会社が自分のところの事業計画をたてるのに似ています。本当に利益まちがいなしの計画ですからね。
 神様は必ず計画を成就します。神様はその目的をことごとく成し遂げます(イザヤ46:10)。その神様の目的と計画に即して、私たちの今年の計画をたてようではないかと言うのでありました。これこそ必ず成功し、必ず目的を完遂する秘訣であります。

 さて、計画を実行するには、キリストの弟子としての資格が必要であります。その第一は「おのが十字架を負う」ということであります。そこで十字架とは何でありましょう。その事を考えてみましょう。

 一、罪状書きをかかげた十字架(罪認識と告白)
 イエス様の当時の十字架には、その頭の方に罪状書きがかかげられていたそうです(マタイ27:37)。罪人たちはみな自分の十字架に、自分の罪状書きを打ちつけていました。「おのが十字架」の第一は自分の罪であります。自分の罪を負ってキリストのもとに行くのでなければ、キリストはあなたを弟子となし得ません(ルカ9:23)、救の前段階であります。

 二、罪無きキリストの十字架(罪の身代り)
 イエス様の罪状書きは「これはユダヤ人の王」というのでした(マタイ27:37)。いくら探しても彼には罪がなかったので、他に書きようがなかったのであります。この罪状書きはつまり当時のローマ政府の無罪証明であります。そこで「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた」(第二コリント5:21)ということが歴史的事実であったと知るのです。イエス様の十字架を、私たち自身の「おのが十字架」として負う時、キリストの身代りの刑罰死は私たちの上に成就するのであります。これ、信仰の第一歩。
 人間の霊的遺伝子(DNA)は罪に汚染され、「死に体」になっています。罪と死に打ち勝ったキリストのDNA(血)により、永遠の生命にいたる遺伝子組み換えをしてもらわねば人間は生きられません。イエスの身代りの死と、それによる罪の許し、救いの生命変化をこのようにも考えられるでしょう。

 三、訓練としての十字架
 信仰の第二歩。キリストを型として学び、同じ生活、同じ喜びと苦しみ、同じ祈りをまねしましょう。木型大量生産する時、モデルと同円運動をするロクロ機械に素材をはめて連動させます。キリストと同じくびき(二頭だての牛に結びつける十字架型の農具)にむすびつけられて、キリストの訓練をうけなさい。これ、「おのが十字架を負う」てキリストを学ぶ信仰の第二歩です。
 御言葉を黙想してイエス様のお言葉や行動に従っていく心構えをつくる。幻想化してイエス様の生活をまねる(カトリック教会のように聖画を用いて瞑想するのがよい)。修道生活や、聖餐式、洗足式にも同様の意味があろう。

 四、キリストが残された十字架
 コロサイ人への手紙1:24に「キリストの苦しみの足りないところ」という不思議な言葉があります。わたし達クリスチャンの為に、イエス様が遺産として残された、やりのこしの十字架ということでしょうか。教会のための奉仕、御名の故の迫害、殉教、これこそキリストの弟子として負い従い行くべき「おのが十字架」ではないでしょうか。これ、信仰の第三歩。

 一九八一年、この一年、私たちそれぞれ、各段階は異なりましょうが、「おのが十字架を負う」て進みいきたいものであります。(一九八一・一・四主日礼拝の説教の概要・釘宮)
【1981.1.11週報「キリストの福音」掲載】






# by hioka-wahaha | 2021-07-02 17:21 | 週報「キリストの福音」

《聖書のことば》欲望の奔馬性

《聖書のことば》聖句暗記コースD~3
欲望の奔馬性

この世のものではない「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。」(第一ヨハネ2:15、16)

 これは過剰な禁欲主義をさそい出す恐れのある聖句なので注意を要する。聖書の他の箇所を読めば、聖書は人間の本能を決して罪と認めていない、食欲も性欲も神の祝福だとしている事が分る。しかし、人間の罪性はこれら本能的欲望の奔馬性を制御できず、そのむさぼり(ローマ7:7、8)に乗じやすい。むさぼりからくる執着心が世的愛である。
【1981.1.11週報「キリストの福音」掲載】












# by hioka-wahaha | 2021-06-23 16:13 | 週報「キリストの福音」

《聖書のことば》日々十字架を負え

《聖書のことば》聖句暗記コースD~2
日々十字架を負え

キリストを第一に「それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(ルカ9:23)

 クリスチャンとは、キリストに属する戦士である。ちょっと苦しいことがあると、すぐへなへなと坐りこんでしまって人生の戦いを回避するニセ平和の人であってはならない。人を恐れない、運命を恐れない、悪魔の手先と断固戦う、真の平和の人でなくてはならない。
 1981年冒頭の暗記聖句に、この箇所があたった事を、とかく甘ったれの泣きみそクリスチャンになりやすい私たちへの神さまの戒めとして厳粛にうけとめたいと思う。
【1981.1.1週報「キリストの福音」掲載】





# by hioka-wahaha | 2021-06-02 14:23 | 週報「キリストの福音」