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「神の息よ吹け」1974年4月号
-「心に満つるより」改題・通巻第7号- 事毎に祈れ 二、信仰の単位 S君のかつての貧窮生活はおそるべきものでして、ああいう狂わしいばかりの借金生活に追われた人は、そう多くはあるまいと思います。その中を、耐え、かつ乗りこえてきた彼女に、妻はその秘訣をきいたのですね。S君もびっくりしたらしい。尊敬する先生の奥さんが、こういう初歩的な事で尋ねてくれようとは夢思わなかったわけです。 しかし、初歩だろうと、何だろうと、こういう生活実践上の信仰の力は、学校の単位に似ていまして、ある人は早く取得し、ある人はたいへん遅く取得するというわけです。ミューラーは孤児の養育に、シンプソンは神癒に、ムーディーは大衆伝道にその単位を獲得していたように見えます。同様にS君は、貧窮のりこえの単位をもっていました。 貧窮といっても、みすぼらしい生活をするのではない。貧しさの中で、子供を学校にやり、夫にパリッとした一級品の身なりをさせ、日舞のけいこにかよい、自動車を買い、土地さえも買ったのですから、立派なものです。 問題は金だけでなく、家庭のいろいろな複雑な問題もあったと思いますが、それが一日として休むことなく毎日追いかけて来る。それを毎日信仰をもって追い払いつつ、忍びに忍び、耐えに耐え、遂に勝利を得るまで十年の年月がたったのです。 これまで私はS君の実利実効的信仰を余り好きではありませんでした。妻もそうでした。それでS君は遠慮して、彼女の信仰の具体的あり方をこれまで精しく話してくれませんでした。しかし、今は事情が違う。私の妻は切羽つまっている。その実利実効的信仰の秘訣をこそ今は是非聞きたい。謙遜にならざるを得ません。 その謙遜さが又、S君を打つのですね。彼女は、思い切って自分の信仰の経験を語るということになったわけです。 (1974年4月号「神の息よ吹け」より) ■
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by hioka-wahaha
| 2013-02-19 22:49
| 日岡だより
「神の息よ吹け」1974年4月号
-「心に満つるより」改題・通巻第7号- 神の息よ 神の息よ この日本列島に吹いてください 贅肉枯骨の満つる この日本列島に カミガミの子らは絶え果てました ホトケの子らも絶え果てました サムライの子らも絶え果てました その死に果てた子らの骨々が 全土にみちて声もなく泣いています 神の息よ 吹いてください 日本の全土に、その朽ちた骨々を甦らせてください。 神の息よ 今こそ吹いて下さい 事毎に祈れ 一、不安がやってくる 私事になりますが、私の方の妻は今度勤めをやめました。事情があって、私は一瞬の決心で、妻を退職させてしまったのですが、妻は相当の高給取りでしたから、よく考えてみると家計には大打撃になります。もとの会社の借入金返済と子供達の教育費にちょうど間にあっていた位の金額でしたから、それが途絶えると、今後我が家はどうなるのか、妻にしてみれば、主人の言う事を聞いて素直に辞めてはみたものの、考えてみれば大分気になる事でしたろう。 私は妻に命じました。決してオロオロするな。どうして食っていこうか、どうして大学の子供達に教育費を送ろうか、等々はゆめゆめ考えるな。まず祈れ、祈れ。特に坐禅風の深層祈祷の自己訓練をせよ。時間があまれば私の牧会の加勢をしてくれ。まずTさん、次にHさん、そんな人達と共に祈り、互に信仰をはげまし、生活上の解決も信仰をもって共に祈り出していくという一日一日を送れ。それだけで毎日時間は足らず、結構多忙のはずだよと。 妻は、私が事業をはじめる前の独立伝道の無一物時代、あの貧乏時代を十年間もたえてきているのですから、そんな事は平チャラな筈ですが、そこが不思議。人間の心はサタンにつけ込まれると、不意に不安につけ込まれます。憶病風がふきます。妻はどうしようもない不安といらだたしさに捉われて、涙をぼろぼろ出さんばかりでした。そこへS君が来たのです。 (1974年4月号「神の息よ吹け」より) ■
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by hioka-wahaha
| 2013-02-12 22:35
| 日岡だより
「心に満つるより」No.1
剥脱の日記 <脱落身心> 「身心脱落、脱落身心」といった道元の心は、よく勉強していないので、禅宗の世界で何と言っているのかしらぬが、私の感じる処ではこうだ。 身心が脱落する、これが第一歩だ、打坐の禅だ。脱落した身心を以て第二歩を歩む、これが生活の禅だ。人生はこの第二歩のくりかえしだ。 × × 坐っていると、玉ねぎの皮のように表面がボロボロ剥げ落ちていく気がする。剥げ落ちていった皮が身心脱落、剥げたあとの、ナンニモ無い処が脱落身心。中途半端な自分はまだここで半死半生、エリコ街道で盗賊にあった旅人のごとし。「汝らはすでに死にたるものにして、その生命はキリストと共に神の内にかくれあり」という事がここにある。 ここではパリサイ人も律法学者も救うことはおろか、近づくこともさわることもできぬ深刻な「死人」がある。この「死人」の生命は、サマリヤ人によってかついで行かれ、はたご屋にかくまわれる。サマリヤ人とは、社会的一種の「死人」だ。 死人でなくては死人は救えぬ。(死者をして死者をほうむらしめよ!) キリストは本当の「死人」である。 半死半生の旅人が、サマリヤ人にかつがれて全く委ね切っている時、これ「身心脱落」、これをかついでいるサマリヤ人は「脱落身心」―――それがキリスト教でいう真のキリストだ。(七・一九) 以上でこのノートは終わる。 (1973年10月号「心に満つるより」No.1より) ■
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by hioka-wahaha
| 2013-02-05 21:25
| 日岡だより
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