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No.369 「愛」という言葉について 2009.1.25

「愛」という言葉について

 去る1月22日の新聞紙上で、NHKの大河ドラマ「天地人」の主人公の直江兼続が持っていたというかぶと(胄)の写真が載っていた。そのかぶとの正面に「愛」という一字が大きく堂々と掲げられているのを発見して驚いた。
 これまで私は、「愛」という言葉は古い日本では不毛の言葉ではなかったかと思っていた。西郷さんの「敬天愛人」の愛という文字はともかく例外で、これは西郷さんが長崎あたりで中国の文献から真似してきたのだろうか、ともかく滅多にない日本における「愛」という言葉の使用例だと思っていた。この西郷さんの言葉以外には、「愛」という言葉は古い日本では発見できないようだと私は考えていたのである。

 ところが、冒頭にふれた直江兼続のかぶとの正面には、「愛」という文字が堂々と胸を張って構えている。私は驚いた。案外、古くから日本には「愛」という言葉や文字は使われていたんだなと、考えざるを得なくなった。新しい発見である。
 明治時代の伝道会などで宣教師が「皆さん、愛し合いましょうね」などというと、若い女の子たちが身をよじるようにして、恥かしげにクスクス声を落して笑ったという記事を読んだことがある。愛するという言葉は、公衆の真中で口外されると恥ずかしいという性的な印象があったということであろう。
 しかし、意外にも「愛」という言葉は過去の日本では案外使い慣らされていたのかも知れない、という感じを私は抱いたのである。ともかくこの直江兼続のかぶとを見た時、大きく感動した。
 そのかぶとでは、上に乗っかった「愛」という文字が、かぶとの全体の半分をしめる大きさで、周囲を圧して悠々たる存在ぶりなのである。
 この直江兼続のかぶとは、「天地人」のドラマの中で当然幾度となく出ているかもしれないが、私は今日、新聞のおかげで、初めてこのことを知った。
 「愛」という文字、武人の戦闘用のかぶとの正面に大きく掲げる文字としては似つかわしいとは思えないのだが、それを敢えて掲げる所に、この武人の真骨頂があるような気もする。それはそうとして、私たちクリスチャンの救の「かぶと」(エペソ5:17、6:17)にこそ、この言葉はもってこいの紋章だと思ったことである。

 私の狭い知識では、四百年前のキリシタン文書では「愛」という言葉は出なくて、もっと柔らかい大和言葉で表現されていたように思う。「愛」という漢語の言葉は堅苦しくて、当時のキリシタンの人々には使いにくかったのかも知れない。
 同様に現代の日本人クリスチャンにしても、「互いに愛し合いましょう」なんて言おうたって、どうも日常語でないし、なんとも扱いにくい言葉ではないかしら。「あなたを愛しています」というせりふは恋愛小説やテレビドラマでこそ良けれ、日常語では扱いにくい。
 私は今、妻が病床に寝ていて、彼女、理性もやや澱んでいる感じなので、枕元に行って、「トミさん、愛しているよ。いっぱい、いっぱい愛しているよ」などとややおどけ気味に話しかけているが、病気だからこそのことで、まともの時にはこうは言えまい。
 ともあれ、病床でなくても、こうして話しかけてあげると妻はニコッと笑みを見せるだろうな。みなさんもいかなる愛妻にでも、アメリカ映画みたいに面と向かって「あなたを愛しています」と言える人は少ないでしょう。このシャイな日本人でも、あっさり「愛しているよ」と言えるようになるためには、相当の地馴らしがいるような気がします。
 それはともかくとして、私は長い間、西郷隆盛が「敬天愛人」と残した言葉を見て、あの西郷ドンの脳裏に、どうして「愛」などという異国調の言葉が入りこんでいたのかと、不思議に思っていたが、案外日本人も昔から「愛」の一字を知っていたのかと、今回、新知識を得た感に堪えなかった。みなさん、堂々と「愛」の一語を使いましょう。《く》


広瀬画伯の個展を見る

 今、広瀬通秀画伯の個展が大分市上野にある大分市美術館で開かれている。(1月29日まで)。
 私は広瀬さん(と呼ばせてください)とは大分県立聾学校でしばらく同僚だった時、親しくして頂いた。その後、私は退職し、広瀬さんは緑が丘高校へ転任、そして大分芸術短大に行かれたのだと思う。
 先生が聾学校に来られたのは、他校に席が無かったので、とにかく広瀬さんという優秀な人材を大分県に残しておきたい。そこで一応、聾学校に行っておいて頂こうか。という大分県教育委員会の窮余の一策であったかもしれない。

 さて、今やっている先生の個展のことです。凄いです。先生がかねてから聖フランシスコに興味を持っているらしい事は分かっていた。しばしばフランシスコゆかりのイタリアのアシジにも行かれていたようだし、なぜだろうなあ? などと不思議に思い、また興味を持っていた。しかし今回、先生の個展をみて分かった。私は驚いた。先生の聖フランシスコ傾倒は本物である。
 フランシスコが情熱をもって、キリストの足跡を進もうとされている。その足跡を先生は同じような熱意をもって追っておられる。あの絵はその情熱が燃え上がっていて、私の心をも燃やすのです。
 今回の先生の個展で拝見する作品の一つ一つ、鬼気せまる感じです。エネルギーが画上にたぎっているのです。

 人物が体を前に倒して駈けている画面、あの構図は先生の描きつづける姿勢そのものを描いているように思えました。先生の生きる姿そのもの、それが絵になっている。それを、私は見ているだけで、先生の勢いに押されて息苦しくなるほどでした。全力疾走するランナーのごとし。
 これは単なる絵ではない、先生そのものだと私は受けとめざるをえなかった。その激しい息づかいが画上の聖フランシスコを通してもたらされる時、私はそこに先生のキリスト教的求道心の激しさを感じたのです。どのクリスチャンよりも、先生は真理を求めている。キリストや聖フランシスの画像を通して回心を求めている。その真摯な息遣いが私の胸に迫ってくるのである。
 生やさしい一般のクリスチャンの求道心などに比べものにならない気迫でキリストの心、フランシスコの心を求めている。そのエネルギーが画面を通して私の胸に痛いほど迫ってくる。
「先生、もうあなたはクリスチャンですよ」、と言いたくなったほどです。先生にジカに会いたいなあ、と切実に思ったことです。《く》
by hioka-wahaha | 2009-01-27 10:53 | 日岡だより
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