キリスト・イエスを信じる信仰とは
ある方から「イエス様を信じる信仰」について深い質問がありました。それに答えた私の返信を以下に掲げます。 お手紙を拝読、キリスト様を信じる信仰について、出来るだけ正確に、分かりやすく書いて、お手紙にしたいと思い、ワープロに手をつけました。完成するかどうか、やや不安ですが、やってみます。 テキストとして、ガラテヤ人への手紙第2章16節と19、20節を使います。 第一、ガラテヤ人への手紙第2章16節は口語訳聖書ではこう訳しています。 「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである、なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることはないからである。」 (ちょっと余分なことですが、第1章や第3章ではイエス・キリストとありますが、第2章ではキリスト・イエスとあって、イエスとキリストの位置が反対になっています。このことについてこれまで教えられたことがありますか。礼拝説教では取り上げないかも知れませんが、ひょっとすると聖書研究会などでは取り上げられる可能性がありますね。 なお、聖書研究会という言葉は内村先生の始めた言葉ですが、英語のバイブル・スタディの訳でしょうが、本当は聖書学習と訳す方が良いと私は思っています。あるいは、明治時代だったら研究という言葉でも良かったのかも知れません。研究という熟語の意味が内村先生の時代と現代とではいささか異なるかも知れませんから。 少しこだわって書きますが、信仰は聖書を幾ら研究しても分からないのです。聖書は研究ではなく、命をかけて学習すべき書物なのです。ともあれ聖書研究という言葉は内村先生の残した悪い言葉の一つです。無教会という言葉も悪い言葉の一つでしょうが、これは人気が出てしまって、今では名が通っていますねえ。呵々。) 「人が義とされる」と言うのは、義人として保証される、ということです。しかし律法の行いでは人は義人になり得ないぞ、キリストを信じる信仰によってのみ、やっと義人として保証される」というのですね。 ここで、よく理解してほしいのは、「キリストを信じる信仰」という言葉です。この言葉は間違いです。これは、ガラテヤ人への手紙第2章16節の口語訳ですが、ここの「キリストを信じる信仰」という日本語訳聖書の翻訳が悪いのです。こういうこともありますから、出来れば皆さんに新約聖書は是非ギリシャ語本文で読んでほしいと思うのですよ。 聖書のギリシャ語はそれほど難しいものではありません。ギリシャ語でギリシャ古典を全部読もうというのでありません。新約聖書だけで良いのです。それもアメリカ版のギリシャ語と英語の対訳の聖書ですと、ギリシャ語本文の下部に英語をくっつけて印刷してありますから、英語の読める人でしたら、本当に便利なのです。英語がそれほど上手でなくても、クリスチャンである私たちが英語訳の聖書を読むのは割合に簡単です。私は20歳代に、国鉄での通勤途中で日本語聖書と並べて英語の聖書を読んで、少しばかり英語に慣れました。あなたも、やってみてください。あれ、私はこんなに英語を読めるのかと嬉しくなるでしょう。 さて、「キリストを信じる信仰」という言葉に戻りましょう。この聖書の言葉の正確な訳は、「キリスト様が所有なさる信仰」としたいです。そういう意味で、「キリスト様の信仰」と読んでください。「私たちがキリスト様を信じる信仰」ではなくて、「キリスト様が所有される信仰」という意味です。 ですから、大事なことは、私たちが「義とされる」というのは、私たちの信仰によるのではなくて、キリスト様の(持っておられる)信仰によるのです。私たちの小さな危なげな信仰ではない。キリスト様の完全な信仰により、私たちは「義とされる」のです。 信仰の法則によれば、イエス様は私たちの信仰を見て「義と認めて下さる」のです。しかも、認めた上は、私たちを義人として立ててくださる。その時は私たちの信仰というよりは、イエス様ご自身の信仰です。だから私たちが義とされ、義人と認めてくださる神様の側の仕組みは宇宙的完成度を保持しています。ですから、私たちの信仰の完成度は正にバンザイです。私たちは自分の信仰の危うさを心配しないで、神様の保証を信じることです。これも信仰の秘訣です。 慌てて書きましたので、文章も整わないし、少々のミスはありましょうが、大意は間違いない筈です。イエス様の祝福を祈ります。 * 第二に、ガラテヤ人への手紙第2章19節と20節を使わせて頂きます。 「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた」。 ある日、この御言葉が大名医であるイエス様の御手にある鋭きメスの如く、私の表皮を切り裂き、内臓をズタズタにして、私の息の根が止まったのです。その時のことを詳しく書きましょう。 この文章は11月23日の主日の礼拝のとき発表します。今日、この日は私にとって大記念日なんです。この日は今は勤労感謝の日ですが、昔は新嘗祭、祭日で役所も学校も休みの日でした。そこで刑務所も休みになります。 さて、昭和19年11月19日、日曜日でした。私は、この日、1日をかけて終日自分に問いかけていました。「お前はイエス・キリストを信じているか」。 その前日まで、「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰による」という聖書の言葉に喰いついていました。そして「私はイエス・キリストを信じているだろうか」と問い続けました。特に、11月19日、日曜日になった時、さすがの刑務所でも日曜日はやはり森閑としています。そして終日、「私はイエス・キリストを信じているだろうか」と問い続けた時、ついに最後の結論に達しました。「ああ、俺はイエス・キリストを信ずれば、救われて、神に義とされ、天国に移れることを信じている。その聖書の教えは正しいと信じている。しかし、私は………、本当はどうだ、お前は、どうだ………、」私はそこで立ちどまる。そして、ついに自分の心の中で言った。「それが聖書で言う、救の道だ。それを信じたいのだ。しかし………、私は、それを、信じていないな」。 こう私の心の中で言い切った時、私の全身がドカーンと響き渡ったような気がした。私の魂が土のかたまりのように見えた、そして、その私の土のかたまりのような魂が「ヒーッ」と絶望の声を上げながら、奈落の底に落ちて行くのが見えた。下は地獄だ。 そして、翌日から3日間、私は絶望のどん底に埋没する。私は本当の「絶望」ということを体験した。3日間とはイエス様の陰府に下った3日間だと、後日になって気がついたが、最低にして最高の地獄体験である。実は、ややこしかった。私は自分が死ねばよいのに、一向に死にそうにもない自分の頑固な肉の性質に参った。ここで死ぬべきなんだ。「おい、死ねよ、義人よ、おい。死ぬんだよ」、と何度「おい、死ぬんだよ」と自分に語りかけたことか、そして死ぬべき自分に苦しんだ。死なねばならないと思うがしかし、死ねない。あくまで手強い自分の肉の性質に参った。私は叫んだ。 「神様、到底死ねません」、そう言って絶望した瞬間、聖書の言葉が私の心に響いた。 「キリストの愛が私たちに強く迫っている。一人の人が、すべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである」(第二コリント5:14)と。 然り、私は既に死んでいた。イエス様が私のために死んで下さった以上、私が既に死んで居るのだ。私はこの私の死の真実に気がついた時、信仰の大根本を初めて掴んだのである。これを真に悟ることは如何に難しかったことか。《く》
by hioka-wahaha
| 2008-11-25 23:14
| 日岡だより
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