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No.342 救いの確かさ(三) 2008.7.20

救いの確かさ(三)

 「救いの確かさ」というのは、しばしば「入信の確かさ」であることが多い。次に三つの尊い証しを紹介します。第一は、イスラエル生れのユダヤ人ルベン・ドロンという人のことです。
 彼はゴラン高原の戦場で、近くにいた戦友が弾丸で倒れる死の現場を見た。兵役を終わった彼は改めて死と生の真理を求めた。しかし、人の心は可笑しなもので、かえって彼の心は堕落し崩壊する。でも、不思議!その時、一人のすばらしいクリスチャンに会う。彼は訴える。「私も生ける神に会いたい。どうしたら生ける神に会えるだろうか」。その友は答えた、「ひざまずいて、神の御顔を求めるんだよ」
 ドロンは裏庭の茂った草むらにひざまずいた。そして見えない神に語りかけた。いろんな難問を神に浴びせた。彼の唇からは沢山の質問が出た。しかし神からはなんの応答もなかった。かえって明確に聞こえるのは「祈るのは止めよ、止めよ。お前の馬鹿げた質問に答えてくれる者なんか、いるものか」という悪魔の声であった。
 やがて彼の質問の種も切れかけた。最後に言った。「神よ、あなたに近づくためには、あのナザレのイエスを信じる必要があるのですか」。なんと、その時神はお答えになったのだ。天からの声があきらかに聞こえた。「しかり、お前にはあのナザレ人イエスが必要である」と。
 この言葉が彼を変えた。神様からの命が尚も続いて注いでくるように思えた。彼は神様からの命を飲みつづけた。彼は生ける神に会ったのである。彼は今、日毎、ユダヤ人たちにイエスの命を証言している。(「ハーベスト・タイム」1998・10月号より適宜抜粋して転載しました)。
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 次はジョン・ラジャーというインドの人のことである。彼は子どもの頃から口に障害があり、声を出して話すことができなかった。
 だれも彼を相手にしない、孤独です。14歳の時、彼は苦しみのあまり自殺しようと思った。夜の12時ごろ鉄道の線路にたたずんだ。彼は神様が存在することや、奇蹟を行ってくれることは知っていた。しかし、まさか自分の為に奇蹟をしてくれるとは夢にも思わなかったのです。
 彼は短く祈りました。「もし、あなたが居られるなら、私に語り、私の口をなおしてください。そうすれば、私は残る生涯、あなたに仕え、あなたが行けという所にはどこへでも行き、あなたが為せということはなんでもします。しかし今、私の口をなおして下さらなければ、私は列車にひかれて死んでしまいます」。彼は線路に立った。
 列車が近づく、体が震える。もう駄目だ、と思った時、声が聞こえた。「子よ、私はあなたを選んだ。あなたは家に帰って聖書を学びなさい」。彼は驚いて線路を跳びのいた。その彼の横を列車が猛烈なスピードで通り過ぎた。彼は夢中で家に帰った。
 帰ってみると、家族が寝ているので電気をつけられない。祈ろうとするが涙が出て祈れない。しかし気がつくと部屋が明るいのです。神の栄光が部屋に満ちている。その不思議な光の中で彼は聖書を読み始めた。
 翌朝になった時、彼はすっかり自分が新しい自分に変わっているのに気がついたというのです。(この人の、列車にひかれて死にますなどと神様を脅迫?するところや、光で周辺が満ちるところ、実にサンダー・シングや私の父の体験に似ています。アジアキリスト聖書学院の機関紙「CFAニュース」1998・10月号より適宜抜粋して転載しました)。
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 これは日本での例です。木村後人先生の出しておられる「原福音」第20号(1999年2月)に載っていた先生のあかしです。以下に 失礼ながら適宜抜粋して転載させて頂きます。文中私というのは木村先生のことです。
 かつて沖縄の小さな病院に一人の婦人を訪問した。病室の片隅に3人の子ども(長女が中学生くらい)がいて、おじけたような顔で私を見ていた。母親はもう末期症状で衰弱しきっていたが、言葉は意外にしっかりしていた。それはほとんど、自分や子どもたちを捨てて行った夫や、非情な世間に対する恨み言であった。そして終わりに言った。
 「先生、神様や永遠のいのちなんて本当にあるんでしょうか。生きていてこんな目にあうなんて……、私には神さまなんて信じられません」。
 私には返す言葉がなかった。なんとか神の愛を説こうとしたが、そんなきまり文句を語れるような雰囲気でなかった。しかたなく沈黙していた。そして必死で神様に助けを求めていると、突然、ある光景が心に浮かんだ。私は静かに彼女に語りかけた。
 「私はいつか丘の上に真っ黒に焼けたままのソテツが、その根元から可愛らしい新芽がふいているのを見たことがあります。あなたは沖縄の方だから、こういう光景はよくご存じでしょう」。
 彼女はハイと返事しました。「それと同じですよ、あなたの生命は滅びたりはしません。ソテツの根が土にかくれているように、あなたの命は神様の懐の中に隠れているのです。神様にお願いすれば、きっとまた幸せな人として甦らせてくださいます。それにあなたの命はあの子どもたちの中で一緒に居るんですから大丈夫、何も心配する事はありませんよ」。
 彼女はそれを聞いて、少し安心したのか、顔が明るくなり、落ちついて「どうも、ありがとうございました」と礼を言った。
 その直後、私は沖縄を去り、上京した。それから2年ほどして、私を一人の少女が訪ねてきた。彼女は明るい笑みをたたえながら、「先生、私はあの時、病室にいた長女です。先生が帰ったあと、母は別人のようになり、少しも愚痴や悪口を言わなくなりました、私たちにもやさしくなりました。あんな母を見たのは初めてでした。そして亡くなる時もとても穏やかでした」。
 少女の話を聴きながら私の心は感動に打ち震えた。あの宿命に泣く彼女たちを、その鎖から彼女たちを解き放ち、全く新しい人生へと導かれたのは生けるイエスである。私ではない。私は不肖の弟子、ただ呆然自失していただけなのである。
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 こうして、生けるイエス様に触れる、あるいは神のみ言葉に触れる、神の聖霊にふれるというようなことが起る。こういう経験によって、とっさの間に信仰に入る人々がいるものである。こういう人たちにとっては「救い」とはまさしく「確かな」ことである。文句のない経験です。
 光や、耳に聞こえるような声は聞かなかったにしても、声ならぬ声を心にしかと聞きとめて信仰の事実を掴むのは前号に書いたアウグスチヌスがそうであった。メソジスト教会の創立者ジョン・ウェスレーもそうであった。内村鑑三もそうであった。私もそうであった。
 しかし私は、長い間、多くのクリスチャンの方々と交わっているうちに、別のタイプの方々のことが分ってきた。以上のような霊的体験、鋭角的回心と呼ぼうか、それが無くても大丈夫なのだ。大きく円弧を描くようにして、ゆっくりと信仰の門に入る人たちもいる。いや、その方々のほうが随分と多いのだということを書き添えておきたい。
 実は、ビリー・グラハムもその事に触れている。彼自身は鋭角的回心だった。しかし彼の奥さんは大きく円を巡る型だったと言っている、感謝!
 もっと極端な例は、私たちの親しい古林三樹也先生です。先生は信徒訓練として自身の入信の証しを作らせるような奨めをよくします。しかしご自身が自分の入信の証しを書いてみせようとして、はたと困った。ご自分がいつ信仰に入ったのやら、記憶がなかったという、ウソみたいな話。《く》

《お願い》
人はどのような経路で信仰に入るものでしょうか。あなたはいかがでしたか。人生の確かさを求めて信仰にはいりましたという真面目な標準型もいましょうし、いえいえ、僕は兄貴に暴力的に無理矢理、教会に連れてこられて、ところが魅力的な女性がいましてね、ついつい教会にはいりこんでしまいましたとか。おやおや、今の奥様がその方ですか、えへへ、その辺、ご推察に任せますとか……。あなたの教会に来られるようになった越し方を教えてくださいませんか。ご寄稿をお願いします。《く》
by hioka-wahaha | 2008-07-22 18:52 | 日岡だより
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