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No.317 マーラ・モウの話 2008.1.27

マーラ・モウの話

 マーラ・モウというのは1863年にノルウエーに生まれた女のひとです。
 マーラは小さい時、頭の良い子ではありませんでした。それに学校にもあまり行けませんでした。家が貧乏でしたし、それに第一その頃のノルウエーの田舎では、学校はすくなかったのです。
 マーラが15歳のとき、叔母さんがひどい病気になりました。お見舞いにいくと、叔母さんは
 「マーラ、お見舞いありがとう。私はもうすぐ天国にいきます。あなたも天国にきてくださいね」
 と言いました。この叔母さんは、はっきりしたイエス様への信仰を持っていて、形だけのクリスチャンではないようでした。(日本の仏教信者と同じように信仰とは形だけ知識だけというクリスチャンがヨーロッパには多いのです)。
 その同じ年、マーラのお父さんもなくなりました。なくなる時、お父さんは
 「いとしい子供たちよ、神様に心をささげなさい」と言いました。
 このようなことがあってから、マーラは一所懸命に神様をもとめました。ある日、彼女はたった一人になって心をしぼるようにして、
 「神様、どうか私の罪をゆるし、私に救いの喜びをあたえてください」
 と叫びました。その時、マーラの魂に聖書のお言葉がひびきました。
 「あなたの信仰があなたを救った」
           *
 マーラが19歳になったとき、お母さんも天に召されました。マーラは決心して12歳の妹と2人でアメリカに行き、妹を養いながらクリーニングの工場ではたらきました。
 その頃、アメリカにはムーディーという大変えらい伝道者がいました。マーラは喜んでムーディー先生の集会に行きました。ところで驚いたことにムーディー先生は説教(メッセージ)が半分終ると、
 「あとのお話は、まだイエス様を信じていない人たちのためにします。イエス様を信じている人たちは、外に出てもっと人を集めてきてください」
 と言いました。
 マーラはすぐさま外に出ました。道を歩いていると、喫茶店の窓から、その中で男の人が2人むきあって煙草をくゆらせているのが見えました。急に胸がドキドキしてきました。あの人たちに伝道せねばならぬのでしょうか。若い女の子が男の人に話かけるなど昔ではアメリカでもとうてい考えられないことでした。
 しかしマーラは今はじめねばならぬと決心しました。彼女はその喫茶店に入り、勇気をふるって、
 「あなたがたはここで、たばこをのんだりビールをのんだりしていてはいけません。ムーディー先生が説教しています。あの会場に行ってイエス様の救いを受けなさい」
 と言いました。そこにいた1人が立って
 「おじょうさん、あなたの言うとおりです。私は行きましょう」
 と言いました。マーラは一言も言えないで外にとびだしました。うれしくて涙がとまりませんでした。
           *
 このようにしてマーラはだんだん伝道が上手になっていきました。マーラは学校に行っていません。頭も悪いのでした。しかし「なんとしても、イエス様のことを人に知らせたい」と思う熱心さで知らず知らずのうちに、あかしが上手になっていました。
 その頃マーラの生まれたノルウエーの隣の国のスウェーデンの人で、フランソンという先生がきました。この人はマーラをひとめ見て、
 「神様はあなたがアフリカの宣教師になることを望んでおられます」
 と言いました。
 「とんでもない。私には妹があります。それに頭が悪いのでアフリカの言葉を決しておぼえられないでしょう」
 とマーラは答えました。
 その夜、フランソンはマーラのために眠らずに祈りました。マーラはその頃、ある友達の家に行っていましたが、その時、目に見えない力が彼女の肩に重くくわわりました。彼女はよろけて床(ゆか)の上にたおれました。
 「神様!」
 マーラは叫びました。
 「あなたは生きています。私は行きます。アフリカに行きます」
           *
 マーラ・モウは宣教師になってアフリカに行く決心をしました。そこでまず、マーラはフランソン先生の神学校に入りました。
 フランソン先生の学校は世界一の教育期間のみじかい学校でした。たった2週間(!)で卒業でした。フランソン先生は一度も学歴を聞きませんでした。フランソン先生が一番大事にしたことは、
 ・ご聖霊様に満たされること。
 ・神様を信頼すること。
 の2つでした。フランソン先生の最後の教えはこうでした。
 「断食して祈りなさい。病気になったら断食して祈りなさい。外国語がむつかしかったら断食して祈りなさい。だれもイエス様のことを聞いてくれない時は断食して祈りなさい。食べるものが無くなれば断食して祈りなさい」
 この言葉はマーラの心を強くうちました。そしてマーラの心にいつまでも残りました。
           *
 マーラ・モウは、喜びいさんでほかの宣教師たちといっしょに、アフリカに行きました。
 しかしアフリカについてみると、歓迎してくれるはずの酋長が機嫌がわるくてみんなを村に入れてくれないのでした。なかまの宣教師たちは1人去り、2人去りして心ぼそい限りでした。
 その上、マーラは言葉が覚えられませんでした。
 彼女はこらえきれなくなりました。ある日、まる1日断食して祈りました。そのときマーラはまぼろしを見ました。神様があらわれて
 「あなたを助ける人をおくります」
 と語られるのでした。
           *
 間もなく、マーラのもとに不思議な少年があらわれました。言うことを聞かない変りものの少年でした。マーラはこの少年にすこしの期待も持てませんでした。しかし神様は言われました。
 「この少年こそ、あなたの助け手です」
 この少年は、ヨハンと言います。ヨハンはなかなか字を覚えることができず、みんなの笑いものになっていました。
 ある夜、ヨハンは天使のすがたをみました。彼は急に山の中に消えて、まる1日じゅういませんでした。もう少しで太陽がしずむという時、ヨハンは教科書をかた手にもって走りながら帰ってきました。
 「先生、ぼく読めるようになったよ」
 「ウソおっしゃい。昨日まで、ぜんぜん読めなかったくせ」
 「でも今は、よめます。山にいって、読めるようにしてください、と神様にお祈りしたら、読めるようになったんだ」
 ヨハンは持っていた本をすらすら読んでみせました。
 ヨハンは部落の人たちに向かって大声で、
 「あなたがたは永遠に生きたくはありませんか」
 と叫んでさっそくイエス様の福音をつたえはじめました。彼は熱情にかりたてられていました。小さい子どもたちまでヨハンのはげしい変化に気づきました。
           *
 このようにして、マーラの伝道はだんだん大きくなりました。マーラはアメリカを立つときフランソン先生に言われたように、問題がおこるときには断食して祈りました。やがてマーラのまわりではつぎつぎに不思議なことがおこり、人々は
 「あの白い女の人には神様がついているよ」、
 と言うようになりました。
 ある夏、長いあいだ雨がふらないため畑の作物が枯れそうになってしまいました。マーラは雨のために祈ることを提案しました。しかし彼女自身はあまり確信をもてなかったそうです。
 でもあのヨハンはクリスチャンをあつめ、そして聖書をひらき、みことばを引いてみんなで祈りました。祈りが終ると空に黒い雲があらわれ、そして久しぶりに大雨となりました。
 マーラは生涯をアフリカにささげ、アフリカの人たちに愛されて1953年、アフリカで死にました。少女のとき、あの叔母さんに言われた言葉のとおり、よろこび勇んで天国にがいせんしました。
         *
 以上はかつてS・Hさんに書き送った手紙の一部です。彼女がまだ小学生の頃でした。たしか子供たちの遠足で、前の週にお天気になるように日曜学校でみんなで祈っていたのですが、当日になってみると雨でした。そのとき子供たちをなぐさめ、又信仰のつまづきを与えまいと思って書き始めた手紙が、どんどん横にそれてマーラ・モウの話になって了ったのでした。30年ほど前の「百万人の福音」に載っていたマーラ・モウの伝記を下敷きにして書いたと覚えています。
 こうしたマーラ・モウとか、リーズ・ハウウェルズなどという人もいますが、こういう隠れた人たちの伝記には感動します。こういう人たちの生涯は陽性で、あまりに奇跡的ですから、かえって出版社をへきえきさせるのでしょうか、その後絶版になってしまっているのですが、残念です。しかし信仰は本来、陽気であるべきです。これは、20年ほど前の原稿を掘り起こしました。《く》
by hioka-wahaha | 2008-01-29 12:11 | 日岡だより
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