絶えざる主との交わり
私がまだ大分県立聾学校に在職中で、その末期の1955年(昭和30年)の頃であっただろうと思う。(私は1956年に退職し、独立伝道に踏み切った)。 その頃、突然、私は驚嘆すべき体験を恵まれた。前記の聾学校で午前中の授業を終わり、給食時間を終わって、保護者や寮の寮母さんへの毎日の連絡簿をつけていた時だったと思う。 その朝、家で起床してから、学校で父兄連絡簿にペンを走らせている瞬間まで、ずっと私は神様を仰いで祈り続けていたという事実である。こんなことが生身の人間に起こり得る事であろうか。 起床、朝食、自転車で通勤、職員会議、朝礼、午前中の授業、そして給食、こうした事の間、一瞬も絶え間なく神様を仰いで祈り続けていた自分を顧みて私は驚嘆した。 私はすでに聾学校教員のかたわら、6年間の無教会風の集会を開いて伝道者として多少の働きをしてきた。T・L・オズボーンの本に触れて神癒伝道の恵みも頂いていた。 そんなことで、少し傲慢な自惚れが生じつつあった時だったが、この一瞬一瞬、絶え間無く神様を仰ぎまつるという経験は、私から驕りの心を消えさせ、穏やかな落ち着いた性格を作って頂いたと思う(と言うのもおこがましいが)。 あのまま過ごしたら私はどんな素晴らしい人物になっただろうと思うが、残念ながらこの経験は1年か、2年で終わった。 その後、なんとかこの素晴らしい経験を回復しようと思って努力したけれども、こうした精神状態を自力で維持することはとても出来なかった。この努力をそのまま持続しようとすれば神経衰弱になる外はないと思って、諦めてしまった。 その後、チョウ・ヨンギ先生の証しをお聞きしてビックリした。大阪での聖会だったか、先生は「いつも神様に祈りたいと思って努力した」という。そして、幾度も失敗したが、失敗するたびに、「神様、済みません。また、あなたにお祈りするのを忘れてしまいました」と、お詫びした。 これを何度も何度も繰り返している内に、やっと常に祈ることが出来はじめました」とおっしゃるのだった。私は本当にびっくりしてしまった。 聖霊様によって与えられた私の恵みの経験より、自分の努力で獲得した祈りによって獲得したチョウ・ヨンギ先生の経験のほうが、賜物として永続できたということに、私は驚いたのだ。そして又、神様に不足の一つも言いたかった(神様ゴメンナサイ)。 この問題について、イギリス出身のアフリカ宣教師、リーズ・ハウェルズが言っている。 「聖霊の賜物はポケットから取り出すように利用できるが、恵みはその一時期だけのもので、いつか無くなる可能性がある」と。 なるほど、私にとり神癒の神様からの委託は小さくても賜物であったが、絶えざる祈りの恵みは一時の頂き物だったのだということらしい。(2005・5・9旧稿) * もう戦前のことだが、青木澄十郎という純福音の先生が居られた。この先生の本の中で、17世紀のフランスの修道者ブラザー・ローレンスという人のことを知ったのである。 このブラザー・ローレンスという人は教育のない、何をさせても不器用な人だったらしい。彼はある時、冬枯れの木の枝に芽が芽吹いているのを見て、そこに神様の御手を感じ、信仰を抱いたという。 この方が修道院にはいっても修道僧にはなれない、料理方の下働きになって、日々神様をあがめる生活をはじめたのである。如何なる時にも、瞬時も忘れることなく主を呼びまつる修練を自分に課したという。 料理を失敗すれば、「ああ、神様、あなたが居られなければもっとひどい失敗をしたでしょう。あなたが助けてくださってこの程度に終わりました。感謝します」という具合です。 かまどで火を燃やす時には、「主よ、地獄の火を避けさせてくださる主よ、感謝します」と心に念じるのであった。 次第に台所に入ると、誰でも主の臨在を感じるようになった。上級の修道僧たちや修道院長さんなどが、彼のもとに来て、その臨在経験を聞くようになった。また当時のルイ3世もこの修道院に行啓されて、彼に面会を求めたという。 彼は料理方であったから、ある時、船に乗って地中海岸のぶどう酒産地にぶどう酒を購入に行ったことがある。 その荷を積んで帰りの航路についたとき、海が荒れてぶどう酒の樽が甲板上を転げまわる。それを追って彼も転げまわる始末。 たしか彼はびっこであったのだろうか、ちょっと忘れた。ともあれ、そういう滑稽な様を水夫たちがあざけり笑っている時にも、彼の心は非常に平安であったという。 それはあたかもミサ(聖餐式)に列している時と些かも心の状態が変わらなかったと、彼は追憶している。 この私の小文は記憶によって書いているので、小さいところは誤りもあると思いますが、CLCから出ている「敬虔の生涯」をお読みください。カトリックのドン・ボスコ社から出ているのは「主の現存の体験」という題です。著者名はラウレンシオとなっているはず。これは彼の修士名のようです。なお、彼の実名はニコラス・ヘルマンです。 この方の名は早くより私の記憶に残りました。そして、私もこのような恵みに浴したいものだと願って来ました。この小文の冒頭に書いた経験を恵まれた時、私は即座にこのブラザー・ローレンスを思い出して、神様に感謝したものです。(2005・5・11釘宮記) 〔ブラザー・ローレンスの本について〕 ブラザー・ローレンスの本は、CLCの「敬虔の生涯」が読みやすいと思います。彼は1614年生れ、1691年にいつもと変わらぬ平安と静けさに満たされて召されたと記録にあります。 ドン・ボスコ社の「主の現存の体験」のほうが、削除もなく、文章も正確だと思えますが、カトリック用語が多くて私たちには読みにくいのが難点です。「敬虔の生涯」のほうから、以下に要所、要所を抜粋します。 * 私たちは何をするにも、すべてのことを主に相談する習慣を作らねばなりません。そのために、神と絶えず語り、自分の心を神に向ける努力をしなければなりません。これは、少し努力することにより、直ちに神の愛がうちに働いて、何の困難もなくその習慣が身についてきます。 私は自分の仕事が失敗した時には、その過失を神に告げて、「私一人でこのことを為すならば、失敗するほかはありません。私が失敗するのを防ぎ、よくないところを正してくださるのはあなたです」と申し上げて、それからはその失敗について思い煩いませんでした。 * ある人について書かれた書簡から、多分のその人の夫人にあてた手紙。 神が彼に与えた苦難が彼にとって良い薬となり、それによって彼が自分の内なる人に目を向けるようにと私は願っています。常に彼のそばにおられる方に、彼が全幅の信頼を寄せられるよう導かれる良い機会となるはずです。できるだけ彼が神を思うことができるように、そして危険な目に会った時こそ、彼が神を思う事が出来るようになって貰いたいものです。 * 神は私たちの魂の奥底にご自身を写し出しておられるのに、私たちはそのお姿を見ようとしないのです。私たちはくだらないことにかまけて神を忘れ、いつも私たちの内におられる王なる方との会話を続ける事を軽んじているのです。 日頃、信仰によって神が自分の内に居られると、考えるだけでなく、目に写るもの、身の回りで起こる事柄のすべてに、神の存在を感じましょう。目に見える造られた物から目を離して、直ちにそれを造られた創造主に心を向けましょう。 * 神への愛のためには、一本のわらを拾いあげることでも充分です。神のみ心を愛する時、自分自身の意向に関する愛着がとって代わられるのです。心を高く上げて神を仰ぐことを妨げているのは、自己愛の名残にしか過ぎません。 また「彼はひどい事件を聞いた時、呆れるよりは、罪人の犯し得る悪の限度を考えると、もっと悪いことにならなかったことに驚いていた」などと、ある人はその所見を書き残しています。 (以上、小生の責任で抜粋し、時には適当に原意を損なわないかぎり多少の字句に変更を加えましたことをご了赦ください。2005・5・20、釘宮) 〔付 記〕 私の反省。今日は2005年5月20日の朝だが、私の手抜かりがあったと思うことがあった。この「絶えざる主との交わり」の記事の最初に書いた私の初期の「神様との絶え間ない祈り」の体験は、滅多に聞かれない経験だから、私は多少とも誇らしく思ってきたが、この誇りが私を次の体験に進ませなかったようだという反省だ。 今、あらためて気がついた。ブラザー・ローレンスや、他の神秘家たちを見て気がつくのだが、単に神様に心を向ける、祈るというだけでなく、神様と会話しているとしきりに言う。この神様との会について私はほとんど気をつけていなかった。私の落ち度である。 そこで、ある朝、早天以降、神様と会話を交わしつつ、諸事万端を行うことを試みてみた。神様との対話と言っても、自分自身の意識内における自己対話のようなものだが、これが面白い。 私の神層意識理論で、意識の深みから言葉を汲みあげて行くうちに、次第に神様からの声を聞き始めることに変わって行くというやり方だが、これが案外に良い。実行して続けると良い結果を生みそうな気がする。 つまり祈りに於いて神様に向かって語りかけるというだけでなく、神様の声を聞いて、こちらからも又、言葉を返してゆく。こうして会話が続けられる。この一種の快感ははなはだ良い。このスタイルで、絶え間なく祈るという姿勢を完成させたい。 自己内対話の中で、神様と会話を交わしている気になってしまうというのはインチキじみるが、修練としてはよいのではないかと思う。ここらあたりは、内心じくじたるものあり威張って公表しにくいが、遠慮せずに、今後も継続したい。(*最近、配布されて来ている「パワー・フォー・リビング」にも同様の事が書いてある。07・8・4、記) 人間の意識を表面意識から、井戸を掘るようにボーリングしてゆくと、昔の温泉掘りではないが、はじめは泥が出たり、ガスが出たり、だんだん深くなって、思いもよらない深みにはいってゆくとする。表面の顕在意識からフロイトの潜在意識、更に深く深層意識、そして遂に神層意識と深まってゆくとする。 深層意識というのが、ユングのいう共通無意識。これは、竹の地下茎のようなもので人類の万人にひそむ共通精神、村上教授の言われるグレート・サムシングだと言っても良い。 神層意識は更に深い。仏教的に言えば、空か無の世界だ。全宇宙を抱えこむ創造者、支配者の神様の意識と、私たち人間の深層の極点とに接点があると推測する。その接点をとおして語りかけてくる神の声を聞き取る能力が人間にあるとする。その神層能力の端っぽをつついて想像力たくましく仮想現実の神との会話を飽きずに継続して行くときに、ホントウの神様に出会えそうな気がする。偉そうなことを言ってゴメンナサイ。《く》 (2005年5月20日深夜記。回覧用旧稿)
by hioka-wahaha
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