「回心」ということ
キリスト信仰において「回心」という言葉は重要度ベストテンに入れてよい大事な言葉だと思うのだが、この言葉は私の持っている限りではキリスト教大辞典という類の本には一向に出て来ない。不思議である。私の書棚を見ると、一冊だけ「異教からの回心」という本があった。だから、使われてないことはないのである。 しかし、一般むけの辞典である岩波の広辞苑には立派に載っていた。次のとおりである。 【回心】(宗)(conversion)キリスト教などで、過去の罪の意志や生活を悔い改めて神の正しい信仰へ心を向けること。なお、一般に、同様の宗教体験を言う。同義語→回心(えしん)・発心(ほっしん) とある。私が説明を添えると、「回心(えしん)・発心(ほっしん)」は仏教用語である。回心(えしん)は、たしか「廻心」とも書くように思う。 なお「改心」という言葉は一般には悪事を習慣にしている人物が心を入れ替えて善事に励むようになることをさすが、カトリック用語としてはプロテスタントで使う「悔い改め」を差すそうである。 私が使う回心という言葉は、上記のような一般用語としての改心でもなければ、カトリック用語としての改心でもない。 キリスト信仰における回心という言葉は私は石原兵永先生の本で知ったのである。この本は私は多分戦前、銀座の教文館で買ったのである。(この時、矢内原忠雄先生の「イエス伝」もいっしょに買った。この本も私に大きな影響を与えた。ひたひたと押し寄せてくる軍国主義の波に抵抗しようとする雄々しい矢内原先生の姿勢に私は圧倒された。そして私なりの覚悟を決めることになる。) 上記の石原先生の本の題名がずばり「回心記」である。私は教文館の図書売場でこの本の頁をパラパラとめくって、チラリと内村鑑三先生の名前を見たので、すぐに買ったのである。こうして、私は私の生涯に一大転機を与える本に巡り合ったのであった。 この本は当時、長崎書店から出ていた。戦後、長崎書店の後継社というべき新教出版社から新版として出た。この際、内村先生の小篇「コンポルジョンについて」(たしかこういう題名だった)は削除されていた。これは惜しかった! コンポルジョンというのは内村先生流の読み方である。石原先生は当初から現代風にコンバージョンと書いていた。内村先生はアメリカに留学していた方であるから、英語をわざわざ日本のローマ字読みに替えることはあるまい。すると先生の留学されたころのアメリカではコンポルジョンと読んだのか、とも想像する。 なお余談だが、最近のアメリカ英語に慣れた某宗教家に聞いたら、営業マンなどに説得されてその商品を買う気持に変わった時の心の変化をコンバージョンと言い、宗教的信仰の決意をした時にはコンバーションと言うのだそうだ。 このことは昨日、私を訪ねてくださった福音歌手上原令子さんが英語に詳しくて、その通りだと言ってくださった、実は昨日の同姉との会話で、この後書きすすめたい「回心」について全く私と同じ意見を語ってくださり、私は驚嘆した。又、嬉しかった。「あなたはただ歌うだけの人かと思ってたらホンモノだったですね」などと失礼なことを言ったものです。 気をつけて読んでください。ジがシになっている。濁りが取れて純粋になってるのかな、呵々。昔、ある友人が私に言ったことがある。「釘宮さんの名前は義人、これを音で読めばギジンですが、濁りを取り去ると奇人(キジン)になりますね」と。 石原先生の「回心記」は内村先生と共著と言ってもよい本である。石原先生が内村先生の家に書生のように住み込んで信仰を学ぶ、その時、この回心のことを内村先生から聞き、その回心なるものを求めて苦悶する経緯を書き綴った本である。 内村先生は言う、「回心の経験がなければ本当の信仰じゃないよ。そう言えば、カトリックの人たちに回心があったとは聞かないねえ」、カトリックの方よ。怒らないでください。 現代のカトリックの方々がどうか知りませんが、少なくともカトリックの歴史によれば、よく知られた有名な人物をあげることが出来ます。アウグスチヌスとパスカルです。 * アウグスチヌスは逃れがたい好色乱逸の生活に溺れていました、その生活から正に一挙に回心します。彼の「告白禄」のちょうど中ごろから読むことが出来ます。 非常に簡単です。隣家の子どもの唄うような声で「取って読め。取って読め。」と聞こえたそうです。彼は、これは聖書を読めということだろう、と思ってそばにあった聖書を開いて読みました。ローマ人への手紙の第13章がありました。彼が読んだ個所は、その章の最後です。 「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと嫉みを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」。 彼はこう書いています。「私はそれ以上読もうとは思わず、その必要もありませんでした。この節を読み終わった瞬間、言わば安心の光とでも言ったものが、心の中にそそぎこまれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです。」 これがアウグスチヌスの「回心」です。こうして、初代教会最大の教父が生まれるのです。時に西暦386年、彼は32歳でありました。 * パスカルの場合はこうです。彼は17世紀、フランスの人。数学者、物理学者、哲学者、パンセの「人間は弱き葦である」等の言葉で有名。以上のような学者としても、社交的な魅力でも、サロンの人気ものであったが、そういう世俗を脱した聖なる世界を求める。 ついにある日、聖霊によって変えられる。その日は1654年11月23日です。(幸いな偶然!ですが、私の回心は1944年11月23日なのですよ。) 彼のその時の「覚え書」が残っています。彼の下着の裏に縫い込んであった羊皮紙のメモが、彼の死後、発見されのだそうです。以下のとおりです。 火 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神 哲学者や学者の神にあらず 確実、確実、歓喜、平安 イエス・キリストの神 Deum meum et Deum vestrum. (わが神、即ち汝の神) 汝の神は私が神なり 神以外、この世および一切のものの忘却 神は福音に示されたる道によりてのみ見出さる 人間の魂の偉大さよ! 「正しき父よ、げに世は汝を知らず、 されど我は汝を知れり」 歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙 * 日本人で同じような経験を、前記の内村先生に見ることにしよう。先生はアメリカのアマースト大学に留学中、アルバイトの石炭運びをしている時、その信仰の経験をしたらしい。 内村先生は当初、熱心に律法的に信仰を求めて苦慮していた。その日本の留学生の苦悩を見かねたのか、学長のシーリー先生が福音的な信仰のありかたを教える。 「ウチムラ君、種を土に蒔いて、芽が出たか、どうか、気になる。そこで毎日、毎日、土を掘って、もう芽が出たかな、とやっていたら、その植物は枯れてしまうでしょう。主の言葉を一度受け入れたら、その成長を見ようと毎日ほじくり返さないことです。」 この言葉で内村先生は翻然と信仰を悟ることになります。先生は歌います。 「あるものの胸に宿りしその日より、輝きわたるあめつちの色」。 こうして希代の日本人的クリスチャンが生まれるのです。《く》
by hioka-wahaha
| 2007-03-06 16:34
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