日本国憲法は偽装憲法
本年6月18日の本紙で星野富弘さんのことについて、ちょっと辛口批評を書いた。つづいて先週、8月20日号の本紙で、あろうことか内村鑑三先生のことについて、日ごろ思っている批判気味な記事を書いた。 だからと言って、内村先生に対する敬愛の念が薄れている訳でもない。これは前者の星野富弘さんについても同様である。言い訳じみるが、敬愛するからこその辛口の批評だとも言える。 さて、今回はいささか違った角度で、一般の常識のすき間を突く批判を書きたい。それは現行の日本国憲法である。よく「平和憲法を守ろう」、あるいは「九条を守る会」などと言うのがある。お調子に乗ってそういう会や、そういう宣伝文句に私も名前を並べているが、本当は不本意なのである。 なぜか人々は、現行の憲法を「平和憲法」と呼ぶ。私は「いいえ、偽装憲法なのだ」と言いたいのである、これは悪名高き「偽装建築」よりも、更に良くない。人を惑わすにも程があると思っている。 * 問題はその前文である。その中ごろにこういう一文がある。「日本国民は、恒久の平和を念願し、(中略)、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。云々」。この前文に基づき、有名な軍備絶対放棄の憲法九条が掲げられる訳である。 私たちは、いざ某国が我が国に戦争しかけようとする時、どこの国の「国民の公正と信義に信頼」すれば、平和ですませられるか。その辺の見通しは非常に曖昧で、幼児的信頼を架空の解決策に預けているとしか思えない。 ところで、現時点の外交模様を照らし見れば、この「諸国民」とは明らかにアメリカやアメリカ同盟国のことを指していることは明らかである。つまりアメリカの傘下にある平和主義であって、だからアメリカのイラク侵攻には、日本も追随する。これでは、日本の平和憲法なるものは、天上に舞いあがる凧みたいなもので、単なる紙きれに過ぎない。 聖書を開くと、旧約聖書では嫌になるほどイスラエルの対外戦争が出て来る。それをユダヤ人たちは「聖戦」と称する。ところで、新約聖書では戦争を肯定し賛美する言葉は、全然出て来ない。何故か? ローマ帝国内において、クリスチャンたちは帝国の権威に対峙し、帝国の権威に抵抗した。もちろん、国家の軍事力に参加することも協力することもあり得ない。とは言え、国家の法的秩序には従いなさい、と使徒たちは教えている、この逆関係が凄い。 * この逆関係の真理性は近代に至り、ガンジーによって見事に実践的に証明された。彼は大英帝国のインド政治が真理に背いていると確信した時、堂々とその法律に背いた。そして、その国法の法廷で審判を受け、その判決に従い、堂々と刑を受けた。これはソクラテスが死盃を避けなかったと同じように、正に凛々しい態度だった。全世界、これに感銘した。 たとえば、当時のインドには白人だけが渡れる橋があった、そこに立札があったという。「犬とインド人はこの橋を渡るべからず」。そこをガンジーの教えを受けたインド人たちは静々と、その橋を渡った。渡り終えると、待ち構えていた警官たちの前で、彼らはみなインド風に敬虔に合掌して逮捕される。つまり堂々と罪を犯し、刑罰は法律に従って文句一つ言わず従うのである。 このインド人たちはただちに刑務所に入れられたが、間もなく刑務所は満員になり、小学校の校舎を臨時の刑務所に代えたという。この報道はまたたく間に全世界に流布されて、さすがの大英帝国もこの悪法を撤廃せざるを得なかった。徒手空拳のガンジーが大英帝国に勝ったのである。国家よりも、勇気ある真理に従う者のほうが強いのである。 現代の非戦主義者も斯くありたいと思う。兵役召集を拒否しようとする弟子に「止めたまえ、家族のことを考えてみよ」では困るのである。《く》 戦時の日本における一青年の非戦論 ここで言う一青年とは私のことだが、若かった私のたどたどしい文章を以下に載せます。私はちょうど20歳、原稿用紙1、2枚に書いた幼稚なもの、辛抱してお読み下さい。《く》 一、世界の歴史において 真実の意味に於いては未だかつて人類は平和を持ち合わせたことは一度も無かった。個人的には(そして瞬時的には)それを持ち合わせた人がないではなかったとしても、おしなべて人間の世界を振り返ってみるとき、そこには一片の平和も見られないのである。世界歴史をひもとく時、そこに見られるものは争いの記録である。歴史とはつまり戦記に外ならないかに見える。近世に於いて、世界に戦争のなかった年は僅か数年であるという。 しかも、ここでいう争いとは戦争のみに限るのではない。実は戦争の無かった年といえども、それを平和の年と呼ぶにふさわしくはなかった。そうした年にも、我々は戦争の原因の幾つかを数え得ることができるだろうし、事実はなはだしい戦争準備の策動が暗流していたに相違ないのだ。それがつまり、「平和」(?)なのであった。 二、人倫あっての国家 人倫が国家よりも大なるものであるか、小なるものであるか。 まずこの点を明らかにしなくてはならない。私は人倫あっての国家であって、国家あっての人倫ではないと信じる。 国家はまず正義によって立つべきものである。人の集団は財力や軍備によって立つのではない。もし亦、後者の何かが欠けたとして、その故に国家が亡んだとしても、最後までその正義を失わなかったのならば、決してその国にとってその滅びは恥ではない。それを恥と思う人は、あたかも楠木正成の敗戦を恥と考える人たちである(註・まさに戦争中の一青年の文章らしい)。 「先立つものは金」というような考え方は此の国の人たちの共有する卑点(註・当時の私の造語です)だが、それが矢張り国家自体にもある。何でもよい、南方にある一切の資源を獲得して、世界に権威を振るえるようになれば、それで日本の黄金時代が来るのだと思っている、帝国主義的思想も甚だしいと言わねばならぬ。 豊臣秀吉の朝鮮出兵のような末路を引き起こすことは決してないと誰が言えよう。いずれにしても、この国はまさに好戦国である。 私が非戦論を称えるのは別に深い子細があるわけではない。ただ、善を善とし、悪を悪と呼びたい一念からである。 (註・この手記は昭和17年8月20日、私が徴兵検査を受ける日の朝に書いている。当然持って行くべき幹部候補生志願書を私は故意に持って行かなかった。監督将校の叱責を受け、憲兵隊に送り込まれるのも覚悟していた日である。しかし、検査の結果、「筋肉脆弱」という情けない理由で、甲種にもならず第一乙種にさえ不合格、呆然として家に帰った日である)。 どうして、こんなことが どうして、こんなことが起こったのか。こうして表立てて書くのは面映ゆいのですが、先週の8月21日のことです。 その日の11時ごろ、急に心の底から、ある思いがカーッと突き上げてきたのです。「海に行きたーい。海で泳ぎたーい」という強烈な思いです。 こういう「強烈な思い」は、私の84年間の生涯で、一度も経験したことがありません。突然に湧き起こる龍巻のような思いです。いくら払いのけようとしても、私の心から払いのけることが出来ませんでした。 私は心に湧きあがるその思いにせきたてられるようにして、玄関に立って戸を開けながら、娘のせつこに「海に行くよ」と声をかけると、「何ごとなの」。「うん、海に行って、泳ぎたいんだよ」と答える。せつこは「待って、待って」と私を玄関に立たせて、「私も行くから」と言います。 「なぜだい」と私は思いましたが、「彼女も海に行ってみたいんだな」と考えて同意しました。そして彼女の車で大分市郊外の田の浦海岸に行ったのです。 * 天候は快晴で、私はもう40年ぶりでしょうか、海の水にはいって、ほんのちょっとの間でしたがジャブジャブと泳ぎました。爽快でした。ともかく、細腕で平泳ぎらしきものが泳げたのが不思議でした。その私の様子をせつこが携帯で写真を取って、堺にいる長男のえりやにメールで送ったのです。えりやから、すぐ返事です。「びっくりしたよ、父ちゃん、大丈夫かい」。 その時、私は初めて、せつこやえりや君の私に対する心配が分かりました。「心配かけたな、申し訳なかった」と思いました。 私は自分が84歳の老人で、こんな行動は「年寄りの冷水、心臓麻痺でも起こしはしないか」と、彼らがヒヤヒヤしているのだと、やっと悟りました。 * さて、書きたいことは、こうした「海で泳いだよ」という自慢話ではなくて、最初に書いた「急に心の底からカーッと突き上げてくる思いが起こった」という、そのことです。こんなことは、私の人生に初めての強烈な「意志体験」でした。 聖霊による意志の急変、深刻な転換は、よく聞くことです。私にも体験があります。しかし、今回のような聖霊体験とは違う、私自身の意志による強烈な発奮は初めての経験でした。そして、これは人間の自我意識の自覚・強化のため、非常に大切な事なんだと思いました。これまで、一度もこういう経験がなかったという事は、私のこれまでの未熟さをさしていると思いました。 確固たる意志、目的、継続力。こうした人間力は、まずこの発奮の強さから始まるのだと気がつきました。こういう精神の形成に加えて、聖霊様による意識転換(コンバーション)の経験を持つならば、クリスチャンとして百人力だな、と思ったことです。《く》 〔あとがき〕 先々週17日以来、20日まで台風10号はグズグズ九州に滞留、ちょうど同じ時期に帰郷していた長男夫妻は、連日雨中決行で由布院あたりを巡っていた。気の毒だったが、どうしようもない。しかし2人はこれを苦にもせず、大分の山野を楽しんだようで、息子夫婦ながら「偉い奴じゃ」と思ったことです。《く》
by hioka-wahaha
| 2006-08-29 22:58
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