非戦論者と非戦主義者
某君から「最近、『キリスト者の戦争論』を読みました。なかなか参考になり、信仰のあり方を考えさせられました。内村鑑三には預言者的面がありますね。日本のキリスト者はもっと内村鑑三を研究されるべきだと思いました」と来信があった。 私はまだ、この本を読んでいないので、なんとも言えない。しかし、私の非戦論は全く内村先生の影響から来ているのだから、この某君のいうことは心情的によく分かる。 しかし、私は内村先生にはたった一つ不満な点があった。例の花巻事件です。内村先生に反旗をひるがえすようで心苦しいのだが、内村先生は非戦論者ではあっても、非戦主義者ではなかった、と言いたいのである。 * 内村先生の花巻事件とは、こういうことです。当時、日露戦争の時代。岩手県の花巻にすむ斎藤宗次郎という青年、内村先生の心酔者だった。この人に兵役の召集礼状が来た。斎藤青年、日ごろの内村先生の非戦論にしたがって、兵役を拒否することを決心、その旨を内村先生に知らせた。 内村先生驚いた。即刻、花巻に急行、斎藤青年の短慮を戒めた。「君、信念とその応用は違う。非戦論は正しいが、ただちに召集拒否はいけない」というようなことをおっしゃったらしい。 その時の先生の正確な言葉は私にはわからないのだが、要するに「聖書の研究」の読者は5千人はいたと言われ、多くの尊敬者を集めていた内村先生は、斎藤青年の短慮(!)の結果おこる、先生の無教会集団にたいする政府筋や世間の反応を恐れたのではないか。これは私の憶測だが。この内村先生の反応に、私は深く悩んだのである、非戦主義者として。《く》 大分市の戦後福祉事業の神話時代 この8月16日、午後、一人の男性が来て、教会の駐車場の草をむしらせてくれと言う。そう言えば、半年ほど前にもこの人は来たことがある。当教会の駐車場はほとんど只に等しい謝礼で借りている土地だが、約2百坪はあるだろうか。そこに7月の梅雨と夏の日照りの中で相当に草は成長している。その草をむしらせてくださいという。 前回も好感を持てる平和な感じの人だったので、応対に出た二女のせつこは、すぐに快諾して、道具の鎌も出して貸したらしい。 もう2時間も作業しているし、ほぼ草刈りも終わっている感じなので、私が出て行って、聞いてみた。私は実は若い時、京都の一燈園に行って、こうして各家を訪ねて労働奉仕めいたことをして、無銭旅行をした経験もあるので、同じような経験者かと思って聞いてみたのである。 ところが、この人はそういう修養団体めいたものには何の縁もなかった。ただ自分一人の考えで、こうして無銭旅行をやっているのだという。私は感心した。お名前を聞けば井上という人であった。こういうことを独創的にやれる人を見て凄いと思った。 * 私もかつて似たことはしたが、それは一燈園という有名な西田天香師の指導のもとに、真似してやっただけことにすぎない。 さて、イエス様が弟子たちを地方伝道に出すときに、命じたことも、これと似た旅の方法であったに相違ない。事実、イエス様に最も忠実に従おうとした聖フランシスの行乞生活はこれであった。聖フランシスは言った。各家を回って各戸ごとに食を頂く。これは正に「キリストの遺産」であると。 (ちなみに聖フランシスの伝記は私の読んだ限りでは宮崎安 右衛門という人が書いた本が一番よい。私はこれを刑務所の 中で読んで泣いたものである。その後、古本で買った。折頁 の本で、まだペーパーナイフを入れてなかったので、どうい う人が持っていたのかと不思議に思ったことである。) 私は終戦直後、大分駅周辺で戦災孤児を集めて一緒に生活した。熊本から流れてきた母親と少年の親子がいたが、その母親に簡単な食事を作ってもらった。時おり、その母親がいう。「先生、米が無くなりました」。放っておくと、子どもたちは駅に行って、待合室にいる旅行客たちに「オジサン、ご飯をくれ」と貰ってまわる。当時のこうした戦災孤児の姿を覚えている人は、まだ幾らか世間にいることだろう。 そこで私は思う。「子どもに乞食の真似を二度とさせたくない。子どもに乞食をさせるよりは、私が乞食しよう」。私はリュックサックを背して農家を回って「お米をください」と乞うたものである。こういう時、私は意地っ張りである。「戦災孤児を養っております」などと格好のいいことを言いたくないのである。さも、行き詰まった乞食の体をして家を回るのである。当時、23、4歳だったと思うが、「まあ、あんたのような若い者が、乞食なんかして」と呆れて私を見る人もいたが、しかし、物の豊富な現代とは違う。こうした若者がいても可笑しい時代ではなかったのである。 * 昭和21年の秋、いよいよ冬が近づいた時、さすがに私は子どもたちを、夜、どこに寝せようかと苦慮した。私はついに大分市役所を訪ねた。当時の大分市長は木下郁氏であった。 当時の市役所の建築の構造がどうなっていたか記憶はないが、どうも私は秘書課を通して木下市長に会った覚えがない。実はその後にも大分県知事に直訴したことがあって、その時の県知事は細田徳寿氏だったが、県知事の部屋の正面の扉をあけて、いきなり「知事さん」と声をかけてはいった記憶がある。 同じようなやり方で木下市長にも会ったのではなかろうか。その辺はよく覚えていないが、ともかく私にはこういう役所関係にはいってゆく常識は全然なかったと言える。木下市長に言ったことはこうである。「私は今、戦災孤児たちと共同生活をしています。食べることはなんとかしています。この点で助けてくださいとか申しませんが、冬も近づき、寒くなります。彼らを夜、休ませる家が欲しいのです。軍隊が残して行った三角兵舎のような只で貰えるような住む家を探してくださいませんか」。 こう言う私に木下氏は、驚いて言った。「やあ、よかった。あなたのような人がいて、私は本当に安心した。実は万寿寺の足利紫山老師が創立した大分孤児院を買収させて貰って、あなたのいうような戦災孤児たちを収容する施設を造ろうとしているのだが、それに当たる人材がない。あなたのような人が出てくれて私は安心した。さっそく何とかします。ついては、厚生課長に立木という人がいる、細かいことはこの人に会って相談してください」。 こうして、戦後の大分市の福祉事業の神話時代が始まるのである。こうした内輪話は市の公式記録には載ってはいない。 この時、私は戦後とは言え、ボロボロの服に、ボロボロの靴、そして何の紹介状のようなものも持っていなかった。まったくの風来坊のような初見の私を、いきなり木下氏は信用してくれたのである。この人は本当に大物だなあと、一返に傾倒してしまったが、また紹介された立木課長という人がまた凄い。私はこの立木課長さんの人柄には、それこそ惚れこんでしまった、この方のことはまた、別に書きたい。 ともあれ、私が木下市長にお会いしてから、一週間もたたないうちだった。大分駅裏に行路病者たちが寝泊まりできる小さな施設があった。小部屋が3つあり、台所もある、もっとも風にも倒れそうな無残な家であったが、突然、大工さんたちが来て、修理をはじめた。そして風呂場さえ作ってくれた。「この家を釘宮さん、使え」という。私もビックリしたが、周囲の者もびっくりした。突如として、私の社会的値打ちが上がったのであった。 戦争中は非戦論で刑務所に入り、戦争が終わったら、ただ一人の母親を顧みず、戦災孤児の世話に夢中になる。そんなことは市や県にまかせとけ、なんでそんな一文にもならんことをするのか、あまつさえ家のものをどんどん持ちだして、どうする気か。と親族たちは非難、反対する。なるほど、非常識である。布団でも、柱時計でも、茶碗でも、お風呂用の石鹸でも、なんでも自分の家から持ち出して、旧行路病舎を修繕した戦災孤児用の家に持って行った。そういうものを一つ一つ市役所の厚生課に申請して買ってもらうなど、私は思い付きもしなかった。市長さんに約束していたではないか。「家さえ造ってくだされば、あとのことは皆、自分でします」と。 * 私はこの子どもの家を「リトル&メリー・ハウス」と呼んでいた。ところが後にこれが県の管理に移行したらしい。名前が「上野寮」と変えられた。私になんの相談もなかった。私は「リトル&メリー・ハウス」という名前が好きだった。訳せば、「小さな楽しい家」である。これが多分、後に私の県庁の役人嫌いになる端緒ではなかったろうか。 私はもともと福音の伝道に使命を感じていた。戦災孤児と共に生活することは楽しかったが、しかし役人の管理下の施設長になることには私は不向きであることが次第に分かってきた。私はついに立木課長に申し出て、この施設長をやめた。私は無一物になって社会の真中に飛び出した。 伝道に神様から直接呼び出されるのは、それから数か月後であった。主は私に言われた。「鶴崎に行け」と。鶴崎は今は大分市に合併されているが、当時は小さな町であった。実はその前に、重大な聖霊経験があって、いつでも神様のお言葉一つでどこへでも出かけてゆく、心の準備はできていた。神様のなさることは一つ一つ、無駄はない。そのことは次の機会に書こう。 冒頭の井上さんのことを書きはじめてから、ダラダラな文を草して、ここに至った。こんな文章の作り方は初めてだ。ハーザーの随筆用にはむつかしいだろうなあ。 (2006年8月16日、夜半脱稿 《く》) 〔あとがき〕 8月14日、15日に持たれる、大阪・高槻シオン教会(有井英俊牧師)の聖会に招かれて参加してきた。少数の聖会ではあったが、自由な雰囲気で楽しくやれた。なんと言っても有井先生が私の「ワッハッハハ」がお気に入りで、「笑いの聖会」をやろうと言うわけ、私もノラざるをえない。「お笑いコンクールをやろう」と言うのだから、有井先生も凄い。 ところで今回は慌ただしい日程だった。出かける日の朝、堺市にいる長男(えりや)の細君のお父さんが、この朝亡くなったという。そこで聖会第一日の夜は長男宅に行き、近くの斎場に行って見舞った。今度は大分の私どもの教会の賛仰者ともいうべきKさんのお母さんが亡くなった。そこで、葬儀は教会でしたいとお申し出があったという電話。私は15日の聖会の午前の講義を終わって、取り急ぎ大分に帰ってきました。そして、まだ未信者であった、そのお母さんの遺骸に「洗礼」をほどこして前夜祭、翌日葬儀をしてさしあげることになる。詳しくは又、次の機会に書きたいですが、すべてのこと慌ただしくはありましたが、順調に終わり、神様のお導きの完全であったことと、神様の栄光の顕現をあらためて賛美したことです。《く》
by hioka-wahaha
| 2006-08-22 13:32
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