日本の国旗、「日の丸」
ある情報閲覧本を始末しようと思って、ちょっと開いて見たら、世界各国の国旗の一覧表があった。フランスの三色旗に似た色とりどりの国旗がずらりの並んでいるなかで、日本の日の丸は異色である。 思い出すのは、小学校の時の記憶で、当時から親友だったA君が言いだした。「どこの国旗もきれいじゃのう。それにくらべて日本のはどうも貧相じゃあ」、私が言った。「じゃあ、ひとつ、俺たちで作ってみるか」。 私たちはあれこれ頭をひねって、新日本国旗を案出しようと努力した。結局なにも出来なかった。 A君、言わく「おい、やっぱし日の丸が一番じゃのう」、当時の大分弁で書いてみたが、ともあれ面白い経験だった。日本人には日の丸がぴったり、小学生の発見の記録である。 見渡すと、あんな独特な国旗はない。シンプルでだれも真似できない大胆なデザインである。よく考えてみると、市民の会話でも国際上の交渉でも、はっきりものを言えない日本人の遠慮深い短所が、日の丸の国旗には出ていない。 日の丸の歴史をみると、どこか庶民の共通意識がこれを生みだした観がある。自然発生的である。これが本来の日本人の気質であるし、また芸術的創出力であると私に思える。 日本人クリスチャンの信仰や神学や教会形成や、伝道活動、リバイバル運動等、すべてそこに日本人独特で大胆なアイデア、方法論があってよいと思う。 手束先生が提唱される日本民族総福音化運動に、それを期待する。日の丸を見て、それを思ったのである。日本列島に霊的変革を……! 《く》 狂気せる者のごとく 使徒行伝第25章、26章を一緒にして学びます。前章に引きつづきパウロの裁判に関する記事です。総督ペリクスはユダヤ人の人気を得たいものですから、罪があるとも思えないのに、パウロを監禁して2年すごしました。そして新しくフェストという総督が新任でやってきてペリクスと交替します。 ユダヤ人の要求もあり、フェストはパウロを法廷に引出して調べてみますと、案に相違してパウロには何の悪事も見出されません。それはただユダヤ人たちの宗教に関する論争であると分りました。 しかしユダヤ人たちの激昂ぶりを見て、民心を買いたいフェストにしてみれば、前任者のペリクスと同様、その訴訟を無下に却下できないのです。「どうしようか」、そういうペリクスの苦境をパウロの次の一言が救いました。 「私はカイザル(皇帝)に上訴します」 そこでフェストはパウロを皇帝のもとに送るために、上書する訴訟内容の書類が必要になりました。しかし、彼はこうした宗教問題について不案内であります。「困ったな」と悩んでいたところへ折よく隣国(と言ってもローマの保護国なのですが)の王、アグリッパ夫妻が来たのです。 彼はかのヘロデ大王の孫であり、その他キリスト教に悪縁ながら、とにかく詳しい人です。しかも、彼がパウロに興味を示したので、渡りに舟とフェストはパウロの審問をアグリッパ王に頼んだのです。 そこで、その翌日アグリッパ夫妻は威儀を調えて法廷にはいって来たと聖書にあります。ローマ風の文化様式を身につけて、それを誇りにしている当時の上流階級のしぐさが目に見えるようです。さて審問がはじまりますが、パウロは再びダマスコ途上の彼の回心の証を語り始めます。 * パウロは法廷の審問に答えるというよりは、アグリッパ王をはじめ並いる総督や役人たちを相手に伝道説教をしているのでした。 中国の非公認教会の信者たちが官憲に捉えられて弁明を始めると、それは即「信仰の証」つまり伝道説教になってしまう、そしてしばしば役人たちがクリスチャンになってしまう、という実話をよく聞きます。それと同じことです。さて、 最後にパウロの弁明が「イエス様の復活」に及びました時、アグリッパは叫びました。 「パウロよ、お前さんは気が狂っている。博学があんたを狂わ せたんだ」 アグリッパは、もしかしたらタルソの大学でパウロと同窓の人であったかもしれない。とにかくパウロの博学ぶりは世間周知のことであったらしいことが、このアグリッパの言葉で分かります。 最近、ゴッホが弟にあてた最後の手紙の言葉をよみました。「ぼくはぼくの絵に対して命をかけ、ぼくの理性はそのために半ば崩壊してしまった」とありました。彼は2年間に400枚もの絵を書きました。そして狂気となって死んだと伝えられています。ああ、絵に命をかけて、絵に狂って死ぬ。なんてすばらしい、と思います。 けれど、パウロは更にすごい。彼は福音に狂った人でした。 かつては、「疫病のような人間」とののしられ、今度は「お前は気が狂っている」と言われる、伝道者として実に名誉な悪名ではありませんか。こういう悪評は伝道者にとって勲章のようなものです。《く》(1990・9・9、主日礼拝メッセージ) 良識と肉欲と、神の救い 使徒行伝第27章を学びます。ここは 「愛する医者」ルカの筆による「私たちの章」第2部ですが、パウロが囚人として運ばれる地中海の運航記事です。古代の航海を記述するものとして貴重な古典であると言われます。 皇帝に上訴した囚人パウロの身がらは近衛隊の百卒長ユリアスに預けられます。この将校はパウロになかなか親切でした。途中、船を乗り替えていますが、この船は1200トン程度の立派な船だったろうと思われます。エジプトからの大量の麦を積み、人は乗員と客とで276人だったとルカは記録します。ルカは医者でしたからカルテを書くように「詳しく調べて順序正しく書きつづ」(ルカ1:3参照)っているのです。 さて冬も近づき航海は危険な季節になります。そのせいか、風の具合も悪く、船は遅々として進みません。やっとクレテ島の貧しい港、それでも名前だけは「良き港」というところに船を着けることができました。冬を越すため、ゆっくり停泊する必要があるのですが、それにしては、 この「良き港」は娯楽が無さすぎます。この港の近くに当時は繁栄していたピニクスという港がありました。みんなが言う、「ピニクスへ行こうじゃないか」、「賛成、賛成!」。船長も船主も百卒長のユリアスも、賛成でした。でもパウロは言うのです。「いいえ、行っちゃあ、いけません。危険ですよ。私の見ますのに、今、出て行きますと積み荷や船体はおろか、私たちの生命すら失う恐れがあります」。 しかし、宗教家のパウロより専門の船長や船主の意見のほうが勝ちました。本当は、要するにピニクスの歓楽街に早く行きたいという肉欲に勝てなかったのでしょう。それに比してパウロが冷静なのは彼の心が聖霊により清められているからにほかなりません。 この時のパウロの予言めいた言葉は、神様の啓示とか霊感とかいうのではありませんでした。ごく通常な常識であったらしく私には思えます。<1>「私の見ますのに」というパウロの言葉の「見る」という言葉は、「よく注意して見る」と言う意味が強いのです。<2>また、当時「仮庵の祭の頃には船は岸に縛りつけておけ」というような言い伝えがあったのです。<3>その上、パウロは彼の伝道生涯で何度も海上の難(第二コリント11:26参照)の経験に会っていました。こうして「古くからの言い伝え」、「本人の注意深い観察」、そして「経験」、そういうものを基礎にして、曇らない心で判断する時、あながち霊的啓示というような特殊なことはなくても正しい見通しは可能であるのです。 所で、ついにパウロの忠告を聞かず、船は出航します。折も折、穏やかな南風が吹き始めたからなのです。悪魔の誘惑はかくの如しです。この時とばかり勇躍して悪魔のワナに落ちこむのです。 かくてパウロの怖れていたことが起こります。船は突如おこった暴風雨に巻きこまれ、地中海を2週間も漂流することになります。そして、遭難寸前の事態に至りますが、それらの事は聖書をお読みください。 危機至る、その極度の時、救いは来ます。天使が舟中に眠るパウロのそばに立って全員を救う神様の言葉を告げるのです。その言葉を伝える囚人パウロはまるでこの船の王様です。彼をとおしてクリスチャンでない異邦人たちすべての者が救われる、これは意味深いことです。 ともあれ、肉欲は人生に滅亡の恐怖をまねき、正しい良識はそれを指摘出来ますが、しかし究極の救いを告げるものは神の言葉です。《く》(1990・9・16、主日礼拝メッセージ) 〔「笑い学会」〕 以前からあったと思うのだが、また新しい「日本笑い学会」が出来た模様である。私は小冊子「笑えば必ず幸福になる」に書いたことだが、「笑えば病気が早く治る」と公けに言い出したのはアメリカのノーマン・カズンズである。しかし、寄席に行ったり、面白い仕草を見たりで、受動的に笑おうとするのではなく、意志的に自分で能動的に笑んだと言い出したのは私である、時おり威張っていうが、これは実は日本で昔から各所の地方の神社で行われた「笑い講」があり、それを真似て「笑い」の会を開いた生長の家の谷口雅春先生などの先駆者もいたのである。それでもこれを日常生活応用の実践論で大げさに吹聴したのは、私が初めてであったかもしれない。これを手束先生が大いに推奨して下さったのは本当に心強く、感謝であった。▼さて、最近もっとも傑出した笑いの唱導者はプロレスのアニマル浜口だろうと思う。世間における影響力に至っては到底私の比ではない。彼が顔一杯に口を広げて「ワッハッハハ」と笑うところは、大いに真似したいものである。そして私なら「神様、感謝しまーす」と絶叫するであろう、この絶叫も又、「気合を入れろ」というアニマルの真似とも言えるが、聖書はこう言います。「あなたがたの口を広くあけよ。わたしはそれを満たそう」(詩篇81:10)。先生がたが「大きい求めをすれば、神様もその求めに応じて豊かに与えて下さいますよ」と説明なさる聖句であるが、私はこう言い替える。「アニマル式にワッハッハハと顔一杯に口を広げると、神様が豪快な笑いをあなたを満たしてくれますよ」。豪快な笑いがあなたを満せば、あなたの人格と生活も見事に変わって来る筈です。《く》(06.2.18のテレホン聖書)
by hioka-wahaha
| 2006-02-19 00:00
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