田中正造翁のこと
先週の本欄で書いた田中正三は田中正造の誤りでした。田中正造は足尾銅山の鉱毒問題で遂に明治天皇に直訴の挙に出た人です。東京市街の道を行幸中の天皇の乗り物に駈けよって「陛下、お願いでございます」と声を揚げましたが、警備中の官憲の手で取り抑えられます。 「なんで、分かりきったそんなことを。馬鹿なことをしたものだ」という人も多いでしょうが、政府の意向に反した上訴書を正式に宮内省が受け付けるはずがありません。田中正造の思い余った行動です。 もう一つ、私の考えるには、実は田中正造は栃木県選出の衆議院議員です。彼の足尾銅山の鉱毒問題で反対運動をしていることは天下周知のことです。当時、すでに内村鑑三先生も応援演説をしています。 そういう田中正造の顔を明治天皇が知らぬはずはありません。彼が天皇の乗り物に駈けよってくれば、「あ、彼だ」と気づかぬ筈はないのです。その場で、「彼の書面を受け取ってやれ」と側の者に命じることもできるし、後刻、警察に命じて「彼の直訴状を朕に見せよ」とも言い得るわけです。 たとえそういう結果にならずとも、明治天皇には彼の言いたいことは分かりきっています。ただ田中が東京の真中、万人の見るなかで思いきった行動を取ったということを印象づけるだけで、効果満点なのです。まして、天下の新聞を湧かせ、国中に議論を巻き起こせば、それで結構だと思っていたかも知れません。彼が死んだ時、残したものは信玄袋とその中に新約聖書、チリ紙、小石が数個だけだったと言います。外には何の財産も残さなかった。嗚呼、これこそ明治のクリスチャン日本人です。《く》 ホリエモン語録から 最近の新聞に、例のホリエモン氏の語録が出ていました。こんなことを書くと、みなさんはびっくりなさるかも知れませんが、私はホリエモン氏が好きです。「人の心は金で買える」などと言ったそうですが、そういう言葉の内容を私が肯定するはずもありませんが、そういう誰が聞いても眉をひそめそうなことをズケズケ言う彼の童顔は好きです。彼の個性には嫌味がありません。 彼ほど愛敬(あいきょう)はないが、先だってのビル偽装設計の姉歯という人、警察につかまってもものに動ぜず冷静そのもの、どうした人かと思います。これに似た人は竹中平蔵総務大臣です。彼の顔には権力欲や物欲が感じられない。淡々としている。こういう顔は「平成年代の顔」と言うべきかと思っていますが、どうでしょう。 ともあれ、ホリエモン氏の語録ですが、こんなのがあった。「今の日本人は2つの悪い教育を受けている。<1>一つは貯金の奨励しすぎ。<2>次は和を重んじる教育」というのです。 言いますねえ。これは多分、多くの日本人をドキンとさせる悪態語と言ってよいのですが、一種の反語として聞くと、真理があります。 まず、貯蓄のすすめ。これを悪いと言ってしまえば、強力すぎますが、しかしイエス様の「旅に出る主人から金を預かった僕たちの喩え話」を思い出してください(マタイ25:14~30)。1タラント預かった小心者の僕はこれを土を掘って隠しました。無理もないのです。1タラントは現代の日本円に換算すれば3千万円は下らない巨額ですから。 ところで主人が帰って来ました。彼はそっくりそのままを持って行きました。褒められるかと思いきや、「なんで、せめて銀行にでも預けて利子なりと儲けなかったのか。他の僕たちはそれぞれ預けた額の倍額を儲けて来たのだぞ」と叱られています。イエス様は与えられた預かったタラントを大胆に有効に使えとおっしゃっておられるのです。 ちなみに、後にこのタラントという言葉は「才能」という意味に使用され、現代のテレビなどのタレントという言葉に転化されている。 第2の「和の精神」ですが、これは日本人には聖徳太子の「和をもって尊しとなす」という十七条の憲法以来、深層意識に染みついている思想です。聖徳太子の遺訓というより、これは稲作農民をもって構成された日本民族の習性から来ていると思います。 稲作は、隣の人と違った事をしておれば、収穫はあがらないことを経験によって知っています。習い百姓という言葉もあるそうですが、しろうとのホヤホヤの百姓でも隣り近所の人のしている真似をしておれば、どうにか収穫は上がるのです。水が回って来たときにみんなと一緒に田植えをする。収穫の時もみんなと一緒に稲刈りをすれば、共同作業で何もかも終わってしまう。「和の精神」だけが取り柄なのです。 ともあれ、私たちの社会生活で「和の精神」が要ることは体験上、日本人はみな知っています。官庁発注工事の談合問題も互いの「和」の感覚からくる面があります。だから「自ら正し」と思うことしようとすると、周囲の大反対に会います。 私の戦時中の戦争反対などよい例です。その後も戦後になって戦災孤児収容を図った時でも、新聞はほめてくれても、親族一同猛反対でした。自分の親も顧みないで自分の好きなことをする。そんなことは市か県にまかせておけば良いのだ。無報酬で自分の金を使って何処の馬の骨ともしれぬ広島や大阪から流れてきた子どもたちを、なんでお前が世話せねばならんのだ。もし、お前が金を使いはたして行きづまった時には、お前の母親は俺たちが見なくちゃならん。そんなことはまっぴらだ、というわけ。尤もなことです。(だから、世間では「善いことをする時には、遠慮しながらしなければならない」ことがあります。このことは、後に私は一燈園の西田天香さんに学ぶことになります。) イエス様はおっしゃいました。うっかり読めば、誤解しかねないお言葉ですが、こうです。 「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人と敵になるであろう。わたしより父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ10:34~37)。 神様や正義感に従って行動を起こすと、このイエス様のお言葉のように家庭に波乱を起こす事はしばしばです。のみならず、社会問題をも巻き起こします。大正や昭和初年、キリスト教の一派、救世軍の人たちが吉原の遊廓街の大門前で就業中の女性たちに「自由廃業できるんだぞ」と叫んで暴力団の襲撃を受け新聞をにぎわしました、これは後に「赤線廃止」のきっかけになりましが、この運動を行き過ぎだと言って顔をしかめた有識者もいました。 「私には夢がある」の演説で有名なマルチン・ルーサー・キングが黒人差別問題でいどんだ問題も、アメリカの黒人差別問題の暗部にたいする戦いであった。 日本においては部落差別が隠された問題です。私にも痛い過去がある。触るに触れない差障りが起こる。ともあれ深刻な顔をしないでホリエモンさん風に越えて行くべきなのでしょう。 ともあれ、現代の日本ではキリスト信仰が昔ほど難しくなくなり、家庭でもうまく切り抜けられていることは嬉しいことです。この機会に、積極的に家庭改造、後継クリスチャン産出のため、もっと祈り、家庭内伝道に精を出しましょう。遠慮せず、くじけず、ホリエモン式笑顔でやってみたらどうでしょう。《く》 〔付記〕ハーザー3月号巻頭言でのホリエモン逮捕についての笹井編集長の発言は面白い。私の「ホリエモン好き」というのと違って筋が通っている。法知識の無い私の言えない事、必読。《く》 天国を見てきた二三子先生 -突然の死を通り抜けて- この記事は巻頭に持ってきたいところですが、ちょうど編集を終わったところでやむを得ません。致し方なくここに載せます。 諏佐二三子(すさ・ふみこ)先生の証しです。実はその証しの小冊子が先日の木曜日の祈祷会の開会の寸前に届いたのです。私は司会者が開会の賛美を導いている合間に、その小冊子の最初をこっそり開いたのです。4頁目を何気なくパッと開きました。 ところがそこに書いてあるのが、先生が病気で入院していた時のこと。そこはICU(集中治療室)で10日目くらいまで何も覚えていない。しかし、その時、ただ一つはっきり覚えて居るのは、イエス様に天国に連れて行っていただいたことです、という記事です。私は目をむいて先を読んだ。 「それはまるでイエス様の体の一部分になったような感じでした」、とある。つづいて、「天国は、全世界のどんな所よりもすばらしい所でした。ああ、私は天国にいるのだ、魂がそう感じました。その時、魂の内に神様の声がしました」。 そこまで読んだ時、司会者の声がして、「先生、メッセージお願いします」。私は驚いて目をあげました。用意したメッセージ原稿はありました。しかし、私は今読んだばかりの二三子先生の証しが心に張り付いて離れません。ところで、私がその日、選んでいた聖句はただ一節、第二コリント4:16でして、「たといわたしの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」でした。この一句は、この二三子先生の天国に行ったという証しにぴったしの感じがしました。私は勇んで、この聖句を朗読した後、今手にしたばかりの、その証しの小冊子を読み始めたのです。 私も初めて読む内容ですから、胸を踊らせながら読みます。感動しながら読みました。とうとういつもの説教時間たっぷりかかりましたが、私にとって至福の時でした。その感動をここではもう、うまく書けません。 〔あとがき〕 ICU(集中治療室)ではしばしば神様に出会う場所です。なんたって、I see you. という場所ですからね。この諏佐先生の証詞は「突然の死に遭遇し天国を見、生かされた」という題です。23頁の小冊子です。ご希望の方は当教会か、諏佐先生のほうにご注文ください。諏佐先生のご住所は〔〒399―8301安曇野市穂高有明8773グレイスチャペル安曇野〕です。定価を書いてありませんので送金は事後のことにして、まずお申込みなさってください。当教会へのご注文も同様。《く》
by hioka-wahaha
| 2006-02-05 00:00
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