《聖書のことば》
すべてが新しくなる
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」
(コリント人への第二の手紙五・17)
変りたい、新しくなりたい。それが、多くの人の願いえはないでしょうか。ヘアー・スタイルを変え、着物をかえる。家具をかえ、インテリアを変える。それでも変らない。魂が変らないからです。
キリストに心をむけなさい。キリストを受け入れなさい。キリストのことばを味わいなさい。その御ことばのように生きなさい。
あなたは一新されます。変ります。
あなたの周囲も変りはじめます。
(1980.1.6週報「キリストの福音」より)
《聖書のことば》
悪魔に立ちむかえ
「神に服(したが)え、悪魔に立ち向(むか)え、さらば彼なんじらを逃げ去らん」
(ヤコブ書四・7 文語文)
一月八日、吉良先生(私の父母に親しくしていただいた老牧師)の新居を別府の山手に訪ねた。石がかさなり、木々おいしげり、程よい広さの屋敷に簡素なたたずまい。私の最も好きな型の家である。しかし実は、ここは石垣原合戦で戦死した大友家の七人の将士たちの塚があり、幽霊が出るといって人が寄りつかず荒れ果てていた家だそうである。そこに先生老夫婦にこやかに悠然と住んでおられる。近所の人が「先生、幽霊出ませんか」という。出ません。幽霊、あるいは実在するだろうが、神の子の前には逃げ去るのである。
(1980.1.13週報「キリストの福音」より)
《聖書のことば》
日常的な罪をも
「彼は我らの罪(複数)を、あの木の上にて彼の肉体の中に、自ら運び上げて下さった。それは我らが罪に死に、義に生きる為である。彼の鞭の傷により汝らはいやされたのである」
(第一ペテロ二・24の私訳)
右のように、直訳的に訳してみた。第一行の「罪」が複数で表わされてあるのが、ありがたいのである。私の原罪としての単数的罪を許されているのみならず(これはクリスチャンとしての根本的救いである)、日常的もろもろの罪を、主イエスによって処理されてしまっていること、それが、彼の自発的能動的な私たちへの働きかけによるのであること(「自ら」という言葉で表されている)、そこがありがたいのである。
(1980.1.20週報「キリストの福音」より)
《聖書のことば》
イエス・キリストの血
「……小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」
(ヨハネ黙示録七・14)
「キリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き……」
(ヘブル人への手紙九・14)
今日の教会学校は、出エジプト記の過越の祭の話。主要な題目はキリストの血である。
(字(じ)のない本(ほん)のうた)
罪(つみ)によごれ くらい心(こころ)も
主(しゅ)イエスさまの 血(ち)であらえば
白(しろ)い雪(ゆき)のように きれいになり
かがやく天(てん)の 国(くに)に行(ゆ)ける
輸血で瀕死の命が救われるように、イエス・キリストの血(生命)が人を罪と悪とけがれより救い、神の子として生き返らせて下さるのである。
(1980.1.27週報「キリストの福音」より)
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