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No.745 大胆に語れ/まことの神を土台とせよ/時事雑感 2016.4.24

大胆に語れ 

大胆に語る、ということは
キリストの弟子たちの特徴であった
(使徒行伝四・13,31、ピリピ一・20)

実質のない大胆さは
カラ元気であって、いつか化けの皮が
はげる

誇るべき事実をもっていて
大胆に語らないのは
単なるおくびょうと言うよりは
偽証人であり、一つの罪である

あなたは神の子である
神のことばを語れ
大胆に語れ    (使徒行伝一八・10)
(1978.4.30週報「キリストの福音」より)
 

まことの神を土台とせよ

 私の家は、父の代に分家したのでありますが、その本家が大分市内の大道にあります。その家が先週金曜日の朝、大分市上水道配水池の溢流で寝耳に水の災害をうけたそうであります。さいわい人身事故は無くて不幸中のさいわいというものの、大変なことであったと思います。
 
 「人の子の現れるのも(キリストの再臨)、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。」(マタイ二四・37~39)
との御言葉を、早速思いおこしたことであります。
 
 こまは、まわる時芯棒を地にすえてまわります。
 フラフープやドーナツ型の円盤も、空にまわすと、目に見えない中心に、目には見えない芯をつくってまうわけです。
 
 世の中には「神はいない」と言う人がいます。聖書はそういう人を「おろかな人」と呼んでいます。
 おろかな人は「神はいない」と言います。しかし、たとえフラフープに芯はなくても見えない芯を中心に回転しますように、人間は自分のために、にせものの神様をつくって、それに仕えるのであります。
 金や名誉や事業や芸術や恋愛や息子や国やイデオロギーや集団活動や冒険や……、そういうものが、神様のかわりにその人の精神生活の中心にくるのです。
 
 そういう神ならぬものを神にしている人生には、いつか破綻がきます。
 突然おそってくる洪水をふせぐ力はありません。
 
 私たちの人生、私たちの家庭の土台に、唯一のまことの神をすえましょう。雨がふり、洪水がおしよせてきても、この家は倒れることがありません(マタイ七・25)。
(1978.4.30週報「キリストの福音」より)


時事雑感

日ソのサケマス交渉はどうやら片づいたようです。ソ連の出方について不満の人が多いようです。ソ連の交渉態度が不愉快なことは事実。しかし、この問題は根が深いのです。発端は明治にさかのぼります▲当時、日本はソ連領の漁場に入札で参加していました。ソ連側はそれを嫌って入札料を値上げして日本の業者を追い出しました。面白くはありませんが、向こうの当然の権利であります▲そこで日本人は母船方式による沖取り漁業で対抗しました。ソ連は歯ぎしりするが処置ありません。昭和八年のソ連の沿岸サケマス漁業は大打撃をうけ、当時のモスクワの新聞は「略奪漁業、海賊行為」と日本の非を訴えています。当時、二百海里領海説が出たらソ連は早速とびついていたでしょう▲サケマス沖取り漁は日本の努力開発した既得権で、それを今更ソ連に横取りされてたまるかという《愛国的発言》が日本では多いのですが、それは少々暴言です。他国の領土のそば近くまで行って漁をするのは水産国日本の発展と喜び、他国の漁船が房総半島沖にでも来ると目にカドを立てて怒るのは大国民のすることではありません。それと少しにています▲聖書の金言「自分にしてほしいことは人にもしてあげなさい」。孔子も言う「人にしてほしくないことは人にするなかれ」。外交交渉にも、多少とも聖書の精神をもって理解したいものであります。
(1978.4.23週報「キリストの福音」より)



by hioka-wahaha | 2016-04-29 10:20 | 週報「キリストの福音」
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