神の国建設の夢(福音の種)
最近、ルーツばやりです。日本人のルーツはどこでしょう。しろうと考えですが、多分、原日本人と、南方からの渡航者たちと、大陸よりの移住者たちとの混合民族でしょう。原日本人(いたとしたらの話です)は僅少で、体や気質は黒潮に乗ってきた南方系の人々に負うところ大きく、文化的な面ではあとから玄界灘をわたってやってきた大陸系の人々に負うところが大きかったでしょう。
いずれにしろ、日本人の主流は渡りもの(或は被追放者?)が東海の孤島に流れついて住みつき、そこへ大陸のあぶれものが押しかけてきてドッキングしたという格好ではないでしょうか。天孫降臨や神武天皇東征の神話は、そういう他国(他界)よりの移住となぐり込みの物語りであります。
旧約聖書に見るイスラエル民族の移動も、それに似たものがあります。カルデヤのウルを出発、ハラン、カナンをへて、一度エジプトまで下ったイスラエル一族は、再びきびすを返してカナンに舞いもどる。
エジプトにおいて、ヘブル人(イスラエル民族の別名)とは、民族名ではなくて被圧迫賤民の蔑称であったという学者の一説もあります。あるいは、奴隷階級化したイスラエル民族を中核にして、そういう賤民集団が出来たのかもしれません。これはイスラエルが十二部族に別れていたもともとの理由かもしれません。
日本人もユダヤ人も(イスラエル民族、ヘブル人)も、神の選民であるという自覚のつよい民族でしたがそれは案外、漂泊民族特有の心細さから来る裏返しの意識造りであったかもしれません。
戦後、日本人は日本の神話を忘れたらしくあります。私は戦時中、日本神話の妄信者たちに迫害されたけれども、しかし今でも日本神話を愛します。精神分析学の泰斗カール・ユングも言うように、神話は民族の夢であります。その民族が開花期(目のさめる時)の寸前、まどろみの中に見た夢であります。夢には、統一もまとまりもなく、前後矛盾し、横に連絡なく、唐突なトピックスでいろどられますが、そこに真実があります。
民主主義になったからといってクリスチャンになったからといって、日本の神話を忘れてしまう事は、日本人のルーツをすてることです。流れものであろうと、本国のきらわれ者であったろうと、追われ追われてたどりついた日本列島でやっと住みついて見た夢であるなら、それは一つの啓示であるし、たしかにわれわれ日本人の霊的ルーツであると思います。
今、私どもは「神の国の夢」をもっています。私どもはしがない者の集りで、ただイエスの福音によってのみ救われ神の子と呼ばれています。
将来、神の国が建設された時、この国の民はどこから来たのか、そのルーツをさぐられたら、赤面する連中ばかりです。しかし、真のルーツは、私たち自身ではなく、私たちの中にある「神の国の夢」です。それはイエスの福音によって、私たちの心の中におろされた種です。この種がはびこれば、必ず神の国をもたらします。
われわれの先祖が、太平洋や玄界灘を渡ってきたように、われわれは既にこの時代を脱出したものであります。さあ、神の国の夢をいだいて、その神の国建国の理想を打ちたてよう。
(1978.2.12週報「キリストの福音」より)