朽ちぬ冠のために ―モントリオール・オリンピックに因んで― 新約聖書のヨハネの黙示録に、天から下ってくる新しいエルサレムを測ってみると、長さも幅も同じで、一万二千スタディオン(聖書協会訳では丁と訳してある)あった、という記事がある。このスタディオンは当時のギリシャ社会における距離の単位であり、当時の競技会における短距離競走の基準であった。(黙21・16) 最近の、オリンピアの遺跡の実測で、その一スタディオンは一九一・二七メートルであると分った。競走場は、その一スタディオンのトラックをはさんで階段式の観覧席がある。その競技場をもスタディオンと呼んだ。今日に言う、「スタジアム」である。このスタディオンの中で当時の競技者たちは、きびしい訓練と節制の末、出場して最後の一人である優勝を争ったのである。 「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。」(第一コリント9・24、25) パウロはオリンピックではないが、当時似たような競技大会が汎ギリシャ地域に四つあった、その一つのコリントのイストミア競技会(紀元五一年四月)の時には、同市に居合わせた事であろうと言われている。パウロの手紙には、しばしば競技のことが出て来るが、身近な例話であったわけ。私たちも、朽ちぬ冠の為、霊の戦場である天的オリンピックをがんばろうではないか。(ピリピ3・14、第二テモテ2・5参照) (1976.7.18「キリストの福音」より) 聖書の力 新島襄は、明治維新の寸前、日本を密出国して、中国より英国にわたる船中で、漢文の聖書をはじめて手にしました。その冒頭の一句 「はじめに、神天地を造り給えり」(創世記一・一) この言葉が、新島襄の脳天を打ったのです。それまで八百万(やほよろず)の神しか知らなかった彼に、天地の創造者なる唯一の神というのは晴天の啓示でありました。この新島襄が後に同志社はを創立するのですが、一個の言葉がこれほど人間を変化させ、発奮させるとは、と目を見張るものがあります。 今、ソ連では聖書は一冊十五万円ぐらいの闇値(やみね)がついているそうです。共産国家の地下で多くの魂が真剣に聖書を求めています。ある福音宣教団では、ソ連への旅行者が合法的に許される聖書二冊を持っていって、故意に駅のトイレなどに忘れてくる聖書頒布運動を計画しているそうです。聖書の少ないソ連圏にあっては、聖書は干天の慈雨のごとく、きわめて貴重なものであります。 むかし、聖アウグスティヌスは隣家の子供の「取って読め、取って読め」という声に、ふと心動いて読んだ聖書の中の一句「今は眠より覚むべき時なり。云々」(ロマ13・11)の言葉に、それまでの放蕩と高慢の生活から離れて、聖者とまで謳われる高潔な人生へと一変させられるわけです。 聖書の言葉には不思議な力があります。 (1)神の言葉は生きていて、力がある。両刃の剣よりも鋭く、人の心を刺し貫きその思いをあらわにします。(ヘブル4・12、13) (2)神の言葉は、神そのもの、霊であって、人を活かすものです。(ヨハネ1・1、ヨハネ6・63) (3)神の言葉こそ、人間の真の日々の糧です。(マタイ4・4、マタイ6・11) (4)神の言葉は、神の子が教育・訓戒され、よき働き人として十分に整えられる為に、有益必要です。(第二テモテ3・16、17) × 今、わたくしたちは新島襄やソ連の人達や聖アウグスティヌスのように、新鮮な思いで聖書の御言葉に接しているでしょうか。御言葉が本当に私達の日常の糧になっているでしょうか。御言葉に生かされているでしょうか。もし、そうでなかったら、実は御言葉の両刃にふれる事をこわがり、それを拒絶しているからかもしれませんよ。 すなおに祈りなさい。 「主よ、ただ、お言葉をください。」(マタイ8・8)と。 (1976.7.18「キリストの福音」より) 「あかし」 われ早天祈祷に救われたり H・K兄 私は早天祈祷を毎日欠かさず行うことによって、主の栄光をいただいております。 とにかく、他のことはせんでもよろしい。おまえは早天祈祷だけ続けろ、ただそれを、することのみに専念しろ! 主が私に強く言われます。サタンがやって来ます。たくさん、やってきます。けれども私がイエス様より言われた通りに早天祈祷だけ続ければ、サタンどもはふるえて逃げてゆきます。なんと、ゆかいなことでしょう。 イエス様は早天祈祷一つだけやれと言われました。私はその通りにしています。 すると、どうでしょう! あとのあらゆること全ては、主の栄光に恵まれ何一つ恐れるでなく自由と平安の中にいることができるのです。ハレルヤ! 主よ感謝いたします。(一九七六・六・二三) (1976.7.18「キリストの福音」より)
by hioka-wahaha
| 2015-03-06 23:38
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