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No.608 あるキリスト者の超宗派指向について② 2013.9.8

あるキリスト者の超宗派指向について②
        (1972.9.6「大分通信」No.8より)
 
 (つづき)
     *      *
 明石順三の灯台社については、その機関紙―――多分、今のものみの塔と同じ名のタブロイド版の新聞であったように覚えている―――を熱心な信者さんが売りに来たので覚えている。我が家の属している教会(日基教団)や、伯父の無教会とは大分ちがうなアと思ってそう言ったら
 「ヨシトさんは偉いね。この宗派はキリスト教じゃないんだよ。現に、ここの一番えらい人なんか、刑務所に行っているよ。」
 と、牧師がこたえてくれた。私はまだ十二、三才の頃だったと思う。私にしてみれば、キリスト教の故に刑務所に入れられたということだけで、そこの処がしばらしいなア―――そう思いながら、そんな事じゃキリスト教に入っていると危ないぞ、おっかないなアとも思った事である。
 私もその後、しだいにラジカルな平和論者になって、おずおず市井の片すみで生きながらも、「五人対一億」どころか、「一人対一億」の気分になって、一人で悲憤慷慨していた。キリスト教界の私の知れる限りの人に会って話しあっても、私の言うことを理解してくれる人はなく、(理解できるのだが、それが判るというだけでもこの日本に住めないと思いこむような雰囲気が当時の日本にはあった)
 前掲の牧師は、ものみの塔はキリスト教の外道のように言うけれど、よく接してみると異常な程に「聖書にべったり、一言一句べったり」の信仰であって、その純粋さには頭がさがる。しかし、純一な信仰の対象が聖書や信条という「見える真理」に向けられ、画一的に熱烈盲従ということになると、いつしか「見えない真理」に遠ざかるという逆現象がおこる。
 真人の転向も、順三の仏教受け入れも、その壁をのりこえようとしておこるのである。「見えない真理」に従おうとすると、自分が殉教しようとした筈のその信仰の教理や教団、教派に背くということがおこる。それが真にラジカルな人の行きつく処だと思う。
 戦後明石順三が積極的に宗教活動しなかったという事も、私にはよく判る。凡ての宗教、人生観、生きざま、イデオロギーに寛容になってくると、他宗を攻撃し、無理矢理人を教会に連れ込むヒステリックな伝道はできなくなる。良寛和尚が五谷庵にこもった時のようなアンバイになる。これまた東洋的なのだろうか。みな東洋的の土にかえるのだろうか。ちなみに私の兵役拒否事件も潮(九月号)にちょっとのっている。取材協力御礼といってトマトジュースを一函くれた。私はトマトジュースがきらいなので困ってしまい、今無理に塩をチョット入れてのんでいる。
             (終わり)
by hioka-wahaha | 2013-09-28 23:11 | 大分通信
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