卓話寸言(1972.7.22「大分通信」No.7より)
(つづき)
理不尽な親に育てられてひねくれた非行少年に転落した彼は、自分に目ざめた時、親を責める前に、己れを責めねばならぬ。そして情として理不尽な親を理解(?)し愛しつつも、自分につづく弟や妹の為に親を責める。同様に、市民運動、労働運動、民族運動のリーダーたちよ、あなた方は自分の心の回復に目ざめねばならぬ。
そのようにして、自然の基盤は、人の心にある。人民がかわると自然はかわる。
海浜の埋立反対もよろしい。しかしそれ以上に大事なのは、民衆すべてが土に帰ることだ。学校を木で建てよう。かべを土でぬろう。屋根を草でふこう。石油と石油製品をすてよう。鉄とアルミをすてよう。車をやめよう。下駄で歩こう。
国民全体が鉄と石油で象徴されるような物質的繁栄にあこがれている間は、公害はつづく。
日本が、世界に誇って繁栄せしめ得る産業は何か。自然を鑑賞する生活、人間の内なる力を開発する教育、人間の精神を平安ならしめる禅的道場、そういう一連の精神的ハイレベルなメソッドについてのノウハウだ。我々はこれまで、機械、化学産業におけるノウハウしか商売として知らなかった。これからの我は、魂と心と精神におけるノウハウを輸出産業たらしめ得ないか。
これこそ、世界に冠たる日本の途である。
* *
友よ!
明日にむかって前進せよ。
みじめな自分をみつめるな。
いいかげんな線で妥協して、自分をこの世に売りわたすな。
孤立を恐れるな。
理解者が一人でもいてくれると思うな。
少数者バンザイ!
単独者バンザイ!
自分の影を後にして
歩こう、歩こう
* *
一年生から二年にすすむようにかわるのじゃない。
中学校から自衛隊に行くようにかわるのです。
店員から絵かきにかわるようにかわるのです。
同じ直線上にかわるのじゃない。ポイ、ポイと、宇宙をかわるようにかわるのです。
そのように人の一生を何度か転回せぬと、人間は頑固になってしまって、しまいには生命を失いますネ。
* *
信仰は人のことではない。自分のことです。
信仰はメシのことではない。イノチのことです。
信仰は今日のことです。余の日ことではない。
今、ここに立つ自分を見つめる。ここに生きている自分がある。一人ぼっちだが孤独ではない。目に見えぬ宇宙的連帯を自覚する時、そこに信仰がある。(終わり)
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