イエス様は癒し主
私の癒しの信仰の推移
私が「イエス様によって病気は癒されるはず」との信仰を持ったのは、まだ34歳のころであっただろうか。
単純に「神様に出来ないことがあろうか、特に病気の癒しについては聖書に幾らでもその奇蹟の記事が出ている。また、信じる者にはこれらのしるしがあらわれるとちゃんと生々しく書いてあるではないか」(マルコ16:18)と思ったのである。
1956年の夏、大阪でイムマヌエル教団の聖会があり、私は初めての教団でああったが、興味があったので参加してみた。
その旅に出かける時、中島という老信徒が、ちょうど二女のせつこがまだ3歳になっていない頃であったが、しょう紅熱風の症状が出ていた。
それを気にして「せつこさんを置いて先生大丈夫ですか」と心配そうにしていたのを覚えている。
当時、私は神癒の信仰によって、家族が病気におかされても、病院にも行かず、医者にも見せず、薬も与えていなかった。
だから中島老人の心配も無理はなかった。先生がおればこそ、お嬢さんの病気に医者にも見せず、薬も与えないでも、まあまあ先生の信仰姿勢に敬意を表して黙って見ているが、先生の留守中にお嬢さんの病気がひどくなったら、どうしようと案じたのであろう。
しかし私は「大丈夫ですよ」と言って、関西汽船に乗ったものである。
イムマヌエル教団は蔦田先生という牧師先生の率いる教団で、信仰的に私に近かった。特に神癒を信じる教団だったので、私は親近感を抱いていた。
だから、その大阪聖会に行っている間、祈祷の時間には心置きなく大きな声をあげて、せつこのための癒しを祈ったことである。
そして聖会を終わり、大分に帰ってみたら、せつこのしょう紅熱は立派に治っていた。
その当時の私の神癒信仰は熱烈、絶対、微塵の妥協も無かった。医者にも見せず、薬も飲ませず、だから風邪をひいても風邪薬を飲むわけでなく、怪我をしてもメンソレータムをつけてやるわけではなかった。徹底していた(今はそれほどでない)。
そして今のように声も高く「神様、この病気を癒してください」とか「この病気よ、出てゆけ」と、どなりつけるような信仰的応対もせず、ただ黙って神様の癒しを待っているだけの時であったから、不安を覆い隠すのに苦労した。正直言って怖かった。
しかし、妻や信徒の手前、必死にその恐怖を押し隠して、信仰を守った。これが、私の神癒信仰のごく初期の頃の実態である。
私には格別の指導者はいなかった。神癒でも何でも来いの手島郁郎先生に出会うのは、その翌年のことである。<つづく>
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