人気ブログランキング | 話題のタグを見る

No.529 二・二六事件を想う 2012.2.26

二・二六事件を想う   

 それは昭和11年2月26日、当時、皇道派と呼ばれた、過激派の青年将校たちが1400人の部隊を率いて政府の総理大臣を始め主要メンバーを襲って国家改造を求めた、いわゆる二・二六事件、今日はその76年目です。
 その翌日、2月27日に私の伯父釘宮徳太郎が急死したので(肺炎?でした)、東京の無教会メンバーは東京と同じように釘宮さんも大分の歩兵聯隊の青年将校たちから襲われたのかと色めきたったそうです。
 葬儀の席で、伯父の集会メンバーの一人で東京の情報に詳しい加藤虎之丞弁護士が、皇道派の青年将校たちの動きを説明したものです。私はまだ小学校5年生の少年でしたが、その加藤弁護士のお話を聞いているだけで身震いがして、抑えられないほどに昂奮し、また怯えました。この加藤弁護士が後に私が非戦論事件で捕縛された時、進んで私のために、その裁判の法廷で弁護に立って下さったのです。当時としては到底どなたも立って下さる筈は無いような勇気のいる弁護でした。
 殆どの評論家や、雑誌類が今もって語らないことですが、この二・二六事件の時から日本の政治情勢のみならず、一般の国民の風潮さえもが一挙に変ったのです。これは日本人の国民性のひ弱さ、右へ習えと途端に国内思想が一変する好事例です。
 どうかすると、民間情勢を誘導していた軍部や政府のトップ連の先を越して(!)、民間の一般民衆の意識の方が更に過激化するということが起ったのです。一億総決起、戦争邁進です。私はあの「一億一心、戦果拡大」の時代の真中に生きて居ましたから、よく覚えています。そして私の内心には「非戦主義」の思いが込み上げてくるのです。私には早くも日本という国家からの非国民たる私への殺気が感じられる、そういう恐怖の時代を感じ始めていました。
 二・二六事件で起訴されて死刑になった若者たちの遺骨が故郷に帰ったら、その家の周辺の人たちからは靖国神社にでも祀られたのかと戸惑うほどの尊ばれ方をされたものです。
 逆に言えば、軍部にしてみれば待ってましたとばかり、この風潮を歓迎したでしょうね。政府筋にしてみれば、いよいよ軍国主義か、やれやれ、ともかく、時の流れについて行かなくては、バスに乗り遅れるぞ、と思ったことでしょう。この「バスに乗り遅れるぞ」という言葉は当時、えらい流行したものです。
 日本は満州事変、上海事変以来、軍国主義的政策を取りつづけて来ましたが、この時から、軍事優先、東洋抑圧の政治論理がまかり通る時代に極度に屈折します。
 実は政府の宣伝に惑わされたと言ってもいいでしょうが、日本国民自身、「戦争に勝った、勝った」という気分に浮かれてしまったのです。こうした事に冷静な筈の朝日新聞でさえ「勝った、勝った」の連載です、国を上げての「好戦国」、だれもこれを阻止することが出来ません。
 あの頃は政府筋の検閲が厳しくて、ちょっとした小さい記事でも発禁を食って、発売禁止になったものです。特にキリスト教関係の出版には当局の目は光っていましたね。矢内原忠雄先生が反戦論的筆禍事件で東京大学を辞任したのも、この頃でした。
 こういうことは実は戦後ですらあって、私が鶴崎の伝道会場の前に書いた壁新聞に警察の取調べが来たものです。それが私の勤務先の学校に来たものですから、さあ、校長さんが怖じる、教育委員会の職員が恐れる。私は平気でしたが。私の壁新聞の主題は「日本を救うものはアメリカか、ソ連か」と書いてあったのです。当時は米ソの仲が最も険悪な時代でしたからね。《く》
 

〔聖書講義〕
我が内なる「福音」   
 
 ある人が、ヨーロッパに行って、中世の絵を見て肉だの骨だのすべて針の先でつついたように克明になまなましく、今にも血が流れ出、それを犬がなめるのではないかというように書いてあるのを見て「これがヨーロッパだな」と思ったそうです。
 日本ではちがう。特にあの水墨画!、墨一色で、しかも書かれない空間の白地が大きい、そこに多くのものが捨衆され、そして無の空間の中にホンモノがかいま見える、そういう日本の芸術と全く反対の絵があるのですね。
 
 西洋の教会に行くと、十字架上のキリストの絵がある。神経衰弱の男が頭をぶったたかれて白目をむいているようなイエス、その手、脚、胸に血が流れ、肉は裂けて実に血なまぐさい、そういう肉体の凄惨な死を克明に書いた絵を礼拝の場に持ち込むなどという事は、日本人には理解しにくい処でしょう。
 
 キリスト教が、そういうヨーロッパの風土に最初に行ったということは非常に意味のあることのように思えます。イエスの死が、神の贖罪愛の表現として、実にセンシティビティにドラマティックに人々の胸に焼きつけられたからです。
 
 極端に言えば毒々しいと言える程の原色版のシネラマで見せつけられるように、キリストの死がヨーロッパのキリスト教で語られる。(そういう風潮の中では、私のような所説は悪魔の言葉のようにいみきらわれるのでしょうね。)そのキリストの死の真の意味は、「永遠の岩」にみちみちている「生命・エネルギー」の解放なのだと思うのです。<つづく>
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
by hioka-wahaha | 2012-02-28 15:55 | 日岡だより
<< No.530 死を考え、生を考... No.528 永井先生、茨木伝... >>