情熱としての説教
キリスト新聞の最近号に「情熱としての説教」という講習会の広告が出ていた。その添えた言葉に「神の言葉は情熱をもって語られ、聴かれているだろうか」とあった。これは説教者に対する厳しい忠告であろうが、また聞く会集の諸兄姉に向けての大事な警告でもあろう。 私の初期の鶴崎伝道、米屋町伝道の頃の聴衆者の中から輩出した勝れた諸兄姉のメンバーを思い出さずにはおられない。 現在の私、あの頃の「情熱」を今も果たして維持して居るや否や、改めて心を立て直し、燃やし、主に従って前進しよう、いや猛進しよう、と思ったことである。 また、ここに信徒諸兄姉に警告したい。あの頃の諸先輩のように、主に忠実に従い、信仰と伝道に奮起し、ますます聖書と祈りに専念しよう。 特に、前記のキリスト新聞の広告の言葉だが、「神の言葉は情熱をもって語られ、聴かれているだろうか」の中で、信徒の皆さんに聴いて欲しい一句、「神の言葉は情熱をもって語られ、聴かれているだろうか」前者は牧師に対する忠告だが、後者は信徒の皆さんに向けられた言葉である。「神の言葉は情熱をもって……、聴かれているだろうか」。大正、昭和の初期、東京柏木で語られた内村先生の聖書講義ほど会衆の情熱をもって聴かれた神の言葉は無かったかも知れない。 私の20歳代の鶴崎集会の頃の聖書講義もその内容においては兎も角、熱情の程は然かり。現在の私の比ではなかったであろう。今の会衆の皆さんに申し訳ないが(呵々)。大分市の大道町峠の上の隠棲で語ってくれていた叔父釘宮徳太郎の熱誠な聖書講義も又然かり。特にその時の叔父の訥々(?)たる熱祷には、今も思い出すだけで心が燃える。私も些かの情熱を持って説教を語りはするが、主よ、あなたの情熱の一端を私にお分けください。 ところで、会衆の皆さん、私の拙い、霊性の乏しい説教ながら、寛容と愛をもって私の説教をお聴き願いたい。更に「熱情をもって」お聴き願いたい。「熱情をもって聴く」と下手な説教でも「御言があなたの心に浸透する」ものです。「熱情をもって聴く」とは、どういうことでしょうか。牧師を通して語られる神様の臨在を信じること、そして御言を語るあなたの牧師を愛し、信じることです。 私たちの救い主は、ソクラテスでも、お釈迦さんでもない。イエス・キリスト様だけです。ソクラテスも、お釈迦さんも、人間であって神様ではない。神様とは、日本人の言わゆる我々の祖先なる神々のことではない。全宇宙を作られた唯一の父なる神である。イエス様を父なる神の御独り子と呼ぶのは何故か。天地万物の創造者たる神様が、その姿を地上に御体をもって現れ、息を吸い、パンを食べ、イエス様に於いて、具体的に生きて下さった、人類の歴史上唯一回限りのことだったからである。幻やお言葉だけによる顕現は聖書のなかで幾度も、その例があるが。(2011年10月4日) 信徒諸兄姉、勉強しよう 私はかつて、拡大宣教学院において講義の一端を受けもって、授業をさせて頂いたことがある。果たして充分に院長先生たる永井先生のお眼鏡に適うような講義が出来たのか、どうか自信はなかったのであるが、私も青年時代から及ばずながらも、些かの勉強はしてきたので、大恥はかかずにすんだのか、それとも永井先生以下諸先生のお目こぼしもあったのでしょうが、いずれにせよ些か小生の若い時の人知れずこっそり勉強してきた聖書や神学の学びが役立っていたことは事実であろう。 当教会の信徒たる諸兄姉がたよ、おすすめする。神学校に進学しませんか。私たちには前述の確かなる拡大宣教学院もちゃんとあるのです。遠慮無く、東北の宮城県にある拡大宣教学院に進学しませんか。独身の人は勿論、家族のある人も勇気をもって進学の決心をされませんか。 「とんでもない。私には家族もあり、子供さえいます。どうして、そんな大胆なことが出来ましょうか。それに釘宮先生自身、神学校にも行かず、一人で伝道を始めたのではありませんか? 私たちも神学校に行かずに、伝道してはいけませんか」 「えっ、そうですね。それじゃあ……」 私は皆さんを見回して言う。 「じゃあ、あなた。そしてあなた、あなたも。明日から伝道に出ましょう」 またもや「とんでもない」が出てきます。 「とんでもない。私には家族もあり、子供さえいます。どうして、そんな大胆なことが出来ましょうか。」 私は人様にはそんな無謀なことを言った事はありませんが、自分自身にはそう言い続けて初期の伝道を始めたのです。自分の家で、自分の市内の会館の一室で、自分の隣の町の民家を借りて。 第一回鶴崎集会を林正貴兄宅、それは当時は大分市の東の隣の町でした鶴崎市の中心街の真中にありました。これは私が私宅を出て市街地の真中で公開的集会を始めた最初のことです。 その時、林さんのお宅の正面に出した壁新聞には「日本を救うものはアメリカか、ソ連か、果たして誰か、それはキリストだ」と書いたものです。真っ先に、顔を真っ青にして私のところに駈けつけたのは、県警察の公安の係官でした。まだアメリカやロシアとの関係の微妙な頃でしたから、無理も無いのです。私も恐縮しました。思い出せば、そういう時代でしたね。感慨無量です。昭和25年の頃です。(釘宮)
by hioka-wahaha
| 2011-10-11 16:50
| 日岡だより
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