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No.451 本を読む癖をつけよう 2010.8.29

本を読む癖をつけよう

 私の一家は、しばらく別府の山辺のほうに住んでいました。父が喘息で、医師に転地療養を勧められたからです。
 私は当時、小学校就学前だったでしょう。近くの家に小学6年か、中学校1、2年くらいの兄ちゃんがいて、よく我が家に来てくれました。
 それは、私のために父が買ってくれていた幼年雑誌を私に読んでやるためです。私はそのお陰で読書の喜びと、その習慣がついたのだと思いますが、今でもその兄ちゃんを思い出します。
 今思えば、彼の住んでいた家は貧民窟の長屋の一軒でありました。その子は自分の家では子どものための本や雑誌を買ってくれる余裕はあるはずもなく、私のために本を読んでやる奉仕の形で、少なくとも本が読める、その喜びの故に来てくれて居たのでありましょう。
 彼が途中で「ああ、腹が減った」と言って、自分の家に帰り、お釜からご飯をすくい、鍋から味噌汁をすくって、そのご飯にぶっかけてムシャムシャと食べながら、「ああ、おいしかった」と大口をあけて喜ぶ様子を聞いて、子どもの私は羨ましくてなりませんでした。
 わが家で私がそんなことをしたら、一返に母親から叱られます。「おなかが減ったなら、おなかがへったと母ちゃんに言いなさい。いつでも、ご飯くらい食べさせてあげます。自分で、勝手にご飯を取って食べるなんて不作法なことをしてはいけません」という訳です。
 ところで前記のように、その彼がよく我が家に来て、私のために本を読んでくれました。そのことを私の父や母も喜びますし、「あの少年は良い子だねえ」と褒めていましたが、私も喜んで彼の読書奉仕に耳を傾けました。
 後々の私の読書狂も、この少年のお陰だったのだなあ、と今にして思います。私の幼年生育期の大恩人ですが、その後、私ども一家は大分市に移転、その恩人の少年には一言の感謝もせず、別れっぱなしです。申し訳なかったなあと、よく思います。
 ともあれ、良い信仰の書物に触れることは、人生途上において言葉に尽くせぬ恵みですし、信仰のために大きな助けです。現代はテレビ等の情報源は多いですが、それにしても書物がやはり一番ですね。そしてもっとも大切な書物は聖書です。《く》
 
 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

いのちの初夜(4)

 彼は言う、「聖書の言葉は私をあざむいた。私は聖書を読んだら浄い立派な人間になると思ったのに、かえって罪ぶかい強欲な自分を思い知らされるのみで、あたかも聖書の言葉はカミソリの刃をのみこんだように私の内側でアチコチの肉皮を斬りさいなんだ。この死の体より我を救わんものは誰ぞ。私は一に一を足し二に一を足して三とするように、自分自身を義人にしあげ聖者にしたてようとした。そしてその結果は全くあべこべで、ますます自己不満自己絶望におちいってしまうだけであった。私は零の零、落第坊主だと一人さびしく泣いた。しかしその時になって、やっと少し分かりかけてきた。ああ、私は本来ゼロではないか、ダメな死の体ではないか。ヤセがまんするな。頑張るな。神の大愛の前にへたばってしまえ。私はこの死の体を踏み台としてその上に立ち高く両手をあげて主の救いの手を仰ぐのである」
 私がキリスト教の信仰を求めていた時に、非常に参考になった、というよりは、私の魂を叩き激動させた本が三つある。その一つが如上の原田氏の雑誌。次にジョン・バンヤンの「恩寵あふるるの記」。もう一つは石原兵永の「回心記」である。後の二冊の本は二つとも今も新教出版社から出ているから御一読を望む。
 ジョン・バンヤンは三百年ほど前の英国の人である。時代も国柄もだいぶへだたりのあることであるから、この人のことは割愛しよう。石原兵永は今も生きてキリスト教の無教会陣営で活躍している第一線の人である。この人の「回心記」は、現代ふうな一人のインテリが内面の苦悩(神と真理から突き放されているという自己罪責感)から、突如救われていく、(しかもいわゆる神秘経験というべきものではなく)、めんみつな記録である。
 私は一つの魂が回心する前後についてのこれほど詳しい胸にせまるような文章を他に見たことはない。そこには外面的な苦悩、貧乏、病気、不和といったようなものは何一つない。平凡な英語教師の純粋な心の内面だけにおこる、しかし想像を絶するような肉を斬り血をしたたらすが如き激しき苦闘の精神史がある。ゆえに、具象的なこの世の救いやテレビ化され得るような劇的な救いを求める人は、この本には失望するであろう。しかし真に人間の魂の奥底における安定、解放感を求める者には、まだまだ長い間よき伴侶の書となるだろうと思う。これは日本のキリスト教界において古典となっていい本だ。
 とはいえ、今私はその「回心記」という本を、誰かに貸し出していて手もとに持っていない。だから、その文章を引用することもできなければ、またその必要もないのであろう。ただ、私はこの本にある一つの重要な「断層」について語りたい。
 石原兵永がなんということもなく、内村鑑三にふれ、その聖書研究会に列席し、前節の原田美実氏の述懐にみられるような苦渋に満ちた精神生活におちいっていく……。そのあたりの記録が半分か三分の二かつづく。それを読む時私は人の文章を読むような気持がしなかった。あたかも自分の日記を見るような思いにかられて、体はこきざみにふるえ、汗のにじむような感動でそれを読んだ。
 ところが、そのような苦渋な内面の葛藤が追いつめられしぼられてくる極限で、突如文章が切れる。彼もついに書くことができないのだ。そして次の行にいきなり、怒濤のような平和、喜び、確信が彼の内にみなぎり、ペンからほとばしり出るのである。私は目をみはる。何事が起こったのだ。私はできることならその一行あいている紙の中身をはいでみたい思いだ。「父子不伝、不立文字、直指人心」といわれるある事態がそこにおこっているのだ。その一行の空間の秘密! 私はそれにむしゃぶりつくように求めながら窓ガラスに頭をぶっつけて外に出られないハエのように苦しんだ。蟻地獄の中で蟻がいくら這い上がろうとしてもズルズルともとの処に(地獄の底)すべり落ちてしまうように。
            (つづく)
   (※以上は1971年の文章です。)
by hioka-wahaha | 2010-08-31 16:05 | 日岡だより
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