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No.438 信仰の確かさとは 2010.5.30

信仰の確かさとは

 私の大好きな先生に原田美実という方が居られました。初めは久留米の辺りにいらっしたようですが、後に奈良、静岡、そして東京の世田谷に移られました。この世田谷のお宅に私もお訪ねしたことがあります。非常に大分を懐かしんでくださいました。
 伯父・釘宮徳太郎の集会に時おり招かれて聖書講義して下さったものです。無教会の先生ですから、説教とは言わない。聖書講義です。(ちなみに説教という言葉は私どもの集会ではなじめませんので、メッセージと呼んでいますが。)
 この原田先生の主筆誌に「信仰の確かさ」というという文章が載ったことがあります。だいぶ昔のことです。私がまだ青年期に達していなかったでしょう。(思えば、私が作っている小冊子の題名と同じですね。)
 その時の、先生の主筆誌では表紙も扉も内容も、後書きも、裏表紙も広告欄もすべて「信仰の確かさ」で一杯でした。何事にも熱中して真剣にやる先生らしいことでした。
 私の「信仰の確かさ」も、原田先生の影響を知らずして受けて書いた題名でしょうね。
 私の言いたい「信仰の確かさ」とは、私たちが信じる対象としての福音の確かさではなくて、私たちの信仰の把握の仕方の「確かさ」です。
 「あなたはイエス様の信仰をしっかり握っていますか」ということです。
 もちろん、私たちの信じるキリストの福音は絶対に確かなものであることは真実です。しかし、それを信じる私たちの信仰が些かもゆるぎはしない確かなものであるかということを、確認してほしいのです。それがもうひとつの「信仰の確かさ」です。
          *
 日本の徳川幕府時代、キリシタンの人々が非常な迫害、試練にあいました。そういう時、各自の信仰がためされます。第一には各自の信仰が、しっかりした福音に裏打ちされているかどうか。
 また各自、圧政者のいかなる脅かしにも恐れず、強固な信仰を持って抵抗できるかどうか、ですね。
 信仰者各自が強い意志を持って、支配者の圧力に抵抗する、それは信仰者各自の気質胆力にもよることですが、また信じる福音そのものの力にもよります。
 現代の私達にはそのような信仰をためす機会がない? そんなことはありません。日々の生活の中でいくらでもあります。考えてごらんなさい。
          *
 私は戦時中、日本官権のもと拘束されましたが、もともと小心者で、体力も弱い者でした。警察や、検事局、刑務所の役人たちの恐喝や暴力に抵抗できる力は殆どありませんでした。
 刑務所という所は、一般市民の被収容者にとっては、外部からの影響力は皆無です。どちらかと言うと、面白半分で、いじめてやろうかという仕打ちを受けやすいです。
 刑務所の中で、完治していなかった虫歯が痛み出し、看守に歯科医を呼んでくれませんかと頼んだら、「なあに、虫歯くらいで死にはせん」と取り合ってくれません。虫歯がひどくなって顎がもげそうにでもならなければ取り合ってくれなさそうな気配でしたから、私は地獄の底に落ち込むような恐怖に捉われましたね。
 また、私が未決監に居た時、厳寒期でしたから、母が毛糸類や綿入れの衣服等を差し入れしてくれたことがあります。
 すると看守のメンバーは、私の体から刑務所から着せてくれていた衣類一切を脱がせてしまい、母の差し入れしてくれたものを私に着せようとします。
 私は寒さに震えあがって仕舞います。そうした私を見るのが、看守たちは楽しいのでしょうね。囚人は全くの無力ですから、彼らの慰み者になってしまいます。
 江戸時代の迫害ほどではないにしろ、こういった時に落ち着いていられるのは不思議なことでした。虫歯の痛みはその後ピタリと止まりました。
 福岡の刑務所でしたが、ある時、中国から発進した爆撃機の来襲で、空襲警報のスピーカーが鳴ったことがあります。一般の囚人は呼び出されて防空壕に連れて行かれましたが、私ども国事犯はそのままです。爆弾が落ちた時は死んでくれ、どうせお前たちはアメリカさんと気持ち通じた間柄じゃないか、アメリカさんの爆弾で死ぬのもよかろう、という待遇です。
 私は既にイエス様の聖霊を受けていました。私の魂には既にイエス様がお住みになっていました。私は日々、歓喜に燃えていました。死ぬことは何でもなかったのです。
 私は弱いものであったけれども、福音の力で生かされていました。その信仰をしっかりと握らされていたのです。
 囚人仲間の、我々の世話をする雑役という一人、私の顔を見て不思議そうに私を見て言いました。
 「お前は変わっとるのう。空襲を一向心配しとらんのう」。
 「ええ、私はクリスチャンです」
 「道理でのう」
 「ハハハハハ」。
 私の懐かしい思い出です。イエス様、バンザイ! 《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】10(1969年)

 福島のK君より、電報にて礼状とどく。とにかく少しはわかってくれたらしい、ありがたい、もっとくわしい状況を知りたいものだ。更に更に書き送りたいことがある。
 夜、来客一人、つづいて二人、十一時まで懇談する。本日は世の仕事多く、疲労を覚える。祈らねばならない。
 
9月5日(金)晴
 会社の増資完了。小学校PTA監査。富士鉄着工、東芝IC工場進出で騒然たる当地方の様子をM市議に聞く。午後税理士である学友G君と決算の相談。社員へ給与支給。夜、S君ダイハツ代払の件で先方社員と面談等々・・・・・・俗事多忙。
 妻とちょっと言い争いあり、こんな事は珍しいから特記しておく必要がある。呵々。
 深夜、例によって聖書を学ぶ、テモテ第二章に泣く。(つづく)
      (※以上は1969年の文章です。)
 
【おしらせ】
■春の一泊セミナーのメッセージテープ
 (3本組1000円送料実費で頒布中)
①「義認の信仰を再確認する」
②「聖霊の賜物を大胆に求め、また頂こう」
③「信仰生活における聖性のダイナミズム」
■7月6日(火)夜7時半~ 韓国より崔世雄(チェ・セウン)牧師(仁川ケサン中央教会牧師)を講師に迎えて、集会を行います。
by hioka-wahaha | 2010-06-01 09:48 | 日岡だより
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