(1971年3月発行の「我ら兄弟」No.2より転載)
霊覚について(つづき) 感覚のにごりをぬぐい去り、これを敏感にするものは信仰であります。人間の感覚を通して脳裏に収めるすべての受像より、霊覚はその奥にひそむあるものを判断するのであります。霊能的受像も、また同じようにその判断の材料にしかすぎません。 神様が人間にその五感を通じて悟らしめる種々の材料だけでも、豊富にすぎて困るほどであります。この地上には、神様の告知で一杯ではありませんか。この上、霊能的感覚があろうと無かろうと、さして気にとめるべきではありません。それが無いからといって、持っている人をうらやむのはこっけいであります。持っている人が持たぬものを軽蔑するならそれは悲しむべきことであります。 死即生 「死ぬ」ということが、しばしばクリスチャンの間では、心理的な決断にのみ終わることが多いのです。心の中で「事毎に死にます」などと叫んでみて、一時的に甘い感傷的な安らぎを感じても、いったん世間にもどれば元の木阿弥になってしまう。 「死ぬ」ということを、自力活動の停止、自己判断の停止、というふうに考えて、親鸞のように私は極悪深重の凡夫ですと、坐りこむ手もありましょう。それも一種の「己れ」の死でありますが、聖書の死は、もっと積極的に我々の日常に働きかけてくる死であるように思われます。 聖書において、クリスチャンの死とは、イエスの死への一致であります。それを裏返して言えば(ネガをポジにするように)、イエスに従うことであります。 「日々おのが十字架を負いて我に従え」 この御言葉を拝しますとき、おのが十字架を負うとは、日々の自己否定であります。その日々の自己否定は、ストイシズムのような自己満足的自己否定ではなくて、イエスに従うことによる自己否定であります。つまり言葉としては、日々おのが十字架を負うことと、イエスに従うことの間に、時間のずれや順序があるように見えますが、実はひとつのことなのです。イエスに従うということが即自己否定なのです。 そして、イエスに従うということは、即我らの真実の生であります。つまり、一度死んで、そのあとで生きるというように考えるのは、実際を知らないものの言い分です。本気でイエスに従って自己否定に生きてごらん。その事それ自体が、真実の生であることが実感できます。「死んで而して生きる」のではありません。「死即生」なのであります。 信仰を増してください 弟子たちが、イエスに、「われらの信仰を増してください」と願ったとき、「もしからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に抜けて海に植われと言ってもお前たちの言うとおりになるだろう」と、かえりみて他を言われるようなことを仰せられた。これは、あきらかに「信仰を増してください」という弟子たちの願いに対するイエスの好意ある拒否であります。(ルカ17の5、6) なぜでしょうか。信仰は人の責任分野であって、神が人に代わって信仰することはできないからです。 ただし、信仰の最初の芽は神より賜りしものと実感せずにはおれない程の恩寵感を以て回想できます。キリストの(所有格)信仰によりて救われたりと言い切れるほどの絶対他力的信仰の実感があります。にもかかわらず、信仰は真実われら自身責任のことであります。そこで、「信仰を増してください」などというのはコッケイな話なのです。 × × 似た祈りに 「われらに愛を与えたまえ」 というたぐいがあります。 愛とは「愛する意思」と「いとおしいという感情」ですが、これもまた、神がわたしたちの為に代わることのできないことです。 ただし、愛は人の本性にそなわっているものです。それが神にきよめられてサタンの手から解放されるとき、自由に愛の放射が可能となります。また、神の愛に刺激され触発されてますます愛が感動的情緒をおびてまいります。また、自らの意思で他を愛しようとするとき、不思議に「いとおしい」という感動がおこってくるものです。 「愛の自らおこるまでは、ことさらに呼びさますことなかれ」というのも真理ですが、また一方、「愛せよ、さらば愛を知らん」というのも真理であります。 いわゆる「聖書信仰」を抜け出せ 私の信仰の下地は、教会や無教会の集会・信仰書・聖書にありましたけれど、具体的に言って、回心の時点においては教会からも、聖書からも、遠ざけられている、戦時中の刑務所の中でありました。私はそれまで、熱心な聖書の研究者でありました。(聖書は研究しても分かるものではありません。聖書の研究とは内村鑑三の残した悪い言葉であります。もっとも、信仰が与えられてから聖書を研究すると滋味つきないものであります。) その頃、「この聖書一巻さえあれば我が人生に悔いなし」とたかぶった気分でいました。ところが、ひとたび刑務所に放りこまれてみれば、その聖書一巻が与えられないのです。坊さんがお経を丸暗記しているように、なぜ聖書を暗記しておかなかったろうと、舌打ちしたい気持でした。ギリシャ語原典はもとより種々の聖書翻訳書、たくさんの注解書を、机をはじめあたり一面に並べまわして、重箱のスミを針でつつくように研究していましたが、そんなことより聖書の一句でも頭の中にたたき込んでおくほうがよほど役に立つものだと、身にしみました。 その時分、私がゾッとしたのは、聖書を記憶しようとしても、頭が悪くて記憶できない人はどうなるのかということでした。今は、日本は国民皆教育で文字は誰でも読めます。それで、「聖書にかえれ」などと言われても言葉としては何の抵抗もありません。ところが、「一文不知のともがら」にとっては、それは大変なことがらであります。記憶することはおろか、読むことすらできない文盲の人々にとり、「みことば」はどのようにして伝えられ、彼らのうちに「たくわえ」られていくのでしょうか。 宗教改革は、聖書翻訳の仕事を抜きにしては考えられないでありましょうし、その時代的背景には一般市民階級における教育の進歩とグーテンベルクの印刷術開発があるとされましょう。当時の時代推移の中で、聖書をラテン語より各民族の母国語にとりもどし、みことばを教会の門扉の内より民衆の手に解放した宗教改革者の熱意には頭が下がりますし、その正しさも肯定します。 しかし、その宗教改革者の尾ひれにくっついて、それまでのカトリック教会が聖書を教会内に独占したとして、今の我々が批難するのはいささか飛び上がりもののそしりをまぬがれません。(つづく)
by hioka-wahaha
| 2009-10-19 11:15
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