信念と信仰は違う
信念的信仰というものがあります。少なくとも、信念が加託されている信仰と言うものです。 それは熱い信仰に見えます。改革者流の信仰にはそういうものがあろうかと考えます。 悪いことではありません。しかし、危険だと思います。特に性格的に情熱的な人には、その傾向が強いでしょう。 ルターなど、そういう危険性があっただろうかと思います。内村鑑三なども、そうだったかもしれません。ともかく感情の振幅が激しくて、行き過ぎるのです。 それかと言って、煮えているのか、煮えていないのか分からないような、いわゆる知性派のクリスチャン信仰は頂けませんねえ。 * 私の恩師、手島郁郎先生は過激派のよい例です。私など、目を三角にして怒られましたが、それでも私の先生に対する敬愛の念は衰えません。 時々、私も先生の真似なのでしょうか、時々カッとなって怒る事がありますが、私の怒るのは余り効果がありません。まだまだ手島先生には及びもつかないのですね。そのうちにしっかり怒れるようになりたいと思います。だれですか、「オーコワ、オーコワ」と言ったのは。ワハハハハハ。 ともかく、信念というものは人にとって良きものです。しかし危険もあります。それは自力だからです。その点、信仰は違います、信仰は神様からの頂きもの、聖書において信仰とは、もともとキリストの所有です。ですから、自力では掴めません。信仰とはキリストからの賜物なのです。《く》 (以下は一九六八年執筆の「主の御名を呼ぼう」の連載です。) 主の御名を呼ぼう 11 「子よ、ここに憩え、何もせんでもいいんだよ。兄弟たちを見よ、姉妹たちを見よ、汝の無力の中に、いかにすばらしい転換前進を示していることか」 そこで、私はこの暗示を神よりのものと思い込み、与えられし自由と平安の中で、あたかも砂糖の中に眠る蟻のように怠惰に過ごそうとする。水はひくきに流れ、人は易きにつく。私は毎日エアコンのきいた病室で、祈りもなく、勉強もなく、伝道もせず、ひねもすノタリノタリかなである。こんなことがあっていいものでしょうか。絶対にない。私はその事をこのヒゼキヤの書に学びました。 人は、社会的に、霊的で「平安である」と自称している時は実は危ない時です。エレミヤの言う、偽預言者らが「安からざるに安し安し」と言う時です。うっかりと、我らの心の倉のすべてをサタンに下見させてしまう時です。人の内奥不可侵の至聖所はサタンの視線にあらされてはならないのです。 集会で、私の説教最中、何ということもなく手すさびしている人があります。本当に心魂を打ち込んで聞いている人にはそんなヒマは少しもありません。ところが、どこか心がだれて(私の説教も悪いのでしょうが)無意識にハンカチをまさぐったり、よその子を目くばせしてあやしたりしている。ここまではまだいいのです。その下のクラスになると心はすっかり説教から離れてしまい、全然ほかのことを考えている。心は小学校の運動場のようなもので、1000人の子供がてんでばらばら遊んでいて、ちょっとやそっとの先生の声はすぐかき消されてしまう。こういうふうになるともう、その人の心の中の一切の宝ものにサタンの手先の売約済の赤札がはられてしまう、そういうことになりやすいのです。 「いや、それで結構です。今、私は平安なんですから」 と、ヒゼキヤのように我々も言いたくなります。それを言わないためには、我々はもう一度主の御血潮のほとばしり出る十字架の下まで行かねばならないのであります。 * イエスが病人をいやされたとき、「つつしみて誰にも語るな」と言われたのは何故でしょう。そのすべてのご意図を察することはできませんが、一つには、このヒゼキヤの愚をおかさないためであろうと思われます。 主の大きい恵みを受けたとき、誰彼のみさかいなくふれてまわりたいものです。それはいい、あのスカルの女のように謙遜におやりなさい。ところが、しばしば得意満面になって、惜しげもなく主との秘密の会見の模様をばらしてしまう。これはしばしば、サタンの小手先にしてやられるキッカケをつくります。 イエスの愛に委ねよ ―――あとがきにかえて――― 一、 イエス・キリスト様、御名を呼びまつります。 イエス・キリスト様、ここに臨在してください。 イエス・キリスト様、私をつつみ、私に住み、私に満ち、私に溢れてください。 イエス・キリスト様、御名を呼びまつります。 イエス・キリスト様、アーメン。 二、 今度の発病(ぜんそく)(注・1968年のできごとです)で、第二回目の発作のとき、主よ、あなたは妻の口を通して、血の最後の一滴までも死ねよと仰せでした。私もまた、主よ、死ぬのなら一度ここで死なしめてください、と祈りました。そして、もう一度ご用あらば生きかえらせてください。ご用なくばこのまま天に召してくださいと申し上げました。私は生き返るにしろ、天に召されるにしろ、いったんは死ぬのだと思いました。心のうちに死を期する(Ⅱコリント第1章9)とは、このことだなと思いました。 発作がおさまったとき(単なるぜんそくでなく、心筋梗塞を伴っているので、たしかに危険な病状ではあったと思います)、私は死にてまた生き返りたる者の如き思いで刻々を生きました。私は二十数年ぶりに、死の門に近づいたのでありました。かつての死の門が、私を信仰に導く大きな契機になったように、今度の経験もまた私にとり、大きい影響を残すであろうとひそかに思いとっていました。 ひとたび死にて、再び生きるものの声は、「枯木龍吟」するが如く、この地上に語られるでありましょう。その者の声は、死の谷にて枯木が放つべきもなき霊妙の声を以て吟ずるが如きであるでありましょう。(枯木龍吟という言葉は碧巌録に出てくる名句です。) しかし、人間とはバカなもので、本当に霊的経験としての「死」を経ないで、単なる感動的死で終わりますときに、一、二週間もするとまた元に舞い戻ってしまいます。多くの人が人生の危機に会い、一度はそれ相応にその人の機根に応じて改心して人生をやりなおしたりしたはずなのに、しばらくすると、また元の木阿弥に戻ってしまう。完全に戻ってしまわないまでも、生半可なことになってしまう、というのはみなそれです。(つづく)《く》 ※以上は文中にもありますとおり、1968年、つまり40年ほど前のことです。この時の入院は神様の御恵みでした。多くの事を学び、しかも経営中の印刷会社の新社屋の建設を完成させたのですから、私にとり驚異でさえありました。《く》
by hioka-wahaha
| 2009-08-25 08:03
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