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No.395 主の御名を呼ぼう 9 2009.8.2

(1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」を連載しています。)
主の御名を呼ぼう 9

 ペテロが三度主を否んで以後、どこをほっつき歩いていたかしれませんが、その時の魂も多分断絶状況であったでしょう。イスカリオテのユダはどうだったでしょう。イエスを売って以後のユダの心理状態ほど人間の共感を呼ぶものはありません。何人にも洞察できるような感じがします。しかし、あの時のユダの心は断絶状況とは言えないのです。その証拠は、彼が自らくびれて死んだ!ということです。断絶を経験したものは知っています。「もう生きていても甲斐がない、もう生きていても甲斐がない」と思いつつも、自ら死ぬ気力も出ないということです。自殺する者はまだ自殺することに希望を持っています。本当の絶望者には自殺も不可能なのです(ヨハネ黙示録9章6)
 聖書に出てくる典型的な断絶状況は実はイエスのそれです。イエスが最後の十字架上で「我が神、我が神、なんぞ我を捨てたまいし」と叫び、「われかわく」と言って水をほしがり(与えられたものは酢きぶどう酒でした)、遂に「事おわりぬ」と、がくんと首をたれるまでの様子を見ていると、そこにはいつもの高揚された神威かがやくイエスの姿はありません。
 実に十字架上のイエスを見ていると、イザヤ書53章のメシヤ預言は、目前にいたものでなければ書くことのできないような驚くべき洞察であったことが分かります。「我らが見るべき美わしき姿なく、うつくしき貌(かたち)はなく、我らがしたうべき見栄えなし。彼はあなどられて人に捨てられ、悲しみの人にして悩み知れり……」その彼の最後をイザヤはかくうたいます。「その代の人のうち誰か彼が、生ける者の地より絶たれたりしことを思いたりしや」。
 イエスは死にて三日目に復活したそうであります。その死の三日間を「陰府(よみ)にくだり」と使徒信条は信仰告白しています。ですからイエスの死は、生ける者の地より絶たれ、天国やパラダイスに三日間ご休息になったのではなく、救われざるものの死して行くべき処、霊の獄(ペテロ一書第3章19)にとどまられたのであります。イエスが「我が神、我が神、なんぞ我を捨てたまいし」と言うのは、詩篇第22篇の朗誦でもなければ、何かもっと次に名言神句を吐くための前口上で、そのあと息が苦しくて絶句した(よくそういう浅薄な解釈をしてすましている人がいる)というのでもない、正真正銘、彼の魂の底からほとばしり出た本音なのです。
 そこで彼は「我かわく」と言う。イエスは水を欲しています。彼自身何度か預言した「川々ともなって流れ出るであろう活ける水」を欲しています。それは神の生命の象徴であります。しかし、その水は与えられません。却って人は面白がって酢いぶどう酒を飲ませようとします(詩篇第69篇21参照)。そこには、生けるものの地につける全き絶望、神的世界との恐るべき断絶があります。そこで彼は「事おわりぬ」と言う。彼の人間としての生の一切に幕が下りるわけです。
 私は、そのあとの記事をヨハネによる福音書で読むと異常な興味がわきます。
「一人の兵卒、鎗にてその脅(わき)をつきたれば、直ちに血と水と流れいず」
 この事実は真実であると証するとヨハネがわざわざことわるのは、どういう事でしょうか。この血と水はイエスが人の子として生きた全生涯の結晶であります。それが今もろくも一人の兵卒の手で無残にも散っていきます。それはあらためて聖霊によりて保証され(ヨハネ第一書第5章6・7)、弟子たちの魂の中にイエスの血と水として脈打つまでは、十字架上よりしたたりおちて、いたずらにゴルゴタの丘の上に吸いこまれるのみであります。
 イエスの死は、単なる受難ではない。パリサイ人やピラトによって殺されたのではない。間違って殺された無実の罪ではない。彼は神にのろわれたのであります(ガラテヤ書第3章13)。そこに言いようもない悲惨凄絶な、神とその御独子イエスとの間の、人類を救わんがための苦闘と葛藤があるのです。日蓮が竜の口で大信心を以て白刃をけちらしたという古事などとは次元が天地の如く違う複雑微妙な神界の摂理が働いているのです。
 この不可思議、信ぜざるものにはばかばかしい限りのイエスの断絶状況が、私たちの断絶と神秘な生きた関わりあいを以て結びついてくることがあります。パウロの好きな言葉を使って言えば「イエスの死に合わせられたり」です。
 私の体験を言えば、さきに述べたような神との断絶が三日間(そう、イエスの陰府も三日間ですが)続きました。その時、福岡刑務所の独房の中で生ける屍の如く、息をしているのが不思議なくらい、天日くらく死気辺りにみつるの思いで過ごしていました。三日目の夕刻、パウロの言葉が目にとびこみました。
「我ら思うに、一人すべての人に代わりて死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり」(コリント二書5章14)
 このお言葉は、目にだけでなく、魂のどん底に飛び込んできて、原子爆弾のように閃光を放って大暴発しました。
 その時になって、私はまだそれまでの「断絶」と言っていた状況がいかに甘っちょろいものであったか分かって来ました。イエスの死が目の前にあらわにされると(ガラテヤ書第3章1)その事が分かってきます。そしてイエスの死の徹底絶大な吸含力が私の断絶状況を吸いとってしまって一つにしてくれるのです。
 断絶、断絶、と言っている間は、まだ私が地下の底にあって生きています。イエスの死に合うとき、その地獄にうめいていた私それ自身が死んでしまうのです。いかなる罪意識の追跡も、聖なるものへのコンプレックスも一瞬にしてふっとんでしまいます。
 そして、「もはや我生くるにあらず、イエス・キリストによりて生くるなり」という自覚と頌栄が心の底よりわきおこるのであります。私にとっては、信仰とはそのようにして分かって来たのでした。
 

ヒゼキヤ、バビロンの使者に宝物蔵のすべてのものを見せる
                                 (列王紀下20章12~16)
 
 ヒゼキヤはユダの列代の王の中では、信仰のあつく、祈りぶかい人であり、また貯水池を造り、水道を建設するなど行政家としても、優れた名君であったようであります。
 このヒゼキヤの時代に、一度だけ一大国難に遭いました。それはアッスリヤの来攻です。その時ヒゼキヤはアッスリヤ王セナケリブに自分の王宮のみならず主の神殿の戸や柱より金などをはぎとって貢ぎ物としましたけれど、許されませんでした。そして、彼の治世の誇りであろうあの水道の傍らに立って、アッスリヤの使者はヒゼキヤとその神とその民を面罵するのでありますからたまりません。その時、彼とその国を救ったものは神であります。列王紀下18・19章を読むとよい。
 さて、当時のユダ王国の恐れる処は、北方の大国アッスリヤ、南方の大国エジプトであります。この二大国にはさまれて、どちらにつくともなくつかずともなく、日和見主義に生きたのが当時のユダの王たちであります。(つづく)
by hioka-wahaha | 2009-08-04 12:16 | 日岡だより
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