No.801 《聖書のことば》網の中の魚/シモンとガリラヤ湖のぬし 2017.5.21 

《聖書のことば》聖書暗記コースA~11
網の中の魚

あかし「イエスは彼らに言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』」
(マタイによる福音書四・19)
 
 イエスは比喩の名手です。漁師には、人間をとる漁師になれ、と言われます。羊飼いには、迷える羊の話などをします。商売人には宝を得るために、全財産を売る話をします。女にはパン種の話。百姓には種まきの話。そしてパリサイ人には汚れたる墓の話。
 さて、最後にあなたに一言。あなたは、漁師の網にかかる魚ではないでしょうか。神の網に生け捕られ、神の言で生かされるほかはない、あなたは魚(魚はギリシャ語で初代教会の信徒の象徴語でした)なのです。
(1980.6.15週報「キリストの福音」より)


〔童話ふうに……〕
シモンとガリラヤ湖のぬし
 
 その晩は、一晩中、シモンとアンデレの兄弟は、舟にのって網を打っていたのです。けれども、魚は一匹もとれないのでした。さて、その網というのは、投網(とあみ)といって、舟の上から水面にむかって、うまく放り投げると、網は大きなスカートのように、ぱっとひろがって水の中に沈んでいきます。それを片手でゆするようにして水面から引き上げながら、もう一つの手で繰り上げていくと、網の底の方に魚がつかまっている、といったようなものです。シモンたちの網はもう大分傷んでいましたが、それでも大切に扱うものですから、まだまだ相当使えそうでした。
 そこはガリラヤ湖という湖(みずうみ)でありました。イエス様の大好きな、きれいな湖でありますが、しかし、その底には、たくさんの汚(けが)れたものが沈んでいましてね(日本でも海の底はヨミといって死人の行く所と思っていたそうですが)。ガリラヤ湖の底の一番深いところに、実はガリラヤ湖のぬしがすんでいました。その主(ぬし)が、ガリラヤ湖中の魚や生きものを集めて、大会議をひらいていたのです。だから、シモンやアンデレがいくら網を打っても、魚はとれないはずですよね。
「おい、みなの者。この頃どうもいけないよ。ヨルダン川から流れこんでくる水に、あのおいしい汚れ物が少くなった。このままでは、みんな栄養不足になってしまう。あの川の水は、この頃、えらいキレイになってしまって、お互の体によくない」
「それは、王さま。イエスという人が、バプテスマを始めてからです。そのバプテスマの水が、すべて最近の悪いことの原因です」
「なるほど、それでよく分った。しかし、どうしたらいいだろう」
 ガリラヤ湖の底の国会は一向にはかどりません。その頃、シモンとアンデレは、もう漁をあきらめて、舟を陸にあげて、網を洗っていました。
「シモン君」
 はっとして声の方を見ると、シモンの舟にイエス様が乗りこんでいました。
「シモンよ、アンデレよ。あの海岸の大勢の人数を見給え。あの人達に神の国の話をしてやりたいのだ。私の伝道の加勢をしてくれたまえ。私をのせて、舟を、あの群衆の前の水面にこぎ出してくれたまえ。私は舟の中から、彼らに話をしてやりたいのだ」
 シモン兄弟は、今さら何を言えましょう。腹の中では少しは仏頂面でしたけれども、とにかく人目には喜んでイエス様の付人(つきびと)のようにして、舟をこいで皆の前に出たのです。みんなはざわめきました。
「おや、シモンとアンデレじゃないか」
 二人は顔をまっかにしました
 さて、しばらくしてイエス様のお話は終りました。たくさんの人だかりは消えて、舟にはシモンとアンデレが残りました。
「シモンたちよ、よいことを教えよう。引き網をもってきなさい。そして、あの一番水の深いところに行きなさい。網をできる限りひろくひろげて魚をとりなさい」
 山奥の村のナザレの大工であったというイエス様に、漁のことをかれこれ指図されるのは少し嫌でした。
「先生、ゆうべ一晩中かかっても一匹もとれなかったのですよ。しかし、先生のお言葉のとおりに引き網をもってきて、おろしましょう」
 その時、みなさん、湖の底ではガリラヤ湖中の魚たちが集って会議中でしたからね、魚はもちろんいっぱいとれました。シモンが、網を引いて最後を見ると、ギョロリと目をむいた、こわい、みにくい、ぬしのようなやつがシモンをにらみつけました。
「ひえーッ」
 シモンは自分の汚れ、罪、わるい所をみんな、にらみつけられたように思って、思わずイエス様にしがみついて、「許して下さい」と叫んだのでした。
(1980.6.15週報「キリストの福音」より)
 


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# by hioka-wahaha | 2017-05-27 19:02 | 日岡だより

No.800 《聖書のことば》パチパチ燃えよう/聖句暗記のおすすめ(9)/天の父、永遠の乳房 2017.5.14

《聖書のことば》聖書暗記コースA~10
パチパチ燃えよう

交わり「愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」
(ヘブル人への手紙一〇・24~25)
 
 ここで聖書が、信徒たちの定期的な集会を奨励している事はあきらかです。病気とか、任地の関係で参加することが困難な人に、無理に集まれ、と言っているのではありません。しかし出来る限り努力して日曜礼拝のみならず、それぞれの集会に出席しましょう。
 たきぎは一本では燃えにくい。二、三本、いやもっとたくさんだと、パチパチ威勢よく燃えます。あなたもパチパチ燃えて下さい。
(1980.6.8週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(9)

聖書の言葉をたくさん、あなたの心に貯えましょう(コロサイ三・16)
御言葉は神の民の攻撃的武器であります(エペソ六・17)

①御言葉はサタンを撃退する。
 イエス様がサタンの誘惑にあわれた時、つねに用いた武器。「聖書にこう書いてある」と言って、聖句を用いられました(マタイ四・四、七、一〇)。これは私たちに残された実際的教訓です。

②あなたの生涯を清め、罪を止めさせる。
 あなたがもし罪を犯そうとするなら、その時あなたの心の中にある御言葉は鐘をならして、あなたの良心に警告を発するでしょう。その上、又、あなたが積極的御言葉を告白しつづけるなら、悪を行わず、かえって善を行う精神力を奮起させてくれるでしょう(詩篇一一九・九、一一)。
 
③クリスチャンを更に教育、訓練、完成する。
 聖書は、神の人が、あらゆる良いわざを行えるよう、十分に準備され、完全に装備される為に、教育、訓戒、矯正、義人に仕立て上げる為、最も役立つ神の教具であるのです(第二テモテ三・一六、一七)。
 (1980.6.8週報「キリストの福音」より)



天の父、永遠の乳房
 
 明治、大正の讃美歌に次のようなのがあった。
 
一、花よりも愛(め)でにし わが子よ
  のこしし衣(ころも)だに いとなつかし
  たのみなき旅路を いずこに
  さまよえるか今は 花ちる暮(くれ)
 (おりかえし)
  わが子よわが子よ 速(と)く帰り
  心ゆく祈りを 共にせずや
 
二、かすむまで送りし わが子よ
  み空(そら)かける雁(かり)に 便り寄(よ)せよ
  たのみなき旅路を いずこに
  さまよえるか今は 月澄(す)む夜半(よわ)
 
三、神の使(つか)いと見し わが子よ
  汝(な)が父はおとろえ 母は老いぬ
  たのみなき旅路を いずこに
  さまよえるか今は 雪のあした
 
 遠くに出て帰らぬ子を恋うる歌として、日本人の心情にぴったりだから、よく歌われた。昭和六年改訂版で木岡栄三郎の曲になってからは、さっぱり歌われなくなり、現在の版ではとうとう歌詞の方も消えてしまった。残念である。明治版では、フォスターのスワニー河の曲でうたっていたのだが、子を想う情、いかにも切々としてよかった。別所梅之助の名訳である。
 この歌は、勿論、ルカ一五章の放蕩息子の物語を下敷にしている。しかし、人間の情が強すぎて、あの放蕩息子の物語りに出てくる父なる神の愛を表現できていない。そういう所が現在の讃美歌から追い出された原因かもしれない。
 親という字は、木の上に立って見る、と書く。家出した子を持つ親は、毎日、木の上に立って、かなたの道を待ち望む気持ちであろう。それと同じように、神は、十字架という木の上に立って、人類の帰ってくるのを待っている。
 万葉の歌人、山上憶良は歌う。
 
しろがねもこがねも玉も何せむにまされるたから子にしかめやも
 
 この親の愛に、神の姿の片影を見ることができる。イエスは、神を私の父と呼び、旧約聖書は永遠の乳房と呼んだ。この親のもとに帰ろう。
(1980.6.8週報「キリストの福音」より)















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# by hioka-wahaha | 2017-05-19 18:59 | 日岡だより

No.799 《聖書のことば》小さい群れよ/聖句暗記のおすすめ(8) 2017.5.7

《聖書のことば》聖書暗記コースA~9 
小さい群れよ

交わり「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」
(マタイ一八・20)
 
 イエス様は、他の所でこうも言っています。「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と。
 また、こうも言っています。「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである」と。
 強調点は、あなたがたであり、群れです。初代教会の特色の一つは、「ひたすらな信徒の交わり」なのでした。そこにキリストが生き、神の国があるのですから。
(1980.6.1週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(8)

この聖句の暗記はどのように役立つか
①伝道のとき、確信をもてる。
 友人に自分のイエス・キリスト様への信仰を証ししたい。そう思って必死になっても、もどかしいほど口は動かず、何を話してよいか分らない。こういう経験をされる方は多いでしょう。
 特に個人伝道は、決して容易なことではありません。しかし、やってみると案外にやさしいのです。それは、聖句を武器として持つことです。おどろくべき結果を得ます。多くの活動的クリスチャンが、主要聖句を暗記していたために、沈黙からまぬがれ、効果的な伝道(証し)ができた、という事を聞きます。聖書の御言葉自身に人の心を変える能力があるのです。
②あなたを力づける。
 暗記できた聖句を、夜ねる時、朝おきた時、朗々と暗唱してみて下さい。これを二、三日もつづける時、元気が出、不安がなくなっている自分を発見するでしょう。クリスチャンは時に砂をかむような霊的生活におち入り、あるいは罪に負ける事も多々あります。このようなサタンの勢力に対して勝利する為には、この聖句暗唱──つまりいつも申し上げる「御言葉の告白」が有力な一手段であります。
 (1980.6.1週報「キリストの福音」より)















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# by hioka-wahaha | 2017-05-19 16:40 | 日岡だより