No.797 《聖書のことば》あなたの人生に奇蹟を/聖句暗記のおすすめ(6)/私の信仰記(5) 生、それは悪か 2017.4.23

《聖書のことば》聖書暗記コースA~7 
あなたの人生に奇蹟を

祈り「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」(ヨハネ一五・7)
 
 一少女の言葉が、ある時、一瞬に青年の心をとらえ、その後の生涯を方向づけ、一生の活動エネルギーの源泉となる、というような「純愛物語」がよくある。(ダンテにおけるベアトリーチェのごとし)
 聖書の言葉(その片言隻句でも)が、聖霊によって心にとびこんでくる時、そしてその言葉が、こばみがたい定着力をもってあなたの魂にとどまる時、あなたの人生におどろくべき奇蹟がおこるであろう。
(1980.5.18週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(6)

 五月一一日の主日礼拝の証詞の時間に、O姉はこう証ししました。「記憶力のまったく零にひとしくなっていたと思っていた私が、先生の言われるとおり聖句暗唱をしていたら、どんどん覚えられるようになり、今ではほんのすこしの時間で覚えられるようになりました。聖書の言葉は、まことの食物です。これを食べて、血と肉にしましょう」。
 またS姉も言いました。「牧師先生が今、聖句暗唱を熱心に提唱されています。これには神様よりくる深い意味があるのだと思います。こうした教会の流れに乗って、スナオに実行すれば、それだけ得るものがあります。私は始めのうち、正直いってそれ程の効果を期待していなかったのですが、先生のおっしゃるとおりバカ正直に、手振り身振り詩篇を暗唱しているうちに、御言葉は血となり肉となり、私の全身全細胞が躍動しているような心地がしています。聖句暗記をぜひおすすめします。特に、体の所作をつける全身暗唱をおすすめします。」
 〔注意〕聖句暗記を律法的におすすめしているわけではありません。これをしなければ救われないとか、信仰が成長せぬとか、そんな事は絶対にありません。
 (1980.5.18週報「キリストの福音」より)


生、それは悪か
――私の信仰記(5)――
釘宮義人
 
 私の少年時代から青年期にかけて、二人の親友がいました。一人は安部君といって、胆力といい、とっさの判断力といい、交渉力、記憶力、すべて抜群。特務将校として平服でフィリピンに単身赴任、山下将軍の直属に入った、というきり、消息不明。今でも、どこからか、「よおっ」と現れてきそうで、私たちにそう思いこませている幻の怪物。もう一人は、荒巻君といって、これは女性的繊細さ、直感と詩情に富む天才児。彼は病を得て、父君の建ててくれた別府市山の手の別荘に、ばあやと二人で保養の生活。昭和十六年初夏の頃、私は彼を訪ねたのですが、その時、彼の様子がそれまでと一変していたのです。
「おい、人間はなぜ生きねばならぬのだろう。俺達は生きていれば生きている程、悪をおかす。今、死んでそれで、これまでの悪業がつぐなえるわけはないが、少なくともこれで悪業のピリオドを打つことはできる。人間は生きねばならぬ、ともかく生きているんだから……と、これを前提とする、生は善だという哲学ほど卑怯な考えはない。死こそ、善いことだ、こういう哲学が生れぬものかねえ」
 私は、その時、彼の内面におこっている葛藤の深刻さに驚倒しつつも、少年期をまだ脱せぬ若者の無頓着さで、答えたのです。
「そのような死の哲学が出来上がったら君、死ということの性質上、論文など書くヒマも見えも気負いもない、その人は、即刻死んでしまうじゃないか」
 その時、彼は黙っていました。そして私達は別れました。「おい、又会おう」。しかし、その夜、彼はガス管を引き込んで自殺したのです。
 彼の深刻な罪悪意識は、彼を遂に死においやりました。私の最後の言葉は彼の自殺行を更にドライブ・アップしたことでしょう。
 私は、その時まで少女趣味とも言うべき詩や小説をひねりまわしている文学青年でした。しかし、その時より、私は文学をすてました。生と悪と死の問題は、私の脳裏を四六時中離れませんでした。
 罪意識のゆえに死をさえ選んだ親友のきびしい人生感覚が私を圧倒して、罪意識に苦しむというよりは、私は自分の罪意識の浅薄さに苦しむという奇妙なことになって来ました。当時は戦争の時代です。私は生と死、罪と救いの問題を敬遠して、非戦主義と平和論に頭を没入させました。一つの逃避だったのです。そうして第一回の記事のような事になるのです。
(1980.5.18週報「キリストの福音」より)


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# by hioka-wahaha | 2017-04-30 22:00 | 日岡だより

No.796 《聖書のことば》繁栄の秘訣/無力の底で……/証しについて 2017.4.16

《聖書のことば》聖書暗記コースA~6 
繁栄の秘訣

みことば「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう」(ヨシュア一・8)
 
 これは詩篇第一篇と共に、人生繁栄の秘訣と、呼んでよい所です。
 スポーツをやる人は、正しい身のこなしでルールを正しく守って、勝利する。
 人生の競技場でも、正しいルールに従い、正確・迅速・力づよい身心のこなしが必要。そのためには、聖書を昼も夜も思う(新改訳では口ずさむ)のが最も身近で、たやすい訓練法です。聖句を暗唱しよう。
(1980.5.11週報「キリストの福音」より)


無力の底で・・・・・・

 神が生きていて下さる、という、
 これよりすばらしいことはない。
 私の身の周りに、何がおころうとも
 私は、神の御計画の中にある、という
 これにまさることはない。
 
 私の人生の過去も、未来も、すっかり、
 神の御手にゆだねてしまい、
 御心のままになるように、と祈るばかり。
 
 今、ここに在って、
 主の霊の力と愛が、上より溢れてくだる。
 私は、ただただ無力になって、
 主を仰ぎ、主にゆだねるばかりだ。
 
 私は、無力そのものだから、
 がんばらない、あせらない。
 流れる時間に身をゆだね、
 魂の主に、魂の行くてをゆだね、
 ささやかれる御ことばに
 一歩一歩、従うだけだ。
 それで効果があろうと、なかろうと、
 失敗であろうと、成功であろうと、
 人間の目に見える所に拘泥せぬ。
 無力な私は、しかり、
 今更、拘泥する余力もない。
 
 生かされて、生きている私は
 罪も過失も、今は神の忘却の中へ・・・・・・
 悔い改めも、つぐないも、
 かの篤信の人々のようには、
 私の力では、うまく行きませんでした。
 この最悪最低の人間を
 生かす力は、あなたの臨在なのです。
 
 私が悔い改めて、私が信じて、
 天国に行くような具合には、
 私は行きませんでした。
 私はただ、私にかわって、
 信じ、祈り、死に、生きて下さる、
 キリスト様、
 あなたを信じるのです。
(一九八〇・四・三〇・くぎみや・よしと)
 (1980.5.11週報「キリストの福音」より)
 
  
証詞について

 いつも、礼拝時には良い証詞をして下さって、感謝しています。特に、先週の聖日礼拝においては、ぞくぞくと七人の兄姉らが壇上に立たれ、それも皆、真摯な喜びと勝利にみたされた証詞で、本当にうれしかったのです。今後も、どんどん前に出て、皆さんの信仰の証し、神様への感謝、祝福と勝利の実例等を大胆に発表して下さい。(感想発表や研究発表といった形式にならぬよう、神様へのささげものと言った気持で、真剣な態度で語るのが好ましい)
 人数が多いと、時間をとられて礼拝時間ものびる可能性はありますが、心配せずに語って下さい。慣れないと、異常に短くて尻切れトンボになるか、同じ事をくり返してくどくなるか、どちらかになりやすいが、慣れぬ間は当然なことです。まず前に出ることに意義があり、次に心底を発表することに意義があります。遠慮せずに出て、あなたの証詞を神と会衆の前に発表しましょう。
 自分の証詞は、必ずあとでテープで何度も聞いて下さい。言いまわしのへたな所や、方言や文法は気にする必要なし。内容の貧しさ、表現の誇張、度のすぎた卑下、下品な笑い、不信仰な言葉、語り口に不平や空虚な感じ無きや等に耳をとがらせよ。(釘宮)
(1980.5.11週報「キリストの福音」より)


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# by hioka-wahaha | 2017-04-28 09:40 | 日岡だより

No.795 《聖書のことば》信仰生活を建て上げる為に/聖句暗記のおすすめ(5)/ 神の救出作戦 2017.4.9

《聖書のことば》聖書暗記コースA~5 
信仰生活を建て上げる為に

みことば「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(第二テモテ三・16)
 
 聖書の第一の目的は、「キリストについて証しする」ことにあると思います(ヨハネ五・39)。キリストという土台を抜きにしては、いくら善行愛業をはげんでも砂の上の家のように倒れ流される日が必ず来るのであります。
 しかし、キリストの証しが、あなたの霊に植えつけられているのなら、その上に健全な信 仰 生 活(クリスチャンライフ)を建て上げることができます。その時に必要な最大の設計書と手引書は、やはり神の霊感の書、聖書なのであります。
(1980.5.4週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(5)

 朝晩十分間、全身全霊で練習しよう。
 先週、礼拝のとき、証詞の時間にS姉が詩篇第一三九篇の暗唱をした。立木稠子さん主宰の心理音声学研究会でやっているパントマイムの訓練の成果で、みごとな手振り身振りつきの朗々たる暗誦である。前にも書いたが、この手振り身振りが良いのです。これは余分な負担になるどころか、かえって早く印象ぶかく覚えられるはずです。へたでよい、自由発想の身振りでよい、霊舞でもやるつもりで試みて下さい。もう一つ大事なことは、声。細々と遠慮した声でなく、堂々と腹の底から出る声で、朗々と練習して下さい。
 聖句暗記のために、夜寝る前に十分間、朝おきた時にもう一度十分間、時間を取って下さい。この間は精神を集中して下さい。精神集中ということは、ことばだけ聞くとむつかしく感じますが、具体的に実行すればかんたんです。要するに、聖句カードを手にした時、その聖句の意味を一句一句よく考え、味わいましょう。そして、目は文字を見る、指はその文字を追う。声を出して読み、その声を耳は聞く。その時、体をはずませ、首も振るようにしてリズムを取るのです。こうしてあなたの肉体、精神のすべてを使って覚えようと、心を方向づけるのです。実行してみて下さい。
 (1980.5.4週報「キリストの福音」より)


神の救出作戦
   ──カーター大統領への進言──
 
「そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった」(ヘブル二・17)
 昨日(四月二六日)の新聞によれば、アメリカがイランにおける人質救出作戦に失敗した、という大変衝撃的なニュースがありました。私は、こういう時、すぐ信仰的な事を考えてしまいます。
「さよう、このように、相当に訓練したはずの大国の軍隊でも失敗してしまう。しかし、神様は何事でも決して失敗なさらない」
 私たち人間は悪魔の手中に捕えられ、あたかも人質のごとく罪の中に呻吟していたが、神はその救出作戦に成功されたのだ。聖書はヘブル三・一七で「罪をあがなう」と書いてありますが、このあがなうという言葉は、ドレイを買いもどし捕虜を奪還するという言葉です。サタン(悪魔)のドレイであり捕虜であった私たちを救出するために、イエスは私たちと同じ姿となり傷を負われ、命をすて、地獄にまで侵入して、あらためて復活され(死の大王であるサタンに勝ったのです)天にがいせんされた。こうして、私たちはサタンの手中より解放されたのです。
 さて、そこで私はしろうとでありますが、声が届くならカーターさんにこう言いたいのです。
 カーターさん、大統領の地位はもう捨てる覚悟でいなさい。後事は、副大統領なり、政敵ケネディやリーガンさんにまかせて、あなては単身イランにとびなさい。人質の身代りになって、まず人質を解放させなさい。武器も護衛もつけず丸腰でホメイニやイランのトップに会いなさい。殺されれば殺されてもいいと覚悟しなさい。真実と愛をもって交渉しなさい。対イラン政策における、これまでのアメリカの罪も、あなたの正直に感じるまま(おどされ、妥協してではない)告白しなさい。かつて、チェンバレン英首相がヒトラー相手に人のいい交渉をしてウカウカと失敗した、あんな二の舞をする必要はない。アメリカの国益と世界の平和の為に充分腰の強い外交をしなさい。勝利しなさい。
 今あなたに必要な事は、この最大の非常事態にあたって、イエスのように十字架を自分の身に負い、罪人と同じ姿になって捕らわれの身となり、おのれの民を救い、命を捨てて敵に当ることです。
 カーターさん、あなたはすばらしいクリスチャンだそうです。私の言う処が分ってくれると思います。(一九八〇・四・二七テレホン聖書より 釘宮義人)
 (1980.5.4週報「キリストの福音」より)


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# by hioka-wahaha | 2017-04-21 19:57 | 日岡だより