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No.798 《聖書のことば》思いわずらう前に/聖句暗記のおすすめ(7)/私の信仰記(6)魂の泥沼・絶滅 2017.4.30

《聖書のことば》聖書暗記コースA~8 
思いわずらう前に

祈り「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」
(ピリピ人への手紙四・6~7)
 
 どんな小さな事でも、世俗的なことでも、卒直に神様に祈りなさい。思いわずらう前に祈りはじめなさい。具体的に問題をぶちまけて、神様に子どものようになって訴えなさい。それでも心に平安が来なかったら、再び祈りなさい。何度でも祈りなさい。神様の前ではかみしもをぬいで遠慮せずに語りなさい。
(1980.5.25週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(7)

 この「聖句暗記のおすすめ」も、早いものでもう七回目になってしまいました。こんなにくどく書きつづけると、これまで聖句暗記に取り組んでいなかった人々や、一度やりかけて途中で挫折した人々には、この欄が重荷になりはせぬか、やる気もなくしてしまいはせぬかと心配になり始めました。
 人生、挫折する時がよくあります。一心貫徹式の人生指導書や、実践力行型の伝記類にはげまされるのはよいが、遂に気押されてしまって、「自分はあんなことはできません。あの人達は特別です。私は、平凡ないや劣等型の人間です。到底、あんな事は出来ません」と、ひらたくなってしまって、一切の努力を放棄してしまう人が多いのです。
 私は元来、薄志弱行で三日坊主の熱しやすくさめやすいタイプですから、その気持がよく分ります。こんな時必要な事は、何度失敗・挫折しても、こりずに厚かましくもう一度やり始めることです。自分を責めず失敗にこりず、何度でもやりなおすのです。このコツを掴むと、万事、性格矯正が楽になります。
 一度やりかけて挫折し、忘れ果てていると思っていた事を(聖句でも他の勉強や技術でも)、やり直し始めると、その時突然思い出して、あらためてしっかり身につくことを経験する人は多いはずです。
 (1980.5.25週報「キリストの福音」より)
 


魂の泥沼・絶滅
――私の信仰記(6)――
釘宮義人 
 
 この連載ものの第一回目、その終りの所にちょっぴり書いた、私の獄中回心記を、もう一度振り出しにもどって、くわしく書いてみましょう。
 一九四四(昭和一九)年一一月一九日(日)、その日は刑務所用語でいう免業日で、仕事が休みです。独居囚人にとっては、仕事のあるほうが余程うれしいのですが、その日ばかりは私はホッとしました。どんなかんたんな仕事でもする気はせず、出来る事なら食事も休みたいくらいでした。
 その日、聖霊は私の魂に、照準をあてていたに違いありません。そして、御言葉を私の脳中めがけて発射したのでしょうか、この御言葉です。
「人の義とせらるるは……、唯キリスト・イエスを信じる信仰に由るを知りて、キリスト・イエスを信じたり」(ガラテヤ二・16)
 その時、この御言葉が、私を生かしも殺しもするという予感がしました。私は神に義とされたいのでした。あの荒巻君の自殺によって触発された私の罪意識は、しだいに私の魂をおおい始めていました。私は、私の罪の性質に目を開かれて苦しみました。虚勢をはる心や、性欲が最も自分を苦しめたのでした。その上、人におびえ、その恐怖心が居直ると、今度は逆に自暴自棄になって神冒涜の思いや言葉が出てくる。しまいには妙な精神障害さえおこってくる。私は魂の泥沼の中であがきもだえました。
 先程の聖書の言葉、ガラテヤ二・一六の前半「人の義とせらるるは……、唯キリスト・イエスを信じる信仰に由るを知りて」の知りてという言葉が、私にとり象徴的でした。たしかに、私はキリスト教の教理を大体正確に知っていました。現在の私のもっている教理の知識の大半は、その時に得たものです。それは知性による知識収集であり、単に普遍的な真理としての承認にすぎなかったのであります。
 そこで、私の問題は、それが「私の事」として信じられない、という点にあります。人様のこととしては承認できますが、いざ自分のこととしては、あてはめられない。結局「自分はこの救の真理を信じていないのだ」と自認するほかない。丸一日、汗びっしょりかいて考えぬいて、その結論を出しました。そのとたん、私の魂は地獄にころげおち、地獄の火が地面を割り獄舎の床をわって燃え上がってくるのを見ました。石原兵永の言う「絶滅」であります(同氏「回心記」八八頁を参照)。その絶望のまま四日間すぎました。
(1980.5.25週報「キリストの福音」より)













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by hioka-wahaha | 2017-04-30 23:00 | 日岡だより

No.797 《聖書のことば》あなたの人生に奇蹟を/聖句暗記のおすすめ(6)/私の信仰記(5) 生、それは悪か 2017.4.23

《聖書のことば》聖書暗記コースA~7 
あなたの人生に奇蹟を

祈り「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」(ヨハネ一五・7)
 
 一少女の言葉が、ある時、一瞬に青年の心をとらえ、その後の生涯を方向づけ、一生の活動エネルギーの源泉となる、というような「純愛物語」がよくある。(ダンテにおけるベアトリーチェのごとし)
 聖書の言葉(その片言隻句でも)が、聖霊によって心にとびこんでくる時、そしてその言葉が、こばみがたい定着力をもってあなたの魂にとどまる時、あなたの人生におどろくべき奇蹟がおこるであろう。
(1980.5.18週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(6)

 五月一一日の主日礼拝の証詞の時間に、O姉はこう証ししました。「記憶力のまったく零にひとしくなっていたと思っていた私が、先生の言われるとおり聖句暗唱をしていたら、どんどん覚えられるようになり、今ではほんのすこしの時間で覚えられるようになりました。聖書の言葉は、まことの食物です。これを食べて、血と肉にしましょう」。
 またS姉も言いました。「牧師先生が今、聖句暗唱を熱心に提唱されています。これには神様よりくる深い意味があるのだと思います。こうした教会の流れに乗って、スナオに実行すれば、それだけ得るものがあります。私は始めのうち、正直いってそれ程の効果を期待していなかったのですが、先生のおっしゃるとおりバカ正直に、手振り身振り詩篇を暗唱しているうちに、御言葉は血となり肉となり、私の全身全細胞が躍動しているような心地がしています。聖句暗記をぜひおすすめします。特に、体の所作をつける全身暗唱をおすすめします。」
 〔注意〕聖句暗記を律法的におすすめしているわけではありません。これをしなければ救われないとか、信仰が成長せぬとか、そんな事は絶対にありません。
 (1980.5.18週報「キリストの福音」より)


生、それは悪か
――私の信仰記(5)――
釘宮義人
 
 私の少年時代から青年期にかけて、二人の親友がいました。一人は安部君といって、胆力といい、とっさの判断力といい、交渉力、記憶力、すべて抜群。特務将校として平服でフィリピンに単身赴任、山下将軍の直属に入った、というきり、消息不明。今でも、どこからか、「よおっ」と現れてきそうで、私たちにそう思いこませている幻の怪物。もう一人は、荒巻君といって、これは女性的繊細さ、直感と詩情に富む天才児。彼は病を得て、父君の建ててくれた別府市山の手の別荘に、ばあやと二人で保養の生活。昭和十六年初夏の頃、私は彼を訪ねたのですが、その時、彼の様子がそれまでと一変していたのです。
「おい、人間はなぜ生きねばならぬのだろう。俺達は生きていれば生きている程、悪をおかす。今、死んでそれで、これまでの悪業がつぐなえるわけはないが、少なくともこれで悪業のピリオドを打つことはできる。人間は生きねばならぬ、ともかく生きているんだから……と、これを前提とする、生は善だという哲学ほど卑怯な考えはない。死こそ、善いことだ、こういう哲学が生れぬものかねえ」
 私は、その時、彼の内面におこっている葛藤の深刻さに驚倒しつつも、少年期をまだ脱せぬ若者の無頓着さで、答えたのです。
「そのような死の哲学が出来上がったら君、死ということの性質上、論文など書くヒマも見えも気負いもない、その人は、即刻死んでしまうじゃないか」
 その時、彼は黙っていました。そして私達は別れました。「おい、又会おう」。しかし、その夜、彼はガス管を引き込んで自殺したのです。
 彼の深刻な罪悪意識は、彼を遂に死においやりました。私の最後の言葉は彼の自殺行を更にドライブ・アップしたことでしょう。
 私は、その時まで少女趣味とも言うべき詩や小説をひねりまわしている文学青年でした。しかし、その時より、私は文学をすてました。生と悪と死の問題は、私の脳裏を四六時中離れませんでした。
 罪意識のゆえに死をさえ選んだ親友のきびしい人生感覚が私を圧倒して、罪意識に苦しむというよりは、私は自分の罪意識の浅薄さに苦しむという奇妙なことになって来ました。当時は戦争の時代です。私は生と死、罪と救いの問題を敬遠して、非戦主義と平和論に頭を没入させました。一つの逃避だったのです。そうして第一回の記事のような事になるのです。
(1980.5.18週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2017-04-30 22:00 | 日岡だより

No.796 《聖書のことば》繁栄の秘訣/無力の底で……/証しについて 2017.4.16

《聖書のことば》聖書暗記コースA~6 
繁栄の秘訣

みことば「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう」(ヨシュア一・8)
 
 これは詩篇第一篇と共に、人生繁栄の秘訣と、呼んでよい所です。
 スポーツをやる人は、正しい身のこなしでルールを正しく守って、勝利する。
 人生の競技場でも、正しいルールに従い、正確・迅速・力づよい身心のこなしが必要。そのためには、聖書を昼も夜も思う(新改訳では口ずさむ)のが最も身近で、たやすい訓練法です。聖句を暗唱しよう。
(1980.5.11週報「キリストの福音」より)


無力の底で・・・・・・

 神が生きていて下さる、という、
 これよりすばらしいことはない。
 私の身の周りに、何がおころうとも
 私は、神の御計画の中にある、という
 これにまさることはない。
 
 私の人生の過去も、未来も、すっかり、
 神の御手にゆだねてしまい、
 御心のままになるように、と祈るばかり。
 
 今、ここに在って、
 主の霊の力と愛が、上より溢れてくだる。
 私は、ただただ無力になって、
 主を仰ぎ、主にゆだねるばかりだ。
 
 私は、無力そのものだから、
 がんばらない、あせらない。
 流れる時間に身をゆだね、
 魂の主に、魂の行くてをゆだね、
 ささやかれる御ことばに
 一歩一歩、従うだけだ。
 それで効果があろうと、なかろうと、
 失敗であろうと、成功であろうと、
 人間の目に見える所に拘泥せぬ。
 無力な私は、しかり、
 今更、拘泥する余力もない。
 
 生かされて、生きている私は
 罪も過失も、今は神の忘却の中へ・・・・・・
 悔い改めも、つぐないも、
 かの篤信の人々のようには、
 私の力では、うまく行きませんでした。
 この最悪最低の人間を
 生かす力は、あなたの臨在なのです。
 
 私が悔い改めて、私が信じて、
 天国に行くような具合には、
 私は行きませんでした。
 私はただ、私にかわって、
 信じ、祈り、死に、生きて下さる、
 キリスト様、
 あなたを信じるのです。
(一九八〇・四・三〇・くぎみや・よしと)
 (1980.5.11週報「キリストの福音」より)
 
  
証詞について

 いつも、礼拝時には良い証詞をして下さって、感謝しています。特に、先週の聖日礼拝においては、ぞくぞくと七人の兄姉らが壇上に立たれ、それも皆、真摯な喜びと勝利にみたされた証詞で、本当にうれしかったのです。今後も、どんどん前に出て、皆さんの信仰の証し、神様への感謝、祝福と勝利の実例等を大胆に発表して下さい。(感想発表や研究発表といった形式にならぬよう、神様へのささげものと言った気持で、真剣な態度で語るのが好ましい)
 人数が多いと、時間をとられて礼拝時間ものびる可能性はありますが、心配せずに語って下さい。慣れないと、異常に短くて尻切れトンボになるか、同じ事をくり返してくどくなるか、どちらかになりやすいが、慣れぬ間は当然なことです。まず前に出ることに意義があり、次に心底を発表することに意義があります。遠慮せずに出て、あなたの証詞を神と会衆の前に発表しましょう。
 自分の証詞は、必ずあとでテープで何度も聞いて下さい。言いまわしのへたな所や、方言や文法は気にする必要なし。内容の貧しさ、表現の誇張、度のすぎた卑下、下品な笑い、不信仰な言葉、語り口に不平や空虚な感じ無きや等に耳をとがらせよ。(釘宮)
(1980.5.11週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2017-04-28 09:40 | 日岡だより

No.795 《聖書のことば》信仰生活を建て上げる為に/聖句暗記のおすすめ(5)/ 神の救出作戦 2017.4.9

《聖書のことば》聖書暗記コースA~5 
信仰生活を建て上げる為に

みことば「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(第二テモテ三・16)
 
 聖書の第一の目的は、「キリストについて証しする」ことにあると思います(ヨハネ五・39)。キリストという土台を抜きにしては、いくら善行愛業をはげんでも砂の上の家のように倒れ流される日が必ず来るのであります。
 しかし、キリストの証しが、あなたの霊に植えつけられているのなら、その上に健全な信 仰 生 活(クリスチャンライフ)を建て上げることができます。その時に必要な最大の設計書と手引書は、やはり神の霊感の書、聖書なのであります。
(1980.5.4週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(5)

 朝晩十分間、全身全霊で練習しよう。
 先週、礼拝のとき、証詞の時間にS姉が詩篇第一三九篇の暗唱をした。立木稠子さん主宰の心理音声学研究会でやっているパントマイムの訓練の成果で、みごとな手振り身振りつきの朗々たる暗誦である。前にも書いたが、この手振り身振りが良いのです。これは余分な負担になるどころか、かえって早く印象ぶかく覚えられるはずです。へたでよい、自由発想の身振りでよい、霊舞でもやるつもりで試みて下さい。もう一つ大事なことは、声。細々と遠慮した声でなく、堂々と腹の底から出る声で、朗々と練習して下さい。
 聖句暗記のために、夜寝る前に十分間、朝おきた時にもう一度十分間、時間を取って下さい。この間は精神を集中して下さい。精神集中ということは、ことばだけ聞くとむつかしく感じますが、具体的に実行すればかんたんです。要するに、聖句カードを手にした時、その聖句の意味を一句一句よく考え、味わいましょう。そして、目は文字を見る、指はその文字を追う。声を出して読み、その声を耳は聞く。その時、体をはずませ、首も振るようにしてリズムを取るのです。こうしてあなたの肉体、精神のすべてを使って覚えようと、心を方向づけるのです。実行してみて下さい。
 (1980.5.4週報「キリストの福音」より)


神の救出作戦
   ──カーター大統領への進言──
 
「そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった」(ヘブル二・17)
 昨日(四月二六日)の新聞によれば、アメリカがイランにおける人質救出作戦に失敗した、という大変衝撃的なニュースがありました。私は、こういう時、すぐ信仰的な事を考えてしまいます。
「さよう、このように、相当に訓練したはずの大国の軍隊でも失敗してしまう。しかし、神様は何事でも決して失敗なさらない」
 私たち人間は悪魔の手中に捕えられ、あたかも人質のごとく罪の中に呻吟していたが、神はその救出作戦に成功されたのだ。聖書はヘブル三・一七で「罪をあがなう」と書いてありますが、このあがなうという言葉は、ドレイを買いもどし捕虜を奪還するという言葉です。サタン(悪魔)のドレイであり捕虜であった私たちを救出するために、イエスは私たちと同じ姿となり傷を負われ、命をすて、地獄にまで侵入して、あらためて復活され(死の大王であるサタンに勝ったのです)天にがいせんされた。こうして、私たちはサタンの手中より解放されたのです。
 さて、そこで私はしろうとでありますが、声が届くならカーターさんにこう言いたいのです。
 カーターさん、大統領の地位はもう捨てる覚悟でいなさい。後事は、副大統領なり、政敵ケネディやリーガンさんにまかせて、あなては単身イランにとびなさい。人質の身代りになって、まず人質を解放させなさい。武器も護衛もつけず丸腰でホメイニやイランのトップに会いなさい。殺されれば殺されてもいいと覚悟しなさい。真実と愛をもって交渉しなさい。対イラン政策における、これまでのアメリカの罪も、あなたの正直に感じるまま(おどされ、妥協してではない)告白しなさい。かつて、チェンバレン英首相がヒトラー相手に人のいい交渉をしてウカウカと失敗した、あんな二の舞をする必要はない。アメリカの国益と世界の平和の為に充分腰の強い外交をしなさい。勝利しなさい。
 今あなたに必要な事は、この最大の非常事態にあたって、イエスのように十字架を自分の身に負い、罪人と同じ姿になって捕らわれの身となり、おのれの民を救い、命を捨てて敵に当ることです。
 カーターさん、あなたはすばらしいクリスチャンだそうです。私の言う処が分ってくれると思います。(一九八〇・四・二七テレホン聖書より 釘宮義人)
 (1980.5.4週報「キリストの福音」より)


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by hioka-wahaha | 2017-04-21 19:57 | 日岡だより

No.794 《聖書のことば》御ことばを貯えよ!/聖句暗記のおすすめ(4)/私の信仰記(4)入る息に、呼く息に 2017.4.2

《聖書のことば》聖書暗記コースA~4 
御ことばを貯(たくわ)えよ!

キリストへの服従「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」(ヨハネによる福音書一四・21)
 
 子はだれでも父を愛します。それが本性というものです。しかし、父の言葉を聞かず、これを守らないものは、しだいに父を遠ざかり、父を愛することが苦しくなります。そして本来愛すべき父もにくらしく思え、父の愛は又かえって怒りに見えてきます。
 キリストの言葉を聞き、これを心に貯えなさい(コロサイ三・16)。御言はこうじ菌のように発酵して、あなたの心を変えます。
(1980.4.27週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(4)

 心を変えよ
 記憶力のことについて、もう一つ言いそえます。これまで記憶力が悪いと思っていた人の多くは、記憶することを大儀なことだと思って、記憶しようとする意志を投げすてていたにすぎないのです。悔い改めて(心の向きをかえる)、「必ず覚えよう」と心の態度をかえなさい。祈って喜んで、記憶カードに向いなさい。決して、大変容易であるとは保証しませんが、案外たやすく覚えられるものです。
 聖句暗記は神のご命令である。
 申命記六・六を見て下さい。「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め」。新改訳では「……あなたの心に刻みなさい」。つづく同章七節、八節では、これらの御言を子どもに教え込み、家でも道でも唱えなさい。これをしるして手にむすび、額におき、門や柱にしるしなさい、などと念には念を入れて、教えてくれています。
 聖句を暗記することは、神様の御心であり、命令であります。そして、その暗記するための方法(心に刻み、教え、口に唱え、手にカード、壁や柱に聖句色紙等)さえ具体的に教えてくれているのです。
 (1980.4.27週報「キリストの福音」より)


入る息に、呼く息に
――私の信仰記(4)―― 
釘宮義人 
 
 昭和一九年二月、私は大分刑務所より福岡刑務所へ押送(当時の行刑用語)されました。大分検事局で、「お前のような非国民は刑務所に送って使い殺してやる」と検事にどなられましたが、いよいよその本番の刑務所行きでしょうか(大分の刑務所は当時は小さくて、仮収容所という感じでした)。
 青色の囚人服(獄中では普通赤着物です。外に出る時は青着物をくれます。青色の方が、少しは位が上なのです)を着て、顔を寒風にさらして、生れ故郷の大分駅のプラットホームに立つことは、さすがにつらい事でした。たまたま、同町内で顔見知りの婦人がホームにいて、刑縄につながれている私を見て見るに忍びなかったのでしょう。顔をそむけてくれました。
 しかし、汽車に乗って連れられていく囚人の心は、存外恥かしさも忘れて嬉しいものであります。それ程外の様子がなつかしいのです。一つには、囚人というドン底の位置に据えられると、人間は居なおったように腰もすわるという事ですね。パウロの言う「キリストの囚人」という時、どこかそれに似た感慨があると思います。
 さて、福岡の刑務所にきた私は、本来厳正独居房に入れられるべきだったんでしょうが、一時あやまって雑居房(囚人が八人から十数名くらい収容されている)に入れられ、そこから昼間は工場に行く(刑務所用語で、おりる、という)のです。工場では、最初軍用の落下傘に使うズック地の袋縫い、次に飛行機製造用のジュラルミンのナットの修正作業でした。作業台のそばに立って、今にも崩れおちてヘタヘタと坐りこみそうな、空腹と衰弱の故に、私は目も舞いそうでした。
 私はその時、橋本鑑という牧師の「福音的称名序説」という本を思い出しました。それは仏教の念仏のように「インマヌエル・アーメン」と主の御名を呼び求めるという、とてつもない教えでした。私は後年、一燈園に行って、そこの鈴木八重造さんに会って、当初橋本先生が、その「称名的キリスト信仰」に入るきっかけになった人物の事などを聞きました。ともかく、私は監視のきびしい行刑工場の中で一瞬一瞬吸う息にキリストを念じ、呼く息に御名を呼びました。そのようにして一ヶ月ほどした時、担当看守が私を呼びました。
 「お前は変っとるのう、今日から役付にしてやる」
 雑役囚をとびこえて平の囚人の人事(?)を看守が扱うのは珍しい事です。ともあれこうして、私は役付(食事がふえる役得あり)になったのでした。
 (1980.4.27週報「キリストの福音」より)
 


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by hioka-wahaha | 2017-04-14 15:01 | 日岡だより