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No.605 卓話寸言(1972.9.6「大分通信」No.8より) 2013.8.18

卓話寸言(1972.9.6「大分通信」No.8より)
 
 旧盆の日に、伊勢神宮に行った。若い時はケッペキだったから神社参拝などしなかった。それで、伊勢神宮もはじめてである。とうとう詣でずじまいだったが、別に偶像礼拝にこだわったわけではない。却って、あまりに不敬非礼の日本人の参詣人(?)が多すぎて、人ごみに押されつい参拝できなかったのである。また、それを押して柏手しなければ気がすまぬ程の敬神家(?)でもない。
 ただし、質素な本殿は気に入った。これでは、豪壮なカトリック宮殿もイスラム神殿も争いのしようがない。荒野の幕屋とソロモンの神殿の格差である。次元がちがう。本当に日本人の心の里家らしい。スナオに喜びたい。
      *      *
 新聞は偏向していると言った佐藤前首相の言葉は半ば正しい。中国問題については、大新聞はあきらかに、中共に迎合している様に見える。戦時中は軍部に、終戦後はGHQに、そして今中共にあらがい得ない大新聞に、私はツバをひっかけたいくらいだ。
 しかし、これは新聞資本の罪ではない。ひっきょうすれば我々の罪だ。
 二〇〇円の合成洗剤は、その海や川に流れ出して以後の処理費を計算に入れると三七〇円になる。原価計算に公害処理費を入れなくてすむ今の経済体制に問題がある。企業に良心や思いやりが入りこめない経済システムに問題がある。それをなりたたしめている人間の手前勝手に問題がある。
 新聞も公害も、問題解決のキイは一人一人の(余の人に非ず)「私」にあるようだ。
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 あまり人心を刺激するようなことは書きたくないが、今日のニュースによると、我が子を保険金をかけて殺した父親がいる。これを人非人といえばそれまでで、又当然の評であろう。
 しかし、これは第一にかくも人間を劣等化せしめる企業精神(この父親は中小企業のおやじで倒産したのである)の恐ろしさ。第二に誰でも一度くらいは我が子が死んでくれたらと思った事のない人はあるまい(というイヤーな推測)。第三には我が子を忠義と引きかえに見殺しにした政岡、戦争に子供を行かせて「御国の為」とガマンした戦時の親たち、一家の安全と引換えに幼児を殺した終戦時の苛烈な引揚げグループ、これらと比べあわせて、この男を悪いと責めつけるのは、親分の為に選挙違反を買ってでた男がドロボーを責めるようなもので、無理もないが引っかかる処もある。以上のような事をフト考えた。読者いかん?
     *      *
 「退くもまた佳し」
 といわれたのはおシャカ様だ。御説教が矛盾にみちていると感じて聴衆の半分が座を退いた。その時言った言葉である。負けおしみでも捨てぜりふでもない。
 説教者が真に神の言を語る時、それを聞いてそこに残るも、聞く耳持たずして他に去っていくとも、共にそれはその人にとり、その時最善のことである。残念だがそうである。イスカリオテのユダがイエスを売って首をくくるのも最善である。
 右のような種類の言葉を、ツマヅキの言と云う。これで聴衆の半ばが去る。これまた佳し。呵々。(つづく)
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by hioka-wahaha | 2013-08-28 09:10 | 日岡だより

No.604 卓話寸言(1972.7.22「大分通信」No.7より) 2013.8.11

卓話寸言(1972.7.22「大分通信」No.7より)
 
 (つづき)
 理不尽な親に育てられてひねくれた非行少年に転落した彼は、自分に目ざめた時、親を責める前に、己れを責めねばならぬ。そして情として理不尽な親を理解(?)し愛しつつも、自分につづく弟や妹の為に親を責める。同様に、市民運動、労働運動、民族運動のリーダーたちよ、あなた方は自分の心の回復に目ざめねばならぬ。
 そのようにして、自然の基盤は、人の心にある。人民がかわると自然はかわる。
 海浜の埋立反対もよろしい。しかしそれ以上に大事なのは、民衆すべてが土に帰ることだ。学校を木で建てよう。かべを土でぬろう。屋根を草でふこう。石油と石油製品をすてよう。鉄とアルミをすてよう。車をやめよう。下駄で歩こう。
 国民全体が鉄と石油で象徴されるような物質的繁栄にあこがれている間は、公害はつづく。
 日本が、世界に誇って繁栄せしめ得る産業は何か。自然を鑑賞する生活、人間の内なる力を開発する教育、人間の精神を平安ならしめる禅的道場、そういう一連の精神的ハイレベルなメソッドについてのノウハウだ。我々はこれまで、機械、化学産業におけるノウハウしか商売として知らなかった。これからの我は、魂と心と精神におけるノウハウを輸出産業たらしめ得ないか。
 これこそ、世界に冠たる日本の途である。
      *      *
 友よ!
 明日にむかって前進せよ。
 みじめな自分をみつめるな。
 いいかげんな線で妥協して、自分をこの世に売りわたすな。
 孤立を恐れるな。
 理解者が一人でもいてくれると思うな。
 少数者バンザイ!
 単独者バンザイ!
 自分の影を後にして
 歩こう、歩こう
     *      *
 一年生から二年にすすむようにかわるのじゃない。
 中学校から自衛隊に行くようにかわるのです。
 店員から絵かきにかわるようにかわるのです。
 同じ直線上にかわるのじゃない。ポイ、ポイと、宇宙をかわるようにかわるのです。
 そのように人の一生を何度か転回せぬと、人間は頑固になってしまって、しまいには生命を失いますネ。
      *      *
 信仰は人のことではない。自分のことです。
 信仰はメシのことではない。イノチのことです。
 信仰は今日のことです。余の日ことではない。
 今、ここに立つ自分を見つめる。ここに生きている自分がある。一人ぼっちだが孤独ではない。目に見えぬ宇宙的連帯を自覚する時、そこに信仰がある。(終わり)
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by hioka-wahaha | 2013-08-20 16:28 | 日岡だより

No.603 卓話寸言(1972.7.22「大分通信」No.7より) 2013.8.4

卓話寸言(1972.7.22「大分通信」No.7より)
 
 若い人の、時間の浪費を見ていると、見ておられない。
 余程、口を出そうかと思うが、言っても分るまいと黙ってしまう。私達も若い時、ああだったのだなア。
   *         *
 悲しい人、淋しい人、苦しい人。
 目を上げよ。
 自分を世界にただ一人しかいない貴重な人間だと悟れ。
 無生物の時代から、ここまで生きてきたエリートなのだと自覚せよ。
 偉大なる「我」に目ざめよ。
   *         *
 現代のような、生きやすい気楽な時代は、人間の歴史上、かって一度も無かったのではないか(水俣病やカネミ油症の人を思うと余りにノンキな口調で気がひけるが)。
 この時代に、泣き言、くり言を言っているのはメメしい限りだ。
 人類の原始時代を思え。戦国時代を思え。今のような自由、今のような豊かさはまず無かったろう。
 人間は、そういう苦難の時代にあってライオンの如く強く、また亀のごとく忍耐ぶかく生きてきた。今の人間は、ちょっとの権力干渉にもおびえ、少しの貧しさにもたえ切れず、足なえた羊のように、土の中のみみずのように生きる。そして、住宅と電気製品をほしがる。
 よしておくれ。人間はもっと雄々しく生きていけるのだよ。
   *         *
 「正義の味方! ××マン」氏が数多くTVに出場なさる。すべて世界の平和や正義を語る。つよい悪魔が出てくる。正義が負けそうになる。そこで「正義の味方」氏はやおらヘンシンして何万馬力の力で悪に勝つ。正義はやはり、「力」が無いとダメという設定。こうして、暴力讃美、「核」的破壊力謳歌のソングが流れる。この平和日本の全土に………、ああ。
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 東京に空はない!
 と智恵子は言った。狂える心は、東京の未来を先見していた。狂える眼が正しくて、正気の心が狂っている。
 自然があらされると言って、自然を補修してまわっても追いつかないほど、人民の心があらされている。
 家庭の衛生がわるいから不健康児ができたと言って、家の衛生環境をなおせば、体の健康は取りもどせる。しかし、子供の心がむしばまれた時、環境をなおすよりもその心を再建させる方が急務である。環境を被害者自身の力でつくりかえる程の回復が必要である。消費者連盟などの役員に不明朗な会計事件がおこったりするとその事を思う。そういう不純な生きざまにすぐ転落しやすい心の弱さを、彼らは被害者としてつくられている。
 それは、自動車・テレビの欠陥よりも、まだこわい。自動車やテレビの欠陥は加害者に批難攻撃をあびせ弁償を求め得るが、心をやられている被害者は、加害者にウップンをはらす前に、自分の心を再建せねばならぬ。(つづく)
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by hioka-wahaha | 2013-08-14 08:13 | 日岡だより

No.602 富に仕えず 2013.7.28

富に仕えず(1972.6.24「大分通信」No.5より)
 
 「金と富とに兼ね仕うること能わず」と言うのは、本当のことと思います。しかし、「気に入らぬものは切り捨てごめん」というように(赤軍派の諸君の如し)、「私は神に仕える、金の事はいっさい知らん」という切り捨て論法で、果して世の中を渡れるだろうか。
 イエス自身、集団の会計をユダにまかせていました。金を捨てはしませんでした。イエスは、金にツカエませんで、金をツカイました。
 狂信的に金と縁を切るというても、それは金にまつわるキタナイ仕事を人にさせて、彼はそのあぶくを吸うて生きていくという事になってしまう。
 昔、竹林の七賢人は世俗を逃れて山中にイントンしました。現代の社会ではそんな事は許されません。戦争中の私が一番困ったのはその事でした。近代国家は、戦争する時、総力戦というヤツをやるので、百姓していても魚つりしていても戦争協力になってしまいます。本当に戦争に協力せぬ為には死ぬより他はありません。
 今の経済的社会はそれによく似ています。金の影響から離れて生きていくなど、グァム島の横井庄一さんででもなければ本当に不可能です。「俺は絶対金に仕えない」と気張って生きるより、「金になめられず」「金をだましだまし」「できるだけ金に毒されず」「時に汚れた時は、ためらわずてれず手を洗ってもう一度」「金を支配する」途を探す事の方が可能だし、大事だと思います。
 但し、人それぞれに、気質・器量・縁があるので、黄金公害に濃くそまる人、浅くつきあう人いろいろでしょうが、互に批判し又、いばる事はありますまい。ただ、導かれるままに、ある人は聖人乞食の如く、ある人は俗人拝金者の如く、使命に従って生きるべきだと思います。
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by hioka-wahaha | 2013-08-03 21:50 | 日岡だより