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No.571 はじまりのことば 2012.12.23

「心に満つるより」No.1

はじまりのことば  

 「心に満つるより口はもの言うなり」(ルカ6:45)
 この聖句は青年時の私にとって一転語となった句だ。
 この聖句が、私の心にとびこんできた時、私はこううけとめたのだ。
 私が、本心からとは言えそうもない軽はずみな言葉で「神さま!」と呼んだり、「あなたを信じます」と言ったりした時、その言葉は正しくバチあたりな偽善語であるのだけれども、尚かつそれがイエスの側から見れば真実語であって、正しくその表面語のとおりに心の中身もそうなのだとイエスは証明される。この際、人間の思いよりも神の思いがかしこく私の反省よりもイエスの保証の方が正しいと、ピタリ私の内心が納得する時、私の内側に信仰がおこるのである。
 溢れでる表面語が表面意識をこえて、深層意識を示しているとするフロイド流の把握もさることながら、イエスのこの言葉はそういう単なる解析や治療ではない、聖なる創造行為を私の内におこしたのである。
 私のこの雑誌は、伝道誌でもなければ聖書研究誌でもない。
 私のこころにみつる事の溢れでる一端である。私の人生の道程における一歩一歩の嘆息や賛美の跡である。人さまに見せる程の事もないと思われるが、まだ至らぬ心の軌跡もあるいは求道の人々の参考の一つになるかもしれない。そう思って、気張らずに書くつもりである。私の「雑誌三号」は有名であって、ひどい時は1号で終わる。
 気分がかわってしまって、同じ誌名、同じスタイルでつづけられなくなるのである。それで今度はよほど「名の無い雑誌」という雑誌にしようかと思ったくらいである。誌名がしょっちゅうかわる「雑誌」―――そういう仕組みで、この雑誌をはじめるのである。(くぎみや・よしと)

剥脱の日記   

    はじめに

 美しい日記帖ではあるが、あまりに美しくて使うのがおしいのでこれまで打ち捨てておいたこの日記帖である。この日記帖(ある商社がくれたスケジュールノートである)を、今日ひっぱり出して、あらためてノート風に書き始めてみようと思う。「'73雑記帖」である。今日は、四月十三日、金曜日。西洋人に言わせれば不吉な日である。ただ今、午前一時一五分なり。この美しい日記帖が、おしまいまで首尾をまっとうして書かれるよう、我みずから祈る!
(1973年10月号「心に満つるより」No.1より)
 
 「心に満つるより」No.2~4は、日岡だよりNo.493(2011.6.19)からNo.554(2012.8.19)までに載録しています。このたび、No.1が見つかりましたので、載せます。
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by hioka-wahaha | 2012-12-25 23:11 | 日岡だより

No.570 イエス様は癒し主 私の癒しの信仰の推移(つづき) 2012.12.16

イエス様は癒し主  

   私の癒しの信仰の推移(つづき)

 ともあれ、こうして聖書だけが頼り、人間的にはどこにも頼るものがない。
 こうした神癒信仰をたった一人で守り、推進したことは、今になっても感謝、多少とも誇りを感じるのを主は許してくださると思う。
 また、妻がその私の信仰姿勢に従ってくれたことを、今も感謝している。
 というのは、ちょうど妻が婦人科の疾患を覚えて、医者に行ったらしい。そして「手術を受けねば危ない」と診断を受けたという。
 妻は私に黙って隠れて医者に行ったことを詫びた。そして「手術を受けなさい」と言われたことを告げた。
 私は深刻な思いだった。そして言った。「あんた、私と結婚したことを御旨と思って我慢してくれ。死なねばならぬのなら、申し訳ないが、死んでくれ」と頼んだ。
 妻は納得したが、ただ残る子どものことを思い泣いたという。
 
 その頃、私はあるビルの一室を借りて集会をしていた。十人ほど集まっていたか。その集会で私は神癒説教もしばしばしていた。それを聞いて、「私にも癒しの祈りをしてくれ」という人が出てくる。
 これも怖かった。たとえば、今もよく覚えているのがK姉である。
 ともかく盲腸炎だという。「二人の医師に三べん診てもらったが、盲腸炎に間違いない。ぜひ手術しなさい、と言うんです。先生、お祈りをしてください」
 まだ、国民健康保険が始まっていない頃です。今だったら、手術が怖いから「祈ってください」という方が多いのです。
 しかし、当時は医者に行って手術を受ければ多額の金がかかる。そういう時代です。だから、まず釘宮先生、祈って病気を治してください、というわけです。
 貧乏な病人は牧師に行くしかない。牧師も必死です。祈って治らなかったら、死ぬのです。盲腸炎ですからね。
 K姉ご一家は、ある旅館の一室を間借りしていた。そこに行ってK姉を見た。枕元に薬の紙袋があり、頭を患部に氷嚢がかぶさっている。
 私はその氷嚢を取り上げ、薬をその紙袋ごと、火鉢に捨てた。そして「神様、よろしくお願いします」と祈って家を出た。(当時の神癒祈祷はその程度である、迫力はなかった。それでも祈りは聞かれた。祈りの声が大きければ聞かれるというものではない)
 その家を出ると、道が坂道だったが、その時の様子を今も思い出すことができる。「もしK姉が死んだらどうしよう。自分は警察行きだな」、と思ったものである。
 つまり、K姉のことより、自分のことのほうを心配している。この私の心の忌まわしさに私はがっかりした。私は本当に汚れはてた人間だなあ、と情けなく思ったものである。
 ところで、私は心配しつつ三日たった。そしていつものビルの一室の集会を開いているとき、突然、扉が開いた。
 「センセーイ、盲腸炎が治ったア」
 と声がする。見れば、あのK姉である。彼女は絶叫する。
 「センセーイ、盲腸炎が治ったア」
 あのK姉が両手をあげて叫んでいる。私を含めて信者さん一同、総立ちである。そして私は叫んだ。
 「皆さん、まさに主は癒し主だ。皆さん、病人を連れて来なさーい。どんどん、神癒集会をやろう」
 私は血眼になって叫んでいた。
 そうして、数日して、乳癌の女性が来た。祈ってあげた。その乳癌は一週間で消えた。
 その次の日は、病気ではなかったが、ある男性、父親が家族のなかで喧嘩になって腹を立てて家を出て行ってしまった。
 「先生、父を家に戻してやってください」
 ともかく祈ってあげた。ちょうど夕刻の七時だった。その翌日、「父親が帰ってきました」と報告があった。
 聞けば、その父親は家を出てから小倉に行き、小倉駅のベンチに寝ていたが、昨夜の七時頃(ああ、七時頃!)、「やっぱり、家に帰ろかなあ」と思い立って、翌朝の一番列車で帰って来たのだという。
 バンザイであった。神様に心から感謝した。私の心が少々驕ってきたのも事実である。それから、いろいろ失敗や試練も起こるが、そのことはまたいつか、お証ししたいです。(2008.4.12)
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by hioka-wahaha | 2012-12-18 23:50 | 日岡だより

No.569 イエス様は癒し主 私の癒しの信仰の推移

イエス様は癒し主  

    私の癒しの信仰の推移

 私が「イエス様によって病気は癒されるはず」との信仰を持ったのは、まだ34歳のころであっただろうか。
 単純に「神様に出来ないことがあろうか、特に病気の癒しについては聖書に幾らでもその奇蹟の記事が出ている。また、信じる者にはこれらのしるしがあらわれるとちゃんと生々しく書いてあるではないか」(マルコ16:18)と思ったのである。
 
 1956年の夏、大阪でイムマヌエル教団の聖会があり、私は初めての教団でああったが、興味があったので参加してみた。
 その旅に出かける時、中島という老信徒が、ちょうど二女のせつこがまだ3歳になっていない頃であったが、しょう紅熱風の症状が出ていた。
 それを気にして「せつこさんを置いて先生大丈夫ですか」と心配そうにしていたのを覚えている。
 当時、私は神癒の信仰によって、家族が病気におかされても、病院にも行かず、医者にも見せず、薬も与えていなかった。
 だから中島老人の心配も無理はなかった。先生がおればこそ、お嬢さんの病気に医者にも見せず、薬も与えないでも、まあまあ先生の信仰姿勢に敬意を表して黙って見ているが、先生の留守中にお嬢さんの病気がひどくなったら、どうしようと案じたのであろう。
 しかし私は「大丈夫ですよ」と言って、関西汽船に乗ったものである。
 イムマヌエル教団は蔦田先生という牧師先生の率いる教団で、信仰的に私に近かった。特に神癒を信じる教団だったので、私は親近感を抱いていた。
 だから、その大阪聖会に行っている間、祈祷の時間には心置きなく大きな声をあげて、せつこのための癒しを祈ったことである。
 そして聖会を終わり、大分に帰ってみたら、せつこのしょう紅熱は立派に治っていた。
 
 その当時の私の神癒信仰は熱烈、絶対、微塵の妥協も無かった。医者にも見せず、薬も飲ませず、だから風邪をひいても風邪薬を飲むわけでなく、怪我をしてもメンソレータムをつけてやるわけではなかった。徹底していた(今はそれほどでない)。
 そして今のように声も高く「神様、この病気を癒してください」とか「この病気よ、出てゆけ」と、どなりつけるような信仰的応対もせず、ただ黙って神様の癒しを待っているだけの時であったから、不安を覆い隠すのに苦労した。正直言って怖かった。
 しかし、妻や信徒の手前、必死にその恐怖を押し隠して、信仰を守った。これが、私の神癒信仰のごく初期の頃の実態である。
 私には格別の指導者はいなかった。神癒でも何でも来いの手島郁郎先生に出会うのは、その翌年のことである。<つづく>
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by hioka-wahaha | 2012-12-11 22:50 | 日岡だより

No.568 イエス様は癒し主 四、神の治癒力 2012.12.2

イエス様は癒し主  

    四、神の治癒力


 一応「病気の癒し」だけにしぼって述べてみましょう。
 実は自然治癒力も、自己治癒力も、神の治癒力のなかに包容されることには間違いありません。しかし、これらの秩序を知ってください。神の治癒力が基礎となって、その上に他の自然治癒力も、自己治癒力も成り立つのです。
 最近、人気のある中村天風さん。この方はインドの聖者のところに行って覚醒したそうですが、そのとき以来、この方は「造物主」という言葉を覚えられたようです。これはすばらしいことです。日本の八百万の神様と言うより余程良い。しかし、その後にも、「自然治癒力、自然治癒力」とおっしゃる。これが残念。
 どう見ても、中村天風さんのいう造物主は宇宙の意志、天地の法則というのと、さして違いません。その宇宙の意志、天地の法則に従って、自己革命すると、自然治癒力を豊かに自分のものにすることが出来るというのです。しかし、ここに私たちクリスチャンが学ぶべきことが大いにあります。
 私たちクリスチャンも天風さんに似た方法で、自分の努力しだいで自己の意思を変え、心構えを変え、神様の生命法則ないし神様の御心に従って、私たち自身に、私たちの周りに奇蹟を起すことができる、この事をあまりにも多くのクリスチャンが知りません。知っていても、それを諦めています。そうしたことは、ベニー・ヒン先生やアナコンディア先生でないと出来ないことだと思っている。いや、もっと別の方々もいる。奇蹟を期待するなんて、新興宗教なみの卑賎な宗教、我々はそんな下等な信仰は軽蔑しますとさえ言われる。
 人の救われるのは行為によらず信仰による、という十字架による義認の純粋信仰に閉じこもると、行いと努力により恩寵の領域を増やしてゆく信仰の教育課程はうとましく感じるものです。(*この十字架による義認の信仰はキリスト信仰の第一関門です。これがなければキリスト信仰はありません。)
          *
 「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあってはあなたがたの労苦がむだになるこはない」と聖書は言います。人間の自力行為の肯定です。からし種一粒ほどの信仰でよい、その信仰を用いて小さい自力で全力を尽くすのです。それを継続すると驚くべきことが起ります。
 たとえばイエス様の例話を引くと、「この山に向かって海に入れ」と言うだけでよいのです。「言う」というだけの人間の唇の小さな行為です。これが「告白」の信仰です。
 この「告白」行為だけを取り上げれば、いわゆるアファーメイションです。これで自分の心構えを変えることが出来ます。この位のことはビジネスマンのセミナーでもヤッテイマス。
 その他、マリーン・キャロザース先生の「賛美」も言葉による行為です。あるいは、
 詩篇三七・四では、単に「喜ぶ」ことを命じています。だから私は言うのです、「さあ、笑いましょう。一緒に喜びましょう」と。こうして神様から力を与えられ、それを受け取る信仰を持ちたいと思います。
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by hioka-wahaha | 2012-12-04 21:01 | 日岡だより