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No.542 今日はペンテコステの日です 2012.5.27

今日はペンテコステの日です  

 今日はキリスト教の暦では「ペンテコステの日」にあたります。もともとは五旬節の日と呼ばれていたのですが、使徒行伝第2章にあります聖霊降臨の御業があってから、この日は特別な日になりました。言うなればキリスト教会の発生の日と言うべきでしょう。この日からキリスト教会が始まったのです。使徒行伝第2章を読みますと、
 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」とあります。続いて使徒行伝は語ります。「さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。」と言って、自分たちは「バルテヤ人、メジヤ人、エラム人だ」などと自分たちの国名上げて驚き怪しんでいます。それぞれの国語で神の大きな働きを述べている、これはどうしたことかと、驚き惑っていると、そこへペテロと他の11人の弟子たちが立ち上がって、声を上げて語り出すのです。まず、預言者ヨエルの言葉を引用します。
『神がこう仰せになる。終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにも
わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
また、上では、天に奇跡を見せ、
下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、
見せるであろう。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変るであろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう』。
  ここでペテロは一旦声を落としたことだろうと思う。そして「主」とはどなたか。
 それは、「創造者なるエホバの神様?」
 ところがペテロは爆弾宣言をするのです。使徒行伝第2章36節です。言わく、
 「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」と。
 このペンテコステの日を、よく「キリスト教会発生の日」と呼びます。それはそうでしょうけれど、この箇所をよく拝読すると、ペテロははっきりとイエス様を父なる神によって立てられた「主、またキリスト」なのだと宣言しているのです。「救い主、イエス・キリスト様」を信じる信仰を確立宣言した日がペンテコステの日なんだと、再確認したいと思ったことです。《く》


日々新生  

一九七三年十月二十一日(日) 朝早くS姉回心十四周年の記念の礼に見える。私もあの頃はいたって厳しく、仁王様のような顔をして叱りつけていたことを思い出す。今日は小雨で、静かな日曜日。いつものとおり、少数を相手の講義「人あらたに生れずば神の国を見ることあたわずとイエスは言われる。人、日毎に生れずば神の国に生きることあたわずと私は言いそえたい。日毎にキリストの肉と血を飲み食いして日々の生をたしかめよう。それが日毎のミサだ。プロテスタント流の記念式典としての聖餐式よりも、よろずの受容物をキリストの秘蹟として受け入れるミサと言ったほうが適当のように思われる。」
十月二十三日(火) K姉と同道して、I姉を訪ねる。癌再発の恐れに少しもおびえず信仰をもって堂々と生きておられるI姉に感動する。祈って辞去する。
十月二十四日(水) 江崎玲於奈博士ノーベル賞受賞のニュースあり。新聞報道による同博士の様子がいかにも日本人らしい佳さをもっているのに好感。常識に反するトンネル効果を発見したのが同博士の功績である。私ども人間性の、罪の山、悪の山、悲観の山、絶望の山、劣等感の山、――― のトンネル効果が、福音である。
十月二十五日(木) 会社、手形割引の時間かかりすぎ支払いに現金不足の気配あり、緊急にK氏の店に××万円借りる。咄嗟に多額を信用貸してくれる友情に感謝す。
十月二十六日(金) 昨日の借用金をK氏に返済に行く。同氏、肺癌を宣告され、本人も先刻承知、「天に行く日を数えています」などと枯淡な声で言う。この人の夫人を長い間信仰指導してきたわけだが、昔の私のこと故、ムチャクチャな引きずりまわすような指導と、本人の熱心さの余り、家族こそいい面の皮で(キリスト教の熱心な伝道の得手勝手ぶりは創価学会とそう違わぬ)、このK氏などは被害甚大だったと思う。今はそのイヤな思い出もすてて温顔を以て接してくれる。その死を覚悟しての落ちつきぶり、老僧牧師もかなうまい。切に、神の御手によるご回復を祈る。
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
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by hioka-wahaha | 2012-05-29 16:08 | 日岡だより

No.541 信仰では無くて御信心 2012.5.20

信仰では無くて御信心

 日本の浄土真宗では信仰とは言わないで、信心と言っているように思う。もっと突き詰めて言えば、信徒さん方の間では「御信心」と言っているのではないか。
 信仰という言葉には、なにか当方から思い詰めて意図的に「信じ抜く」というような力学を感じるが、
 真宗信徒の方々の「御信心」という言葉からは、佛さんの方から頂いた有り難い、有り難い「信仰心」というような味わいを感じることが出来る。
 これは親鸞さん以降の浄土真宗のすぐれた言葉ではないかな、と思う。

 さてここで、この「信仰心」についての神髄を改めて私たちのキリスト教においての理解の仕方を解いてみたい。聖書を開いてみよう。
 ガラテヤ人への手紙第2章16節には、「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリストを信じる信仰によって認められる」とある。
 この「キリストを信じる信仰によって」という箇所は実は原文に忠実に訳すと「キリストが所有される信仰によって」となるのである。だから私たちが義と認められる信仰は私たちがイエス・キリストを信じる信仰ではなくて、イエス・キリスト様ご自身が持って居られるイエス・キリスト様の信仰なのです。
 イエス様が十字架にかかられ、ひとたびお死になされて陰府に下られた時、イエス様は全人類の罪を背負って地獄のどん底まで行かれ、そこから逆転、地上に帰り、天にまで向かって復活される大飛躍、それはご自身を信じるクリスチャンたち全員を引き抱えて一斉に天にまで送り届けようという信仰です。
 この確かなイエス様のご自身の信仰を私たちのものとして頂いて、あたかも私たち自身の信仰の如く確信して、義と認められ、義とされ、正に義人として天に迎えられるということ、これが私たちの救いです。《く》


石油危機について   
 
 「田中首相は、社会経済国民会議の設立総会のあいさつで石油危機問題にふれ『〝消費は美徳〟の名のもとに国民の暮らしに定着した使い捨てを見直し、資源のむだ遣いを排除し、節約型の生活に移行する』よう訴えた。田中さんがいうまでもなく国民もその必要を痛感し始めており、そのこと自体に反対はないだろう。だが、田中さんがそう訴えることに抵抗を感ずる国民も少なくはないに違いない。」
 
 これはある新聞のコラムに出ていた一節である。石油について中東依存度の高い我が国の国民生活の危険については、私は内々いつも提言しつづけてきた。二十年ほど前、世間は石油コンロ全盛、デパートにプロパンガスがはじめて出た頃からであった。
 何でも十年も二十年も早めに言い出すと、奇人か衒学派に見えるもので、かっては私もそのように見られたことと思う。
 
 石油節約運動等なにを今さらと思う。乏しくなって、困りきるようになって初めてモノを辛抱し始める――― 何という見識の無さ! 昔、仏僧が山中のせせらぎでひしゃく一杯の水も「勿体なや」と拝んで飲み、余った水をそばの草木にかけてやった。そういう心情からくる節約でなくてはいけないのだ。
 そういう精神がこの祖国におこってほしい。これは万物ひとしく我らの分身である、というような「万物同胞」の精神が根底にないと不可能のことである。
 
 それはさておき、私の「あまのじゃく」精神を発動させて言いそえると、消費の中にのみ育つ文化――― それは妖しげなカイン文化であるが――― それでも文化は文化、無きにまさる文化だ。そのような文化性はたしかに物量の豊かさの上に築かれる事実にも目を閉じることはできない。
 ただいたずらに「物質文明」を攻撃するのも(新聞投稿欄に見る限り)熊さん八さん流で、些か能の足りぬ感じがする。
 
 そういう「物質文明、軽薄なぜいたく文化」であっても、それは少なくとも一国、一民族の独立性維持というか、他国の軍事力支配に対する抵抗というか、占領軍排除能力というか、そういう「力」になることはたしかである。
 文明の低い国が、文明の高い民族を支配することはできない。もし無理じいに支配していると、いつの間にか植民地の方が本国よりもぜいたくをし、本国の優秀人間がゾクゾクと植民地に流出してしまう。
 そして本国が植民地に組み込まれてしまう。そういう事がおこるのである。
 だから舶来品でも何でもかまわぬ、国民に贅沢をさせておくと、どこの国も占領しにくいという自衛隊百万以上の防備力になるのである。言いすぎかな。(1973.11.14)
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
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by hioka-wahaha | 2012-05-22 17:31 | 日岡だより

No.540 母の日を迎えて 2012.5.13

母の日を迎えて

 今日は母の日です。私は自分の母を思い出して、感慨にふけっています。
 私の母は釘宮ツギ、長女の次に生まれたので、祖父は何の深い考えもなく「次に生まれた子だからツギ」と名をつけたものらしい。ご本人は多少イヤだったのでないかと思われる。
 そこで四十歳の頃だったのですが、当時大分市の大手町に住んでいた、ちょうど直ぐ向かいの家の主人が姓名学の会を始めた時、早速自分の名を変えて貰おうと頼みこんだのです。その日本姓名学会といういかめしい名前の本部の先生か選んでくれた名前がなんと「希和」です。これには母も大喜び、自分の信仰にぴったりの名前。つまり、「希望と平和、これだ、これだ、これは良い」という訳、早速、親族や信仰の友達に改名の通知を出して使い始めたのです。 
 私も母に勧められて名前を変えましたが、良典(よしのり)という名です。私はしばらく使いましたが、イヤになって止めました。 尤も私の本名の「義人」という名も元々、私自身、名前が重荷でしたので喜んで早速変えていたのです。「義人」という名は学校などでは、よく先生あたりから「ギジン」と呼ばれて「俺、義人じゃないよ、心は汚れているよ」とショックを受けていたのです。
 とは言え、良典という名にもなじめませんでした。よく考えると、やはり義人が良い、「義人は信仰により生くべし」だ、「義人で行こう」と思い直したのです。
 私の心は汚れている。決して義人じゃない。しかし、聖書に従い、信仰によって義とされているのだ、義人で良いではないか、大胆に使おう、と心を決めたのです。
 義人という私の名は少年期から青年期にかけて随分重荷でした。しかし、信仰が確定してからは、賛美でした、嬉しいでした。私は大胆に「私は義人だ」と宣言できる確信を持つことが出来るのですから、これは素晴らしいことです。
 しかし、母は前述のとおり喜んで「希和」という名を生涯使いとおしました。お気に入りだったのです。
 母が四十歳代の頃だったでしょうか。私の青年前期です。母が毎朝、早く大分川のほとりに言って祈った時期がありました。
 信仰の確信を求めていたのでしょう。半年ほどして、その朝の祈りから帰って来るや否や、私を抱き止めて、「義人、義人、信仰が分かったんだよ、母ちゃんは、イエス様に救われているんだよ。それが、はっきり分かったんだよ、母ちゃんは。今朝、祈っててね、神様がおっしゃって下さったのだよ」
 私は子供心に「信仰とは、こうもはっきりと起きてくるものか」とびっくりして母を見守ったものです。いわゆる「回心」と言われる信仰経験を私は初めて客観的に見た訳です。その日から母は確かに変わりました。
 それ迄は、得てして落ち込みがち、不安になったり、悲しんだり、その母が急に明るく大胆に言葉も行動も変わりました。父が死んで以後、家業の農家相手の肥料小売商だったのですが、一応番頭さんに任せてあるものの、店の主人として責任を負う重荷に耐えかねる時もあっただろう、ところがその時から母は毅然とした態度で番頭さんに応対し、時にピシリと命令らしきことを、しかし女性らしく柔らかく物言いをする人になりました、子供の私にもそれが分かるのです。
 後日、私が戦時中、非戦論と召集拒否で裁判にかけられ、刑務所に送られた時にも、身分を束縛されている私に衣類や食べ物を差し入れする仕事は厄介なことだったでしょうが、母は難なくやり遂げたのです。戦時中の非国民の息子に差し入れに来る老齢の母親に刑務所の役人たちは案外に親切だったそうです。
 戦争中、非戦主義で牢屋入りした息子の母親を見舞に来る人は少なかったのです。気の弱い信者諸君は恐れて私の留守宅を訪ねかねたのでした。母も淋しかったでしょう。しかし、頑張ってくれました。私が福岡の刑務所に送られてからも、何度か福岡まで面会に来てくれましたね。
 母は父が死んでから、特に信仰が強くなったように思えます。伯父が編んでくれた父の遺稿集がありますが、その遺稿集の文章が母には良い信仰の励ましとなったようです。母は父を本当に信仰の人として尊敬していました。
 父の残した内村先生の本などを読んで、感激して吐息をついて本を伏せて休んでいることがよくありましたが、今思えば、女性としてはかなりの読書家でしたね。
 父親の信仰も、母親の信仰も、子供にとっては共に影響は大きいですが、特に母の信仰は心情的な影響が深いように思います。「母の日」というのは、単に「母なる人の恩を想う日」ではなくて、「母なる人よ、誠に良き強き母になれかし」という日ではあるまいかと、思う。
 すべて、世の母なる人よ、「良き強き母になれかし」とお薦めしたい。「是非、是非、良き強き母になれかし」と。(釘宮)
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by hioka-wahaha | 2012-05-15 18:05 | 日岡だより

No.539 病気になった時、一番に行く所は? 2012.5.6

病気になった時、一番に行く所は?   

 風邪をひいた、おなかが痛い、足に怪我をした。一番に何をしますか。お薬? お医者?
 私たちは、まず神様に行きます。祈りましょう。「神様、私を癒してください!」
 そして心の内に神様の声を聞きましょう。神様の声とは分からない方も、自分の心に聞きなさい。「どうしよう?」
 あなたの心の底から訴えるものが有ります。「大丈夫、待っていなさい。必ず、熱は引く」。あるいは「私は主であり、あなたを癒す者である」(出エジプト15:26)などと御声が聞こえるでしょう。
 そして、大安心、常備の薬箱を開けて適当な薬品を捜して飲めば良いのです。
 「なーんだ、結局、薬か」などと、がっかりするんじゃないのです。信仰と言っても非常識になることではありません。
 道を歩くにしても、御飯を食べるにしても、電話をかけるにしても、常識的な振る舞いで当然です。淡々として行動しなさい。信仰とは突飛な行為を要求するものではありません。
 「病いある者は医者を要す」とイエス様も仰せられた(マタイ9:12)。しかし医者も治せないような病気をも、いやしてくださるのがイエス様です。信仰です。
 信仰に勢いがある時には、癒しもすさまじいですね。《く》


教師のいない教育が本当の教育だ  

<前号よりつづき>
 教育技術は、「これもまたなおざりにすべきことではない」、しかし、それ以上に大切なことがある。普通言われることは、教育者の真実とか愛とか熱情とか人間味とか、そんな事だ。しかし、それ以上にもっと本当に必要な事は、
「被教育者が自ら気づいていない(ことが多い)自身の成長の方向、学習の領域を、本人にかわって予見して教育する。さらに、必要なことは、学習する内容を超え、自ら学習すべきことを自ら悟り、自らに学習を課し、そして自ら学習をする能力をもつように、導くこと。」
である。
 
 こういうことを考えると、ヤマギシズム流の研鑽方式、KJ法のような「自ら」に語らしめる方法、ソクラテス風の問答法で自分に悟らしめるやり方、―――そのような教育の型がありそうな気がする。
 
 今の教育を論じる人は、明治以来の文部省方式の学校の型になれてしまっていて、
1.教育とは学校のことである。(ほとんどそう思っている)
2.学校のことは文部省がきめる。(文部省は学校の僕ではないのか)
3.学校には校長や先生がいる。(先生の先生は子供)
4.先生には資格がいる。(資格とは国家の認定のことである。ニセ医師問題を連想させる)
5.校舎や運動場も必要。これまた、文部省の認可基準がある。(青天井の川べりでは悪いのか。公共図書館、研究室は使えないのか)
6.生徒の好きなことよりも、文部省で決められた学科を教える。(子供もえたりかしこしと文部省の気に入る答案をかくようになる)
7.学科というのは、英数国社というように分かれている。(クラブ活動のように徹底してメロメロに分かれて散って集って、「北海道まで歩く」組、「バイオリンを作る」組、「トンネルをほる」組、「幽霊探検」組、というような学級(?)編成ができないか)
 
 右のようなことを、ことあらためて問題喚起されると、肝をつぶしてしまうだろう。
 
 教育とは常に、前世代のものが、次代のものに、自分の人生観、世界観、価値観を押しつけようとしておこってきた。
 
 今、私がここに提言したい教育は、教育されるものが、自らの教育を自らに選びとる方式である。「自らに、最も正しい教育を与える」というその自己教育発見の体験を体得せしめておくことこそ本当の教育である。
 そして、人間はいかに先輩になろうと、長老になろうと、まず他人の教師であるよりは、先に、自らが弟子となる道を把握する。まず弟子であることによって、他の人を弟子たらしめることができる。これが本当の教育だと思う。
 
参考図書 
(1)林竹二「授業・人間について」
(2)斉藤喜博「開く」
(3)ヤマギシズム幸福学園「愛児に楽園を」
(4)川喜田二郎「パーティ学」「移動大学」
(5)波多野・稲垣「知的好奇心」
 
 <終わり>
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
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by hioka-wahaha | 2012-05-08 11:41 | 日岡だより

No.538 強く、雄々しくあれ! 2012.4.29

強く、雄々しくあれ!

 信仰生活で心構えとして大事なことの一つは「強く、雄々しくあれ」(詩篇27:14)であろう。一言で言えば、「勇気」である。勇気と言っても何も勇猛ぶりな元気さを指すのではない。
 例えば、会社などで元気のいい課長さんに、部下の若い女性の人が、その課長さんの文章の小さな誤りを指摘するようなことである。特に、対外文書であれば尚更のことで、気後れせずに丁寧に注意申し上げるとよい、こういう気配りは大抵の課長さんならば喜んでくれるであろう。
 これは小さな勇気です。通りがかりの全然見知らぬ人にでも、ちょっとした足元の危ない落とし物など、注意してあげるのも些かの勇気です。勇気と言うのは大げさですが、言い替えれば気遣いです。道を行く老人の手を引いて上げたり、軒先に落ちている傘を拾って壁に立て掛けておいたり、郵便局の窓口でお金を落としている人に、その金を拾って上げるとか、電車の中で退屈しているような人に声をかけて話題を引き出すなど、ちょっとした勇気ですね。この小さな勇気を習慣づけると、益々大胆に勇気を発揮できるようになります。《く》


〔聖書講義〕
我が内なる「福音」  
 
 テモテ第二書(二・12)「もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者になるであろう。」さよう、小さくなってオロオロしつつ忍耐している―――そんなじゃないんです。
 元気のいい子は平気で雨風をガマンできます。頭のいい子は受験勉強をガマンします。音楽の好きな人はくるしいレッスンもじっと辛抱します。そして最後の栄冠を得、支配者(スター)になれます。
 精神的、霊的世界も同じ。耐え忍ぶ事はつらいことじゃない。キリストと共にある人にとっては嬉しい、楽しいことです。艱難に処してはスリル満点の息づまるような生き甲斐百パーセントの時に思えるのです。
 
 (祈祷)天のお父様。今日はあなたの聖なるエネルギーの解放についてたくさんの事を教えてくださいましてありがとうございました。あなたの力により解放され、あなたに愛されて、この時代に生きぬきとうございます。祖国と地球を救ってください。アーメン。
(一九七三・一一・一一)
 <終わり>
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
 
 
教師のいない教育が本当の教育だ  
 
 十月二十四日(1973年)の朝日新聞に次のような新刊紹介がのった。
 持田栄一著
 教育における親の復権 明治図書九五〇円
ほとんどの教育論が、「文部省」か「日教組」を媒体としていることに不満な著者が、「親」の側からの教育論の構築を試みたものである。
 
 問う、教育の権利は誰が持っているのか。文部省か、先生か、親か。―――否である。この問題に本当に答えた人が少ない気がする。
 
 教育の権利は、教育を受けるべきその人自身にある。多くの場合、学校教育に視野をしぼると、―――、その保護者として親や教員や国がさわぐ。国は国の思うとおりに青少年を指導したいらしい。教育者は教育者で、自分達の思う通りに、つまりその理想に従って若い者を指導したい。親は親で、やはり自分らの思いのままに(自分の理想どおりに、金持ちや、実力者や、芸術家や、人気者や、宗教家や、健康者や、ベッピンにしてもらいたいと)教育の権利を主張する。
 
 しかし、本当の教育をうける権利は、子供たちが持っている。いや、子供たちのみでない。我々人間すべてが、それぞれ自己の教育をうける権利を持っている。これは「基本的人権」の一つであると思う。
 
 人間が、自分自身本当に教育される権利を持っていると知る時、彼は謙虚になるであろう。会う人、会うモノ・コトすべてを教材として、「なにものか」を教わることを為すであろう。
 「未知の知識、未発見の道理、未発達の能力、未有の思想、未信の信条」―――そういうものが、私の「一寸先はヤミ」と俗に言われるその一寸先の未見の前途にどれ程新しく汲み出されてくるか分からない予感と期待にふるえ、何かを学ぼうとするわけだ。
 
 恐るべきことには、教育を受ける権利の真の所有者は、どんな教育を受けるべきなのか自分で知らないのが普通である。それ以上に恐るべきことは、教育するものは、教育されるもののその必要としている教育内容を自分の方では知っていると信じていることである。
 
 学校教育で授業の進行とその結果を予測し、その通りに子供をあやつるのは動物に芸を教えるのに似ている。そういう名人わざの先生がここかしこにいるようである。
 しかし、本当の教育がヘタクソな非技術的やぼったい先生によってしばしばなされている事は、私どもがよく体験することである。
 <つづく>
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
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by hioka-wahaha | 2012-05-01 15:08 | 日岡だより