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No.516 恵まれた一週間 2011.11.27

恵まれた一週間   

 先週の11月17日から24日まで永井明先生がおいで下さった。一週間を一日越える御滞在であったけれども、その間、諸集会や、また私をお連れ下さっての諸所訪問で良き恵まれた時を過ごさせて頂いた。
 特に11月20日の主日礼拝では、エペソ人への手紙第2章8~10節を通して、「神の作品」と題して諄々とメッセージを語って下さった。それは「神の作品」として造られた、私たち人間の尊い存在意義について、またその恩寵に対する私たちの感謝と奉恩のための義務についてであった。
 ただ、神様からの恩寵を楽しく嬉しく受け取って、神の御恵みを受け取りっ放しになりやすい私たちの愚かさ、怠惰さを、戒めて下さったのであった。
 私はその先生のメッセージを伺いながら、先生が多年の間、開拓伝道から開拓伝道へ、弟子を育て、教会を各地に起こして来て来られた歴史を偲びつつ、まったくこうした面では全く怠惰な己が身を顧みながら、先生への憧憬の念を深めたのであった。
         *
 この度は、先生はいつもよりは日程を緩やかに取ってくださり、私もあちこち同行させて貰って豊かな楽しい時を過ごしたことです。
 特に滞在中に、先生のお誕生日11月23日を迎えることとなり、「私の霊的誕生日なんです。嬉しいなあ。」と叫びました。
 11月23日は私が昭和19年、福岡の刑務所の独房で回心した記念日です。先生と誕生日を一緒にして頂いて、うれしいことです。また、
 先生とご一緒に、別府霊園にあるこの教会の共同墓地に行き、在天の兄姉らと共に、神様に感謝の祈りを献げることが出来たのは予定を全然していなかった望外のことで、美しい別府郊外の山麓で先生共々、遥か別府湾を望み見つつ祈りの時を得て、まことに素晴らしいことでした。限りない感謝でした。
         *
 先生は当教会に御滞在中は、食事は全部ご自身で作られ、何事もキチンと整理整頓、こうしたことに無頓着な私は、拝見していてきまりが悪くて仕方がない。しかし、よいご教訓を頂いて尊く思っています。
 当教会はご存じのように礼拝室のすぐ隣りに寝室と炊事室がくっついている。几帳面な永井先生は無意識にも炊事に体が動かれるのであろうとは推察出来ます。先生、尊いお体でお掃除、お布団の整理等、むさ苦しい所をきれいサッパリにして下さいました、御礼申し上げます。
 その翌日、木曜日の祈祷会に出席して頂いて、メッセージを頂戴し、この集会が終わったら、先生は急遽、北海道へ旅立つために二日市のほうに帰って行かれた。私は気がぬけたように先生をお送りしたものです。先生、有り難うございました。ハレルヤ! 《く》
 

私の宗教問題    

       二

<日岡だよりNo.515よりつづき> 
 人に保証を求めはじめると信仰が堕落しはじめます。パウロのガラテヤ書の第一章を見なさい。あの頃のパウロは見事ですね。エルサレムの神殿に詣でるなんて、あれは大いに失敗です。神の子を思わず、人のことを思っています。
 
 そういう「人の前によかれ」という思いが初代教会には巣食っているように思います。その辺の処は、初代教会をはなれて本当にイエスに帰るべきである。イエスには、そういう「助平根性」は金輪際無い。
 
 初代教会には、迫害され、踏まれ殺され足げにされ、それでも人の前によかれかし、ローマ人の前にいい面をしようと図って、しだいに宮廷より民衆に至るまで徐々に浸透して、遂に三百年の後、公認の国教となった。その時よりキリスト教の世俗主義は目に見えてはびこり、その独善性排他主義律法主義が、ヨーロッパ人の論理好き法制好み野獣性とからみ合って、私の大嫌いな大嫌いな血の匂いの濃ゆいキリスト教を作り上げたのだ。
 
 以上、少々言いすぎかな。地中海世界にとって、イエスの言葉は超世界的で、まるで駄法螺のように思えたろう。その類比で見れば、以上の私の言葉は無茶でも何でもない。当たり前のことを言っているのだ。
 諸君! 共に真実を求めよう。
 
       三
 私にとって、内在のキリスト、遍在のキリスト、充満のキリスト、万物を串ざしにする通貫のキリスト、万物にコミュニケーションをわたす支配のキリスト、すべて同一のお方をさす。
 
 私が東洋の宗教家と大いに違う点は、この宇宙の真実キリストを、単なる真理・道・生命・原理・本質・原因・法則として捉えず、それ以上に「人格」として拝する点にある。
 だから私は、これよりキリストを宇宙の真実者と呼ぼう。彼は唯一である。宇宙(もちろん天文学的宇宙をこえた全体的存在をさす)と一つであるから。前章に述べた「私とキリストが一枚である」ように、キリストはまた、この宇宙と「一枚」なのである。私はこの宇宙の一部分・一細胞であるから、私の内にも「宇宙と一つなるキリスト」が一つとなって充満する。
 太平洋の水をコップ一杯にくんでも、それは太平洋の水であるように、また生物の細胞はそれぞれ全体の生命表現であるように、私の内にあるキリストは全きキリストであって、たった一つ、「独り子」の神である。イエスにあらわれたキリストが「独り子」の神であるから、釈尊にあらわれた「神性」は独り子以外の偽ものだというのは、ローマ的算数概念であって、「全即一」の宇宙的思想で考えればすぐ解ける謎である。<つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
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by hioka-wahaha | 2011-11-29 14:53 | 日岡だより

No.515 日本という国 2011.11.20

日本という国   

 内村鑑三先生は、臨終を前にして「人類の幸福と、日本国の隆盛と、宇宙の完成を祈る」と祈られたそうだ。
 内村先生が如何にこの国、日本を愛したかということは一部の人には良く知られていると思う。「一部の人に」と書いて「多くの人に」と書かなかったのは、既に無教会主義の内村先生は知っている人は多くても日本国を愛した内村先生については、それほど多くは無いと思うからだ。
 当時、日本の多くの愛国主義者たち、たいてい「日本はアジアの盟主」などと言っても、「日本国の隆盛」とは言えないし、また特にこの「宇宙の完成」などとは誰が言い得ようか。無理をして「人類の幸福」とまでは言ってみても、「宇宙の完成」などは誰が言い得よう。これは内村先生の大文句である。この思想の壮大さを見よ。
          *
 内村先生は日本のキリスト教世界に大きなものを残してくれた。その恩恵はどれほど賛嘆しても過ぎることはないと思うけれど、ただ一つ苦言を呈したいのは、その先生の生涯の代表主筆雑誌「聖書の研究」というそのタイトルである。
 聖書は研究すれば分かるというものではない。尤も、先生がアメリカで聖書を学んだ時は、英語でバイブル・スタディでもあっただろうか。だから訳せば「聖書の研究」で悪くはない。しかし、欧米から学問がはいって、日本における研究とは極端に言えば、理学研究室にはいってフラスコや試験管を使って何かを実験しているような印象を与えたとしても無理もないであろう。
 そういうタイプの研究態度で聖書を研究する。そんな感覚を内村先生の聖書の研究という言葉が、ある種の誤解を与えたとしても当然であろう。
 聖書は研究すれば、キリスト教は分かるのでしょうか。もっと言い直せは、聖書は研究すれば、私の言う「キリストの福音」の神髄は分かるものでしょうか。
 私ははっきり答えます。「いいえ!」
 聖書を研究すれば信仰というものが分かったような気はしましょう。しかし、その信仰の本質は掴めないことが多いのです。
 聖書は読んで読んで、その御言の中にもぐりこんで、聖書の神髄を頂戴し、それを腹の底まで飲み込んでしまうまで、読んでみると、やっと少しずつ分かるようになります。
 本当によく分かるのは、聖霊の助けによってでです。聖霊の別名を助け主とお呼びするのも尤もなことです。聖霊は神様が人間に働きかけて真理(救)の理解を助けて下さる為の、神様の御手の尊称です。この御手の御助けにより信仰の秘密が人の心にも分からせて下さるのです。この御助けが無ければ、人には信仰の秘義が皆目分かりません。
 聖書の中心霊性が、あなたの肚の髄まで染み込んでしまい、その聖霊の息づかいが、あなたの全心全霊に、骨の髄まで行き渡り、その語る一語、一語、音韻の一つ一つまでが、のめりこんで来るような、聖書の読み方が出来るようになるまで、聖書を身読、心読、信読、神読しましょうね。
         *
 ともかく、内村先生は日本国と言って、単に日本と呼び捨てしなかった。この事の重大さに気づいてほしいのです。ここに内村先生の愛国心があります、これは使徒パウロ先生にも無いものです。これは充分に研究する余地があります。
 ローマ人への手紙、特に9章などを読んで下さい(ローマ9:1~5)。ここではイスラエル民族は出てきますが、イスラエル国家は出てきません。当時はすでにイスラエル国家は滅んで、イスラエル民族だけが残っていたからです。そしてパウロはけっしてイスラエル国家の再興を望んでいないようなのが、なんとも淋しい。
 日本は建国以来、戦争に負けたことはありませんでしたが、しかし1945年(昭和20年)8月15日、日本は初めて外国に負けたのです。これは日本精神がアメリカ人の魂に負けたというより、原子爆弾には、さすがに日本精神もひけをとったということで、日本の天皇様も初めて自国の敗戦を認め、マッカーサーにそれでも頭は下げなかったのはさすが、しかしニコニコして連合軍最高司令官に握手の手を差し伸べたたのでした。でもこれは、日本国建国以来の最大の恥辱でしたね。このことをはっきり、どの人も、どの新聞も語りません。当時の日本人はこのことを身に沁みては覚えて居ないようですね、残念! 《く》   
 


私の宗教問題    

     二

<日岡だよりNo.514よりつづき> 
 キリストが私の内に生きていますという時、キリストが小さくなって、私の内に生きているのではない。キリストは私の内にみなぎり溢れ、充満してはち切れんばかりにして生きているのだ。私の肉体の細胞―――原子すべてにエネルギーが E=MC2 にみちているように、キリストの真実は私の内に充満したもう。よいですか。この私の肉と、キリストとは別々じゃないのですよ。紙の裏と表のように一万円札の紙と表の一万円という印刷のように一体なんです、一枚なんです、キリストは私の「肉や血や精神」と別のものと思うと誤りです(ジカに一つと思うのも身の程しらずですが。)
 これが、キリスト我が内に生きていますという秘密です。これを表面言語だけで覚えてもだめですよ。内的天国言語で体得するのです。自分でつかんだら、誰にきかなくても自分で分ります。師匠に印可を求める必要はありません。聖霊自ら、あなた方に「保証」します。聖霊は「保証する霊」です。
<つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
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by hioka-wahaha | 2011-11-22 15:10 | 日岡だより

No.514 人それぞれ、人生はその人のもの 2011.11.13

人それぞれ、人生はその人のもの   


 N兄が病を得て、入院した。見舞いに行く。私は病室を見回して、
 「懐かしいなあ」と言った。
 この病室か、どうかは分からないが、私の愛する妻トミさんがしばらく何ヶ月か入院していた病院なのだ。
 すっかり忘れていたが、病室を見ると思い出した。30年ほど前のことになる。そのとき私はよくこの病院に彼女を訪ねたものだった。
 しばらく東京などに出張せねばならないようなことがあると、その事を知らせれば淋しがるだろうなあと思いながら、気を使って彼女に語りかけた、その当時の病室の雰囲気を私は思い出したのである。

 N兄は心もとない感じで、ベッドに寝ていた。3週間前に危篤状態だったとは思えぬほど回復している。今はそれほど心配な病状ではないとはいえ、やはり体力気力は完全に戻っていない。
 「いつも、イエス様がご一緒に居て下さるんだよ。よく祈りなさいね」
 と声をかける。
 この病室にはベッドが二つしかなく、しかも、もう一つのベッドには入院患者はいなかった。部屋に居るのは、N兄、彼一人である。これは、好都合だ。
 そこで、彼に祈りなさいよという言葉をかけたのだ。この言葉を、彼が心に覚え、そして、いつもの私の祈りの真似をしてでも祈るようにと、私の祈りの習慣を彼に薦めたのであるが、これは彼の為のみの私のした事であって、すべての人にそのようにするわけではありません。
 お一人、お一人、信徒の方は、その人なりの祈りを身につけてゆく。
 ある人は、キリスト教の祈りというものは牧師さんがキチンとしてくれるものだ、と思っているかもしれないが、信徒でも古い信者さんは皆できる。一般の教会では、祈りは牧師さんに任せておくだけ、一般信徒は皆で一緒に祈る時、声を合わせてムニャムニャムニャと祈っているものだと、と思っているだろうか。
 ところが、この教会では時々訳の分からない言葉で無闇に大きい言葉で声をあげて祈る人もいる。あれは異言と言う特殊な祈り、これがこの教会の特徴だ。「とにかく、元気な声で、びっくりするよ、この教会の祈りは」と言う人もいる。これが普段の礼拝です。

 N兄は、私が旧大分市内の二階座敷に住んで居た時からの信徒で、私の死んだ愛妻トミさんの従弟である。大分県国東(くにさき)半島、徳川末期の国学者三浦梅園の学塾のあった村の出身である。
 そうした結構な村に生まれたのであったが、人生に挫折し、母になる人が私の所に連れてきて弟子にしてくれと言う。そこで私が預かって内弟子のようにして一緒に住んで、信仰生活を送って来た。しばらく家族同様であったが、後に似合いの姉妹と共になり、私が司式して結婚式を挙げた。
 この姉妹も忠実な信徒だった。古い信徒はご存じの木南姉妹の許で信仰を学び、また日々の生活の生き方も鍛えられていた。しかし、残念なことに3年前に召された。だから、N兄はその後、妻のいない寂しさや不便に耐え、鍛錬されて、これからの、この教会の将来を背負って立つ一人になるであろうと信じている。
 ついN君のことを書いてしまったが、人が教会に触れ、信仰に導かれてゆく、そのいきさつを思い返してみると、人生を導く神様の御手の不思議さには感嘆せずにはおられない。
 N君の忠実さも、又その夫人に似て、抜群である。特に、教会に対してと、又この不出来な牧師に対しての忠実さも群を抜いている。何時も牧師に密着して教会のご用を果たしてくれているのは、信徒御一同、衆目の一致するところであろう。
 こんなことをベタベタ書かれては、N君は恐縮のあまり居たたまれないであろうが、幸い入院中である。今朝の礼拝の席にはいない。
 教会の玄関前に立てる説教題の看板書き、何年か書いている内に、見事になった。最初の内は決して上手な字とは言えなかった、ところがどうです。下手な字を毎週、毎週、忍耐して忠実に書き続けているうちに、立派な書き手になった。風格が出来て、字としての味が見えてきた。単に上手なのではない。佳い字が見えて来たのです。
 一人一人、その人独自の成長の道を神様はそなえておられるのです。《く》 


私の宗教問題
     
       二

<日岡だよりNo.511よりつづき> 
 エネルギーがこれに似ている。宇宙に充満するこのエネルギー、目に見えず、手に握れない、真空状態にも充満しているのかな、この不可解なエネルギー、これこそ、ヨハネの言うロゴスにふさわしい。これが、私の言う「真実」。宇宙の真実―――これぞキリスト。
<つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
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by hioka-wahaha | 2011-11-15 17:15 | 日岡だより

No.513 信仰とは信念のことではない 2011.11.6

信仰とは信念のことではない   

 善きことについて堅い信念を持つのは良いことです。しかし、イエス様を信じる信仰ということは信念とは違います。
 日本のキリシタン時代、彼らはひどい迫害に会いました。彼らの多くは些かも信仰はくじけず、殉教の尊い死を遂げて天に帰って行きました。素晴らしい信仰の勝利でした。私たちは彼らの強固な信仰を尊敬します。
 そうした迫害に負けないで雄々しく勝利を遂げて行く信仰の英雄たちを仰ぐ時、はてさて気性の弱い私たちはそのような迫害の場に立った時、果たして信仰がくじけず強い信念を保ち得るものだろうか。考えるだけで怖じけつく、そういう人は居ませんか。
 「いやーん、そんな質問いやーん。先生、そんな質問せんでください。そんな事、考えただけで、震えがきます」。
 などとおっしゃる方は案外多いでしょうね。いやあ、牧師の私だって嫌ですよ。
 私は現実に、あの大東亜戦争のさなか、特高(特別高等警察)に逮捕され、尋問を受けたのですが、私は信じているままのことを気軽にしゃべりますと、打ったり叩かれたりはしませんでした。
 「やはり、日本は法治国家だなあ」と感心しました。しかし、看守さんだちのご機嫌を損すると、相当リンチめいた痛い目に会います。私は一度だけ、それは看守さんの誤解でしたが、私がある違反行為をしていると見られたらしい、いきなり、言い訳も出来ず、どやされ鞭打たれ、思わず私は悲鳴を上げたものです。
 しかし、その看守さん、後で私の無実なことが分かったらしい。それは、そのことから三月ほどして、突然、所長から呼ばれて、それまで居た工場を離れ、特別の独房に移されたのでした。私の罪名が国家的犯罪でしたから、いわゆる窃盗、強盗、詐欺などの類ではない。特別犯ということだったからでしょう。その事に気がついた所長が急に私の処遇を変えたというわけです。
 さてある日のこと、私の独房にあの看守さんがやって来て、「ああ、釘宮、ここに居たのかい。風邪ひかんごつなあ」と声をかけてくれました。やはり、ああいう環境の中では嬉しいですね。かつて私を誤解して厳しい仕打ちをした後悔をこっそり謝ってくれているという感じでした。私もどことなく、気持ちが休まったものです。
 刑務所という所は、慣れない内は、特種の慣習もあって気の使いどころが分からない。気を使い過ぎて新参者はオロオロしているばかりということになりやすい。
 その頃、私は信仰上の革新をするのです。「愁い多き獄にしあれど主によりて活かさるる身の幸に我が酔う」という短歌が瞬間に私の胸に湧き起こって来たほどです。
 こうした事の結果、私はいつも落ち着いておれる人間になりました。心に動揺がなくなりました。信仰の結果です。
 いわゆる、信念ではない。信念の結果、心に動揺がないのではない。心の堅く信じて、信念が出来上がっているのではない。穏やかな信仰という心の底根が出来上がっていて、いつも安心なのです。
 自分の自力で、我慢一杯、こらえて、こらえて、信念を固めて、意地を張っているのではない。心の底に安心の岩が張って居て、何が起こっても、アハハハハと笑って居れるような平安感がある。
 つまり信念ではない。信仰です。信仰とは何か。イエス・キリスト様への信頼です。赤ちゃんがお母さんに胸に抱かれて、なに一つ心配しないように、ただイエス様に愛されているという信仰だけで安んじているのです。
 信念は自力です。これも悪いことじゃない。いいことです。しかし、信念は疲れます。信仰は疲れません。自力ではないからです。一切、主イエス様に委ね、任せ、御旨のままに、すべては成って行くと肚を決めているのです。
 ここで質問が起こります。「それなら、何もしなくて、イエス様に放ったり任せで何もしなくてよいのですか」と質問する方もありましょう。
 いいえ、違います。イエス様に一切の結果を任せつつ、イエス様が静かに語り給うお勧めの言葉に心の耳を傾けつつ、また聖書のお言葉を思い起こしつつ、為すべきわざ、語るべき言葉、心にしっかと抱くべき信念の言葉を語るのです。これは自分自身に言い聞かせるべき言葉です。
 詩篇第103篇1節に「我が魂よ、主をほめよ」とありますが、ここの聖句をよく見ますと、自分で自分の魂に命令していることがわかります。
 「信仰は自力ではない」と先に言いましたが、実はここで自分の魂に命令しているところを見ますと、ここだけは自力ですね。
 神様が「頑張れよ、自力を使ってでも頑張れよ」とおっしゃっている感じです。
 自分で自分の魂を励まして、「主をほめよ」と命令しているのです。
 ここに真理があります。人は他人の励ましには素直に聞けなくても、自分の命令語には素直に聞くものらしい。この聖書の確定語に「アーメン」と答えましょう。《く》
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by hioka-wahaha | 2011-11-08 17:13 | 日岡だより

No.512 私が神癒信仰を体得したのは 2011.10.30

私が神癒信仰を体得したのは   

 私が神癒の信仰を持った切っ掛けは、私の30歳の頃ですが、西田天香先生の一燈園生活にあこがれ、一燈園生活を実践しようと努力を始めたことに端を発します。
 一燈園と言っても知らない方もあるでしょうが、京都の山科にある修養団体と言ったらよいでしょうか。西田天香という人が始めた無所有、無一物、徹底下座、謙遜の限りを尽くして奉仕生活に従う団体です。
 大正・昭和の日本において宗教的人物として最も世に知られ、かつ事実、凄かった人物としては、賀川豊彦先生とこの西田天香先生に勝る人はないでしょう。
 マタイの福音書第6章25節以下のお言葉、その章の終りまでお読みください。「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
 西田先生は、この聖書のお言葉を引用されて、ご自身の清貧そのものの生活ぶりが、どこから来ているか、説明なさったものです。そして、その生活ぶりを、そのまま私たちに見せてくれますから、一言の反論もできません。本当に納得できます。
 ただし、こういう無一物生活の中で、もし病気になったらどうするのか、この質問に会う時、私は金は無くてもよい、神様に癒して頂くんだと言い切って、そして神癒の信仰に突入したのです。こうして私は神癒の信仰を獲得することになりました。
 一燈園の実験(と言うのは可笑しいでしょうか、しかし正に)、金や経済の世界で、聖書で言うようなキレイゴトが通用するかどうか、それをはっきり見せてくれるのが、西田天香先生の一燈園の実際体験です。だからこれを「実験」と言ってみたのです。
 一燈園で一番有名なのは「お便所の掃除」です。一軒一軒順番に廻って、「ご免下さい。精神修養と思って、各ご家庭にお願いしております。恐れ入りますが、お宅様のお便所の掃除をさせていただけませんか。いえいえ、お金は勿論いりません。営業ではありません。先程、申し上げましたとおり、私どもの身勝手な修養の一つお願いなのです。お便所の掃除など見知らぬ者たちにさせるのは、ご不審で、いかがわしく、嫌なお気持がなさろうかとも思いますがお許しください」。こう言って、各ご家庭に行き、お便所の掃除をさせて頂く。当方はバケツ、たわし、タオル等々、持っております。
 京都の町ですとね、もう一燈園さんは慣れていますから、「さあ、どうぞ、どうぞ」と歓迎さえされますが、慣れない他の地方では、眉をひそめて警戒されますよ。何か、きれい事を言って、他家の様子をさぐりに来たのかしれない、あとで泥棒にでも来るのではないかと怪しまれます。
 しかし、こういう時、一燈園の先輩諸氏は、するりと入って行けます。私は特に、西田天香先生の後に従って、先生のなされる様子を拝見したので、よく分かりました。
 天香先生と来たら、柔らかい風が舞い降りて来るように玄関や、店先に佇ずみます。そして、「ご免なされや、お願いがございます。修業中の者でございます。お宅様のお便所のお掃除をさせてくださいませんか」と言った塩梅です。実は昔のこととて、やや本当のご様子の程は忘れてしまっていますけれども、まあこんな風でした。
 私流に言いますとね、こういう時の天香さんのお姿は風流なんですよ。私の目に焼きついています。
 ともかく、天香先生、いや実は天香さんとお呼びしたい。実は一燈園における先生への呼び名は「天香さん」でした。後に参議院議員にもなられた天香先生でしたが、お名前を呼ぶ時には、やはり「天香さん」です。思い出すのは、1956年、昭和31年ですが、いわゆる夏の集いです。大分の私どもの集会から10名ほど揃って参加したものです。天香先生も特に心を留めてくだって私ども一同をお呼びくださり、お声をかけてくださったものです。
 その後、天香先生も亡くなられましたし、私も一燈園からやや遠ざかりましたが、あの「無一物中無尽蔵」の体験は忘れられません。さて、無一物で金はない。病気をすれば「神癒」で乗り越える。正に勇気ある信仰でしたね。《く》
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by hioka-wahaha | 2011-11-01 17:19 | 日岡だより