<   2011年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

No.498 どこででも祈れるために 2011.7.24

どこででも祈れるために   

 「神のシークレット」という本が地引網出版から出ています。本の帯には「これを実行すれば、あなたの人生は確実に変わる」とある。この本を推薦図書台にあげて置きましたので、教会に出席の方はお読みになってください。
 さて、その最後のほうの238頁以下に、祈りのコツが書いてあります。私はこれは非常に実践的で参考になると思いました。この機会に、家庭などで一人で祈りを続ける習慣をつけるために大変よいと思いました。
 求道者の方のために咄嗟に祈る時や、乞われて病気の方の前で祈って差し上げる時、却ってこういう時には思いもかけず心のこもった祈りが出来るものですが、一人で下宿屋の2階で祈る時など、なかなか祈りにくいですね。あるいは又、
 どこか、森や海辺に行ったら祈れそうなものですが、案外むつかしい。ちょっとした、風音や、木の葉の落ちる音、何者かが近づくような音でビクッとして祈れない。そしてこんなことで心が散って祈れないなんて、神様に申し訳ないと落ち込んでしまう。この私(釘宮)も若い時に、よく経験しました。
 自分の家や、近くの里山、海辺などで、ご自分で祈り慣れた最適な場所を求めるのは良いですね。祈り慣れると、その場所と時刻が決まってくるものです。また旅行の時には、電車や旅館や公園の中などでの使いやすい場所が自然に決まってきます。
 また、街の中では朝や夜、道を歩きながら、歩行祈祷の醍醐味を味わってください。この「ながら祈祷」のコツは、特に奥様がたは既に早く体得できているかもしれません。お掃除をしながら、お料理を作りながら、祈りの深みが体得できるものです。
 ブラザー・ローレンスは司祭ではなく、平の修道者でしたから、いつも祭壇の前で祈るということはできません。ある時は、葡萄酒の買い付けを命じられて、沢山の樽詰めの葡萄酒を買いました。それを船の甲板に並べて修道院まで帰ろうとしましたら、海が荒れて波が高く、葡萄酒の樽が倒れて甲板上を転げまわる。それを追うローレンスも、一緒に転げ回って一般の乗船客の爆笑を買ったと言われます。
 そういう時も、ローレンスは祈りと賛美と平静を失わなかったと言われています。こんな時にも、礼拝にぬかづいている時と少しも心の状態は変わらなかったそうです。
 一般のサラリーマンの方や、主婦の方など、それぞれの場で、さて、祈ることはできるかな、と試みてください。
 まず通勤の方、電車の中や、歩いている時、イエス様を見上げて祈ることを試してみましょう。案外やさしく出来るものです。さりげなく同僚の方などに会釈して祈りの場を持つことは、やれば出来るものです。
 スーパーなどでは、窓際で外を見ながらコーヒーを頂ける店がありますが、そういうお店や、トイレの中などでお祈りはできます。どうです、車をお持ちの方は、車の中こそ最適の祈り場所ではないでしょうか。
 もう一つ、祈りの主題のこと、これこそ硬くならないで、牧師さんの上手なお祈りなんか見本にしないで、子どものような幼稚なお祈りで結構、そして手当たり次第、何でも祈りの主題にしてください。尚、
 一番、正々堂々と大きく構えてお祈りできるのは、朝の新聞をそのまま抱えて第一頁から、順々に見出し文字を拾って祈ってくださることです。国会議員並のお祈りが出来ますよ。いやいや、もっと大きく、世界平和と宇宙完成のため、これは賀川先生の祈りでしたかね。
 今朝は、あるお宅ではお子さんが祈ったかも知れません。「神様、ゆうべはお肉を沢山食べました、牛さんが可哀そうです。牛さんが天国に行きますように」。こういうお祈りをお子さんがされましたら、「ほんとうにね。よく祈ってくれましたね。お母さんも祈りましょう」って、お子さんとご一緒にもう一度祈ってください。皆さんのご家庭に豊かなご祝福を祈りつつ。《く》


私にとっての禅   

        (二)
 
 応真和尚だったか、いつも自分にむかって「主人公!」と呼び、「おう」と答えていたという。これを、自分の心にむかって、お前が「主人公なんだぞ」と言い聞かせ、自分で「おう」と答えて独り合点するうちに、しだいに自分が自信にみちた人間になるという、禅をそういう自己暗示療法のように解している人がある。そのように誤解する世人も悪いが、そのように誤解させる禅林の人もよくないと思う。(キリスト教を道徳教か賛美歌教のように思わせたり思ったりしているのと同工異曲だが。)
 <つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
[PR]
by hioka-wahaha | 2011-07-26 14:59 | 日岡だより

No.497 永井先生を迎えて感謝! 2011.7.17

永井先生を迎えて感謝!   

 先週の木曜日、永井先生が見えられました。少なくとも、今日までは滞在される筈です。先生のお出でになるのは、何よりも私が嬉しい。先輩牧師としての優しいお交わりを頂いて、いわゆるもぐり牧師の私は本当に心休まる数日を過ごすことが出来るのです。
 もぐり牧師などというのは、私の牧師と称し始めた頃の偽らざる自覚だった。正規の神学校を出ていないということもあるが、長い間、無教会の伝道者として自称してきた自由伝道者の依怙地を捨てて、並居る教会の牧師先生がたと肩を並べて「牧師」と称するのは恥ずかしいというより、申し訳なかったのである。今はもう、大分市内の牧師会でも、長老牧師として扱っていただき、先生がたにも愛されていますが、
 その中でも、永井先生がこんなにも私を敬愛して下さる事実は、私の牧師としての生き甲斐の一つです。その生き甲斐の第一は言うまでもなく神様、そしてイエス様の限り無いご愛顧ですが、それに継ぐ第二は永井先生のご信頼でした。その現れの一つは先生の大事業、あの東北拡大宣教学院の初代の理事長に私を招いて下さったことでした。
 この度も、先生ご自身、この大分までわざわざいらっして下さり、4日間も滞在してくださる。私は毎日先生の所に伺って、無礼講に過ごしていますが、本当に有り難い個人レッスンの時です。
 日本という国も益々、世界の中で注目され、重んじられる時代になっています。先生の率いられる「イエス・キリスト福音の群」も、世界に出て行って、日本人の面目と日本人の福音信仰者の面目を広く伝えて頂きたいものであります。私も、この教会も先生の後に従いましょう。(釘宮)


私にとっての禅   
     
       (一)
         
(先週よりのつづき)
 目下私は坐禅をつづけて、わずか四ヶ月であるが、四ヶ月で体得したものを二、三かきつけておこう。
1. 心をしずめることが手早くできるようになった。
(すわって三十秒もたつと、すでに頭からノボセがぐっと下っていく気がする。)
2. 心のきりかえが早い
(集会の寸前に新聞を見ても、心が動揺していないようである。これまでは集会前に新聞でも読むと心状がすっかり荒らされてしまって、説教が出来ずに困っていた)
3. 持続する能力がました
(毎日ピアノの練習を五分か十分ずつうまずたゆまず、それ程上手になりもせぬが、あかずにする。わずか五分十分に心をこめてやる)
4. 全般的な感じとして、生活の流れが一分のムダもなく充実し、且つ緊張の連続でなくて、緩急の自在を得ていると思う。
 
 以上のような効果が少しでも自覚的に体験されると「今日は大変忙しいので、いつもより余分に祈らずにはおられません。」というルター的告白も無理せず分る気がする、坐禅が祈りだとするならば。そして私は信じている、坐禅は一つの祈りである。少なくともこの私において。
 
 サンダー・シングにある人が「冥想の方法」を問うた時、サンダー・シングは「私はしばしば聖書の一句(特にヨハネ福音書の言葉が好きなのだが)に精神を集中して冥想をはじめる」と答えている(サンダー・シングは、実に神秘的な人で故金井為一郎先生の名訳がある)。冥想を無念無想になることだと思っている人も多いが、これはやってみたことのない人の誤解で、勿論一つの相として無念無想という事もあるが、すべてが無念無想ではない。たとえば、一番はいりやすい境地は心が二つに分離されて、自動車の音も人の声も、虫の音もそれなりに聞こえ、時には普段より敏感であるし、またいろいろ考えたりもする、そのくせ、もう一つ深い心があって、それが深淵のように沈みかえり、何事も無きかのように落ちついている。その心を無念無想だと表現すればたしかにそうだとうなづける。その深い心がひろがって全身全霊をカバーしてしまう時、「無」になった境地があるのかとも思う。その辺の処は、今の私には分らない。
 
 サンダー・シングにかえろう。彼のいう「聖書の一句に精神を集中する」―――、このやり方はまさしく禅宗の「公案」に似ている。私も実は坐禅しつつも老師の処に参ずるわけではないから結局「独り坐禅」になってしまう。そこで「公案」はおのずから内より湧いてくる。その時、私にとり、イエスやパウロやヨハネの言葉の一句がしばしば「公案」となる。サンダー・シング流にならざるを得ないのである。その時、冥想は「無念無想」でなく「一念一想」である。――――これが現在の私である。
 (間もなく列車は小倉駅につきそうだ。ここで一応鉛筆をおく。)

 <「私にとっての禅」(一)終わり>(1973.11「心に満つるより」No.2より)
[PR]
by hioka-wahaha | 2011-07-19 14:26 | 日岡だより

No.496 天国の鍵を握る者は誰か 2011.7.10

天国の鍵を握る者は誰か   

 「天国の鍵を握る者は誰か」
 この答えはマタイ16:19を読めばすぐ分かります。イエス様がペテロに仰有っておられます。
 「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」、と。
 勿論、カトリック教会ではローマ法王様がその鍵を使徒ペテロより継承されていると言うでありましょう。私どもプロテスタント教会では、各教会の牧師先生方がそれぞれその鍵を頂いているはずだと言うでありましょう。
 牧師任命の按手を何処で頂いたか、その証明書を持っているか、などと問いただされますと、私のように一人合点で伝道に乗り出した人間は些か身分に安定を欠くことになります。そうしたら、永井先生が私に名誉牧師の称号を先生の教団名で下さいました。有り難く思って、感謝して、その楯を牧師館の応接室に飾ってあります。
 私の人生では初めての事であります。先生の教団の名誉を傷つけないように心したいと思っています。最近は、もうどなたでも私を永井先生の教団の一員と思っておられるでしょうが、実際は最近やっとこういうことになったわけです。永井先生のお心遣い感謝しています。
 しかし、天国の鍵を握る者は聖書に従えば、使徒ペテロであると答えるのが正しいだろうと思いますが、これは私の聖書理解、本当は分かりません。天国の門をくぐる時、迎えて下さるのは果たしてペテロ先生でしょうか。ご期待を。《く》



私にとっての禅
   
         (一)
         
(先々週よりのつづき)
 ルターの有名な言葉に「私はいつも一時間祈るのだが、今日は特に忙しいので、三、四時間祈らねば到底だめである」というのがある。信者さんを祈祷生活に発奮させようとして、しばしば牧師さんに使われる実例(?)であるが、それがルターの実例であって、その牧師さんご本人の実例でないため、効果のうすいことおびただしい。
 プロテスタント教会でいう「祈り」とはしばしば「心のありたけ、口からで出まかせ、人間の思いをそのままはき出す」ことにほかならず、それはストレス解消と自己暗示療法に役立っているというものの、それ以上の宗教的境地に導くには非常に困難を覚える―――それが現在のプロテスタント教会の実態ではなかろうか。修道院などの長い伝承をもつカトリックではその点非常に有利な教育遺産をもっているのではないかと思う。
 私がかつて「祈祷について」の指導テープで私の体験から推して「いぶきの祈り」「手刀の祈り」等といった一種のメリハリのきいた祈りのしかたを提言し、それがいかに日本の神道などで実証されているかを示した。カトリックでいう「射祷」は私のいう「吹矢の祈り」か、「手刀の祈り」に似たものだろうが、そういう処に伺い知られるカトリックの祈祷指導の深さに私は目をとめるのである。
カトリックでいう冥想(Meditation)とは、坐禅とは大分趣を異にするが、また現代プロテスタント教会の祈祷とも相当かけはなれているように思う。
 さて、上述のルター体験であるが、あれは多分プロテスタント流の「おらび祈祷」ではなく、冥想的祈祷であろう。最近、山本先生の雑誌(「真の光」)で、神戸の佐藤先生が毎夜七、八時間祈るのだと書かれてあって、感動とおどろきと畏怖さえ感じたが、そういう迫力と持続の祈祷の秘訣は「おらび祈祷」ではなかなか?めない。ましてお上品な「メソメソ祈祷」ではね。
 最近、私は一、二時間の坐禅を続けることによって、上述したルターの言葉が体験的によく分るようになった。スポーツの選手が、マッチの前に十分にトレイニングしておかねば気がすまぬように、私も今日は特に重要問題が多いぞ、忙しいぞ、という日には、日頃より早くおきていつもより余分にすわっておこうとという欲望にかられる。このあたりの心境の説明がむつかしいが、ご利益を求めずに坐るのであるし、また坐っている時は決してそういう欲望が心にわきはしないが(湧いたとて、それを放っておくのでもあるけれど)しかも、その御利益を望んで、早くすわろうといそいそと坐禅の坐につくのも事実である。(つづく)
 (1973.11「心に満つるより」No.2より)
[PR]
by hioka-wahaha | 2011-07-12 16:04 | 日岡だより

No.495 始祖の罪の責任が全人類に及ぶ悲劇 2011.7.3

始祖の罪の責任が全人類に及ぶ悲劇   

 
「ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」
   (ローマ人への手紙5:12)

  
 これはパウロの至って冷静な文章に見えるが、実は激情的な宣告である。私は青年期、この聖書の個所を読んだ時、心臓がえぐられるようなショックを受けた。
 「すべての人が罪を犯した」!
 そうだ、今生まれたばかりの赤ん坊も、この宣告を受ける。人は生れながらに罪人なのだ。
 双子の赤ちゃんが生まれた時、2人の赤ちゃんが同じにお母さんの乳房に取り付くことがある。乳房は2つあるから良いようなものだが、両方の乳房に取り付いた赤ちゃんが、無心に喜んでお乳を飲んでくれればよいが、時には一方の赤ちゃんが隣の赤ちゃんをお母さんの乳房から払い除けようとすることがあるそうだ。私はそのような様子を見たことは無いので、事実かどうか知らないが、ありそうなことに思えて、「うーん」と考えこんだことがある。
 人間は生れながらにして利己主義者、排他主義者か、と「うーん」とうなったのである。
 終戦後、間もなくのことであったが、東京駅か、上野駅か、プラットホームで入ってくる列車を待っていると、独りの女性が体がくずれてレールの脇にころげ落ちた。「あっ」と思う間もなく、一人の青年が飛び降りてその女性をホームに抱え上げてあげた。そこへ列車がやってきた。青年は一瞬、車輪の下に倒れた。
 その新聞記事に私は泣いた。そして、そのような現場に、もし私がいたら同じような行動を取り得るだろうか。私は自分で自分にその自信がなかった。私は自分の頭や胸を打ち叩いた。情けなかった。神様の言葉に仕え、伝道している身がなんという情けない覚悟の無さか。
 生れながらの私の身に、罪の心が染み込んでいる。潜在意識として罪の思い、利己保身の思いが私の心深くにどっかりと座り込んでいる。この無惨な自覚が私の心を捉えて放さなかった。《く》


第一回鶴崎集会のこと(上)   

 私が今、仕えさせて頂いているキリストの福音大分教会の基礎は鶴崎集会に始まっていると思う。それまでも小さい集会を開いていなかった訳ではなかったが、1949年(昭和24年)10月9日に第一回集会を開いた大分県鶴崎市西町、林正貴兄宅における鶴崎集会こそ、現キリストの福音大分教会の基礎であったと思えるのである。
 私は当時、その大分県鶴崎市にあった大分県立鶴崎高等学校の事務職員をしていたのである。残念ながら教職の資格を持っていなかったから事務職員に取り付いたのであるが、職はなんでもよかった。この鶴崎という町にある職にありつけさえすれば良かったのである。
 今も覚えているが、その鶴崎市の中心の四つ角にあった電柱に「この町でキリスト教の伝道をはじめます」と書いて私の氏名をいれたB4の用紙を貼り付けたのである。
 私としては、この小さな宣伝文を読んでくれる人は、そんなに多くはあるまいと思ったけれど、この町と書いたのは書いたが、れっきとした鶴崎市である(後に大分市に合併される)、昔は大分市よりも繁栄した別府湾唯一の貿易港であった由緒ある鶴崎港の町だ。
 実は、その日、私は「鶴崎に行け」という神様のお声を聞いたのだ。私はそれまでこの鶴崎という町には殆ど行ったことがなかったのだが、神様のお声だもの、私は直ぐに自転車に乗ってこの町に出かけたのだ。(距離は大分市から直線距離10キロ、昔の人は3里と言っていたが、歩いて行くのは大変、自転車でどうにか行けるのである。)
 そして用意した宣伝ビラを電柱に貼りはしたものの、「さてどうしよう」と考え込んだ時、この町にある県立高等学校の校長さんが私の親しいクリスチャンの姉妹の兄さんであったことに気がついた。私は、早速その高等学校に行って校長さんを訪ねた。そして「この町で伝道したいんです。お宅の学校のPTAの役員さんなどにご紹介下さいませんか。お会いしてよろしく頼みたいのです」とお願いしたことである。
 ところで、その翌日から3日間、鹿児島の霧島山の麓にある国民宿舎で、九州キリスト教会青年会の合同聖会があったのである。《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2011-07-05 16:46 | 日岡だより