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No.459 大胆に祈りましょう! 2010.10.24

大胆に祈りましょう!

 昨日の土曜日の朝だったが、早天祈祷の座で日課の聖書箇所を開くと、以下の二箇所だった。
 アモス書第3章8節の「獅子吠ゆ、誰か恐れざらんや。主なる神、語り給う、誰か預言せざらんや」。
 また、ヘブル書第3章7節の「御霊の言える如くせよ」。この二つの御言葉で、強く思い出したことがある。
 それは、戦時中に非戦論を語り始めた状況である。
 私は神様に強く押し出されて、教会の青年会や、自宅に訪ねてくれる若い人たちの前で、私の戦争に関するトルストイ流の非戦主義を語らざるを得なくなったのである。
 私は決して気の強い大胆な人間ではない。しかし何者かに押されて語らざるを得なくなった。そして、一度語り始めると、さらに気迫を込めて断言口調で語ったことを思い出す。
 とは言え、それでも、徴兵検査の場で、「いいえ、私は兵隊に行きたくありません」と検査官の将校の前で余程言いたかったが、ついに口を開くことが出来なかった。そんな臆病者の自分に対して非常に口惜しかったことを覚えている。
         *
 今、日本で「平和」を語ることは簡単です。戦争中のようにどこからも文句は言われません。しかし、平和の声は弱いですねえ。これは、もっとキリスト教が強くならねばいけません。
 日本でキリスト教が強くなるための具体的第一の道、皇室の方々に多くのクリスチャンが生まれるよう祈りましょう。天皇様、皇太子様、はじめ皆さんに伝道する道はないのでしょうか。ともあれ、まず祈りましょう。皇室にクリスチャンが一杯生まれること。
 美智子様はクリスチャンらしいですが、美智子様が大胆に「私はクリスチャンです、クリスチャンは素晴らしいです」と信仰告白できるように応援の祈りを日本中のクリスチャンがするといいですね。
 さあ、今日から祈りましょう。天皇様ご一家が皆様洗礼を受けられるように、祈りましょう。
 こんな愉快な日本宣教のアイデアを皆さん送って下さい。どんな祈りでも聞かれます。大胆な祈りを神様は喜ばれますよね。《く》
 
 
 今週から【過去の週報より】というシリーズを始めます。さまざまな形の週報様式の発行物に載せられた釘宮義人牧師の短い文章を集めてみます。その一部はすでに「こうすれば信仰がわかる」(マルコーシュパブリケーション発行)に収録されていますので、釘宮義人牧師随想集②ともいうべき文章録になると思います。

【過去の週報より①】 (1971.2.14~1971.7.18)
主イエスキリストの弟子兄弟団大分福音集会「週報」1号から21号まで。ただし20号21号は「集会だより」というタイトル
この頃は釘宮義人牧師の手書きです

■一九七一年二月一四日
<平安>
 人は神につくられたので、神に帰るまでは平安を得ない、とアウグスチヌスは言った。人の真実の平安は金にはよらない。地位にもよらない。学問や芸術にもよらない。
 肉体の休息は、あるいは温泉や療養で得られよう。精神の安らぎは、あるいはマイホームや催眠療法に得られよう。しかし、本当の魂のやすらぎは、神の御フトコロに帰るまでは得られないのである。この我らの最終の帰着地を、賀川豊彦は「永遠の乳房」と呼んだ。神を母性原理で捉える東洋人らしいすばらしい表現である。

<聖なる息吹き>
 聖書をよむとは、この聖書に貫流する神の極限のリズムをよみとることである。聖書の文字づらを這いまわることではない。この聖なるリズムこそ永遠者のことばである。聖霊の息吹きである。この聖なる息吹きに我らが身心の内側を貫通され、我らのすべてが聖なる震動に生かされるとき、我らはまことに神の聖徒である。
 先週の主日、Kさんの祈祷のように途中で音質が変わってきて霊味をおびてくる。(あれは悪くすると神がかりの低い霊にとらわれやすいので注意を要するが、恐れることは無い。徹底して神の聖と真実を求める魂には悪霊もどうしようもない)。ああいうように、私どもの声、肉体、為すわざのすべてに、神の干渉波があらわれて、私ども聖化することを、我らはひとしく切望しよう。
 
■一九七一年二月二一日
<詩篇について>
 詩篇は小さな聖書である、とルターは言った。詩篇は教会堂の窓に似て、聖徒らの信仰生活の内奥の秘密がかいま見えるのである。
 詩篇は日本の多くの詩に似て叙情詩である。イリアッドとか神曲とか失楽園のような大叙事詩は日本人もヘブル人もにがてらしい。
 詩篇は人生の経験うすく屁リクツの多い青年時代にはあまりよく味わえないようである。人生の哀歓をなめつくし、信仰の闘いを多く闘いぬいてきた聖徒にとり、詩篇はまたとない共感の書となる。ルターは法王庁との戦いに身も魂も食いちぎられそうになったとき、多分詩篇は彼の最も身近な宝となったであろう。

<イザヤ書第四九章一~四節>
 これは無名の預言者第二イザヤの詩です。この箇所は旧約聖書中、最高峰といわれる「主の僕の歌」の一つです。
 若い日々、私はこういう預言を自分のことのようにきいた。
「世にありて真理を知らば我もまた一小預言者とならざるを得ず」
と歌ったものです。
 当時たしかに自分を神の鋭利なる剣に擬して、「おれは日本をつく」と泣いて誓ったこともあったのです。日本のために諫死しようと思ったこともあったのです。ああ、ああ、私も今は鈍刀になってしまったなと、なげくことしきりです。
 しかし、詩篇九二の一四ではないが、「年老いてなお実を結び、いつも生気にみち、青々として」生きることを主に祈誓しましょう。キリストの生命にいかされて、そのことが私に実現することを感謝したい。
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by hioka-wahaha | 2010-10-26 14:19 | 日岡だより

No.458 あがないの真理 2010.10.17

あがないの真理 

 先日、10月10日に開かれた「一泊聖会」の初日、夜の聖会だったかと覚えているが、何かのきっかけで、「あがない」という言葉が私の注意を引いた。私は、
「そうです、イエス様は私たちのために、あがないとなってくださった」
 と、話し始めた。
「イエス様のあがないとは、イエス様が私たちのために身代わりとなって、私たちの罪の代償としての死をご自身に受けとめて下さり、私たちは死ぬべき命を助かって、イエス様から身代わりの命を頂いているということです」
 こう語り始めながら、その時、今、私が持っているこの体はイエス様の体で、既に私の体というものは無いのだ、と感じたのである。
 私はその話を続けながら、今しゃべっている私の体、この頭、この口、この手足、この心臓、この肺。すべてイエス様のものなんだ。もう既に私の体は無くなっている。私の体は地獄の火の中に葬られてしまっているんだ。ありがたい、ありがたい、この私の新しいこの体よ、この体はイエス様だ。と私は心にむせび泣いた。その私に気がついた。
 
 こうして私は、「あがないの信仰」というものに改めて、気がついたのである。これまでの私の「あがないの信仰」は、キリストによる「義認の信仰」を持たせて頂いて、私の罪は無視されて、私は義人と認められたぞよ、という信仰であった。
 それはそれで、良い。長い間の私の信仰である。決して誤った信仰ではない。私はこの信仰を22歳の晩秋、昭和19年11月23日の夕刻、福岡の刑務所の独房の中で頂いた。
 その日以来、66年、私のその信仰は、硬く私の霊の底に定着している。その私の信仰は微動もしない。これは私の信仰ではない。キリストの所有する信仰なのだと、私は受けとめている。
 しかし、今回、私の「あがないの信仰」が格上げされたのである。これまでの信仰はこうである。
「私はつまらん駄目な人間だけれど、イエス様のあがないの血潮により、義人として認められたんだよ、ああ感謝です。」
 しかし、イエス様のあがないの救いをはっきり信じたならば、私はイエス様の身代わりの血潮により、すっかり新しい、清い、力ある、クリスチャンとして、イエス様の体に換えられているのである。私の古い、弱い、偽善者としてのクギミヤ・ヨシトではない。古いヨシトの体は死んだ。今や、私はイエス様の聖なる体に造り換えられつつある。力ある使徒になりつつある。
 これが、あがないである。私はあがなわれて、新しい人になっているのだ。「信仰による義認」を越えて、「聖霊による人間改造」の第一歩を踏んでいるのだ。《く》

<信徒一泊セミナー> 

 先週礼拝後、秋の信徒一泊セミナー(聖会)が開催された。九電の別府保養所に泊まり、集会には離れを使わせていただく。とても由緒ある建物らしい。私達は照波園と呼び習わしているが、正式にはどこにもその名は見あたらないので、その呼び名が正しいかどうか定かではない。
 まわりに建物がなく、敷地内の他の部屋とも文字通り離れているため、一般の施設であるにもかかわらず、大声で祈っても歌っても大丈夫なところがとても嬉しい。早天祈祷会では海から昇る朝日が御言葉をとりつぐ牧師の背後を赤くそめ、まさに「後光」状態。座敷のなか、各自好きな位置にばらばらと陣取ってメッセージに耳を傾けるのは旅の途中の宿屋や野原でイエス様を囲むお弟子たちのような気分である。
 さて、このセミナー、月曜が休みとなる連休を使って、春と秋の二回開催されるのがこの近年のわが教会の恒例行事となっているが、今回は格段に満たされた聖会となった。
 何かをあらたに教えられた、というより、各自がリラックスし解放された中で、それぞれに目標や何らかのめざす道を心にしめされた聖会ではなかったかと思う。参加者の証しを待ちたいと思う。
 次回の春は、教会堂での実施となる予定だ。景色のよい場所でゆったりとして行うのも良いが、祈りのこめられた会堂にはまた別の恵みがある。また宿泊が無理な方でも参加できるのも利点であろう。多くの参加者を期待したい。(S)
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by hioka-wahaha | 2010-10-19 11:06 | 日岡だより

No.457 イエス様も泣かれたのです! 2010.10.10

イエス様も泣かれたのです!

 幕末の頃、熊本でのことだが、天下国家を思う勤皇の同志たちが集まると、「おい、泣こうじゃないか」と言って、武者震いして、一様に声を上げて泣いたらしい。もっこす者の肥後人の生態である。
 幕屋の創始者、手島先生が聖書の講解をしている時、罪ある女にイエス様が声をかけなさる場面など、先生の声が震えてきて遂に涙を流して泣かれることがあった。だからと言って、私は、「やっぱり、手島先生も熊本の人なんだなあ」と言うのでは、勿論ない。「やっぱり、先生だなあ」と思うのです。手島先生という方は、気持ちが純粋で、感情を正直に表現される。
 イエス様も泣かれた。マルタ、マリヤの弟ラザロが死んだ時のイエス様の言動は本当に不思議である。
 はじめ、ラザロの病気の知らせをお聞きになった時、早くもラザロの死ぬべきことを弟子たちに語って居られる。しかも、マルタに向かって「彼は生きるのだ」と宣言なさるのである。これほどにラザロの復活を信じられながら、ラザロの墓に近づかれると、イエス様は「激しく感動し、心を騒がされ、又涙を流された」、などと聖書にあります。
 イエス様はラザロの死体をご自身が生き返らせられることを事前に予告し確認されながら、なおも墓前にくると涙を流して泣かれる。こうしたイエス様の感情の動きは、私たち尋常の者にはさっぱり理解できません。
 イエス様は人と違い、神様です。すばらしい予知能力、生命回復力をお持ちです。しかもその時々で、全く人間同様の不安や心配や恐れまでも感じるらしいことに、私は驚くのです。
 これは私の解釈ですが、イエス様は墓の側に来られると、死んでいるラザロの陰府での恐怖も、側にいるマルタ、マリヤたちの弟ラザロの死への悲しみも、すべてを感情移入されるかの如く、悲しみ悩まれるのではないでしょうか。死んでいるラザロの心中の恐怖心、寂寥感も、感じ取って、可哀そうに思って居られるのかも知れません。
 これは、2千年前のユダヤにおける話ではなく、現在の私たちの周辺で起こる話なんだと心得てみましょう。
 マルタ、マリヤや、ラザロの側近くにイエス様が来て下さったように、今も私たちの側に来て下さるイエス様、このイエス様に私たちも触れることが出来る。そして、死でさえも、その他あらゆる人生問題のさなかに側に寄って下さり、私たちの身近に寄り添って下さって慰め助けて下さるイエス様を期待しようでありませんか。《く》
 
 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

いのちの初夜(9)

 このように、人の言葉(ありていに言えば日本語の一つですからね)を神の言葉となさしめる、つまり人にこのように感動せしめる力が聖霊である。この聖霊に感じた言葉(思想)をうけて一瞬のうちに魂の方向がひっくりかえり回心する時、私はそれを本当のキリスト教的新生と呼ぶのである。
 
          四
 
 インドの聖クリスト者サンダーシングは、「今宵神を見ざれば朝の一番列車で死のう」と決心して、一夜祈りはじめた。その時、彼はキリスト教を邪教と思いヒンズー教の神に会うことを願っていたのである。その夜、活けるキリストはサンダーシングにあらわれた。それは、幻のキリストでなく、本当に肉体を持ったキリストであったと彼は言っている。
 私の福岡刑務所における回心は、それほどの驚異的神秘体験ではなかったけれども、一人の人間の生涯を改変させる宗教体験としては、同質のものであったと確信する。私はその時より、自分の信仰の質が(量や重さではないが)パウロやヨハネなどと同じであるという不遜な程の自信を持ってきた。
 刑務所の中で、私は昨日と同じように赤着物を着て、寒さにこごえ、すきっ腹であった。しかし、うすいフトンの中で目ざめた時、私の肉体の中を貫流する血液が、まぎれもなくイエスの血であるような感情にとらわれ、そのドクドクと流れるイエスの血の音が聞こえるようで、感動の涙が目にあふれた。あつい、あつい涙であった。
  エス君のあつき血潮の今もなお
  溢るる思い我が身にぞすれ
と歌ったのはその時である。この歌は一瞬に生まれた。
 その時より、自然も社会もこれまでと違った様相を見せてくれはじめる。矛盾をガッチリ受けとめて、矛盾のまま飲み込みできるような性質に生れ変わっている自分を感じる。他を赦すということが実感として分かりはじめる。
  あるものの胸にやどりしその日より
  輝きわたる天地の色
 これは内村鑑三の歌であるが、その間の消息をよく伝えている。
 私の刑期は昭和二十年一月二十一日に終わる。あのけわしい戦時のさなかに「非国民」が故郷に帰るのは容易なことではない。母や親族のものは、家を売ってどこか遠方に移転しないかと言った。しかし、私は四面楚歌のつめたい環境にスルリと帰って行く自信があった。非国民を身内から出したと言って憤慨していた有力な親族が、出所早々挨拶に行った私を一回見るや、急変して職を世話してくれたりした。見事な人生の転換があった。私は誰にも恥じず、逃げ隠れもせず、かといって居丈高に反撥することもなかった。
 最近の週刊朝日に連載されている松本清張の小説では、こういう時こういう人間に対しては軍は「ハンドウ」をまわして、すぐにでも召集を出しそうであるが、私にはその召集は遂に終戦の時まで来なかった。起訴や服役の時の事務処理で、私の召集名簿がどこかに紛れ込んでしまったのであろう。皮肉なものである。(連載終わり)
     (※以上は1971年の文章です。)
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by hioka-wahaha | 2010-10-12 12:08 | 日岡だより

No.456 愛国の預言者エレミヤを想う(3) 2010.10.3

愛国の預言者エレミヤを想う(3)

 しかし、よくよく考えれば、この「今は忍耐の時だ」と言うのは、やはり詭弁だと思いました。勿論、牧師先生がたがこうおっしゃるのは、尤もなことでもあったのです。
 それは、当時の日本では私がたった一人で「戦争は聖書の教えに背いている」と言ったとしても、私一人が警察にとっ捕まるだけでは収まらない。さっそく、私の属する教会の牧師さんがたや、私の親しかった信者の皆さんが参考人として警察に呼ばれるのは当然の成り行き、そこで、信徒の皆さんに累が及ぶ。そうした時代でした。
 その一例ですが、後日、私が警察に捕らえられた時のことです。時おり私を訪ねてきて、私の聖書研究の講義を聞いてくれていた一女性がいたのですが、その姉妹が早くも警察に呼ばれて取調べを受けていたのです。
 私が警察の中で、移動させられた時、途中の小部屋で刑事らしき人から取調べを受けている、その女性がチラリと見えた。私のことで参考人として呼び出されたのでしょう。
 私はしまったと思いました。充分気をつけていたつもりですが、私の周辺をさぐっているうちに有力な参考人として、彼女が割り出されたのでしょう。彼女自身の心配、不安は勿論、彼女の親たちの焦燥、腹立ちも充分想像できます。
 「釘宮という男を訪ねて行ったのが失敗だった。あの男の所に行くのは止めよと何度言ったかしれないのに」と、私を恨んだことであろう。
 この女性は、私が少年時代から敬愛していた従兄の釘宮大祐(既に東京に行っていた)が、大分の中学校で教師をしている時の担任クラスの教え子であった。彼が人生問題か何かで質問されることがあったのであろう、その相談相手に自分に代われる人物として、今で言えばカウンセラーだが、私を推薦したのであるらしい。
 私はこの娘さんに、こういう目に合わせて、「ご免なさい」という気持ちで一杯でしたが、それ以上どうしようもない。私自身、警察に捕らわれの身で「申し訳ない」と思うばかりで、どうしようもない。
 こういう風で、戦争中の私はなにかと、家族、親族、周囲の人たちに、迷惑をかけたものです。
 
 エレミヤも、親たちにとっても近親者たちにとっても、困った奴、迷惑至極の奴だったのに違いないのです。故郷のアナトテでは、親族の人たちから殺されかけたということも聖書に残っています。
 同様に、この日本でお前さんが非戦論なんか、しゃべって廻ってみなさい、お前の親なんざあ、自分の子どもの育て方が悪かったから、こうなったんだ。お前んところのお陰で、わしらの所では娘も嫁に行けんし、息子の就職先にもケチがつく。ええい、この尻はどうして拭ってくれるんだ、おい、お前んとこは、もう村八分だな、・・・てなことになります。
 日本の古い社会では、親族との関係や、住んでいる隣り組との付き合いが、不円滑になるということは、生活面で全く不都合を来たす、重要な問題です。
 
 そうだ、戦時下の日本では、多くのクリスチャンたちが、みんな歯を喰い縛って我慢をしたのです。聖書を読めば、戦争は悪いことだと言っていることは、みんな知っています。しかし、そのことを釘宮の義人さんのように無自覚に触れて廻っては、教会の牧師さんも、信徒の皆さんにも、どんな迷惑がかかるか分かりません。義人さんには、このことも十分に理解してほしい。
 そう言われることは、私も十分わかっています。たった一人の私が口を開いて、今の日本の戦争は間違っているなんて言っているのが世間に知られれば、ついには、全日本の教会、牧師、クリスチャンがたに迷惑がかかることは分かりきっている。
 辛抱、辛抱、今は忍耐の時だ。たとえ戦争反対の意識に目醒めている人たちでも、非戦論を語ることを我慢していた。それが我慢できないのは、独り勝手の我が侭議論であって、個人主義、教会の他の信徒たちへの愛がないからです。
 愛があったら、辛抱できる。辛抱できないのは愛がないからです。そんなことを言いつのる釘宮の義人さんは、個人主義です。愛がないのです。こう言われると、私も参ってしまったものです。そして「長いものには巻かれよ」という、民衆倫理が働く。この勢いに私も閉口しました。
 こういう民衆倫理の流れをキェルケゴールは「民衆の敵」という戯曲に書いてあったと覚えています。「民衆の敵」になることを恐れれば、正論は吐けない。民主主義は時には正論の敵になる、という由々しき結論も出て来ます。読者諸氏、この結論は如何に。
 これらの問題、あの戦争の時の日本の教会の牧師先生や信徒の皆さんの苦衷だったでしょう。そこから生まれる「戦争融和論」もあったわけです。私はそういう当時の教会の空気には従い得ませんでした。《く》(つづく)
 
 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)
 
いのちの初夜(8)

 これを回心という。アウグスティヌスはロマ書第十三章でこれをやった。ルターは「義人は信仰によりて生くべし」。バンヤンは「汝の義は天にあり」。スポルジョンはイザヤ書の言葉。私の友人たちは、ある人は「汝の国籍は天にあり」。ある人は「汝らイエス・キリストを衣よ」。ある人は「娘よ! 私はお前のお父さんだよ、私はお前を決して叱りはしないよ」と、まざまざと肉声(のごとく空気にひびいてと本人は言う)で聞いたという。このような言葉をいま我々が念仏を称えるように言ってみたところでなんの功徳もない。しかし、ある時ある人にとっては一生忘れることのできない歴史的な闘魂の鍵語となったのである。(つづく)
   (※以上は1971年の文章です。)
 
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by hioka-wahaha | 2010-10-05 15:37 | 日岡だより