<   2010年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

No.446 日本と世界を救い 私と全人類を救う 主の愛を賛美

日本と世界を救い 私と全人類を救う 主の愛を賛美

 わが愛する母国が救われなければ、私の救われた意味がありません。
 この人類の生きる世界が救われなければ、この日本が救われる意味がありません。
 こんなことを申し上げるのは、神様に対して不謹慎でしょうか。そうかもしれませんが、主よ、お赦しください。
 私どもが永遠の世界に帰る時、それはあなたの限りなき愛の然らしめる処です。
 あなたに賛美と感謝を献げる外はなく、
 またそこに主の御十字架の燦然たる輝きを認めるほかはないのです。
 私どもは感泣せざるを得ません。主よ、世界は人類の罪で滅びんばかりですが、
 その惨状から私たちを救い給う、十字架と復活の恵みを感謝します。《く》

 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(6)

 前述の岡部教授に、週刊朝日のインタビュアーが「その魂の素が宇宙にできる前はどうなっていたのですか」と問うたら、「それは時間の始めは何かというような問いと同じで、人間には分からないことなのです。分からないことは分からないままにして、分かることだけの範囲内で真実を探求する、それが科学です」というようなことを答えている。
 これは科学者の率直な、そして恐ろしいまでのあざやかな科学者の限界告白である。俗流合理主義者、科学万能主義者なども憤死せよ!という処ではないか。
 時間の永遠性、空間の広がりの無限性は、今のところ人間の意識では考えることが不可能な問題である。今は考えても分からないが、時代が進歩すればそのうち分かってくるだろうというような相対的な不可知ではなくて、人間というものが持っている本質上、到底分かるはずのない絶対的不可触的問題であると思う。
 渺々たる大海に浮く一寸法師のお椀のように、我らの世界は「永遠、無限、死」というような言葉から、梢の間にミンダナオのタサデー族が月影や星影をチラリと見たかもしれないように、不可蝕、不可知な大海の波頭をかいま見つつあるその大海に浮くヒョッコリヒョウタン島みたいなものではないか。その中で、平和を説き、科学を発達させ、戦争をする、それが我々人間である。
          *
 前述の岡部教授の説明で興味をひくのは、物質やエネルギーの不滅の原理から推論して、「人間を形成する非物質的要因は、宇宙の間で不滅である。死んでいる間は不活性となって、どこかにひそんでいる」というくだりである。空気のへったゴムまりの凹みは、一方をふくらますと、凹みが移って、結局どこかにその凹みは転移している。そのように、エネルギーや物質は不滅であると科学者は言う。
 それと同じ理窟で人間の意識に表れてくる「記憶、感情、知性」というようなものも、本来この宇宙に潜在しているのであろうか。永遠不滅、遍在盈満の「心」が時にふれ折に乗じ結露して、今この地球に人間の内に生じているのであろうか。
 試論して言えば、一例として「愛」は非天文学的な意味における超絶的な宇宙の中心的情動であろう。これはチッポケな人間の心の片すみにカビのようにはえてくる性的欲情や母性的利己心のことではないのである。宇宙の中心的愛が人間の心に結露して人間の愛情となる。キリスト教的意味における愛とは、そのような愛である。私どもは、人間の愛をとおして天地の愛の一端をかいま見るのである。
 我らの世界の外なる不可知、不可解の大海のごとき世界は、人間の知性や感覚では捉えがたい。この世界に目ざめることを、私は回心とも呼びたい。
 それは、心霊学的異常経験をさすのではない。某氏が霊媒実験で大活躍したところで、それは犬の帰家本能や鼠が大火事を予知して家を逃げ出すのと同じで、神秘界の秘密の一つを見せてくれたのではあるが、それは人間の中心的心情に宇宙の高貴なる魂が映ったわけではない。人間の生物的本能に、可視化しやすい神秘界の一片がひらめいたにすぎない。「回心」とは霊的宇宙構造における高次の心理映像が人間がいまだ普遍的に開発し得てない脳細胞において感覚されることである。それを目ざめと称する。
 ともかく、目ざめ=回心は高貴なる自覚である。それは、その人自身を「聖潔なる感覚、自由意識、鋭い倫理感、隣人愛、万有への親密感」を与えるのだ。
          *
 私はこの原稿の最後を宮崎から北上するバスの中で書いている。初秋の夕暮は早く、宗太郎峠のあたりを通る。このあたり、昔、南天棒がそのあだ名の由来の南天の木を乞い得たという宇目のあたりである。宇目の歌げんかに触発されたわけでもあるまいが、今車内で歌声がおこった。従業員諸君と共に連れだっての観光旅行の終幕も近いのである。
 どれ、社長の私もみんなに混じって歌わねばなるまい。さて、「歌はリバイバルにしようかな、フォークにしようかな」と、やっとこのペンを止めて目をあげた。
 車窓に星のまばたきがゆらいだ。
(「目ざめ」の項終了)
      (※以上は1971年の文章です。)

【おしらせ】
◎小冊子「神は愛なり」発行・・・内容は昨年日岡だよりで連載しました「主の御名を呼ぼう」です。釘宮トミ牧師夫人の召天記念に、釘宮牧師の書き下ろしのあとがきをつけて小冊子化しました。すでに記念として親しい方々には一冊ずつお配りしましたが、実は、印刷が少々粗くなってしまった分が残っています。ご希望の方に無料でお送りしますのでお申し出ください。多部数の場合、送料のみご負担ください。
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-07-27 13:29 | 日岡だより

No.445 神癒の福音を明確にしよう 2010.7.18

神癒の福音を明確にしよう

 先週は「主の福音を明確にしよう」と述べました。今回は「神癒の福音を明確にしよう」と書きたいのです。
 単純に大胆に、神癒の確かさを多くの人々に伝えたい、と言うことです。
 福音書を読めば分かりますが、イエス様の伝道の第一歩は今の言葉で言えば、「神癒」でした。
 バプテスマのヨハネにご自分のことを自己紹介されたイエス様の言葉が聖書に残っています。
 「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人はよみがえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ11:4、5)」と。
 まず、癒しの宣言をし、それを継続することです。
 私が伝道を始めたころ、まだ30歳前だったですが、集会のたびに「病気は癒されます。聖書にそのように書いてあります。神様を信じましょう。病気は癒されます」と、言い続けたものです。
          *
 私は当時、病気の方を前にして、今のように「病気の霊よ、出て行け」なんて、追い出しの祈りをするなど、到底思いも及びませんでした。ただ「あなたの病気は癒されますよ、聖書に書いてありますよね」と言っただけです。
 それだけで、多くの方々が癒されました。時には「3日待ちなさい。イエス様が癒してくださいます」などと言ってしまって、どうなることかと心配したこともありますが、それらの方々も、3日目が来ると確かに癒されましたと、ご報告があって驚いたものです。
 イエス様を固く信じて、「癒し」を宣言し続けさえすれば、かならず主は私の願いを聞いて下さるというのが、当時の私の素朴な信仰でしたし、今でも同様の信仰です。
 下段の「目ざめ(5)」に書いてありますように、後に神癒についての専門家、また大物に会うわけですが、この方々には格別の癒しの賜物がありました。私にはそんな目覚ましい賜物はありませんでした。
 ただ、めくらめっぽうに「癒されます。必ず神様の力で癒されます」と叫び続けたにすぎません。しかし、この叫び「続ける」というのが秘訣だと思います。信仰の言葉をあくまで持続することです。《く》


(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(5)

(4)それから一、二年して………
神癒体験の時代に入る。信じて祈る時、神は驚くばかりの奇蹟的御業を以て我々の病をいやし給う。今、日本では神戸で佐藤英彦牧師がすばらしい神癒伝道をしていられる。奇しくも同じ大分県の出身で、私の大先輩である。実にマットウな、きびしい伝道生活と、神癒体験の記録を拝読する時、その内容といい、当時の私そっくりである事にびっくりする。
神癒についてはこれ以上書かないことにする。

(5)昭和三十四年(?)
私は手島郁郎に会う。この超大型伝道者に会って、私はもみくちゃにされてしまう。異言を経験し、いわゆる霊的伝道なるものを目の当たり見たのはこのグループにふれたおかげである。
手島先生は、あるいは大ペテン師でなかったかと言う人々もいるくらいだが、私を心霊的世界への目ざめ、他宗教への寛容性を把握し、また培ってくれたのは先生である。私は生涯に二人の師を持つ。一人は西田天香、一人は手島郁郎。好き嫌いは別として、とにかく大物である。私は敬愛しつつも、ついていけなかったし、こんな人物に会わねばよかったと悔やんだくらいでもあったが、しかし、私の一生にとり大いに意味のあることであった。天香さんのもとで仏教的世界を知り、手島先生のもとで霊的世界を知った。それは、次の私を形成する一つの土台に違いなかった。

(6)俗世に生きる
昭和三十六年、私は一応伝道生活に別れを告げ、印刷屋のオヤジに転身した。俗っぽいソロバンの世界に生きることは、はじめ覚悟したよりも、はるかに至難なことであった。そして、今(昭和四十六年)ちょうど十年になる。私は生活と一枚になりきった信仰を求めた。その幾分かを学び、また悟ったように思う。その間、スブド、空飛ぶ円盤、J・リン君、白光真光会、マスミの家、新しき道、酒井愛神君、山蔭神道、山岸会等々、まじめな正統派のキリスト教の牧師が聞けば肝をつぶすような連中と交遊して雌伏の時を過ごしたと言える。



〔中略〕(山岸会体験の文章は割愛します)

         終 章
 ある秋の一日(一九七一年十月二四日)、宮崎県の日南海岸に来た。岬に来て、ぐるりとはるかの太平洋を見わたすと、誰かではないが、「地球とは丸いもんだということがよく分かる」のである。あの水平線の円周的感じ、その水平線のかなたから船や半島がテッペンをのぞかせてみえる具合を見ると、昔の人が地平が平面であると信じて疑わなかったことが不思議に思えてくる。
 二、三カ月前、新聞に報道されていたが、フィリピンのミンダナオ島で発見された、二十四名の一グループの原住民(タサデー族)は全く石器時代的生活を送り、他の人間との接触は全然なかったそうである。
 彼らは森林の中に住み、森林より食糧を得、ウッソウたる森林におおわれて、夜の空に月が出ることも、星が輝くことも知らなかったと言う。何世代と続く集団生活の中で、時にはチラリと見えたにちがいない月や星の影に、いささかも疑念を抱くことがなかったということに、驚かざるを得ない。
 人間とは、そういうものなのだ。最近、近畿大学の岡部教授(文化勲章受章者で理論物理学の権威)の著書で、人間の魂の素は永遠の昔より宇宙と共にあったのだなどと言っている。こういうことを近代科学の先端を行く理論物理学の教授が言うことは奇蹟に見える。人間形成の素因にからまる不可思議さは、叙上の水平線上の舟の帆や、樹の上の月影のように、時にチラリと見えるにもかかわらず、我々はそれに気付こうとせず、貝のように自分だけのせまい世界に住もうとする。
             (つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-07-20 15:10 | 日岡だより

No.444 主の福音を明確にしよう 2010.7.11

主の福音を明確にしよう

 主の福音を明確にしよう。単純に強力に、イエス・キリストの福音を宣言しよう。神が人となり給うて、我らの世界に宿り給うた。私たちと同じ肉体、同じ心情、同じ弱さ、そして同じ意志力をも持ち給うて、この地上に生き、かつ死に給うたのである。
 この真理を絶えず語り、時に応じて声高に宣言し、世人の魂を目がけて忠告しよう。
 私たちは、この福音に自ら耳を傾け、この言葉に忠実に従い、世に厳しく語りかける必要がある。そして世の人々の魂を開きたいのである。これこそ私たちの生涯をかけての尊い使命である。
 主は単に死に給うただけでなく、死のどん底にまで降りて下り、陰府を体験したもうた上で、其処から復活し給うたのである。
 再び言う、主は人となり給いし神ご自身である。この方のほかに神はない。私たちの神と呼ぶお方は、天地の創造者、かつその維持者、私たちクリスチャンの魂に住み給うお方、私たちの罪のあがない主、病いある者の癒し主、弱き心の慰め主、励まし主、イエス様なのである。
 「私に従って来なさい」とペテロに語り給うたお方は、私にも又同じように語りかけて下さるであろう。私たちは自分でイエス様を発見し、自分の力でイエス様に従うことは出来ない。
 しかし、イエス様ご自身が私に直接語りかけ、私を呼び給う故に、私は首を上げ、「ハイ」と返事して、イエス様の身許に駈け寄ることができる。この「私に従って来なさい」とのお言葉こそ、まさしく「福音」である。《く》
 
 
凡ての歌はラブソングである?
 
 新聞に、ある歌のグループのリーダーが、「凡ての歌はラブソングである」と堂々と語っているのを見て、なるほどと思った。
 何も異性を恋する「愛の歌」だけではない。凡ての歌は一切、「愛の歌」であろう。
 讃美歌は神を愛し、イエス様を愛する歌である。「荒城の月」は日本の古城の風景を愛する歌である。すべての文学作品や芸術作品にも、その作者の愛がこもっているとは思うが、特に歌を歌うとき、若い時の流行歌などを思い出して歌う時、そこに言い知れない愛の感情がある。
 友人たちや恋人たちだけではない。そこに同時に思い出す状況に合わせて色んな人たちや、周辺のもろもろの物事や、風景がある。そこにこもっている愛がある。人々の愛、自然環境の愛、神様の愛、そうした尊い愛に守られて生きてきた私たちの歴史がある。
 昔、東京ラプソディーという流行歌があった。今でも思い出すのは「神田は思い出の町、今もこの胸にニコライの鐘が鳴る」という下りだ。東京に出て、神田のあたりを行く時、この歌を思い出す。
 流行歌はともかく、クリスチャンとして肝腎の讃美歌はどうです。讃美歌ではないけれど、私には、讃美歌の曲で歌ってくれた父が作った私のための子守歌がある。この歌は父の歌声と共に私の脳裏に滲(し)みこんでいる。
 
 1、可愛いい義人よ  おいしいお乳を
   泣かずに眠らで  静かにお飲み
  (折り返し)
    夜も日も神様  共にいまして
    あなたを愛して 守り給うぞ
       (讃美歌359番の曲で)
 
2番も、3番の歌詞もあるのだが、それは省くが、この折り返しの「夜も日も神様共にいまして、あなたを愛して守り給うぞ」という箇所は、私には忘れられない、私の愛唱句である。
 さて、ここで触れたいのは、こういう時の「唄う」という行為の神秘さである。
 先に引用した「すべての歌はラブソングである」という言葉の一部を変更したい。
 こうである、「すべての唄はラブソングである」と。「歌」という言葉を「唄」に替えてあることに注意してほしい。
 如何なる歌も、私たちが声に出して唄うとき、その心は愛に満たされているということだ。どんな乱暴な唄でも、憎しみの歌でさえ、それを思い出して口で歌うとき、その唄には「愛」が満ちている、という事実である。これは私の思い込み過ぎであろうか。
 皆さんも一つ、実際どんな歌でも良いから、今思い出して唄って見て下さい。唄うあなたの心に一種の「愛情」が湧いているのに気がつかれるでしょう。
 これは私だけのことでしょうか、皆さんに試してほしいのです。私の思いこみに過ぎないのかも知れませんが、私はこれは確かなことだと信じているんですよ。(歌唱心理学の発見?呵々)《く》


(1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(4)

(3)昭和三十年頃だったろうか。
ある夜おそく、中年の夫婦が東京に行くとて、これがお別れです、祈ってくださいと言う。当時の、私の流儀で大声でそばにいる何ものもはねちらして進軍する荒武者のような祈祷であった。三十分ほどしてその客は帰り、私は眠りにつき、さてその翌日である。
私は通常どおり朝起き、当時ろう学校に勤めていたから歩いて通勤し、学校にて授業をし、学級費を計算し、職員会議をし、そしてフト気づいた。私は早朝よりその時まで瞬時も忘れず、神様と会話していたことを。
私はそれまで、人間の心は一時に一つの事しか考えられぬものと思っていた。ところが少なくともその時の私と神との対話だけは違う。ソロバンをおいている時も、会議で議論している時も、子供に発声を教えている時も、私の精神活動は並行して、常に瞬時も絶えることなく、神に向って語りかけ、神を賛美し、神の声をきいているのである。
パウロは「汝らたえず祈れ」と言った。私はそれまで、絶えず祈るとは朝昼晩毎日祈るとか、連日よく祈るとかいう熱心な祈りの修飾語だと思っていた。ところが、違うのだ。本当にたえず祈るということがあるのだ。この思いもかけず与えられた御恩寵に私は驚嘆した。
この御恩寵の体験は二ヶ年ほど続いた。

             (つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-07-13 10:24 | 日岡だより

No.443 目ざめ(3) 2010.7.4

(1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(3)

          五

 私は、冒頭に述べた回心のとき、そばに聖書を持っていなかった。当時、私は刑務所に入れられて、戦時中の非国民クリスチャンの故に、聖書を読む事を許してもらえなかったのである。私は、それまで正直に言ってクリスチャンではなかったにしても、熱烈なキリスト教主義者であるし、聖書熱愛者であったからして、「この聖書一巻ありさえすれば、ほかに何もいらぬ。この聖書一巻が私の人生である。この聖書一巻が私の力の源泉である・・・・・・」等々言いつづけてきた。その私が、警察や刑務所へ放りこまれてみて、ハタと困った。その聖書一巻が手もとに無いのだ。私はその時になって気づいた。二千年前の民衆にとっても、やはり聖書はなかったのだと。
 聖書は羊皮紙に書かれて、イザヤ書はあの村のシナゴグに、エレミヤ記はこちらの町の町長さんの家に・・・・・・というふうに散在していたのではなかろうか。聖書は高価であるし貴重品・聖別品であって、一般民衆の目にはさらされていなかったし、また手にしてみてもそれを読み取るだけの識字力はなかった。初代教会の人々にとって、特にヨーロッパ教会において、旧約聖書は稀少なものであったろうし、新約聖書はまだ出来ていなかった。
 当時の人々にとって、「みことば」とは聖書という本ではなくて、人づてに語られ、聞かされ、脳裏に貯えられている聖句、キリスト伝、使徒の説教や手紙であった。それは状況によって誤られやすく、また好都合に曲解されやすい、また曲解して押しつけやすい人間の言葉であった、と同時に、当時の人にとり、「みことば」とは、各自がそれぞれに内に聞く聖霊の語りかけであった。
 人は法律を作って、それを成文化し、契約を取り決めると即座に成文化し、印鑑を押さねば気が済まぬように、神の言葉を成文化しなくては居ても立っても居れぬものらしい。モーセの為に、神は律法を石に刻んだ。ローマ教会の為には、神は新約聖書を羊皮紙にしるしたのであろうか。
 しかし、真の真理の言葉は人の心にしるされる。
それは定形化されず、成文化されず、人間の身勝手な放言になぶられやすいけれど、また化石化せぬ至純の純粋性を持つ。真の真理の言葉は、常に流動性を持ち、不確定さを持ち、常に偽ものではないかという緊張の上に張られたヤジロベーの如き実在者である。これが、聖書の真底の「言」だ。

          六

 人間が動物的生命体として母胎から生まれるとき、これを誕生という。これは生命体としての一つの目ざめではなかろうか。
 後にもう一つの誕生があることをイエスはニコデモに告げている。「人新たに生まれずば神の国に入ることあたわず」。神の子としての目ざめである。この目ざめはしばしば急激にやってくることを、私たちは経験的に知っている。パウロ、アウグスチヌス、ルター、ウェスレー、スポルジョン、フィンニー、内村鑑三、原田美実、福井二郎、石原兵永、釘宮太重、釘宮義人、大石美栄子等々・・・・・・。
 パウロの言葉に「我は日々に死す」というのがある。また、白隠は「我生涯に大悟すること三たび、小悟数知れず」と言っている。
 この目ざめをただ一回的なものとして、尊び、宝ものにし、固守し、塩漬けにし、ミイラ化してしまう人たちがいるが、細胞が次々に分裂して成長していくように、信仰も次々に皮をはぎ、目を覚まし、次の信仰へと成長せねばならぬ。つまり回心は一度ではない。何回もせねばならぬということだ。
 白隠のいう「大悟・小悟」とはどの程度のことをさすのか知らぬが、私の生涯でいうなら、二十二才の秋の回心は私にとり大悟といえる。
 回心と思える諸経歴を大小とりまぜて列挙してみよう。これは私の心の履歴書である。

(1)昭和十九年十一月二十三日
私は福岡刑務所の独房にあった。この日の夕刻、雀が窓辺の桐の木の枝に帰ってくる頃であった。私はイエスの贖罪を信じたいと思っても信じ得ず、古い肉の我は死なず、それどころか、益々、肉の心は内に熾烈に生きて、我は罪のトリコとなっているのを見た。この死の体より我を救わんものは誰ぞ! 救いの教理は判っていても、それが我が内なる心に事実になり得ない苦しさに、窓の外の明るさを求めて、窓ガラスに頭をぶつけてあわてふためくハエのように、私の心は魂の平安を求めてあがいた、その時、「取りて読め」とアウグスチヌスのように子供の声を聞いたわけではなかったが、聖書の御言葉が私の心にひびいた。パウロは言う、
「一人すべての人の為に死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり」この言葉が私のうつろな心に重い石のように沈み、そしてズシリと深い底に食らいついた。その言葉が私の心に実現し、私はすでに死んだのだ、と自覚した。その時、古い肉の我は死んで新しいキリストの生命に甦るのであると、その命題が私の生命的事実として定着した。いきなり、喜びが私の全身にこみ上げてきて、私の内を流れるキリストの血汐がドクドクと流れるその音を聞かせてくれるようであった。
   エス君のあつき血汐の今も尚
      溢るる思い我が身にぞすれ
以上のような経験が私をクリスチャンにし、そしてその感動は三十年近くすぎた今も尚、私の内側につきないのである。

(2)昭和二十三年四月一日
当時、私は聖化論に苦しんでいた。原理的に、(或いは、基本的にと言っていいだろうか)救われているという第一次の回心経験を持ちながら、新しい我の中に、古い我が生き残っていて、内に反逆し、猛威をふるっているという、二元論的苦悩を血を流す思いで感じていた。この悩みのドン底で、私はキリストの幻を見た。それはあくまでも私の脳細胞の空想力の所産であることに疑いはなかった。だがそれにもかかわらず、その幻想は大きい圧倒的力をもって私におそいかかり、私の内に臨御したもうキリストの実在感を感じせしめた。その時、フト私は恐れを感じた。このキリストはまた夢のように私を去り、ああ、あれはあの時の一時の興奮でした、本当のキリストではありませんでした、というのではなかろうかと。そう心に思いそめた瞬間、大きな鐘の音がなりひびくように、私の心の内に神の言がひびいた。
「我更に汝を捨てず」と。
この時より、私は「聖潔論」について原則的な面で悩むことはなくなった。

            (つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-07-06 11:25 | 日岡だより