<   2010年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧

No.442 目ざめ(2) 2010.6.27

(1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(2)

 あの輝かしい回心経験は何であったろう。私はキリスト教的世界に住んで、キリスト教的回心を求めていたから、ひとたび回心経験を得ると、それを即座にキリスト教的用語と教義で粉飾させ、その中に陥没した。・・・・・・と、今私は反省する。そういうキリスト教的粉飾物をはぎ取って、そのあとに残る素っ裸の回心、それは何であっただろうか。

          二

 最近、中野英賢という比叡山の僧侶の人の話を読んだ。この人は、百日回峰行、好相行、十二年籠山の三つの行を了えた、すごい坊さんらしい。この中で好相行というのは五体投地して仏を礼拝すること一日三千回、唱える仏の名も何百か何千かで十日か二十日もたつと声もかれはて、膝はすりむけて血まみれになり、立ったりかがんだりしながら眠ってしまうというような苦行らしい。そういう難行苦行を四十日せよとか、百日せよとか日限をきっての行なら張り合いもあるが、この行は「仏の顔を見るまで」という期限。仏の顔を見るとはどういう事か。それも多分教えてくれまいし、また教えようとしても教えられることでもないのだろう。訳も判らぬまま大決心してこの礼拝行に入るものの、三十日たち四十日たつと、ハテサア仏さまなんてあるのかいな、こんな阿呆なことせんともっと社会の役にたつような立派なことがほかにありはせぬかと、迷いが生じてくる。そういう迷いを通りこして、何もかも仏におまかせした平安境に入り、そのあとすぐ天地万物すべてのものが光り輝いて見えるという大歓喜の世界に投げ込まれたとのことである。
 右のような神秘的境地を私はよく先達者たちの伝記でも読む。それは実に、パッと目ざめたような心境。その寸前までとは全く違った心の世界に立っているのである。これは、数年前、中野(奇しくも同じ姓だが)昭二君が体験したところに似ている。彼は、何の難行も苦行もしなかったがただ、心中切なる宗教的求安心があったことは事実だろう。その彼がある朝フト目ざめた時、自分自身が昨日までと異なる世界に住んでいることを悟った。外に見える一切のものが聖なる光輝に映えていた。内なる自分の心に、平安、確信、勇気が実在感をもってずしりとあった。それを彼は、「霊」だと直感した。神がすべてを為したもうたと信じられた。神に愛されている自分、そして他を愛せずにはいられない自分の愛の心に驚いた。当時流行した歌
 「愛しちゃったのよ・・・・・・」
 「骨まで愛して・・・・・・」
 という歌が涙ながらに口ずさまれた。そういう尊い体験を彼はしている。これをさきの彼と同姓の英賢坊さんの難行苦行と比べあわせると、彼の経験は何たる恩寵かと思う。彼は、何の難行苦行もなくて、かの好相行と全く同質の目ざめを経験していたと云わざるを得ないではないか。

          三

 回心という言葉を、私はキリスト教用語の中で習い覚えて使ってきた。普通の教会では、この言葉は古い生活態度・心の向きを変えて、キリスト信仰に踏み切る決心をしたときのことを指す。私はそういう用語もあることを認めはするが、それは信仰経験としてはすこぶる浅い、信仰以前の段階としてみている。
 本当のキリスト教的回心とは、前にのべたルター的義認信仰・・・・・・それはパウロ、アウグスチヌス、内村鑑三というような系譜に見られる福音主義の信仰への目ざめをさすのだと思う。(それはパウロ流に言えば、目からウロコが落ちるような、モーセ流に言うなら、前の皮を切って本物が露呈してくるような、心の経験である)。私は、それをしか回心と呼ばなかったし、その回心なくしてはお弟子さんたちに洗礼を許すことはなかった。先達の回心者のみが、後進の回心者のその回心の真実性を証することができる。その秘儀は、禅の印可や、前述の好相行における「真に仏の顔を見たかどうか」を見届ける先輩僧の役割などに見られる心技と同一の事である。
 さて、この回心(コンバーション、メタノイア)という言葉には悔い改めという(聖書ではメタノイアをほとんど悔い改めと訳している)語感からも感じとれる精神の回帰現象を想像しやすい。たしかに、倉田百三が言ったように、生まれぬさきから知っていて、スッカリ忘れていた国に帰ったような、そういう帰郷感が無いでなかろうが、それ以上にハッキリした感じは、前述した目ざめの感覚だと思う。
 私は今にして思う。私の最初の経験は、それまで全く想像もしていなかった性質のものであった。考えてみれば全く見当違いの熱望をもって求道していたわけである。それが「汝らの思いにすぐる」(ピリピ書四の七参照、これは量的思いちがいでなくて質的思いちがいをさすのである。)平安をもって内面をみたされてしまうということがおこる。それと同時に、外面の万有一切の姿が親愛の情をもって寄りそってくるような風光を感じはじめる。
 この回心体験の中心の一点に、あらゆる宗教的体験者の報ずる処の一切が帰一するように思う。ところが、その体験をそれぞれ固有の神学、教義、用語でしゃべりはじめると、やれ罪の赦しだの、やれ奪還説だの、見性だの、天地一体観だの、大歓喜だの、とその差異を告げはじめるのである。悲しく、また不思議なことではないか。

          四

 畳に灰をまきちらした時、昔の人は塩をまいた。灰は塩になじんでコロコロした塩のかたまりになり、畳の目の上に浮き上がってしまう、それを箒で掃き集めてきれいにするのである。机の面が汚れたとする。ゴムネンドやセロテープのようなもので一度面をおさえつけてしまう。そしてピッとはぎ取ると汚れも一緒に取れてしまう。正統的キリスト教の伝道法にはそれに似たようなところがある。
 清純無垢な少女に「あんた心で人をにくいと思った事あるでしょう。それ罪です。あんた、キレイな人をねたんだことあるでしょう。それ罪です。そんなのみんな原罪です。あんた虫も殺さんような顔をしてはるけど、魂をレントゲンにかけたら世界一の罪人です」と毎日曜いじめていじめぬくと、世にも純情な娘さんは半年もせぬうち、罪!罪!罪!と悲惨な罪意識で半死半生のもだえ方で苦しむようになる。そこへ妙薬のイエス・キリストの十字架を持ってきて十字架信仰で回心させようと計る。いささか戯画化して描きすぎたけれど、これがいかに深刻でまた正しい道であるか、私はいわゆる正統派クリスチャン以上に知っているつもりである。それは私の青年時代の体験そのものであったから。(つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-06-29 12:57 | 日岡だより

No.441 手島郁郎先生を憶う 2010.6.20

手島郁郎先生を憶う

 私、釘宮義人の地上における恩師はお二人おられます。お一人は手島郁郎先生。もうお一人は西田天香先生です。手島先生にはカリスマ的なキリスト教の信仰の、その賜物の些かを小分けして頂きました。天香先生には、この地上における下座生活の実践面を教えていただきました。そのいずれも私の受け取れる受容量が小さ過ぎて、両先生の持って居られた賜物に比して足りません。お名前を辱めてしまいます。
 今日は特に手島先生のことについて申し述べさせて頂きます。今日はちょうど、大分市内、当教会の近くの場所で、先生の独立伝道の記録映画が上映されることになっています。本日の礼拝が終わったら、私もその映画会に行って、懐かしい手島恩師の面影にお会いしたいと思っています。
 手島先生の特徴は少なくとも二つです。
 第一は、キリストの福音が、その力量性において非常に顕著であることの実証です。つまり目に見えるばかりの手近にありありと奇蹟的信仰の力を見せてくれることです。
 その特徴の第二は、先生の明るい積極的な性格です。いわゆる世間で知られている温和で控えめで優しいクリスチャンというのではなく、押し付けがましいほどの大胆無類のクリスチャンのニュー・タイプです。
 私は手島先生から破門された旧弟子ですが、有り難く思っています。破門しないわけには行かぬ旧弟子であると、認めて下さるわけですから嬉しいです。出て行くなら勝手に出て行け。お前など出て行っても一向に困らないという程度の弟子ではないと認めて下さった訳ですから嬉しいのです。
 先生の力量たっぷりの講義と奇蹟力、これは一度でもその場に列席しなければわかりません。既に先生は天に召されましたから、その現場を見る訳には行きませんが、今回の先生のドキュメント映画を拝見すれな、些かでもその凄さに驚かされるとおもいます。今日の映画会が楽しみです。
          *
 さて、ちょっと先生について触れざるを得ない、私の先生についての批判面に触れておきたいと思います。先生が感情的にお弟子さんたちをポンポン怒ったとか、お酒を飲みなさったとか、そういうことは、先生のご愛嬌面であって、魅力でもありました。素直に自分を表現なさる点、いわゆるお上品な牧師さんがたと違って、多くの人が先生に惚れこんだ一面でありました。
 実は、批判面というのは、信仰についての大事な問題点です。キリスト教の救いの教理に関する面で、一つの急所があります。それは「義認論」です。キリスト信仰の中心は人間の持って生まれたままの「罪」をイエス様の十字架によって許していただくということです。
 それは私ども人間の側の「信仰のみ」によって与えられるキリスト神様の恵みであると言われます。それは、私たちの信仰によって、キリストが持っておられる「義」を与えられる。私たちはこのキリストの義により、私たちも神の前に義人と認められる、というのです。これを「義認の信仰」と言います。宗教改革でマルティン・ルターが勝ち取った「義認の信仰」です。
 イエス様の十字架の代償の御業を信じるだけで、私たちの生まれながらの罪あるがままに義人として認めて頂ける、この信仰を頂ける「神秘」を頂戴するのです。
          *
 イエス・キリストを信じる信仰だけで、神様の前に義人と認められるという、この義認の信仰が、手島先生の目からみると、単なる知性的言葉の入れ替えで、罪が義に替えられる。この義認信仰の早業に手島先生は疑問を抱くようです。これは知性による手品のようなものではないか。これは信仰とは認められない、というのが手島先生の批判でありました。先生にとっては義認の信仰はインチキに見えたのだと思います。
          *
 先生の信仰を私どもの立場から、お察ししてみますと、先生はカリスマ的な力量的信仰を真っ先に掴んだ恵まれたお方だったに違いないと思います。
 先生に分からないのは、信仰の一向に進まず、弱い信仰の人の信仰です。世の波風につまずき、悩み苦しみ、自分の不信仰を嘆きつつ、なおもイエス様にしがみつく時、自らが弱いままで、信仰がしっかりしないままで、ただイエス様の憐れみにしがみつき、イエス様の愛だけを頼りにして信仰を立てつづける。こういう信仰の持ち方です。
 自分の信仰の弱さに徹して自分の信仰をしっかり持つ、こういう信仰もあるのですね。「我れ、弱き時にこそ強し」、という信仰ですね。
 かように「信仰が弱いからこそ、助けてください、この弱い信仰のまま、私を守り立てて、あなたの愛の故に私を立てあげてください」という、だから絶対不倒の「だるま信仰」ですね、いかがでしょう。《く》

 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ
    -私のいくたびかの回心の経験と特に最近の山岸会体験について-

          一

 私が、人生に迷いを生じたり、疑問を感じたりしたとき、自分の心の中や、その歴史をさぐってみる。すると、どうしても疑えないという最後の一点にたどりつく。それは私の二十二才の晩秋の一日、あの回心の一事である。
 私の回心というのは、「フト思いついた」というようなちょっとしたことで、諸聖人、大先輩諸賢の神秘的大回心劇にくらべると、申し訳ないほど貧弱な経験であるけれど、私にしてみれば何ものにも替えがたい大事な経験で、いわば私の精神生活の原点なのである。
 今年の冬、東京、祖師谷教会にいって原田美実先生にお会いしてお話をうかがったとき、ルターの義認信仰について
 「あれはすごいもんだ。あのルターの信仰の真髄をつかめば、全世界をひっくりかえすことだってできるんだ。」
 と力をこめて言われた。今、先生はルターや無教会流の福音信仰を抜けられて、川合信水翁直伝のキリスト心宗の信仰に生きておられる。そういうお方がルターの信仰をあのように評価されるというのは、先生の信仰の原点にルター的回心があるのだなと、涙ぐむような感動で私はそれを確認したのである。(つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
 
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-06-22 13:46 | 日岡だより

No.440 信仰の第一歩(2) 2010.6.13

信仰の第一歩(2)

 キリスト教の信仰の第一歩は「義認」の信仰です。「義認」とは罪人が信仰により「義人」と「みなされた」(ローマ4:3ほか)ことであります。この「みなされた」という言葉は新改訳聖書の翻訳でありますが、私たちの慣れているのは「認められた」という昔ながらの訳です。この「みなされた」という訳語は非常に新鮮な感じがします。意味はほとんど同じなのでしょうが、罪人を義人とみなすのだぞと、天下に大いに宣言しようとしている勢いを感じます。さて、
 私たちの信仰上の実際問題として考えてみたいと思います。「義とみなされた」という義認の確信を得た時、私たちの心にははち切れんばかりの喜びが与えられます。
 黙っておれません。罪からの解放の喜びを周囲の何人にも語らずにはおれません。これは伝道力の正に源泉です。義認の信仰は即伝道の勢いを生みます。
 「私はキリスト様によって救われました」と、会う人毎に告白し伝道せずにはおられません。この信仰の第一歩、回心の第一歩である義認の信仰を、回心者の胸にしっかりと植えつけるのは聖霊様です。
 信仰の確かさは入信の確かさに負うところが大きいのです。その土台の上に堅固な教会が建て上げられることを主は期待されているのだと信じます。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】12(1969年)

 主のおきては完全である。私たちはパウロ的表現によって律法を指すことになれているので、おきてというものを低次においてしか見ないくせがある。しかし、パウロがキリストの律法と呼び、ヤコブが自由の律法と言ったように、律法はキリストにおいて完成され、律法本来の力を取り戻されたのである。
 故に主のおきては完全である。おきてとは主の義、法則、リズム、統制、秩序である。主の道、真理、徳である。このおきてに帰ろう。その時、我が魂はよみがえる。生命を失いし我が全身全霊に生命が生きかえってくれる。それは、私が主のおきてに帰るからである。主のおきてに帰る道はただ一つ、キリストの血による。
 主のあかしはたしかである。主は直接、我が魂にあかしし給う。聖書をとおし、人をとおし、自然をとおしても示される。しかしやはり直接である。直指人心である。そのあかしこそ、人を賢くする。
 本を読むひまもない。そのなげきはよそう。本を読まず、知識におくれ、無学者になろうとさしつかえない。主のあかしこそ私を賢くするからである。
 主よ、ありがとうございます。
 このみ言葉を賜り感謝します。
 あなたの賜る英知で、残る日々生きぬきとうございます。
 
9月8日(月)
 早朝、いのる。
 23才の回心以前のことはさておき、それ以後のしもべの眠れる魂、サタンと妥協せし行動、まやかしの生活、偽れる伝道の一切をざんげして祈る。
 詩篇一九の七
 「主のおきては完全であって
      魂を生きかえらせ」
 主のおきては完全である、そのおきてが私の内に完全に生かされねばならぬ。主のおきてを完成したもうキリストの御霊に順って、主のおきてを我らの内に完成させよう。私が主のおきてに完全なるとき、私の魂は生き返りリバイブして、日本列島大リバイバルの火種になることができよう。
 「主のあかしはたしかであって
     無学なものを賢くする」
 故に、私もまた、私の内にあたえられた主のあかしを確固たらしめ、私の主への証しも確かたらしめよう。その時、無学な私も賢者になり得る。
 お訓えたまわりし主に感謝する。
                 (終わり)
(※以上は1969年の文章です。)


(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

〔巻頭言〕
かくれキリシタン

 ある古文書が大分県野津町で発見され、現在「野津キリシタン記念館」(館長・平山喜英氏)に保管されている。正光寺という寺の和尚が切支丹の縁故者の死に際し、死骸を土葬にふしたという臼杵藩への届出書の控らしい。文中、この死人の伯父に当たる分右衛門なる人が「新切支丹」であったことが明記されている。これは徳川時代の元禄の頃になってもまだ切支丹への改宗があったことを示している。
 最近、遠藤周作の小説などでかくれ切支丹のころびが話題を呼んでいるが、実情としてはかくれ切支丹へのころび(?)もあったのである。前述の分右衛門なる人は多分「新切支丹」に改宗して、そして捕えられて処刑されたのであろう。その縁故者であるというだけで、この文書の本人は死んだのちも五人組の立会のもとで塩漬にされ、あとで藩の役人の検分を待たねばならぬという悲運に見舞われている。
 親類縁者を巻き添えにしてもいい、かくれ仲閒に身を投じていこうとするものの、きびしい息づかいが、この古文書をつたって今も私どもにひびいてくる気持がする。時流に身をまかせ長いものに巻かれろといういい加減な気持が「天皇制」や「官僚主義」を育てる母体になってしまう。人ごとではない。「帝国主義」は我らの内に活きている。自分が充足すれば、人の物までも欲しくなる私どもの中に。そういう人間の群の中に生きて、ひっそりかくれて、自分の良心を目ざめさせている人々。少数のそういう人々が次の時代を作っていくのだと思う。
 少数の「かくれ×××」よ! ころんでもころぶなよ。叩かれて、おどされて、ころんでも、ころんだ心の中で、かくれたもう一人の自分を大事にしようではないか。ころんでは内にかくれ、ころんでは更に内にひそみ込んでいく。再次元への「かくれ浸透」こそ、新しい迫害の時代での「ころびと改宗」の道かもしれない。
 小さい信仰者の信仰は日々にこわれやすい。こわれても尚かつ「かくされ」ている信仰を我々は再発見したい。
 (コロサイ書2:3、3:3、列王紀Ⅰ19:18)    (この項終り)

(※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-06-15 14:16 | 日岡だより

No.439 信仰の第一歩(1) 2010.6.6

信仰の第一歩(1)

 キリスト教の信仰の第一歩は「義認」の信仰です。イエス様を私の信仰の代理者として信じるということです。
 あなたは、ご自分の信仰が天国に行ける大丈夫な信仰だと自信を持っていますか。
「いやあ、一応イエス様を信じてはいるのですが、今の私、このままで天国に行けるか、どうかよく分かりません。どうしたら、天国に行けるようなしっかりした信仰を持てるでしょうか。」
 このように答えるかたはけっこう多いのではないでしょうか。はっきり申し上げますが、このような信仰では、この地上の生活を終えて、天国の門の前に立った時、待ちもうけていた使徒ペテロ先生に、
 「さ、あなたの信仰は?」
 と問われた時、答えることが出来ません。
 そうです、次のようにお答えできる者でありたいのです。
「ハイ、私はイエス様の尊い御血潮によって聖められ、神様の子どもとされていることを信じています。価値無い者ではありますけれど、イエス様の御あがないにより、神の国に入れさせて頂けることを感謝致します。アーメン、ハレルヤ!」
 いかがでしょう。さあ、このようにお答えできるよう心備えしてください。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】11(1969年)

9月6日(土)(残暑なおきびし33度)
 クリスチャン新聞で、インドネシアのリバイバルについての日本人牧師団の報告を読む。これはまさしく本物である。チンチェンドルフやブレイナード、フィニーやリーズ・ハウエルズ等のときと同じだ、リバイバルのときに常に見うけられる一つの霊気がある。
 彼らのリバイバルの特色として次のことをあげている。
 「1. 喜びに満ち、賛美にあふれている。だれかが歌い出すと全体が和し、酔うがごとくくり返し歌っている、集会だから何かを歌うというのでなく歌い出すと集会が始まるわけである。
 2. 祈りが生き生きと自由にささげられる。時間は問題にならない。そして疲れないのである。これは祈りの霊が注がれているからである。
 3. 神のことばにたいする渇きが深い。集会の時間も長いことがある。しかし、かれらはあくことなく主を追い求めている。
 4. 迫害と苦難に耐えている。リバイバルには奇跡的回心が、伴う。それとともにかならず反対と迫害が起きる。それに耐えてあかしを立てて進むとリバイバルがさらに広がる。献身と犠牲は離して考えられない。
 5. 主を愛し、世俗の誘惑や試練と戦って集会に出席し、心を合わせ力を合わせている。
 6. そして献身者が続々と起こされ、神学校入学の機を待っている。献身的信徒が群の世話をしている。」
 つぎのニュースも感動的である。
 「ジャワ島。とくに団員が回ったバツー附近ではキリスト教信仰に入った者が周囲の迫害に耐えてあかしを立てているのが目立っている。共産主義者だと訴えられて獄につながれている者もあり、自分の夫は連れて行かれ、殺されたという未亡人もある。
 チモール島はいやしのわざが起き、いろいろ奇跡的なことが相次いで起きているとのことである。
 また、インドネシアのリバイバルは悪霊との戦いである。悪魔の力が破れると魂が解放され、悔い改めキリストに帰る。」
 要約すると、「喜び、祈りの自由、みことばのかわき、愛と一致、迫害、いやしと奇跡、悪霊との戦い」である。
 このようなリバイバルのために、日本列島を霊火でもやすために、私たちも祈ろう。教派をはなれて祈ろう。一致して祈ろう。日本全国に祈りの網の目を張ろう。日本の全クリスチャンよ! 目をさまして祈ろう。
 
9月7日(日)曇 涼風あり
 昨夜より、今朝にかけて説教準備。
 朝九時頃か、軽い地震あり。
 本日の集会は、出席者いたって少なく、五指をもって数うるに足る。されど我は意気軒昂なり。キリストの善き兵卒として、霊戦を戦いたしと語る。
 夜、鶴崎集会、S姉に視覚的ドラマ的祈祷の要領など教える、役立てば幸いである。
          ×
 詩篇第一九篇七節
  「主のおきては完全であって、
     魂を生きかえらせ、
   主のあかしは確かであって、
     無学な者を賢くする。」
 深夜、私は一応の事務を終え、さてどうしようかと迷った。読みたい新刊書が三冊、雑誌が二冊、未読のまま本棚に放りこんである。もう十日にもなろうか、忙しいままに読めなくて困っている。だから今晩でも(正確にいうとすでに十二時はすぎているが)一冊はあげておかなくてはと思う。
 しかし、我が魂は今また不思議に愁いにみたされている。生気がまるでないのだ。なにくそ、本の一、二冊何だ、知識が何だ、まず生命ではないか。そう思って、私は祈ろうと思い、まず聖書をひらいたとき、右に掲げた聖句を得た。このみことばが稲妻のように私の心を射たのである。
 「主のおきて」とは何だろう。
 「主のあかし」とは何だろう。
 私はヘブル語に暗い。日本訳はこまかい表現において不確かなように思えて心配でならぬ。つい書生気分がでて註解書をあさった。しかし、駄目である。私が求めているような照射の仕方でこの文字を洗ってくれる人はいないのだ。
 やむを得ぬ。私は無学にかえる。やっとこうやって素人の聖書学者気取りめが、一文不知のともがらに帰るのである。手間のかかるこった。
 祈る、こうなれば祈るしかない。
 主よ、みことばを教えてください。
             (つづく)
(※以上は1969年の文章です。)

※前回は「日記」9 としていましたが、10の間違いです。
 
【おしらせ】
◆6/18(金)、19(土):NHKBSハイビジョン及びBS2の「ザ☆スター」(午後8時~10時)に、右近勝吉兄が出演されます(「スター」は中村雅俊さん)。
◆6/20(日)午後1:30より護国神社参集殿にて。手島郁郎先生の映画公開「日本よ、永遠なれ」
◆7/5(月)19:30、7/6(火)10:30:チャペル・ノアにてWOGA JAPANリトリートがあります。
 韓国ハレルヤ教会 Dr.キム・サンボク牧師をお迎えして。
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-06-08 16:31 | 日岡だより

No.438 信仰の確かさとは 2010.5.30

信仰の確かさとは

 私の大好きな先生に原田美実という方が居られました。初めは久留米の辺りにいらっしたようですが、後に奈良、静岡、そして東京の世田谷に移られました。この世田谷のお宅に私もお訪ねしたことがあります。非常に大分を懐かしんでくださいました。
 伯父・釘宮徳太郎の集会に時おり招かれて聖書講義して下さったものです。無教会の先生ですから、説教とは言わない。聖書講義です。(ちなみに説教という言葉は私どもの集会ではなじめませんので、メッセージと呼んでいますが。)
 この原田先生の主筆誌に「信仰の確かさ」というという文章が載ったことがあります。だいぶ昔のことです。私がまだ青年期に達していなかったでしょう。(思えば、私が作っている小冊子の題名と同じですね。)
 その時の、先生の主筆誌では表紙も扉も内容も、後書きも、裏表紙も広告欄もすべて「信仰の確かさ」で一杯でした。何事にも熱中して真剣にやる先生らしいことでした。
 私の「信仰の確かさ」も、原田先生の影響を知らずして受けて書いた題名でしょうね。
 私の言いたい「信仰の確かさ」とは、私たちが信じる対象としての福音の確かさではなくて、私たちの信仰の把握の仕方の「確かさ」です。
 「あなたはイエス様の信仰をしっかり握っていますか」ということです。
 もちろん、私たちの信じるキリストの福音は絶対に確かなものであることは真実です。しかし、それを信じる私たちの信仰が些かもゆるぎはしない確かなものであるかということを、確認してほしいのです。それがもうひとつの「信仰の確かさ」です。
          *
 日本の徳川幕府時代、キリシタンの人々が非常な迫害、試練にあいました。そういう時、各自の信仰がためされます。第一には各自の信仰が、しっかりした福音に裏打ちされているかどうか。
 また各自、圧政者のいかなる脅かしにも恐れず、強固な信仰を持って抵抗できるかどうか、ですね。
 信仰者各自が強い意志を持って、支配者の圧力に抵抗する、それは信仰者各自の気質胆力にもよることですが、また信じる福音そのものの力にもよります。
 現代の私達にはそのような信仰をためす機会がない? そんなことはありません。日々の生活の中でいくらでもあります。考えてごらんなさい。
          *
 私は戦時中、日本官権のもと拘束されましたが、もともと小心者で、体力も弱い者でした。警察や、検事局、刑務所の役人たちの恐喝や暴力に抵抗できる力は殆どありませんでした。
 刑務所という所は、一般市民の被収容者にとっては、外部からの影響力は皆無です。どちらかと言うと、面白半分で、いじめてやろうかという仕打ちを受けやすいです。
 刑務所の中で、完治していなかった虫歯が痛み出し、看守に歯科医を呼んでくれませんかと頼んだら、「なあに、虫歯くらいで死にはせん」と取り合ってくれません。虫歯がひどくなって顎がもげそうにでもならなければ取り合ってくれなさそうな気配でしたから、私は地獄の底に落ち込むような恐怖に捉われましたね。
 また、私が未決監に居た時、厳寒期でしたから、母が毛糸類や綿入れの衣服等を差し入れしてくれたことがあります。
 すると看守のメンバーは、私の体から刑務所から着せてくれていた衣類一切を脱がせてしまい、母の差し入れしてくれたものを私に着せようとします。
 私は寒さに震えあがって仕舞います。そうした私を見るのが、看守たちは楽しいのでしょうね。囚人は全くの無力ですから、彼らの慰み者になってしまいます。
 江戸時代の迫害ほどではないにしろ、こういった時に落ち着いていられるのは不思議なことでした。虫歯の痛みはその後ピタリと止まりました。
 福岡の刑務所でしたが、ある時、中国から発進した爆撃機の来襲で、空襲警報のスピーカーが鳴ったことがあります。一般の囚人は呼び出されて防空壕に連れて行かれましたが、私ども国事犯はそのままです。爆弾が落ちた時は死んでくれ、どうせお前たちはアメリカさんと気持ち通じた間柄じゃないか、アメリカさんの爆弾で死ぬのもよかろう、という待遇です。
 私は既にイエス様の聖霊を受けていました。私の魂には既にイエス様がお住みになっていました。私は日々、歓喜に燃えていました。死ぬことは何でもなかったのです。
 私は弱いものであったけれども、福音の力で生かされていました。その信仰をしっかりと握らされていたのです。
 囚人仲間の、我々の世話をする雑役という一人、私の顔を見て不思議そうに私を見て言いました。
 「お前は変わっとるのう。空襲を一向心配しとらんのう」。
 「ええ、私はクリスチャンです」
 「道理でのう」
 「ハハハハハ」。
 私の懐かしい思い出です。イエス様、バンザイ! 《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】10(1969年)

 福島のK君より、電報にて礼状とどく。とにかく少しはわかってくれたらしい、ありがたい、もっとくわしい状況を知りたいものだ。更に更に書き送りたいことがある。
 夜、来客一人、つづいて二人、十一時まで懇談する。本日は世の仕事多く、疲労を覚える。祈らねばならない。
 
9月5日(金)晴
 会社の増資完了。小学校PTA監査。富士鉄着工、東芝IC工場進出で騒然たる当地方の様子をM市議に聞く。午後税理士である学友G君と決算の相談。社員へ給与支給。夜、S君ダイハツ代払の件で先方社員と面談等々・・・・・・俗事多忙。
 妻とちょっと言い争いあり、こんな事は珍しいから特記しておく必要がある。呵々。
 深夜、例によって聖書を学ぶ、テモテ第二章に泣く。(つづく)
      (※以上は1969年の文章です。)
 
【おしらせ】
■春の一泊セミナーのメッセージテープ
 (3本組1000円送料実費で頒布中)
①「義認の信仰を再確認する」
②「聖霊の賜物を大胆に求め、また頂こう」
③「信仰生活における聖性のダイナミズム」
■7月6日(火)夜7時半~ 韓国より崔世雄(チェ・セウン)牧師(仁川ケサン中央教会牧師)を講師に迎えて、集会を行います。
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-06-01 09:48 | 日岡だより