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No.437 ペンテコステの恵み 2010.5.23

ペンテコステの恵み

 本日は、教会暦では「聖霊降臨日」(ペンテコステ記念日)です。ある意味では教会暦の中で最も大切な日です。
 最も大切な記念日と言えば、私の伯父の釘宮徳太郎は「クリスチャンにとって一番大事な日は復活節」と言って、彼の主筆誌の名も「復活」、何を言う時にも、出てくる言葉は「イエス・キリストのご復活」でした。
 もちろん、クリスマスも大事な日でした。しかし、伯父にとってはクリスマスより復活節のほうが大事だったのです。この辺の説明は本日はしませんが、なぜでしょう、課題として、皆さんも考えてください。そして、もう一つの課題。
 それは、今日の「聖霊降臨日」(ペンテコステ記念日)です。今日、一番よく知られているのはクリスマスでしょうが、その次には復活節(イースター)ですね。そして、第三が本日の「聖霊降臨日」(ペンテコステ記念日)です。これは世間ではほとんど認知されていません。これがもう一つの課題なんですね。
 この聖霊降臨ということがなければ、私たち人間にはイエス様の本当の真理が分からないのです。ここが大事な所です。神様のこと、イエス様のこと、これらはすべて人間にとって難問です。これらの信仰の神髄が人間に分かるのは、ただただ、御聖霊の降臨と言うことが起ってからなのです。
 牧師の説教をいくら詳しく聞いても信仰のことがよく判らないのは、その人に御聖霊の降臨という事が個人的に起っていないからです。御聖霊の個人的降臨あって初めて真の信仰が明らかになるのです。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】9(1969年)

 この老兄に返書を呈す。こちらの字が拙いので気が引ける。一度会ってみたい人だ。上手いというより、清潔、無邪気、枯淡な文字であって、文章を読むよりは文字を見ているのが楽しみな人だ。
 
9月2日(火)小雨のち晴
 有難うございます。今日もまた、主の「創造」の一日が始まります。
 古きものの「繰り越し資産」によらず、まったく新しい主の創造の生命により今日を生かされるのであります。
 朝、K姉を見舞う。付き添いのご母堂としばし話す。よき旧き日本婦人の型である、会っているだけですがすがしい。清浄、すがすがしさ、枯淡、わび、茶道などが持っているある悠遠なるリズム、これは日本の誇るべき遺産である。そこで思う、これらを土壌として主が育てなさるキリストの新生命を見よ! そう言いきれる我らでありたい。
 伊予三島の金田牧師、岸和田の仲氏に電話を入れる。金田先生のお声を聞いて嬉しかった。仲氏は伏せていられた、お体が弱っていられるのであろう。ご回復と「ともしび社」のために切に遠祷す。
          ×
 夜S夫妻来訪。俗事と信仰談と入れ混じって夜半をすぎ一時になってしまう。
 
9月3日(水)晴
 山本先生より、かねて頼んであった希英対照新約聖書が昨日着荷した。ぼくのような無学ものにはまことに便利、さっそく今朝はヤコブ書を勉強する。当時の使徒たちの「自由」とは今ぼくらが考えるようなものより、もっと肉体的具体的動物的でさえあったのだと思う。
 午前中、散髪と商用。最近気が長くなってあちこちでの雑談で時間を食う。そのあいまあいまにS君の金のことをどうしたらいいかとその想念去らず。朝食抜きのまま午前中を過ごした。午後は在社して執務する。
 来る筈の客が来ないので社長室に引きこもり、またぞろ東北のK君に手紙を書く。私もK君の件には憑かれてしまったみたいだが、大独占企業と、安定せる高給サラリーマンの間の谷間で、食う米にも事欠く零細家業者の、霊肉一体の救いという事を追求する時、ことはただK君一人のことではない、私の魂は燃えざるを得ない。
 夜、交通事故のK姉を病院に訪問、8月24日の第一回集会のテープを持って行く。よその人も聞いてくれればよいと思う。伝道の一助になろう。
 
9月4日(木)晴 残暑35度
 午前中、県庁に立木副知事を訪ねる。最近のお嬢さん方の様子を聞き嬉しかった。特にお妹さんのフランス留学の話は、雄々しくて聖潔な感じ、サムライの娘がカトリックの清潔さを身につけたような感じで、聞いていてなぜか涙ぐむ。
 私がまだ青二才で社会事業のまねごとをしていた頃、その頃立木氏は社会課長として私の唯一の理解者であり、また恩人でもあったといえる。その頃
 「釘宮君、あの子が聖歌々手になりたいなどというてねエ」
 とまだ小学生だった下のお嬢さんの事を話してくれたものだ。あるいはクリスチャン青年としての私の噂などが間接的に影響していたかもしれぬ。(間接的影響といえば、当時高校生であったH君が共産党に入ったのも、私のせいもあるらしい)
 そういうことはどうでもよいが、ヨーロッパの空の下で宗教音楽やドビュッシーなどの声楽に精進していらっしゃるというマドモアゼル・タキよ、日本のサムライの娘よ、私は日本はおろか、九州もなかなか出られぬ男ですが、魂はこの国を脱出してはるかかなたパリの上に飛び、あなたのファンになりますよ。
 正午、お二人の婦人のお見舞いを受け、妻を伴って四人で会食す。そのあと、応接室(兼私の部屋)でお二人の話を聞いているうち、ついウトウトとして眠気ざし、しばらくしてあわてて目をさましたような始末で実に失礼な話。生理的には食事後の満腹のせいであろう。
 眠っている間、お二人の会話をベースにして、全然別の会話を聞いている。それは教会の尖塔をめぐって二人の天使が、会堂より聞こえる聖歌隊の合唱を聞きつつかわす会話である。
 「終末が近い、地球の終末がちかい」
 「こんなに善い人たちもいるのだ、何とかして救いたい、この純な魂の人々―――」
 そういう会話をもっとリズミカルな天的なハーモニーで聞くのだ。たぶん午前中の立木さんのお嬢さんの話が素材となり、前にいるお二人の会話をベースにして深層意識から浮かびでてくる一種の霊夢なのであろう。すがすがしい夢であった。
 長女きたり、私の原稿についてタイプの打ち合わせ。むかしの私のきびしかった伝道時代の思い出ばなしを親子で飽かず話す。信ずるものにとり「凡ては善なりき」といえる我らは幸いである。(つづく)   
(※以上は1969年の文章です。)
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by hioka-wahaha | 2010-05-25 12:35 | 日岡だより

No.436 この人以外に私を救い得る者があろうか 2010.5.16

この人以外に私を救い得る者があろうか

 この世の中で、どのような逆境、辺地、野蛮の処でも、誰も、一人残らず、這入り得る、救の道があろうか。ある、ある。それは、
 
 万人を救い得る信仰でなくてはならぬ。
 どのような貧しい人間、
 どのような弱い人間、
 どのような無学な人間でも、
 あずかり得る信仰でなくてはならぬ。
 
 どのような高大な財貨も、
 どのような意志の強さも、
 どのような博学も、
 それを役立てはするが、それが役立ちはしない、
 そんな信仰でなくてはならぬ。
 
 金もなく、地位も無く、信用もなく、
 知慧もなく、学問も無い人間、
 絵も分からず、音楽も分からず、
 映画も芝居も文学も分からず、
 哲学も分からぬ人間、
 
 正直になれず、男らしくもなれず、
 教会にも行けず、聖書も読めない人、
 そういう人間でも、そのままでよい、
 私にすがって来なさいと言ってくれる
 十字架上の人以外に、
 この私を救ってくれる人があろうか。
           (1955年1月4日記)

 
荒巻保行君のこと
 
 荒巻保行は私(釘宮)たちの青年前期と言うべきか、18歳から20歳の時代(昭和15年前後)に、お互いに緊密な「親友」であった。
 もう一人、安部勝美が居て、3人組であった。しかし、安部君はすでに満州(現在で言えば、中国の東北部である)に就職していたし、また私は親族の経営する会社に就職していた。
 そして荒巻君は、大分市の中央の商店街でかなり大手の制服店を経営する父のもとで、いわば坊ちゃん育ちであった。
 彼は、東京外国語学校に受験に行っていたが、在京中に肺結核が発病して、受験をあきらめ大分に帰ってきた。
 彼の父親は手早く別府市の山手にこじんまりとした家を求め、荒巻君を療養がてらの別荘住まいということにした。そして、婆やを雇って共に住ませ、食事や身の廻りの世話をさせたものである。私どもから見れば、随分と贅沢なことであったが、そういう経済力が父親にあったと言うことである。
 この荒巻君の療養のための小別荘のすぐ上には、九州大学の温泉治療学研究所の病院があった。療養中の荒巻君のためには、至近の場所に一流の療養所があったことも、父親にとって心強かったからであろう。
 ともかく、当時の中学校を卒業したばかり、少年期をやっと抜けたばかりの私たちであったが、適当に家庭も平和、まあまあ中産階級というか、お互い環境も良かった。見舞いと言っても、彼と会って文学論を交わすだけ、別府市繁華街に行きたいわけではない。
 周辺はお互いに閑雅な小別荘、塀は無い家が多い。適当に広くもなく狭くもない庭を見せ合いながらたたずんでいる。脇には、森とは言えない、明るい小さい林の広がりがある。そこに荒巻は居た。あの辺りを散歩するばかりの小休憩は楽しかった。
 私は今もあの辺りを車で行き過ぎることがある。すると、胸に甘いものが込み上げて来て、ツーンとするのである。
 私たち、お互いはいわゆる「親友」同志であって、何時までも沈黙のままで側に居ても、何も気にならない間柄である。時おりポツンと何事かを言い始めると、また文学論や、稚さない人生論が始まる。
 それが、ふとある日から模様が変わる。某日、私は彼を訪ねて、しばらく会話を交わして、「さて」と、彼の家の玄関を出ようとした。例の九州大学医学部の付属病院から定時のバスが出る時刻なのである。その時、彼が言った。
「僕はねえ、今『死の哲学』を書こうと思っているんだ」
 僕はチラリと彼に向かって振り返って言った。先程も家の中で、多少そうした問題を語りあっていたのだったか……。
 僕は何の感動もない様子をして、冷静に言い切ったものだ。
「そりゃあ、出来ないぜ。君の中で『死の哲学』が出来上がったら、その場で君は死ぬ筈だよ。
『死の哲学』が出来上がって、尚も死の哲学と言う論文を書くような暇があるのは、まだ『生の哲学』の中で生きざわめいる証拠だよ。本当に『死の哲学』が君の中で完成したら、その場で君は死ぬね。それが『死の哲学』だよ。『死の哲学』の論文なんか書く暇は無いよ」
 この僕の言葉は彼に衝撃を与えたらしい。その時から、七十年経った、最近のことだ。荒巻君の弟さんが、当時の荒巻君から貰った手紙を持っていて、その中に以上の場面で荒巻君が如何に狼狽したか、その心理状態を書いてあるそうだ。時おり、アッパカットを喰わせる私の対話の癖が、その時出たようである。
           *
 そして、その時が如何に鋭角的瞬間であったか。後で分かる。いや、厳しく、私に感じざるを得ない。
 私は適打のホームランを打った気分で良い気になっていたのだが、その3日後か、4日後かだったか、突然、荒巻君のお父さんから電話だ。
 「釘宮君、保行が死んだ。自殺だ。」
 私は驚愕した。彼は別府の山の手の別荘ではなく、もう一つ、別府の海岸近くにあった彼の父親の持っていた別荘だが、そこで荒巻君は都市ガスの栓を開いて吸ったのであろう。そこに、彼の亡骸があった。私は彼を掻き抱いて泣いた。
           *
 彼の死は、彼の死の哲学の結論として、自ら自死したのである。こういう「自死行為」を、私は彼のほか、全く知らない。こんな自殺をした人が歴史上に他にあるだろうか。
 病気でも、貧乏でも、家庭の不和でも、失恋でもない。社会的な国家や社会や経済団体に対する抗議でもない。全くの、人生哲学から来る、純粋の思索的結果として「自死行為」を選ぶ、こんな例をこの文章の読者の中で、そうした「自死行為」の例をご存じの方が居られたら、どうぞ小生にお教え下さい。《く》

〔あとがき〕
 この文章を校正した娘から前に同じような文章があると、日岡だよりの以前のものを何部も見せられてびっくり。荒巻君のことはつい何度も書いてしまうのです。お許しあれ。今回の文章も一応書き下ろしです。呵々。《く》
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by hioka-wahaha | 2010-05-18 11:23 | 日岡だより

No.435 百倍の集中力で祈ろう! 2010.5.9

百倍の集中力で祈ろう!
         ―ある信徒への手紙―

 ハレルヤ!
 お手紙、拝見。今の状況では、小生も貴方の教会の問題へは近寄れませんね。ともかく、しばらく傍観。離れて、集中して祈ることです。そうです。百倍の集中力で祈ってください。御教会の問題はしばらく牧師先生と他のメンバーに任せて、あなたは唯、祈ることに専念なさい。
 あなたは今の職務だけに専念しなさい。祈りなさい。百倍の集中力で祈ってください。
 他の奉仕活動はそれぞれのスタッフにお任せしなさい。万一、牧師先生に他の分野を依頼されたら、またそれに専念しなさい。
 その他については、それぞれのスタッフにお任せして、あなたは唯、祈ることです。祈りが最大の奉仕。そしてあなたの成長のためにも祈りが最高の訓練です。
 しまいには、あなたの生活全部が祈りに満たされ、祈りに支えられるようになります。家にあっても、職場で働いている時にも、教会にいる時にも、いかなる時にも祈りがあなたにくっついて行く。そこへ心を集中する。
 「そんなことはできません」、と言わないで、必ず出来ると、宣言してください。
 
 これは「常に祈る」ということへの勧誘です。「絶えず祈りなさい」という第一テサロニケ5:17のパウロの勧めは、決して不可能のことではない。求めればだれでも出来ることなのだと、私は敢えて断言します。
 信仰の最高峰を求めましょう。これは決して傲慢な求めではありません。御言葉への従順な態度なのです。御言葉への従順は、あらゆる疑い、恐れ、逡巡を打ち消します。
 決して信仰の英雄になれと言うのではありません。信仰の僕(しもべ)となれというのです。へりくだって従いさえすれば、いつの間に高嶺への登山道にまぎれこんでいますよ。
 愚かな者になりきって、ただ一途に御言にくっついて行くのです。シャローム! 《く》
 ※(数年前、ある方に送った手紙の写しです。)
 

(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】8(1969年)

 午後、鶴崎に行ってみたらK姉が単車にはねられて入院しているとのこと。おどろいて見舞う。心配したほどの大ケガではないらしいが、全身傷だらけで痛々しい。もっとも、この人らしく、気丈で朗らかである。私などだったら、もっときつそうにウンウンうなっていることだろう。
 神様が、せかせか動きまわる彼女を掴まえ、無理矢理に「忙中閑」あらしめたといえる、暴力的な神の愛と思って、ベッドにおとなしくすることだ。最善の意味はまた本人が悟らせてもらえよう。一日も早き平癒と、平安を按手祈祷して辞去する。おりよく妻も同道していたので友達同士話し合えてよかったろうと思う。
 
8月31日(日)晴
 聖日である。
 会するものは、わずか八人か九人であるけれども、この「小さき群」をかえりみ愛し給う主のご恩寵を感謝する。
 不思議なもので、主のご臨在の感ぜぬ集会を営まされると、何千人集まっても、心むなしく騒々しく倦怠をおぼえるものである。わずか二、三人でも主がそこに来てくださると、主の栄光、聖さ、喜び、一致、魂の高揚があって、人数の少ないことなどの思いわずらいは頭の中からひとかけらもなくなるほどふきとんでしまうものだ。
 集会は、司会は吉田兄いつものとおり力づよい司会ぶり、私は「主の大能に抱かれて強かれ」との主題で説教した。
 説教は十二時半にもならねば終わらぬほどの大長広舌であったけれども、決して冗長ではなかったと信じる。開会のさい、讃美歌奉唱のとき、歌声がすでに涙声になるほどの聖霊の感動がみなぎり、感謝すべき礼拝であった。
 集会後、私はタイプ原稿の相談があって、長女孝枝としばらくの間話す。主がこの愛する娘をこれほどに霊的に訓育し成長せしめ給いしことに驚き、また感謝する。
 子供の育て方、その教育については私は失敗者と言える。一時、地元の中学校のPTA会長までさせられたが、冷汗三斗の思いであった。されど、真の子どもの育て主、また教育の主を知り、これに委ねることを知るものは幸いである。
 
9月1日(月)曇
 若い時に家出して、熱海の一流旅館に泊まったことがある。大ローマ風呂に目を見はり喫茶室で海岸を眺め、さて食事を大いに期待していたら、ご飯と梅干しだけ、女中さんいわく
 「今日は震災記念日でございますので例年このようなお食事でご辛抱ねがっております。次の食事でお埋め合わせしてご馳走申し上げますから―――」
 と。九月一日になると、震災のことなど少しも経験のない九州の僕も、決まってこれを思い出す。
 地震―――これを単なる地表のゴタゴタと地球物理学的に了解することは易しい。また科学的にそれは正しい。しかし、それを神よりの警告ときくには現代では宗教家でも素直ではない。
 「このともがら黙さば、石叫ぶべし。」
 とイエスは言われた。
 「獅子吼ゆ、誰かおそれざらんや
  エホバ語りたもう、誰か預言せざらんや」
 とアモスは言う。
 「内に主の熱気がこもって火の如く
  預言せずんば我わざわいなり。」
 とエレミヤは言う。
 地震は、大地が主のエネルギーを内にはらんで醜悪の世に警告を発し、戒め、かつ終末を予告する身震いであるのだ。
×
 今日は終日静か。ただし郵便物どっさり。N市の一老兄、心霊治療のためフィリピン、ブラジルに行くと言う。そのときのぼくの反応―――ぼくもついて行きたいなという好奇心や(ぼくはこういう事が好きですからね)、心霊術のいやらしさへの逃げ腰や、ぼくの周囲にある貧しい人々を思い出しての金のむだづかいのアホらしさや、金田先生の教会の合田さんの「イエスさまバンザイ」を思い出して、平凡な主婦の平凡な信仰によるいやしのすばらしさ等々、ぼくの内面的反応の複雑多岐に呆れる。ぼくは信仰に入らなかったらよほどオッチョコチョイできざ、でしゃばり、品よく言えば万事につけてのジレッタント、軽々しい人間になっていたことであろう。(つづく)
 (※以上は1969年の文章です。)
 
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by hioka-wahaha | 2010-05-11 09:18 | 日岡だより

No.434 妻の面影(3) 2010.5.2

妻の面影(3)

 妻のトミさんが天に召されて70日になる。早いものだと思わされる。
 「奥様が亡くなられて、お淋しいでしょう」というお慰めの言葉をよく頂戴する。「有り難う」と挨拶をお返ししているが、本当は「いやいやあ、とんでもない」と言いたいのである。
 私の本心は決して淋しくはない。嬉しいのである。いつも妻は私と一緒に居てくれるからである。
 妻が長い間、臥せていたベッドのあった脇の壁に今は妻の写真をかけてある。その写真に向かった私はしばしば声をかける。
 「トミさん。天国での生活はどうね。天国の様子を教えてよ」
 と語りかける。
           *
 正直に言って、私は牧師でありながら、天国の様子を信徒諸君に明瞭に語り得ない。せっかく、天国に行ったトミさんに、そこはそれ、地上界では夫婦の仲であった縁浅からぬ僕のために天国の様子を教えてよ、というわけである。
 まだ、そういう恩恵に接し得ていないが、そのうちトミさんから天国の様子をこっそり教えてもらいたい。そんなことを思う、今日この頃です。
 さて、先の言葉に帰りますが、私は一向淋しくない。天に手を伸ばせば、すぐにトミさんが私の手を取ってくれるような気がするのです。
 声をかければ、すぐ答えてくれそうな気がするからです。その日も、それほど遠くはないと信じている今日この頃です。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】7(1969年)

 恥ずかしくてもいいから、そう言ってください。ある人にとってはそんなことを言うのは死ぬほど辛いことなのだと私は知っています。それほどの辛い思いをしても入会申込みする人に対し、私は泣いて感謝せずにいられましょうか。
 ちょっと話がもどるけれど、さきに書いた「面接」の件ですが、やはり当時の私には、何もかも一新しようとする気概を持っていた。そこで昔の武道の師匠が入門希望者を威儀を正して神前に呼び、
 「入門を許す」
 と礼をつくして師弟の固めをしたような、そういうサムライかたぎが出ていたように思う。はっきり、これよりは師弟として、血をすすりあって、求道の道を共に進もうとする盟約めいた雰囲気を望んでいたようです。そういう気分が「面接の上・・・・・・」という文字に出ています。
 このことは、今日S君夫妻にも言い忘れてしまったが、あとで思い出す「規約」作文当時の心境だ。これまでの例でもとかく、私が人を困らせ、誤解させるのは、このたぐいのサムライかたぎの故のことが多い。今後私とつきあう人はご用心ください。
 とまれ、今夜もS君夫妻に会えて嬉しかった。祈って別れる。
 
8月30日(土)晴
 一日中、讃美歌ではないが「この世のつとめいとせわしく」走り回らされる。ひとつとして渋滞を感じない。課長さんにも、給仕さんにも、エレベーターの中の見も知らぬ人々にも、実にインギン有礼(慇懃無礼ではない)愛をもって接し得られることに、我ながらおどろく。
 聖霊に押し出されて(満たされてとは言わないが)働く生活を、未経験の時はずいぶん高度な神秘的な神人合一的な、いわば超人的心事と想像していたが、そうではないのだ。
 「福音」とはもっとやさしい誰にでも生起しうるごく平凡な生活なのである。だからこそ「福音」という。
 午後、井上医師に会い、来週の心電図検査の日取りを相談する。そのさい、
 「毎日規則正しい生活をしてください。一定のリズムにのって、ごく自然に振り子が動くように毎日の生活をするんですよ。
 昔、兵隊が強かったのはそれです。起床ラッパから就床ラッパまで一定の規律基準で動作して、眠っていても歩けるようになってしまうんです。これは昔の軍隊のよかったところですね。」
 と言われる。生活のリズムということを、いつも人に言ってきた自分が、逆の立場になって医師からそう言われると、また格別の味わいがある。天体の運行や、四季の移り変わりの「節度、自在、壮大、―――その律動的生」を我らは我がものとせねばならぬ。
 神による「節度と律動と気迫」のある人生は、まさしく天与のものであって、ただの半日でも経験すると、こういう人生もあるものかと我ながら感動する。
 それは、前述の医師の言葉にそって考えてみても、その面からだけでも理想的健康管理の生活であると思う。この秘儀は、人間の側からすれば、祈ることのみがこの秘庫を開く鍵であるように思う。これはまさに、魂の内側から湧きいずる力づよい精神力である。
 最近流行の、自己催眠、自己暗示、自己開発、自己訓練等々、決して悪いとはいわぬが、あれは底の浅い、外からの誘発的激情法にほかならぬ。聖霊による創造的精神改造とは似て非なる、全く次元の異なる精神偽装法と言わねばならぬ。
 最近ああいう本がたくさん出ているし、私も愛読し、また人にもすすめることもある(最近の良書は「幸福への挑戦」(マクスウェル・マルツ著産業行動研究所発行)です。その他、古くからある「信念の魔術」、「精神力」、ノーマン・ピールの「積極的生活の力」等々)。しかし、ああいう本や指導法にはしばしば欠陥と陥穽がある。それは現代風の競争社会や自己満足のための麻薬であって、さらに深いところに人格的に致命的な傷痕をのこすのです。
 たとえば、女性たちがチャーム・スクールに入校したと仮定してみよう。教師は彼女を鏡の前に立たせ、何度も何度も「私には魅力がある、私には魅力がある、全世界の男が私に拝跪するであろうほどに、私には魅力がある」と自己暗示に熱中させる。たしかに、その効果はあがり、彼女は数ヶ月ののちには、別に整形手術したわけでもなく、目と鼻を入れ替えたわけでもないのに、魅力ある美人となって、チャーム・スクールを出て来ます。
 しかし、それが何というのでしょう。その無意味さにいつか気がつくことでしょう。そして、あまりにも自己中心的な自己への意識集中、おのれの魂の深部にまでメスを入れていじりまわし、美的観念、価値観念を固定させ、おのれ自身を破壊させ、遂には芯の芯底までおのれ自身を偽装してしまって、とりかえしのつかない人造人間になっていることに気づくのです。最近流行の「モーレツ社員特訓」を、まじめにやっていたら、そういう半キチガイがやたらとできるでしょう。
        ×    
                 (つづく)
 (※以上は1969年の文章です。)
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by hioka-wahaha | 2010-05-04 09:48 | 日岡だより