<   2009年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

No.403 使命を負っての海外旅行を 2009.9.27

使命を負っての海外旅行を

 観光旅行でも見学旅行でもない、貴い使命を果たすための海外旅行のお勧めです。
 今、中国では、聖書は禁書です。中国政府の厳戒の眼が光っています。中国では隠れたクリスチャンたちが一億人と言われます。その多くのクリスチャンたちに聖書は行き渡っていず、中国大陸のクリスチャンたちは聖書に飢えています。
 この方々に聖書を贈りましょう。この運動がなされています。宣教団でツアーを募集したりしています。この膨大の聖書の購入費を献げることもさることながら、これを中国に運ぶことの奉仕活動が求められています。

 当教会からもこういったツアーに応募する人は居ませんか。実は残念で恥ずかしいのですが、牧師の私は目下参加できない事情にあります。どなたか、私の身代わりのつもりでも行ってくれますと嬉しいです。
 できれば単身でなく2、3人の組になって行ってくださると、心丈夫だと思います。「何を情けないことを言いますか、神様がついていますよ」、と言われればそれまでですがね。でも主にある友情をもって小団体を組んで行けるなら、これは当教会として誇らしいことです。
 牧師の私も段々年を取って来ましたから、いろんな面で牧師の後を追う信徒の皆さんが出てくれることを願っています。こうして牧師が居なくても、万事疎漏なくできる教会に成長してくれること、そして牧師の後継者の育ってくれることを神様は期待して居られると信じています。《く》


(以下は1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」の連載です。)
<主の御名を呼ぼう 16>

「わが心さだまれり、神よ、わが心さだまれり。われうたいまつらん、たたえまつらん。
わが魂よ、さめよ、箏(そう)よ、琴(こと)よ、さめよ。
われ黎明(しののめ)を呼びさまさん
           (詩篇第57編より)」
 主よ、今こそ「わが心さだまれり」であります。あなたが迫り、あなたが包み、あなたが支えてくださる、そのあなたの愛に、私は今「おのが業を休む」(ヘブル書第4章10)のであります。それが、私の「死」でもあります。
 「大死一番」などといって、「百尺竿頭」より一気に飛び降りるような、はなばなしいはなれ業ではございません。「小死千万べんのくりかえし」であります。
 霊肉ともどもに、常に、またくりかえしくりかえし、また気づくたびごとに、あなたの愛に帰り、あなたの愛にとどまり、あなたの愛にいやされて生きるのであります。
 大きな信仰に生きるのではありません。小さな信仰の積み重ねに生きるのであります。その信仰をもし大きくしてくださいますならば、それは主よ、あなたのご恩愛によります。私の信仰の量を私が大きくするのではありません。もし、何事かができますならば、その時、私は小さき僕であります。為すべきことを為したにすぎませんと言うほかはありません。なぜなら、それは主が為したもうたところだからであります。
 主よ、あれを上手にやりたい、これも機敏にやりたい、でっかい仕事をしたい、成功したいと、パン食い競争でパンを求めるようにガツガツと始終飢えたるものの如く生きる、ああいう生き方は終りです。上手にやれようとやれまいと、テキパキできようとできまいと、大きな事業がやれようとやれまいと、成功しようと失敗しようと、人にほめられようと笑われようと、それはもうあなたの手のうちに委ねます。
 人間の欲心を、神の前に持ち来たって、それを実現させるのが信仰と思い込み、その信仰にすがりついている人がいます。初信のうちはそれでいい、然るに、そういう信仰をエサにしてたくさんの人間をつりあげようとする、誤った霊的指導者もいます。他人事でない、私もそれをやりたい誘惑にしょっちゅうかられるのでした。
 日本のプロテスタント、キリスト教界においては、<1>バルト神学流の弁証的緻密な頭脳の人々 <2>純福音派のように四重の福音などと信仰的プラグマチズムでたたみかけてくる人々 <3>原始福音や統一教会のように新法王を中心に霊能的、攻撃的な人々の、凡そ三大主流があるようです。別に<4>無教会の人々を考慮に入れてもよいですが。
 然し、私どもの信仰は、<5>イエスの愛に生きるという、単純にして素朴なる神秘主義であります。天界を見たとか、見神したとか、エクスタシーに入るとか、予言するとかいう、そういう濃密な神秘主義ではありません。主の御名をお呼びして(それも称名か題目のように行的に唱えるのではない)主の臨在を仰ぎ、主の愛の栄光の中に、おのれを置くという、簡素なる神秘主義であります。イエスの愛の中におのれを休め、おのが業に死にきるのであります。
 昨夜、妻が来て、
「祈っても祈ってもある一線をつきぬけないのです。残念でたまらぬ。どうしたらいいのでしょう」
 と言います。
 昨夜の私は前述のように、心の中は区画整理工事のさいちゅうでしたから、それどころでない。苦笑するのみで、何も答え得ません。
「その儘でいいさ」
 と実に無責任な返答。
「その儘でいいって、それならあなたもその儘? あなたが入院している間、私たちはそれぞれ別れて、何か神様のお取り扱いをうける重大な時と思いました。私も会社の仕事や、新工場の建設といった雑事殺到の中でも、祈っていて不思議な平安と力にみたされてはいるのです。しかし、もう一つ何か足りない。神様にひたとじかに密着するものがほしい。」
「…………」
「あなたのほうも、この二、三週間の入院の中で、少しはかわるかと思えば、あまり変わった様子もない。果たして、このままでいいのでしょうか。」
 (つまり、大体、チットは祈っているんですか)という表情です。妻も、ある境地を求めているということが分かります。
 夫婦は不思議なもので、別に話し合わなくても、よく同じ道行をたどるものです。別稿の「断絶」を書いた頃も、妻がいきなりイエスの「事おわりぬ」について私と全く同様の感想を人に語っているのでびっくりしたものです。
 ともあれ、妻から
「少しも変りばえがしない」
 と責めたてられても何ともはや致し方ない、頭をかくのみです。
「本当にそうだなア」
 と、今それを思い出して感慨に胸が迫ります。別に気分も高揚せぬし、昼にちょっと帰宅して、祈祷会を司会していても、以前のとおり、というよりは以前よりは気勢が上がらぬくらいです。病気以来、スタミナが落ちて、人為的(?)に気分を盛り上げることが下手になったせいもあるかもしれません。(つづく)《く》
 注・文中のできごとは1968年のことです。
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-09-29 13:13 | 日岡だより

No.402 「インド途上のキリスト」 2009.9.20

「インド途上のキリスト」

 礼拝室北側の図書紹介机に、表記のスタンレー・ジョーンズの名著「インド途上のキリスト」を載せて置きました。
 スタンレー・ジョーンズはインド宣教に赴いて、心を病み一時アメリカに帰ります。その事情を書いたものを私は読んだ事はありませんが、インド伝道の失敗感というか、敗軍の将のごとく意気消沈してアメリカに帰ったのであるらしいのです。今で言えば、ノイローゼにでもなっていたかと思えます。
 それは、ガンジーの宗教活動の見事さに敗北感を味わい、参ってしまって帰国したのだと聞いたこともあります。
          *
 ガンジーは決してクリスチャンではありません。しかし、彼の生き様はすべてイエス様の教えに忠実でした。ですから、彼は「インドのキリストだ」とインドの新聞などでも謳われたのです。
 スタンレー・ジョーンズにしてみると、ガンジーには到底追いつけない。やりきれなくなって、アメリカに帰ったのではなかったでしょうか。
 スタンレー・ジョーンズは、その後回復して、再びインドに帰りますが、イエス様に従い、そしてガンジーさんをも異教徒なれども、良き先輩として仰ぎつつ伝道したことだろうと思います。その心境がこの本からも伺えるのです。
 彼は戦後、日本を訪れて、東京での集会等、信仰黙想会と言いましょうか、日本アシュラムの運動の一環、ガンジーさんのアシュラム(黙想会)の真似でありましたが、私もその東京でのアシュラムに参加したように覚えています。《く》


(以下は1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」の連載です。)
主の御名を呼ぼう 15

          五、
 前節の文章を書いている時重大な転換がおこってきました。それだけに混乱を感じさせる文章になってしまいました。探求しつつ書いている文章、祈りつつ書いている文章としては致し方のないことであります。読者よ、ゴカンベンください。
 さきに、信仰道程の三つの関門のことを書きましたが、あれはあれでよいと思います。一応一般的な道すじであります。しかし、ものごとの真理を把握しその真ずいを追求する境地は、学問であれ、芸術であれ、悪魔の宗教をであれ、似ています。ですから、ああいう、回心とか確信の道を辿っているからといって、それで聖書の信仰として正しいとは言えないのです。「大死一番」にしてもそうです。ただ死ねばよい、そんなものではなさそうです。イエス・キリストにある死、イエス・キリストに合わされたる死、そのような死が必要なのではありますまいか。
 私がこの原稿で(今気づくのですが)最初より忘れていたのは、イエスの愛でありました。そして、私の力で自分で死のう、自分で聖くなろう、新境地を開こう、大先生になろう、ナントカ先生に負けまい、信者さんをうんとふやそう、集会を大きくしよう、そういう思いがどこかに生きていました。決して、それのみとは言えませんけれど、パン種のように小さい思いではありましたけれど、私の中で生きていました。それは正しく我が眠れる間に仇のまきゆきし毒麦でありました。(マタイ第一三章二五)
 今、手許に柘植不知人先生の自叙伝を持っています。このすぐれた神の人の生涯を読んでも私の目には、彼のはなばなしい伝道ぶり、何千人を集めての大聖会、バッタバッタと全会衆をなぎたおすが如き霊的干渉、そういうもののみが映じます。彼がその前に徹底的謙遜、徹底的放棄、徹底的献身を以て主に従ったことを見逃してしまいます。見逃さないまでも、そのあとの霊的高揚、伝道者としての活躍、名声、栄誉のための手段としてしか考えこなせないのです。
 アメリカから入ってくる聖潔指導書の最大の欠陥もこれに似ています。まず、聖潔とか聖霊のみたしとか火のバプテスマとか言って、何人かの実例を以て示し、そのすばらしい生涯を見せびらかして来ます(セールス用語で言えばアプローチ)。そして、そのような体験に入るべき条件を示します。①悔改め ②放棄・献身 ③信頼・待望といったようにその順序も示されます。まるで水泳教室の指導要領書に似ています。
 このようにして、人間側の為すべき事を、めったやたらと聖書の字句を引用しては番号を付して編集し、規則のようなものを作りあげるのは西洋人の悪いくせであります(長所でもありますが)。既に通過したものの反省、自覚のためのメモとして用いられる時には役にも立つが(それが神学というもの)、新しく人を導く手助けにはすこぶる危険であります。
 何故なら、さきに見せつけられた霊的名誉、霊的誇り、霊的富を得ようとして、寝台券売場の前にひしめきあう大衆のように、手をのばし体をわりこませて番号札を取ろうとする。悔改めだの放棄だのが、この番号札のように扱われてしまう。滝浴びしたり、水晶球を見つめたり、徹夜祈祷会をしたりして霊能を求める、異教徒と全く同じであります。
 第二回目の発作のとき、「ともあれ、一度殺してください。お役に立てば生き返らせてください。然らずんばそのまま天に召してください」と祈った意味が、今ようやく分かってきます。
 生のための一手段として死をもって神にせまるのは、一度売った財産の幾分かをのこしておいたサッピラ(使徒行伝第五章一~一一)のように、胸に一物のこして神の前に出るわけですからいけません。
 私はただ、ただ無条件に主の前に死にたい。このまま、印刷屋のおやじさんとして資金や労務管理や得意まわりにやきもきしながら平凡に人生をおくろうと、その事業すらも失敗し、伝道も失敗し、誰にもかえりみられず死んでいってしまおうと、そのままで大幸福であります。感謝でありますと、御旨のなりしことのみを喜ぶ聖徒になりたい、と思います。
 一度、主の前に死んだからには、煮て食おうと焼いて食おうとそちら様の勝手であります。それを「死ぬ、死ぬ」と言いつつ、「死んだあとは、ああしてくれ、こうしてくれ」と欲が残って死にきれずにいる。いい恥さらしであります。さりながら人間としてここらが当然の限界でありましょう。
 このように最後まで死にきれない人間の心を、死なしめるものはイエスの愛であります。私はあのままイエスの愛にすがっておればよかったのです。それを自己愛でもって、かえって神にそむき自分の義をたてようとしました。そこから混乱と迷妄を生じていたのでありましょう。
        六、
 一夜明けまして、七月三十一日となりました。六月末日の聖日集会で「これで勝利の年一九六八年前半をおわります。明日から七月です。この年の後半もまた、勝利におさめようではありませんか」と言った、その七月一日早々、まずY兄弟(会社では営業部長)が交通事故による入院、そして私の発病と多端でありましたこの七月も今日で終わります。何かけじめのつきそうな日であります。ありがたいと思います。(つづく)《く》
 注・文中のできごとは1968年のことです。
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-09-21 11:05 | 日岡だより

No.401 手島郁郎先生のこと 2009.9.13

手島郁郎先生のこと

 先週土曜日、大分市高砂町のオアシスタワーのNHKスタジオホールで催された大分幕屋の「聖書の国から」上映会に行った。実際の内容は手島郁郎先生の記録だとあったからである。
 私は手島先生の風貌に少しでも接したかったからである。日本のキリスト教世界で手島先生に反感を示し拒絶する団体は多いであろうことは、もう分かり切っている。個性の強い先生のことだ、妥協はしない、言いたいことを大胆に言い、反対するものを切って切りまくる。批判される方はたまったものでない。信者が出て行く。その被害も大きい。
 私は特に手島先生に背いて、先生の教団を飛び出し、しかも大分に帰ったら私なりの伝道を続けますと、私としては当然の姿勢を語ったのだが、それを聞いた先生は私を幕屋の陣営に仇なす者と決めつけた。
 そして私の息のかかった信徒一人一人、特に有力メンバーを引っこ抜くべく、腕のよいお弟子さんたちをつかわした。私はごく即近の信徒や、家族だけを手元にかかえて、大分市郊外の地に都落ちするように逃げてきたのである。それが大分市日岡の現在地である。
 収入源を全部棄てて伝道に邁進してきた私が、今更その伝道の成果を棄てて郊外に移住してきても、今後の伝道も生活も、その見込みは毛頭無い。
 老母と妻子を抱えて六人家族、どうして生きて行くか。その術は無い。しかし、私は金は無くても生きてゆくのに、些かの自信はあった。それは早くより一燈園の西田天香さんのもとで、無一物生活の実際を多少とも学んでいたからである。《く》


(以下は1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」の連載です。)
主の御名を呼ぼう 14

 先日の日曜の説教で私は信仰の過程を三つの大きな関門にたとえました。
1. 新生(回心・悟り)
2. 勝利の生活(日毎の生活、世に対する勝利)
3. 栄化(多分死後おこるであろう肉体ごっそり霊化される事。あるいは主の再臨の時)
 この三つの関門が、はっきりと区分されて体験される人もあれば、徐々に行われる人もあろう。栄化にしてもエノクやエリヤのように生きたまま死を見ずして天に召される人もある。逆に言えば、死んだらすぐ栄化されるというわけでもなく、「栄化学校」とでもいうか死後の中間霊界もあるように思います。
 1の新生については前述のK君の対話でふれたとおりです。問題は2の勝利の生活にあります。いささかは、栄化の境地といってもいいものが一歩半ふみこんできてくれているような、そういう勝利の生活に突入したい、その突破口に一つの大きな死があると私は予想しているわけなのです。
 信仰生活に死はつきものです。死が生を生むからです。そして信仰は死に始まって死に至る。パウロは「我は日々に死すという」と言いますけれど、日毎の死が日毎の生を生みます。日々おのが十字架をおいて我にしたがえ、とイエスが言います時、日々の勝利の生活は日々の十字架(死)にあると分かります。しかし、大死一番という言葉もありますように、この日々の死が手慣れてくると、だんだん浅薄なものになって、もう一枚皮をめくるとその下に大きな死があろうような予感がしてきます………。
      ×    ×    ×  
 私はここまで書いて、ふとT君のことを思い出しました。彼は某師の指導により、何度か死地を突破した由であります。肺病で血を吐いたり、経済的に無一物になったりしましたが、そのつど、大死一番してつきぬけてきたと伝え聞きます。たしかに彼の様子を見るとそれにふさわしい、根性、ある坐ったもの、確信を感じます。しかし、どうしてもそこに愛や喜びが感じられないのです。試みに彼に聞いたことがあります。
「イエス様とあんたとの関係はどんなふうなの」
「さア」
「あんたの中にイエス様が生きている?」
「それがよう分からん。ぼくの知っているのは、ただ死んで死にきって突破する。その時、神様が何事かなさって不思議に助けてくださるということだけ。ぼくの知っているのはそれだけです。」
 そう答える彼の表情には、これでいいのですというような捨鉢みたいな確信が見えるので、私は黙っていたが、どうにもこうにも少々不満でした。一種の境地を持っていて、それで熱心にやっているのは分かるが、禅ぼこり(?)とでもいうか、それに似たような臭さを感じたのでした(実際、禅の人にはそういうしたり顔の人も多いですね)。
 そこで思う、「大死一番」とはそもそも何ぞ。私はもう一度この文章の最初の処まで引き返し考えなおさないといけないのではないか、何か重大な誤り、道草、見落としをやっているのではないか、そういう不安な気がしてならないのでした。「死ねばよい、死ねばよい」と言っても、その死に方、死ぬ目的に問題がありそうな気がしてきました。
 そう、昨日のK君への話の冒頭に「自我を殺すのではない、自我が死ぬのです」と言ったが、あれはたしかに正しい。然るに、今私が自らを責めつけているのは他でもない。「自我を殺そう、自我を殺そう」ではないか。その誤りはどの辺から始まっているのか。あの第二回目の発作のあと、何となく「枯木龍吟」が分かった気がした。
 今思うと、その時とたんに、職業的(牧師給料はもらわんでもやはり職業的意識と言えましょう)伝道者気分が出て来て、これで何とかやれる、釘宮センセイもう一段ジャンプして、いい伝道ができるぞ!といった自負心、名誉心、拡大欲、が湧いてきたように思います。
 「よっしゃきた、ここで大死一番、一発やったろ」と、新境地を求め始めたのであります。この信仰的境地、霊的境地を求めて一心になるというのが非常に危ないと思うのです。これはどうも、アダムが善悪を知る木の実を食おうとしたのと同じ気分から来ることが多いように思います。
 昨夜K君との話で、彼の奥さんのことにふれたが、彼女はしばしば確信を失い、おろおろし、不安にもなる。そのくせ弱い体も、いそがしい時間も、貧しい財布も、イエス様の愛に燃えて、あらん限り使い切っています。
 伝道せねばならない、人に愛をつくさねばならないと、義務でやっているのではない、内から溢れ出てくる泉のような無為の行為であります。自分の信仰を高い信仰、あつい信仰などとは夢にも思わず、時には自分に果たして信仰などあるのだろうかと心配することもあろうと思いますが、それにもかかわらず、イエス様の愛に燃やされて、たまらなくなって伝道と愛行に励んでいます。
 そこには「大死一番」などという智慧もなければ、構えもありません。ただひたすらなイエスへの随身があります。そういう心境にこそ「死」があるのではないか、と今気づくのでした。(つづく)《く》
 注・文中のできごとは1968年のことです。
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-09-15 11:28 | 日岡だより

No.400 気分を切り替えよ 2009.9.6

気分を切り替えよ

 総じて人間は気分に弱い。どなたでも、そうだろうと思う。特に旦那様がたはいかがですか。「やあー」と頭をかいている男性諸兄が目に見えるみたいです。
 ひどい人は朝の味噌汁の味が薄すぎるというだけで、ご機嫌を損しているかもしれない。それを口にすると奥さんから叱られるから我慢して黙っている。そうすると、尚更に気分が優れない。
 こういう時に、「僕はどうしてこんなに我が侭なんだろう。ちょっと我慢すればよいではないか」と自分をたしなめるが、そう簡単に気分が変わらない。
 自分では気がつかないが、奥さんにはすぐ分かる。「あなた、どうなさいましたか」。
 奥さんの言葉使いが急に標準語で丁寧になることが多いのも不思議。
           *
 こういう時、「神様、私はどうしてこうなんでしょうか」と、泣き声を出して祈ってもよいが、もうちょっと気軽に心の中で「神様、いつもの気分転換をお願いします」とお断りしてから、「ワッハッハハ」と軽く笑う。そして、「カアチャン、お味噌を足そうかねえ」と立ち上がってお勝手に行く。
 こうして気分を一瞬に替えるんです。さらに具体的に自分の気分を客観視し、これを切り替えてゆくための道具として、アメリカのデューク大学で製作した「気分測定表」というものがあります。
 「やあ、今の僕は『心配』という段階だな。そうだ、神様、『決然とする』『意欲的』と、気分を替えたいです。更に『勇気づく』と行きたいです」。
 こうして、神様に求めましょうね。《く》


(以下は1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」の連載です。)

主の御名を呼ぼう 13

「ほどけばほどく程もつれてくるんだね。底の無い桶で井戸水を汲むようなものさ。禅宗流に言えば、その糸玉をほぐすことをやめ、その桶で水を汲むことをやめ、糸玉を火にぶち込み、桶を井戸の底に投げ込むとよい―――」
「………」
「まあ、待つことだ。終りまで耐え忍ぶ者は救われんとイエスが言うでしょう。求めよさらば与えられんと言うでしょう。自分で自分をすくおうとして、スコップを持ってきて自分の尻の下にしいても、いかな大力でも自分で自分はすくえません」
「………」
「そこで、自分で自分を救うことをすっかり絶望すると、あとには静かな無期待の待望が生じるのです。絶望をこえた待望こそ、イエスの言う終りまで耐え忍ぶという心です。淡々とした世界が開けるのですよ。」
「………」
「法然のところにね、ある人が聞きに来た。御坊、念仏申している途中眠気ざしてつい居眠りをしてしまうことがございます。どうしたらいいでしょう。そこで法然は言う、目が覚めたら念仏申しなさい」
「ははははは」
「こういう処は禅者的風格を持っているね。落語に似てオチがあるんだ。ある時、儒者が禅坊主のところに来て口論を吹っかけ、興奮して立腹その極に達し、お茶を茶碗ごとひっくり返してしまった。そこで坊主言う <こういう時、儒者の方は何となさいます> その儒者は目を白黒させ返答に困った。すかさず坊主は言う <私どもではこういう時、こぼれた茶をふきまする> と雑巾を持って来たそうだ。凄いオチですね。
なぜこうなるかと言うと、過ぎたことへの執着からです。いつか一休和尚とその弟子がうなぎやの前を通った時の話をしたでしょう。一休は <ああうまそうだナ> と言う。一町ほど過ぎて弟子が <お師匠、仏弟子の身でありながら魚の香りにああうまそうだナはないでしょう> ととがめたら <おや、お前まだうなぎのにおいをかいでいたかい> と言ったという。同じように、さきほどの儒者は、 <こんな時あなた方儒者はどうなさいますか> と問われると、今何を為すべきかという事よりも、腹を立てた事、その見苦しさ、残念さに心がとらわれているのです。法然のところでの問答もそうです。法然に言わせれば勿論、念仏専心であってほしい。居眠りするよりは居眠りせんで念仏を称えたほうがいいに決まっている。しかし、すでに居眠りしてしまったあとで、私はなぜ居眠りしたろう、私はダメなんだ、もう念仏なんかやめてしまおうかなどと、いろいろ苦に病むのがいけない。過ぎたことは過ぎたこと、目がさめたら念仏せよと言うのですよ」
「あ、そこで淡々といけますね」
「さよう、クリスチャンなら祈るでしょう。祈りながら雑念がわく、勿論雑念のわく祈りなんかより雑念のない集中された一心の祈りがいいに決まっている。しかし祈りの最中に、その反省がはじまると雑念を押しのけようとして、更に雑念はわく。池の波を静めようとして水面を手でかきまわすようなものです。そこでどうしよう、法然流に答えると、雑念のわくまま祈るべしです。」
「分かったような気がします」
「今まで言ったこと、実はみな一つのことです。真理追求の足が、ひとたびドンデン返しを食うということです。
テンカンの子の親が、イエスにその子をいやしてくださいと頼む時(マルコ福音書第九章一四~二九)、イエスは <信ずるものには、すべてのことが成就します> と答える。 <そこで、その子の父ただちに叫びて言う、われ信ず、信仰なき我を助け給え> とある。このせっぱつまった父親の気持ちがよく出ているが、ここで注目すべきなのは、 <われ信ず> と言いつつ <信仰無き我を助け給え> と言って、自分の無信仰を告白しているところです。このテンカンの子の父の信仰は、無信仰を告白することに基礎をおいているとも言える。逆説的なんですね。
これからの生活のすべて、この流儀でいくといい。気分がすぐれぬなら、気分がすぐれぬでよい。気分がすぐれぬまま信心するんです。夫婦喧嘩すれば夫婦喧嘩するでよい、そのまま、信心を続けなさい。思わずカッとなって、社長に文句を言う、気分が悪い、しかしそこで滅入らないで、気分のムシャクシャするままに、祈りの生活に戻りなさい。なぜ喧嘩したろう、なぜムシャクシャするのだろう、こんなことはクリスチャンとしてあるべきではない、などと心の畑をひっくり返すことはやめて、そのまま信じ祈り、自分に見切りをつけて、神様を見上げて生きていくのです」
        四、
 昨夜おそくK君は帰っていった。私は昨夜のK君との問答(といっても私の語ることのみ多かったが)を思い返していました。
 今日、七月三十日(注・1968年)、ふだんなら月末をひかえて金繰りに奔走している頃かもしれぬ。外ではブルドーザーの音がする。この病院の付近は区画整理中で家をこわしたり土を掘り返したりで大変です。それと同じように、私は金繰りの心配もなく一切の俗事は妻や留守中のみなさんに頼んで一見のんきであるが、やはり心の中が区画整理で大工事中です。(つづく)《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-09-08 10:02 | 日岡だより

No.399 主の御名を呼ぼう 12 2009.8.30

(1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」の連載です。)

主の御名を呼ぼう 12

 (前回よりのつづき)
心魂に徹していないのです。単なる精神的感動にすぎなかったのです。
 その後、エア・コンディショナーのきいた居心地のいい病院に転医して以後、私の体力は徐々に回復するけれど、それに倍して外気は七月の暑さがひどく、到底退院できません。その上、人間ドックに入ったようなもので、何かと検査しては病気を探し、次々と検査と治療が続いて、もう自覚症状は何もないのに、やはり入院を強いられています。このような現状に、私は神の意図を感じています。あの第二回目の発作の時の「死」が、もう一度私の魂の中に徹しきれなければ、私はこの病院を退院することはないであろうと思います。
 大げさに言えば(本当に大げさなのでご心配なく)失明の危険があるので余り本を読むなと主治医は注意してくれますが、その注意を固守しているわけではないが、たいして本を読んでいません。元来、本好きで本が無ければ新聞の広告でも読んでいたい私、まるで活字中毒だよと言っていた私ですが、今度はその症状(?)がほとんど停滞しています。入院以来、ずっと新聞も見ず、テレビも見ず、そういう外的なことが一切わずらわしい心境になっています。だから、別稿で書いたように思いますが、まゆの中にじっとしている蚕のような気がしてくるのであります。
         三、
 七月二十九日夜、「はしがき」以降全部の原稿を来院した妻に渡し、印刷にまわすようにたのみ、ただ、この「あとがき」だけを書きかけたまま手許にのこしました。妻が帰った後、K君が来てしばらく話していきました。このK君が目下、確信を求めて苦しんでいることを知っていますので、それにふれていろいろと話しました。
「K君、自我が死なんといかんのだ。(自我を殺すのではなくて自我が死ぬのです)一番やさしい死に方はね、 <死のうたってこのボンクラな自分、どうにも死ねるものじゃないとあきらめる> 死に方です。これで内的自我は生き残るが、最も深奥の霊的自我は死ぬ。たまねぎの皮の根を切ったようなもので、もう芽も出ることはないし、あとはくさって死ぬばかりさ。」
「それが先生むつかしいんですよ」
「たしかにね。易行無人、やはり、むつかしいですね。しかし、パチンとスイッチの切り替えのように、簡単なのでもある」
「私などは、それがいつのことやら」
「ぼくも経験がある。訳もなく待ち遠しくてね。突き破ればサッと薄紙を破るように向こうに行ける予感がするのに、いざ突破しようとすると背後に巨大なゴムひもでも仕掛けられているみたいに、その薄紙寸前でもとに引き戻されてしまう。この薄紙のごとき心路突破こそ、信仰の第一の関所です。 <向上の一路、千聖不伝> と言ってね、関所の前までは人が人を連れてくることができるが、その関所を通ることは自分自身でやらねばならん。塚本虎二先生がここの処を、親知らず子知らずの関所と呼んでいるが、けだし名言ですね」
「うちの妻も、そこをまだ通過していないのじゃなかろうかと一人で苦に病んでいます。」
「お宅の奥さんは道がちがうのじゃなかろうか。あたりまえの道のあるところには、関所が人工的に作ってあってとおせんぼをしているが、道なき道を行くと天然の山坂が待っていて、関所などはありゃせん。奥さんの愛行愛祷を見てみたまえ、ああして一皮も二皮もむけて変貌していくのがよく分かるでしょう。あのままでいいですよ。必ず、そのうち天下の高尾根をこえて新天新地を掴むよ。先ほどのスイッチの例でいうとね、早々に電灯線を引き込んでパッと明りをつけたはいいが、バラック住宅であるようなのとね、長年かけて三十何階のビルを作って、あとで全館にパッとスイッチを入れるのとあるよ。だから、あせってはいけない。大器晩成というからね」
「ところが、そうは言っても、あせらずにはおれぬ胸のうちってやつなんです」
「そうだね、分かるよ。だがね、あせってもあせってもダメだとあきらめる」
「あきらめはいかんと言ってましたのに」
「あきらめには二つあってね、仏教はいい意味でこのあきらめという言葉を使ったのです。ぼくは若い頃芸者にドドイツを習ってね、
 あきらめました
 どうあきらめた
 あきらめられぬと
 あきらめた
この唄には、すべてのボンノウを断ち切るものがあるよ」
「あきらめられぬとあきらめる……。あ、なるほど!」
「ぼくが刑務所の中でね、朝からずうっと夕方まで坐禅してみたことがあるんです。我を殺そうと思ってさ。しかし、朝から夕方まで飯も食わずに坐りつづけていても頭の中は雑念妄想で休む時がない。そして、夕方もすぎハッと気づいた。気根のいい人ならこうして坐禅して悟りも得られよう。頑張りのいい人ならこうして五年も十年も坐っておれよう。達磨、慧可、道元、白陰、鉄舟、あんな連中ならやれたろう。しかしこの俺はダメだ。この俺は坐禅なんかじゃ百年河清を待つの例の如く到底ダメなんだ、というわけでね。ぼくは坐禅に感謝しているんです。坐禅じゃダメだと坐禅で悟ったんだから。」
「さきほどの、あきらめました、と同じ理窟ですね」
「そうです。そのようにしてぼくは、それまで思ってもみなかった別の <死> をかいま見た、そしてイエスを仰がざるを得なくなったのです(「断絶」の項を参照)」
「先生、急にその段落が来るので、困るんですよ。そこが知りたい」
「そう、先日、本多顕彰の歎異抄入門をみたら彼も書いていたナ。トルストイが「我が宗教」で長々と精神苦闘の長口舌をふるったあげく、突然「ある日私は救われた」と来る。一番知りたいところをなにも書いていない。腹を立ててその本を投げ捨てたそうだ。私の好きな回心記は石原兵永のそれだが、そこでも回心の一瞬は空白の一行ですよ。ぼくはその一行あきのところを紙をむいてでもその中身をさぐってみたい思いがしたものです。書く側から言えば、それを言葉の破産(と福井二郎牧師が言った由)というのです。説教でもそうでしてね、トウトウたる名説教では霊的所産はない。その言葉が破れて人間が絶句するところで、聖霊が働く」
「ますます絶望的ですね、何をしていいかサッパリ分かりません。」
「そう、打つ手がないでしょう。これが腕を一本切り落とせとか、二十日間絶食しろとか言うのなら、やれんこともないみたいだが、こういう精神内奥の葛藤は打つ手がないんだ」
「もつれた糸を際限なくほどいているみたいなんです」
(つづく)《く》
 
注・文中のできごとは1968年のことです。
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-09-02 15:53 | 日岡だより