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No.386 主の御名を呼ぼう 1 2009.5.24

主の御名を呼ぼう 1
 
     は し が き
 
 一九六八年七月八日のことですが、ぜんそくの発作が起こり、生れて初めて入院治療ということになりました。調べたら心筋梗塞だの糖尿病だのを続々発見、出るに出られず、二週間の病院生活を送りました。
 当時は忙しくしていたので、入院で多方面に迷惑をかけ申し訳なくも思いましたが、自分としては修道院に入っている気持ちで有り難く時を過ごしました。
 以下は、そのときに、思いつくまま書きしるした文章です。
                                  釘 宮 義 人

 
 
    神 は 愛 な り 

 世に幾多の宗教あろうとも「神は愛なり」(ヨハネ第一書第四章十六節)の一語に尽きると思う。聖書もコーランも仏典もつきつめればこの一語に煮つまるにちがいない。仏教者は無だの空だのと言うて、神などあるものかなどと言うかしれないが、そう言っておれるのもおシャカ様の掌の上の孫悟空のようなもので、みな神の愛の掌中で屁理屈をこねているだけの事である。
 聖書六十六巻、無ければ無いでよい、これすべて「神は愛なり」の一語に尽き、展開すれば、天地創造譚より新天新地の預言にまで至る。
 故に思う。また、切に願う、この「神は愛なり」の一語が本当に分かりたい。魂の底がぬけるように分かりたい。
 文法に、第一人称、第二人称、第三人称というのがある。
 第一人称が、我、私、僕、おれ
 第二人称が、汝、あなた、君、お前
 第三人称が、彼、あの人、あいつ、あれ、それ……
 ということだ。この時「神は愛なり」という語句の中の、神は第三人称であろうか。神が第三人称の方として語られるとき、それは教科書に書かれている教義、教条的真理である。それはひからびた標本か、硬直した化石のような真理である。学者が黒板の前で語るにはもってこいの真理であるが、前の道を通る魚屋の大将を活かす真理ではない。それではこの神を第二人称(汝)を以て呼ぼうか。「神(汝)は愛なり」。これはまさしく詩篇の主調音であると思う。第三人称の神を語るときには、神を客体化して、語る我と聞く汝が別にいます。それは講義されている神であり、噂されている神であります。ところが、第二人称の神と語るとき、こちらに我があるだけで、第三者の入りこむすきがありません。対面する神!、そこで我の愛が問われ、我の応答が問われます。これはまた預言者の宗教でもありますね。ここに、この頃流行の言葉「対話」が成り立つかもしれない。対話の宗教―――それが祈りである、と言えるかもしれない。
 話題を転じるが、二人の男女が真に愛しあっているとき、二人はただ共にいるというだけで無言のまま何時間すぎても喜びと平和はつきまい。対話がないと、時間を持てあましているイライラするというのはそこに愛がない証拠。汝と我が愛に於て一体化するとき、そこに退屈、葛藤、遠慮はない。
 同様に、神が第二人称として受け取られている信仰もすばらしいけれど、それ以上に、第一人称として受けとめられていると、凄いと思う。「神(我)は愛なり」。と、こう言う時、私はこの第一人称を絶対的第一人称と呼ぶ。我も彼も汝もあれも、一切を含めて神は「我」である。この大我にこの小さな私も没落してしまったとき、「神は愛なり」という宇宙音がきかれるのである。
 この時、「愛」という言葉もまた客体化されたあるものではない。愛とは我の代名詞なのである。その愛の中に没落して生きる、これが宗教である。
 「我が愛におれ」(ヨハネ伝第一五章一〇節)これはバックストンが日本を去るときの遺訓の由であるが、まことに聖徒バックストンの、その弟子たちにのこした言葉としてすばらしいと思うのである。
 さて、これまでの文章は、少々理窟っぽかったかもしれぬ。本当はそれ程ややこしく考えぬでもよろしい。ただ
 「神は愛なり」
 この一語を冥想したまえ。真に、神が愛であるなら、我ら何一つおそれる事もひるむ事もない。一切を神の愛として受け入れ、変革し、前進し、完成する雄大な人物になり得るのである。
 (一九六八・七・二四、井上内科にて)
 
 
    ふ れ あ い 

 私の副業は(はたまた本業か)印刷屋である。最近T先生の「教育に於ける虚像について」という論文を刷らせてもらった。そのおかげで、その内容にふれる事ができたのであるが、その第二章に「意図的教育だけが教育だとする虚像」というのがあって、言いなおせばそういう錯覚であるが、そこにその錯覚である例として無意図的に実現された教育効果の一事例をあげている。
「今から十五年前、S小学校の指導に行ったことがある。そして一時間飛び入りの音楽の授業をさせられたことがあった。五年生の女子組である。その中にHさんという、日鉱社員の子どもがいた。その時以来、その子は、中学に入り、後に東京に転住し、大学を卒業しても、毎年便りをくれた。………私はこの子に何をしたというのであろう。僅か四十五分のただの一度の授業をとおして、おそらくこの子は、担任の先生とは別に、私に親しみをもっているのではあるまいか。その子は、私の教え子のように思えてくるのである。この子もまた、私を先生と思いきめている様子である。」
 だから意図的教育が無駄だというのではない。教育はあくまで意図的に、計画的に、積極的になされるべきであろう。にもかかわらず、一個の人間の前途の分岐、人格転換のポイントが、教師の何気ない構えのない言行で左右されることがある。こういう教育のできる人を私は尊いと思う。それを老子は「無為の為」と呼ぶ。君子は何も為さざるに似て万事を為すのである。意図的官製教育はどうしても、教養の詰め込み、職業技術の押し込みに終わりがちだ。それはそれでよい、仕方のないことだ。しかしやはりもう一本筋ならぬ筋のとおった教育がほしい。教育課程に書いてなく、教案に書くことができず、教育効果として教師自身その時自覚できず、まして校長の勤務評定表にも上ってこないようなあるものが。
 イエスが何気なく歩いている姿を見て、洗礼者ヨハネは言った。
 「視よ、これぞ神の小羊」
 目を見はらずにはおれないあるものが、野を歩きたもうイエスの身辺にあったのである。そこで二人の弟子がイエスに従ったとある。
 「ベン・ハー」というイエス外伝のような通俗小説がある。この小説は大スペクタル映画になって日本にも来たことがあるので見られた人も多かろう。この小説を読んだとき、私には小説の文学的価値のいかほどかは分からなかったが、ただこの作者は宗教を知っていると思った。宗教体験が無ければ書けない表現がある。
 主人公の母親がライ病になってペテロに救われるところがある。その時、ペテロは、
「私がいやすのではありません。我らの主イエス・キリストの御名によりていやされるのです。」
 そう言って彼の手をその母親の額にあてた。その時、すずやかな戦慄が彼女の全身を走り、言いようのない静けさと平安が全身に波紋のようにひろがり、そして満ちた。そばにいた女中が発見する。
「奥さま、病気がなおりました。お肌がきれいです。」(つづく)
 (1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」を連載しています。)
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by hioka-wahaha | 2009-05-26 11:00 | 日岡だより

No.385 預言といやしの聖会2 2009.5.17

預言といやしの聖会2
 
 ところが、ある老婦人が道を歩いている時に、急に足が痛くなった。歩けません。そこでその老姉妹突然言った。
「釘宮先生の信じるキリストの神様、この足の痛みをトットと追い出してください。」
 そうすると、一方の足の痛みが無くなった、バアチャン言わく。
「釘宮先生の信じるキリストの神様、一方だけじゃ困ります。2本の足、一緒にポーンと治してください。」
 これを言うや否や、本当に2本の足、一緒にポーンと治った。バアチャンびっくりして釘宮先生の家にまっしぐら。ちょうど私の家では祈祷会の最中。
 「センセーイ。足が治った、足が治った」
 と、息も喘ぎ喘ぎ、私に報告である。さあ、それを聞いた祈祷会の皆さん、祈りがワーッと燃え上がる。その頃、私の家は2階住まい、熱い祈りが持ち上がると、家は震動するんです(笑)。
 その後、このオバアチャンは、足の神経痛の祈りの専門になりましたがね。
 その当時、日本には私の知る限り、東京に一人、神戸に一人、神癒専門の先生がいらっしたが、その他には知りません。私は全くのしろうと、大先生がたが病気の人のために祈って治す現場を見たこともありません。ただ、聖書を振りかざして、「聖書にこう書いてある。聖書にこう書いてある。病気は必ず癒される、必ず癒される」と言うばかりです。
 しかし、こう言い続けていると、少しずつ、ひとりでに軽い病気や、重い病気も、治り始める。私は戸惑いながらも、祈ってさしあげるうちに、癒される人も多くなるし、私にも祈れば神様が癒されるという自信が湧いて来たのです。こうして、分かって来たことは、信仰の言葉を(本当の信仰もないままに)信仰の言葉を言い続けて行くと、その言葉が実現するし、私にも信仰が湧くのだということです。(終り)《く》
 

私の初期の伝道の頃
 
 実は、私の初期の集会(まだ教会と呼ぶのは恐れ多くて、集会と呼び習わしていました。昭和30年頃です)その頃、すでに癒しの事実は起こっていました。これは私にその信仰があったからではなく、まさに「言葉」の力でした。
 その頃は、まだ「説教」ということも、やはり恐れ多くて言えません。聖書講義と呼んでいました。私は神学校も出ていない、しろうと伝道者です。まだ30歳をちょっと出たばかりの若造です。しかし、熱気がありましたから、たぶん出席者の心を打ったのではないかと思います。
 私より先輩の萱島兄が、「今の釘宮さんの聖書講義、大分のクリスチャン、皆に聴いて貰いたいですよ」とよく言ったものです。
 当時の私はまだ義認信仰一点ばりでした。聖潔の信仰にはあこがれていましたが、まだ掴めていませんでした。また、問題は聖潔信仰を持っているというクリスチャンで、当時の私の周辺にいた人たちは、どうも本当の信仰は持っていなかった。私の体験している義認の信仰すらも、言葉としては知っているけれども、その真実を掴んでいなかった(これは本能的に分かります)。
 ましてや、聖潔信仰や、また今でいうカリスマ的聖霊信仰などもちろん知りもしない。一切格好をつけているだけの見せかけ信仰です。その悲劇たるや、そのことをその方々が自覚していなかったこと、それが最大の悲劇です。
 
 私の当時の信仰を説明すると、義なるキリスト様が私の内に移入してくださったという体験、これが第一です。昭和19年11月23日、22歳の秋のことでした。
 次は、人格としてのイエス様が私の内に移住して下さった、と言うより、「侵入」してくださった。しかも、その翌日の朝、多少その信仰体験を自ら疑いかけている私に向かって「われ更になんじを去らず」(ヘブル13:5下)とカラカラ笑っておっしゃるイエス様を拝見、私の信仰ははっきり決まってしまったのです。昭和23年3月30日から4月3日にかけてのことです。その頃は、今は大分市に編入されている鶴崎の町で伝道していました。
 これは、「イエス様により義とされた」という信仰を越えて、義なるイエス様が私の中にお住みになってくださった、しかも永住されるのだという感覚です。この信仰を頂くことは正に祝福です。
 それから、私は伝道拠点を大分市に戻し、大分市の都心にある、県庁のすぐ裏の町村会館で集会を始めます。その頃から、私は厚顔にも洗礼式を執行し始めます。
 私は如何なる宗教団体からも洗礼執行の資格は与えられていませんでしたが、マタイ28章18節の「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、……」とあるお言葉に従って、恐れることなく、洗礼をほどこしました。
 当時の礼拝では出席者は30人は越えていたと思いますね。その時の洗礼式は、今、大野三重市に居られる私と同姓ですが釘宮保兄が加勢してくれて慣れない私は心強かったです。保兄は東京で神学校を卒業していたので、そういうことにも手なれていたし、心強い祈祷をしてくれる人で有り難かったです。
 以上、昭和23年ころのことだったと思います。ぼつぼつ、当時のことは忙洋として掴みがたく、記憶が薄れかけています。その頃のことは、前述の保兄にでも確かめねば思い出せませんね。《く》


春の信徒一泊セミナー (上木兄の報告文より)

 去る5月3日(日)、主日礼拝を恵みの中で終えた後、釘宮牧師先生以下約20名の兄弟姉妹と共に、目的地の別府照波園へ。この場所での一泊セミナーは昨年につづき2度目のせいか、聖会開始までの時間、ゆとりをもって、庭園内にある木々の緑の薫り、海から風に運ばれてくる潮の香りを満喫し、兄弟姉妹の顔は自然にほころび笑顔で満ちていた。
 まず、このような恵みの時間を過ごし、第一聖会が予定どおり午後3時に開会された。
 釘宮牧師先生がイザヤ書25章1節、創世記1章1~2、ヨハネの福音書1~3、これらの御言葉を丁寧に解き明かしてくださった。特に、信仰、聖霊様についての事を表現する人々の言葉は各自の内実より言葉を作り出す言語であり、この言葉を与えたのは、創造者(神)であると語ってくださった。以上のメッセージをいただいた我々は、あらためて言葉の大切さ(言葉は命)を認識したことである。
 メッセージの後、釘宮牧師先生から兄弟姉妹に、信仰について経験や教えられたことを自由に語ってくれとの要望があった。数名の姉妹がそれぞれ各自の信仰体験や生活の中での思いを語ってくださると、それに応える証しが出たり、呼応する聖書の言葉が導き出されたりして、互いに支え合い、よき分かち合いの時間となった。この最初の聖会で、自由な和気藹々とした雰囲気が生れ、今回のセミナーの性格を形作る基礎になったように思う。
 夜7時半より第二聖会。箴言より数ヶ所を拝読。31章10~31節の御言葉により、自分の顔のセルフ・イメージを作ることを語ってくださる。笑顔に満ちている顔や、自分の理想とするしゃべり方、歩き方などに対するイメージをもって黙想。
 いったん終了し、なごやかなブレイクタイムの後、自然に祈りに導かれ、祈祷会に。自由でリラックスした聖霊様との交わりのすばらしい時間となった。
 翌朝、午前5時半より早天祈祷会。集会中に水平線に昇る朝日が見られるはずだったが、あいにくの雨模様。詩篇49編1~4節をとおして学び、兄弟姉妹と朝一番の祈りの時を持つ、恵みの時間。
 朝食後、午前8時半より最後の聖会。エゼキエル書47章1~13節。釘宮牧師先生よりジョン・ウェスレーの宗教改革、救世軍による社会革命などの貴重なメッセージをいただく。
 チェックアウトのため、午前10時に解散するが、聖会の余韻濃厚で去りがたく、別れがたく、照波園のロビーにてぐずぐずした後、残った者たちで記念撮影をした。一人一人が、解放された良い笑顔で写っている。おそらく先に帰った方々も同様であったことだろう。
 以上、本当に恵まれた1泊2日のセミナーでした。心から主に感謝します。
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by hioka-wahaha | 2009-05-19 11:21 | 日岡だより

No.384 聖霊の賜物について 2 2009.5.10

聖霊の賜物について 2

 そこで、多くの人は「イエスは主である」と言い始める恵みを「聖霊の賜物」なのだと誤解するのです。人が「イエスは主である」と告白出来ることは確かに主の恵みです。しかし、それは聖霊様の恵みによるお導きの一過程です。聖書でいう聖霊の賜物はもっと目に見えるような具体的なことです。
 この項の当初に指摘しました第一コリント12章1節の「兄弟たちよ、霊の賜物については、……」の「霊の賜物」という翻訳が悪いのです。これは本当は非常に微妙な言葉なのですが、一応ともかく「霊の働き」と訳したい言葉です。「賜物」という言葉は、この第一コリントに於いては特別な意味を持っています。だれが見ても特殊な聖霊様からくる特別な頂き物と分かるのです。使徒行伝8:18でサマリヤにペテロとヨハネが来て、みんなが聖霊をうけるように祈って彼らの上に手をおくと、彼らは聖霊を受けます。それを魔術師シモンは見て、私にもその力をくださいと金をさしだしてペテロから叱咤されたことが書いてあります。つまり魔術師シモンのような男の目にも、聖霊の賜物ははっきりと見えたのです。
 しかし、人が聖霊様によって「イエス様は主です」たとえ叫んだとしても、それが聖霊様による感動であると、自分で自覚しないのが普通です。しかし、聖霊様を受けると、心の異常な革新が起こったことを自分で確認できるものです。それはしばしば異常な興奮を呼びます。それが「回心・コンバーション」です。
 つまり「聖霊によって」ということと、「聖霊を受ける」ということ、それからちょっと先走って書きますが、「聖霊に満たされて清められる」こと、「聖霊の力を受ける」こと、「日常的に聖霊に満たされている(持続)」状態、また「聖霊の油注ぎを受ける」ということ、それぞれ違うように私は思います。《く》(終り)
 

祈りの秘訣十二か条
 
一、まずイエス・キリスト様による「赦しと救い」の確信をしっかり持つことです。これが信仰の基本です。自分で信仰を持つというより、この信仰は神様から与えられるものだというのが本当です。この基礎がはっきりしておれば、「祈りの秘結」を格別知っていなくても、「祈りが聴かれる」という体験を自然に会得しますよ。
二、「神様があなたと共におられる、神様があなたの援助者である」という信仰を持って居なさい。常にイエス様と交わり、イエス様に向かって祈ることです。(参考図書、ラウレンシオの「神の現存の体験」などご参考に……。ハリディ・キャンプの「ある奇蹟」などもよいですね。)
三、あなたの生涯の目標を主に教えて頂きなさい。示されるまで求め続け、示されたならば、それを生涯求め続けなさい。
四、生涯の目的がはっきりしたならば、それを段階的に、また部門的に幾つかの目標に分けて、個別に諦めずに求め続けるのです。
 大胆に具体的に、積極的に、目標を決めましょう。(世間智としても「目標設定は人生の成功の秘訣」だと言います。SMIのテープがありましたね。今もありますか、どうか。ご存じの方はお教えください。)
五、祈って求める「意志」をしっかり持つことです。しっかりとは継続することなんです。そうすると、祈りへの熱意が更に熱くなり、燃やされ、蓄えられ、強くなります。(ルカ18:1~8)
六、イエス様の執り成しを信じなさい。イエス様の執り成しは確実です。だからこそ、イエス様の御名によって祈るのです。(ヨハネ16:24)
七、神様の御心を確かめなさい。神様の御心にかなう祈りであれば大丈夫なのです。初めから神様から示された祈りの課題ならば、尚更に大丈夫ですね。(第一ヨハネ5:14)。
 更に、神様の前に正しい心と行いを持っているか、どうか? 反省しなさい、心に覚えのある罪があるならば、そのことをはっきり主に告白して主に赦して頂きなさい。(第一ヨハネ1:9)
八、祈りのパートナーを捜しなさい。妻か、夫か、教会の友か。「この地上で二人の者が心を合わせて祈るならば必ず答えられる」と主は言われましたからね。(マタイ18:19)
九、祈りがかなえられる確信を持ちなさい。そのためには、持続的「信仰の告白」が有効です。言葉は力です。断言し続けよ。宣言し続けよ。(マルコ11:23、テトス3:8、マタイ9:21)
一〇、その求めが実現した暁のイメージを心に描け。具体的に、自他共に動きのあるイメージを心に印刻せよ。かくて「願いはすでに得たり」との確信を得るのです。(マルコ11:24)
一一、かつ、願いが実現して神様に与えられたことを信じたなら、さっそく神様に感謝、賛美をささげなさい。(かつてのマーリン・キャロザースの「賛美の力」など参考になります)。
一二、祈りの中で、神様に示されたこと、気づいたこと、ただちに為すべきことを、優先順位に従って直ちに実行しなさい。行いの無い信仰は死んだ信仰です。(伝道の書9:10、ルカ9:59~62参照、1997、4、16起筆、2009、5、5、再改定)
           *
 以上の項目のすべてを実行しなくてはならないというのではありません。この中の一つでも実行しましょう。その結果、小さな奇蹟、ちょっとした成功、不思議な聖なる体験をすることでしょう。その度に、次第にあなたの信仰は拡大・強化されて行きます。
 私は小さな伝道者です。そして小さな体験しかありませんが、少し書き留めてみました。あなたにも、祈りや信仰についてのご経験があるでしょう。ぜひそれを私に教えてください。《く》

 
預言といやしの聖会
 
 去る5月7日に、イエス・キリスト宮崎福音教会(高森牧師先生)にて「預言といやしの聖会」がありました。講師はメル・ボンド先生です。当教会からは、残念ながらだれも参加しませんので、私ひとりで出席しました。
 期待通り、恵まれた聖会で、多くを学び、また体験しました。こうした聖会では、心魂に刻み込まれるような体験が得られるんですね。時に講師先生の一言が、また講師以外の信徒の方の漏らす一言に驚嘆することがあります。
 また講師先生の按手や宣言で、会集の見守るなかで、一人一人出た方が倒されたり、癒されたりすることが多いのです。それを見せ物みたいに観覧して喜ぶのではなくて、私どもも祈りつつ、よく注意して敬虔に拝見するのです。
 そう言えば、20年か30年前、礼拝後、私はよく希望する人たちを前に呼んで、祈ってあげていました、すると、全員と言っていいほど皆さんは後ろに倒れたものです。そのとたんに持病の病気が治ることが多かったですね。
 日本人には腰に痛みを覚える人が多いようですが、それが又、簡単に治るので、本人も、祈ってさしあげた私のほうもキョトンとするくらいで、びっくりするんです。
 最近は、癒しを求めて出て来る人も少ないし、私もそれを奨励しないし、癒しなどは特別の講師が来てしてくれるものだと思い込んでいる節があります。これは改めましょう。私も悔い改めて、昔に戻りますよ。
 私の集会(その頃はまだ教会とは言わなかった)で癒しが起こり始めたのは昭和30年頃です。私が34歳くらいですかね。
 こういうことでした。私は毎週、講壇から聖書を手にして、宣言的に言い放ったものです。「神様は病気を癒されます、聖書にそう書いてあります」と。(つづく)
 (先週の一泊聖会のことは来週に……)《く》
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by hioka-wahaha | 2009-05-12 10:15 | 日岡だより

No.383 事業を活かす信仰 10 2009.5.3

事業を活かす信仰 10

 僕はそれまで家族を扶養する義務を捨てていた。僕は神様のために一生をささげる。僕と、僕の家族の生活のことは、主よ、あなたにお頼りします。―――そんなふうだったのだ。そのような僕が、子どもを養おうと思い立つ。
 考えてみると、その胎動は半年ほど前からあった。その前年のクリスマス、僕は集会でこんな説教をした。「僕はこれまで伝道者として、みなさんの中で、最低の生活をしようと思っておりました。みなさんの中で、僕よりも貧乏な生活をしている人がおると、こんな申し訳ないことはないと思っておりました。しかし、来年からは違います。僕が貧乏の真似をしている限り、みなさんも貧乏くさい不活発でじめじめした生活より抜け出せないのです。今度は僕が先頭とは行かないまでも、中ほどの生活をして、みなさんを引っ張っていきます。」
 僕は即座に立って家に帰り、こどもを妻に預ける。中古の自転車に乗って旧大分市内に出る。知り合いのK氏の店による。K氏はタイプ印刷屋をしている。
 「あなた、奥さんにタイプを覚えてもらってはどうです。あなたの本も印刷できるし、私の方の下請けでもしてくだされば生活のたしになりますよ。」
 そうかねエと僕はさほど気にも止めず、もう一人の知人Y氏を訪ねる。Y氏は優秀な経営コンサルタントである。この人も、僕がなにも言わぬさきに
 「あなた、タイプをしませんか。あなたの内職としては、イメージも悪くないし、粗利の大きい仕事ですから――。」
 僕はまたそうですかねエと、首をふりふり自転車乗って家に帰りかけた。今でも覚えている。大分川にかかっている舞鶴橋をわたりつつ僕は思う。僕が働こうと思い立っている事など一言も口外せぬのに、何であの二人、口をそろえてタイプをすすめるのであろう。そのとき、脳天より尻の骨にひびくように、
 「すべて正しきことは二人の証人によりてたしかめられる」
 という聖書のお言葉がひらめいてきた。「よし、きた」―――ものすごい力が僕の内側にわくのである。
 この直後、僕は三つのことをした。
 第一に、その日より、集会や、対面の席で、僕はタイプをやって生活する。生れてはじめて、食わんがための仕事を始めるよと公言した。
 第二に、全国に散っている少数の信仰上の友人たちに、当面の資金を借りることにした。具体的には無利子出世払いのタイプ債券を発行して買ってもらう。
 第三に、例の大阪の中島氏に手紙を出して、どういう機種がよいか、タイプライターの専門的なことにつき質問した。
 折り返し、全国の友人たちより少しずつ送金してくれた。まことに申し訳ないが、この金は実はさっそく生活費にまわってしまった。それらの金に先立って、大阪の中島氏より速達が来ていた。
 「奥さんにタイプをしてもらう由、何よりです。機械は中古でよかったら手頃なのがありますから、タダで送ります。」
 よろしい、タダより安いものはない。気の早い僕はただちに電報「タイプオクレ」。
 三日ほどしたら、運送店が大きな荷物を五個配達してきた。開いてみたら、みなタイプライター。
 「どうせ機械を送るのなら、ついでにと思い、五台送りました。奥さんが打ってもかまいませんが、いっその事、タイピストを雇って、大阪から送る原稿を打たせてくれませんか、貴兄は編集と校正でもしてくれると幸甚」とある。びっくりした。それから、続けざまに五万、十万と開設資金を送ってくれて、僕の今の事業の神話時代が始まる。
 僕が働こうと決心して一週間したときには、もうタイプライターが五台並んでいた。先週の集会で、まだ海のものとも山のものとも分からぬさなかで、大風呂敷をひろげる僕に毒気を抜かれていた連中は、一週間した次の集会では、もう万事が軌道にのりはじめている事態の見事さに唖然としたものである。
 ああ、あれからもう七年たつ。僕の生涯の中で最も長い職業経験である(ろう学校の教員が六年であった)。その間、今の事業の恩人である中島氏とも資本的には縁を切って独立し、近く株式会社に組織替えする。内的には昨年よりいちじるしい信仰的進展を示しており、伝道上の活動もいよいよはげしくなってきた。このときにあたり、僕は目下の事業に関連させて、さして売れる見込みのない信仰図書の出版を営みたいと思い立った。大量出版の可能な図書は中央できれいに刷り上げて中央で売りさばけばよい。しかし、信仰的良書にして、しかもその内容の傾向、あるいは著者のネームバリューの欠如等よりして少量出版を余儀なくされる図書を出版していきたいのである。
 読者諸賢の、今後のご協力をお願いする。
 あわれみに富み給う主のご援助を祈りつつ。また、諸君の上に恵福を祈る。
 なお、最近オフセット印刷機を導入したので、今後はもっと本格的印刷に向上できるはずである。
 (二月五日夜)   (連載終り)
 ※以上の文章は1968年発行の「事業を活かす信仰」に少々訂正を入れて掲載しました。
 

聖霊の賜物について 1
 
 神様から人類に与えてくださる最大の賜物はイエス様ご自身です。(ヨハネ3:16参照)
 イエス様によって神様が人類に与えてくださる最大の賜物は永遠の生命です。(ローマ6:23参照)
 クリスチャンとは、その永遠の生命を頂いた者の名前です。日本語にすれば「キリスト者」と言うのが端的に良い訳です。
 キリスト者として、自分で自覚出来る一番の保証は聖霊です。パウロはそれを「証印」だと言います。(エペソ1:13、4:30参照)
 尤も、最初に聖霊を賜物として頂いた時は、それと自覚出来ないかもしれません。
 ペテロの最初の説教を聞いて、「私たちはどうしたらよいのでしょうか」と救いを求めてきたユダヤ人たちにペテロが答えた言葉こうでした。「悔い改めなさい。そして、……罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるでしょう」(使徒行伝2:38)。
 水のバプテスマを受けて、その場で聖霊様を感じる人もいますが、多分それは少数です。たいていの人は感情的に感動するにしても、聖霊様をじかに感じる人は少ないものです。作家の椎名麟三は何も感じなかった、とあっけらかんとした感想をあちこちに書いています。しかし、ペテロが言うとおりに、その時、確実に聖霊様を受けているのだと私は信じます。
 椎名麟三はその後、どれほどたってからだったか、たしかエマオへ行く道で復活のイエス様に会った2人の弟子たちの聖書の個所を読んだ時、ハッと分かったと書き残しています。自分がイエス様に捉えられていることが分かったのです。
 信仰とは聖書の言葉の真実(レアリティ)が一瞬フッと分かるというような所があります。それがイエス様のおっしゃる「この聖書は私について証しをするものである」(ヨハネ5:39)ということです。
 前述の使徒行伝2:38の「聖霊の賜物」という言葉、第一コリント12章、14章の「聖霊の賜物」というのとは違うのです。前者で言うのは「賜物としていただけた聖霊様、そのもの」のことをさしています。後者はその聖霊様によって特別にいただける能力的特別な賜物、ただでいただけるプレゼントです。
 この特別な賜物について、第一コリント12章、14章は特にくわしいと思います。以下に簡単に説明してみます。
        *
 ところで最初に、ちょっと注意しておきたいことがある。第一コリント12章1節に「兄弟たちよ、霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない」とあって、3節には「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことはできない」という有名な言葉が続くのである。《く》(つづく)
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by hioka-wahaha | 2009-05-05 12:26 | 日岡だより