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No.373 キリストを真似る 2009.2.22

キリストを真似る

 聖書を読みましょう。使徒行伝第9章32~43節です。
 ペテロはイエス様の第一の弟子です。「あなたの上に私の教会を立てよう」と、主が言われたのはただごとではありません。
 聖書を見ると、初代教会の最初の統領はイエス様の肉の兄弟ヤコブのようです。しかし、使徒行伝全体を読むと、どうもその大半はパウロの大活躍場面です。それに引きかえペテロはパッとしません。
 しかし、そうだからこそ、イエス様は前もって、ペテロを教会の基礎だと予言されておいたのだろうかと、私は考えるのです。
 聖書を見ると、ペテロはそそっかしくて早合点する人物に見えます。でも本当は、多分ベッサイダでは網元級の親方か兄貴分だったでしょう。人を統率できる、義理人情に厚い男だったと思います。
 彼はイエス様に愛され、信頼されました。ですから、イエス様のご生涯の重要場面ではかならず、ヤコブ、ヨハネと共にその3人組の筆頭として彼が現れているのです。
 ペテロという人の使徒的生涯の基盤は、彼がイエス様に従い、イエス様をよく見てきた人物であったことにあると思います。彼はヤイロの娘の復活や、中風の男の癒し、そうしたあらゆる現場に居合わせました。
 彼は目をこらしてイエス様のなさることを驚歎しながら見ていたはずです。そして、そのイエス様の生きた通りに生きようとしました。それが又、彼の人生の最大の秘訣であったと思います。
 彼は、ただ一度だけ「イエスなんて俺は知らない」と主を裏切りました。しかし、それからはもう、ひたすらにイエス様を慕い、イエス様の足跡にしたがい、そしてイエス様の真似をするだけでありました。
 イエス様の復活の知らせをマリヤから聞くと、もう一目散かけだし、若いヨハネを押しのけて墓の中に飛びこむ有様でした。また、ガリラヤ湖の浜辺に立つ復活のイエス様を見た時、とっさに上衣をまとって水に飛びこむひたむきさもペテロでした。
           *
 さあ、冒頭にあげた使徒行伝9・32~43を読みましょう。そこには多分、思わず知らずでしょうが、彼のしていることはイエス様が地上でなさっていた御業そっくりの真似であります。
 福音書をひらきますと、イエス様が死者を蘇らせ病人を癒すとき、しばしば用いられた言葉が「起きよ」でありました(マルコ5:41、ルカ5:24、7:14、ヨハネ5:8)。
 ペテロがルダでアイネヤという中風の男を見たとき、まず彼は脳裏にしかとイエス様のお姿を思い出したことでしょう。あのヨハネ5:8のベテスダの池のそばで38年病気の男を癒されたときのイエス様のお姿を、です。そこで宣言しました。
 「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたを癒してくださるのだ」。
 そして直ちに、
 「起きよ、床を取りあげよ」
 と命じるのです。
 またヨッパでタビタを死からよみがえらせる所は、マルコ5:41のイエス様がヤイロの娘を生き返らせる場面そのままの再現です。
 ペテロは「タビタよ、起きなさい」と言ったと聖書にあります。
 ヤイロの娘の時は、イエス様は「タリタ、クミ」とアラム語で仰せられました。「娘よ、起きなさい」という意味です。ペテロもですから、この時、アラム語でこう言ったはずです。「タビタ、クミ!」。
 即刻、タビタは生きかえり、起きあがりました。ペテロはさぞ感動したことでしょう。ペテロは一生イエス様の真似をして生きようとしたのに違いありません。
 もっとも殉教の際は、イエス様と同じでは勿体ないと、逆さ十字架にかかって死んだのだと言われていますけれど。
           *
 イエス様はかつて、「わたしに学びなさい」と言われました。学ぶは、真似ることから始まります。
 聖フランシスに大変愚かな弟子がいました。何を教えても、覚えません。師匠のフランシスはいつくしんで言いました。
 「よい、よい。そなたは私の真似をするだけでいいよ」
 ところが、この愚かな弟子、この言葉だけを馬鹿の一つ覚えで覚えこみました。それからというもの、この弟子はお師匠さんを追っかけて、歩けば歩く、止まれば止まる。咳をすれば咳をする。おナラをすればおナラをする、まさかそこまではしなかったでしょうが、とにかく、しっこいほどに真似をしました。そして聖フランシスの優秀な弟子の一人になったという伝説があります。
 イエス様は言われました。
 「弟子がその師のようで……あれば、それで十分である」(マタイ10:25)。
 「弟子はその師以上のものではないが、修業をつめばみなその師のようになろう」(ルカ6:40)。
 「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ」(ヨハネ13:15)。
 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。
 そうです。わたしたちは、イエス様のように生きましょう。
 「あたかも○○○のように行動すると、本当に○○○らしくなる」。これはウイリアム・ゼームス以来の心理学、ないし行動変容学の通説です。
 すでに2千年前、パウロが言っています。
 「私がキリストを見習っているように、あなたがたも私を見習って下さい」(第一コリント11:1)
 と。これこそ、クリスチャン・ライフの秘訣です。私たちはイエス様を見習い、先輩を見習いましょう。おやおや、先輩、大丈夫かな。(1989.10.8、主日礼拝メッセージ)

〔あとがき〕
右近勝吉兄を歓迎します。「もう兄弟との付合は長い付合ですよ」、と言えないこともないけれど、そう再々会っているわけでもないから、そう簡単にも言えない。でも、お互い様、最初っから他人行儀で付き合えないタイプだから、親しくさせてもらったと思う。
 明大前のお宅に訪ねた時は、兄弟はお年寄りが唯お一人の家に、終日黙って一緒に居っているだけというお仕事の日だった。これがお仕事と言えるかい、と慣れない人なら疑問を抱きそうなお仕事だが、無口な老人と終日同じ部屋で向き合って居らねばならないとしたら、これは大変。しかし無理に会話を始めるでもなく、何時までお互い黙っていても窮屈にならない、そういう人柄というものは、絶品です。
 右近さんはそれが出来るんだなあ、と私はため息をついたものです。私のようなおしゃべりが看板の人間もそれは苦手。お尻がむずむずしてきて、「それじゃもう、今日はこれで失礼……」と言いたくなりますよ。
 何時だったか、もう10年にもなろうか、「どなたでも、東京に来たら、我が家に泊まって下さい」と無料宿泊を標榜されて新築された付属の家を開放されたことがある。私が多分第一番の申込み、さっそく遠慮なく泊めさせて頂いたが、もっともっと笑いを誘う逸話の多い兄弟です。何でも頼まれたら、犯罪でない限り何でもする。まさかお見合いの代理はしないだろうけれど、結婚の挨拶の身代わりはしたことがあるとか、聞いたことがあるような気がします。
 なんでも、ある学者さんの代理で南極に行って、石を拾ってきてくれと頼まれたという話しも聞いたことがある。本当に行ったかどうか、それは今日、ご当人に聞いてください。ご昼食も、ごゆっくり、どうぞ。《く》
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by hioka-wahaha | 2009-02-24 13:24 | 日岡だより

No.372 ガンジーのキリスト論 2009.2.15

ガンジーのキリスト論

 キリスト新聞に某キリスト教短大の学長、久山先生によるガンジーの「キリスト教信仰」に関するエッセイが出ていた。その要点は「(1)ガンジーはイエスを神と信じていた。(2)そして、ガンジーは本当のクリスチャンはどこにもいないと思っていた」というのである。
 この事について、私には異論がある。
 その(1)について。ガンジーが「神」と信じた神は、インド流の神であろう。つまり数多いる神々の中の一人の神である。我々はそうではなくて天と地を造り給いし唯一人の神なる方と一つであられる唯一無二の神なるイエス・キリストを信じるのである。
 ガンジーは唯一無二なる天地の造り主、そして我ら罪人のため身代わりとなって十字架に死に給い、今も天の父なる神の御側に居られて我らを慈しみ御護り給う方としては、イエス・キリストを信じられなかったのだと思う。
 そして(2)の本当のクリスチャンとは、自らを「罪人のかしら」と呼び、この我を贖い、救い、天の御國に招きたもうイエス・キリストを信じている者たちのことである。
 ところが、ガンジーが言う本当のクリスチャンとはイエス様のおっしゃった「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる神を愛する人、また自分を愛するように私の隣り人を愛する人」(マタイ22:37~38参照)のような聖書的理想像を達成した人のことだとして、そんな人は地球上には何処にいないのだと言うのなら、なるほどそれは当然である。それは、しかしガンジーの誤解です。
 パウロのように、「私は罪人のかしらです」と言わずに居れないということ、それは明らかに私どもにはふさわしい言葉です。そして、それこそ本当のクリスチャンです、と私は言いたいのです。ガンジーにはキリスト信仰は不可解であったらしい、と私は言わずには居れない。
           *
 とは言え、私はガンジーが好きであった。青年前期というか少年後期というか、17、8歳のころ、私と同じ時代、今この時に、尊敬する人物としてアフリカのランバレネで医療伝道をしていたシュバイツァーと、このインドのガンジーさんが、この地球上に生きておられるということが、私にとって驚異であった。
 だから、ひょっとして、インドからの偏西風に乗ってガンジーの吐く呼吸の一片がこの日本に来るかもしれない、そう思うことは霊的興奮をもたらした。その奇蹟的空気の一片を期待して、当時の我が家の2階にあったベランダに立って、インドの方に向かって大きく深く息を吸いこんだものである。
 ところで、本当のクリスチャンはどこにもいない、と言うのはさすがのガンジーですが、誤解です。ガンジーは何処までも自力で立とうとする人です。また自力で一生を過ごした人としてはガンジーは希有な人です。
 彼はカルカッタでしたか、その路上で、狂信的ヒンズージムの男により暗殺されます。その瞬間、ガンジーは片手を上げて額(ひたい)に置き、「赦し」の意志を示したと、当時の新聞報道にありました。
 ガンジーは徹底的無暴力、イギリスの植民地政策に対して全インド民衆を指導して抵抗しましたが、しかし、それは全世界の良心に訴える無暴力抵抗でした。当時の世界を震撼させたものです。
 確かに、このガンジーに、世界に本当のクリスチャンは一人もいないと言われれば、一言もありません。しかし、私は大胆に言います。
 世界に、この日本にも、本当のクリスチャンはたくさん居ますよ。ガンジーさんのように、立派な生き方をした人は本当に少ないかも知れません。
 しかし本当に自らの罪を知り、その罪をイエス様により赦され、清い者として天に迎えられる人は意外に多いのです、と私は断言します。ハレルヤ! 《く》


進化論とキリスト教

 進化論というとダーウインですが、進化論の発端は1859年(*)のダーウインの「種の起源」です。ダーウインが初めて南アメリカ南端の原住民たちを見た時、それは悪魔か、又は動物のように見えたと言います。
(*1859年は日本にプロテスタントの信仰が伝えられた記念すべき年でもあります。)
 それから20年たって同地を再訪した時、あの原住民たちは全くすばらしい人たちに変化していました。それはキリスト教の宣教の結果であることを知って、ダーウインはそれまで持っていたキリスト教嫌悪感を捨てました。
 そして「世界のどんな大きな奇蹟よりも、あの南アメリカ南端に起こった奇蹟は偉大である」と言ったということです。
 ダーウインが死の床についていた時、ある人が訪ねると、彼は聖書を手にしていました。特に聖書の創造物語に熱心なのを見て驚きました。ダーウインは告白しました。「進化論は若い者がやるような未熟な考えですよ」と。熱心な進化論者(特にまだ日本に多いのですが)たちから蹴っ飛ばされそうな言葉ですね。
           *
 使徒パウロは「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、(万一にも)神を見いだせるようにして下さった」(使徒行伝17:27)と言っています。(万一にも)というのは私の補訳ですが、原語からいってもこの方が正しいと思います。
 ただ熱心に座禅したり瞑想したりして、たとえ空中浮揚した、解脱したなどといっても、それは神に出会ったとはいえません。神に出会う方法は一つしかありません。
 ともあれ、パウロの言葉は魅力的ですね。もう一つパウロの言葉を紹介しましょう。「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ローマ人への手紙1:20)とあります。
 さて、ダーウインの進化説は興味ある仮説です。それは真摯な研究の結果でした。その学問的努力を否定してはなりません。彼はまた、地上の様々な自然の営みを観察して、その驚くべき神秘な秩序に感動したことでしょう。
 たしかに、同じ種類の中では生物は環境や条件に従って進化し、或いは退化し、とにかく変化することは事実でしょう。それを又、人は管理することが出来るのです。それは神様のご命令でした。数千年も昔、聖書は創世記の中でそのことをちゃんと述べています。
 前記の「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、云々」はパウロが当時の知的文化の中心地であったアテネのインテリの前で語った言葉です。聖書のその個所を読めば分かりますが、パウロが彼の学識を精一杯使って何とか当時のインテリゲンチャたちを説得しようと努力したのだと分かります。しかし、
 結局は数人の信者を得ただけでした。多くの神学者たちはこの時のパウロのアテネ伝道は失敗であったと判断しています。どれほど熱心に、どれほど知的に語っても、どうしても避けられない反知性的主題だったのです。
 それはキリストが死人の中から復活されたということです。多くの人たちは、昔の人間は愚かだから、キリストの復活のことを聞けば、それだけでもびっくりして信者になったのであろうと思います。決して、そんなことではないのです。当時のギリシャ人やローマ人たちは、今の日本人よりもずっと、現実的でした。不合理的な事は信じようとしなかったと思います。しかし、
 パウロはこの難関を中央突破します。「キリストがもし復活しなかったならば、まさに私たちの伝道はむなしく、信仰もむなしい」(第一コリント15:14参照)、パウロの心境です。《く》
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by hioka-wahaha | 2009-02-17 10:08 | 日岡だより

No.371 あなたの心を守れ 2009.2.8

あなたの心を守れ

  「油断することなく、あなたの心を守れ、
   命の泉は、これから流れ出るからである」
         (旧約聖書箴言第4章23節)

 あなたが好奇心の強い人だったら、紀元前の人類の鉱山の発掘法についても、必ず興味を持たれるだろうと思います。それでしたらぜひ旧約聖書のヨブ記28:1~11を読んでください。当時すでに金や銀は露天掘りではなく「岩に坑道を掘り」「水路をふさいで、洩れないようにした」ことなどが分かります。かつて私はこの聖書の箇所をテキストにして冥想法の講義をしたことがあります。「心」という鉱山から霊的金や銀を掘りだす方法について考えたのでありました。
 「銀には掘りだす穴があり、金には出どころがある」(箴言28:1)のでして、穴や出どころが無ければ鉱山の中にある金や銀はそれこそ宝の持ちぐされです。ところが多くのクリスチャンはせっかく神様より絶大な宝ものを頂戴しながら、それを内に死蔵するだけで活かしていないのです。(クリスチャンでなく一般の人でも、人間として生来持っている能力や良い性質を充分に発揮し表現するコツを知っていたら、その人の人生はずいぶん明るくなることでしょう)。
 旧約聖書の箴言は非常に生活に密着した智慧の言葉で満ちていますが、特にその第4章23節、「油断することなく、あなたの心をまもれ、命の泉は、これから流れ出るからである」の言葉はクリスチャンの生活力について大いに益する所があります。
 私たちは自分の心を守ることにより、命(神様から頂いたイノチ、キリストの霊)の泉を流れ出させることができます。心の奥深いところにある霊的泉はクリスチャンにとっては、大いに豊かな霊的財産です。
 それがとかく枯渇しやすいとしたら、何故でしょう。私たちが信じてキリストの所に行けば「その腹から生ける水が川々となって流れ出る」(ヨハネ7:38)はずではなかったでしょうか。それが私たちに実現しないのは「神様の手が短い」からでしょうか、それとも私たちのほうに何か誤りがあるのでしょうか。
 もちろん「罪が私たちと神様との間をさえぎっている」のであれば、その罪を取り除かねばなりません。しかし問題は「罪」だけではなくて、しばしば私たちの「誤り」にあることが多いのです。
 先ほどの箴言の言葉を含んでいるその第4章20~27節を中心に、命の泉をこんこんと流れ出すべき「心の守り」かたについて学んでみましょう。
 一、聖書に心をとめ、聖書の言葉に聞き入りましょう(箴言4:20)。御言には私たちの「魂」を救う力があります(ヤコブ1:21)。多くのクリスチャンは「霊」に於いては救われ神の子としての「身分」(ローマ8:15、23、ガラテヤ4:5、エペソ1:5)を与えられてはいますものの「魂」(心、精神)が鈍感で脆弱なのです。ですから、内なる霊の力を外側の肉(思い、感覚、肉体)に正確に強力に伝えることが出来ないのです。
 聖書は神の霊感によって書かれた本でありますから、御言には霊的力があり、その故に私たちは聖書の言葉に霊的に聴き入る必要があります。「霊的に聴き入る」ことは人間の側からではなかなか難しいことなのですが、聖書の側からその霊性が働いて私たちの心を動かしてくれるならば、充分に聖霊の力を頂くことができます。要は忠実に聖書を読むべきなのです。
 二、初信(心)に帰りましょう。「初めの愛」(黙示録2:4)という言葉がありますが、「自分」の愛に帰ろうとしても、人間の愚かさ、弱さ、憎しみ、反抗心がこれを妨害します。しかし「神様」の愛に帰る事は、それほど難しくありません。信仰も同様です。私たちが心の葛藤に悩む時にも、私たちは、まだ救われていないのだなどと決して思ってはあいけません。それはサタンのだましごとです。人は自分の救いについて随分疑いやすいものです。「ああ、あの時救われたと思ったのは私の気の迷いだった」などと迷い始める時、その人の霊性が内にこもりやすいのです。聖霊さまは、なかなか溢れ出ません。
 基本的なあなたの霊と身分の救いについて確信を持つべきです。この確信をしっかり維持する時、それはあなたの初めの愛に帰るということです。
 三、次にお勧めするのは、あなたの記憶を清め、予想を明るくするということです。神様はヘブル民族に暗い敗北の記憶、奴隷の思い出を捨てなさいといいます(イザヤ43:18)。なぜなら、万事は益となるのだと聖書は告げます(ローマ8:28)。
 みじめな、いじけた思想をあなたの心から追い出しなさい。このためには次の心理学の教える所が大変役立ちます。すなわち「白い馬のことを考えまいとすれば、考えれば考えるほど白い馬の事は忘れられません。しかし赤い馬のこと、あるいは更にもっと別なことを考えさえすれば白い馬のことは考えずにすみます」というのです。ですから、
 良い嬉しい思い出や明るい向上的な予想ばかりを心に満たしましょう。そして常に神様を賛美し、神様のなす業はすべて善であると信じて喜んでいましょう。みじめな思想はあなたから出て行きます。
 先日、松山福音センターの故万代恒雄先生の説教をテープで聞いていましたら、こんなお話がありました。
 先生は若い時、大学入試に失敗された。その時は非常なショックだったらしい。失敗の原因は分っていた。英語がだめだったのだ。そこで発憤して一大決心をした。英語の会話塾にいった。そこでもまた最初っから大失敗した。応募生が、たくさん集まっている中で学生服を来ているのは先生だけだったので、その塾の校長先生は「この学生だったらこのくらいは分るだろう」と見当をつけたらしい。
 先生に「アナタのナマエはナンとイイマスカ」と英語でたずねた。ところがその英語がわからない。いくらなんでも大学に行こうかという青年がそれではあまりにおソマツではないか。これでもう万代先生はすっかり参ってしまった。
 それからもう死にものぐるいで英語の勉強をした。とにかくそれ以降、絶対日本語はしゃべらんという事に決心した。家でお母さんに「ご飯だよ」と言われても「イエス」、決して「はい」とはいわない。
 英語が判らぬときは黙っているか、手振りか身振りで、なんとか意志を表明する。とにかく日本語はつかわない。「お前それでも日本人か」とか「お前、気い狂うたんとちがうか」とかいって、みんなから呆れられたそうです。
 しかしそうして6か月たったとき、先生はあの赤恥をかいた英語塾の先生になっていたというのです。そしてそれまで払った月謝をゆうゆうと取りもどしたという。万代先生、こういう時、面白く可笑しく堂々と話したものです。
 四、次は熱中であります。熱中とは熱心の集中です。集中とは他を忘れて持続する精神です。熱心という言葉は英語でエンシュージアズムと言います。この言葉の語原はギリシャ語から来ていまして、「神の中で………」という感じの言葉です。熱心は神様から来るのでもありますし、また熱心が神様の臨在を迎えるのだ、とも言えます。聖書には、神様こそ熱心な方なんだと書いてあります。「主の熱心がこれを為し給う」という言葉が聖書にしばしば出てきます。
 神様は天と地を造り、地の全面にあるすべてのものを造られたといいます。決して神様は鼻唄まじりで気楽につくられたのではない。神様は非常な熱心さをもってこれらを造られたのであります。ですから私たち人間もまた、何かを為すとき、熱心さを持たなければ価値あることは何ひとつできません。
 かつて、大分市の菊屋のお菓子が全日空の機内サービス用の菓子として選ばれたことがある。あの頃、菊屋の社長さんが、私たちに向かって菓子の作り方を尋常でない熱心さで説明してくれたものです。菓子を作る情熱に取り付かれてしまって、汗を流して説明してくれました。私は少々呆れながら、感動しました。この勢いで全日空に売り込んだのだなと思ったことです。《く》
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by hioka-wahaha | 2009-02-10 10:17 | 日岡だより

No.370 「愛」という言葉について(二) 2009.2.1

「愛」という言葉について(二)

 前号に書きました「愛」という言葉について、藤野敬一郎さんとおっしゃる方から、こんな御来信を頂きました。
 「釘宮先生、昨日の愛という言葉や文字は、何時頃から使用されていたか、とありましたが、山上憶良という7世紀の人が『父母を見れば貴し、妻子見ればめぐし愛し……』と歌っています。相当な昔から使っていたと思われます。」
 と、とても詳しくご教示頂きました。全文、載せたいですが、割愛しました。ご勘弁ください。
 私はいわゆる「もの書き」のほうでしょうが、そして牧師の癖に、「愛」という言葉について、こんなに無知であったことに我ながら驚いています。
 よく謙遜を表す言葉に「浅学非才」などと言いますが、小生まさに浅学非才の徒であったと、恥ずかしかったです。

 使徒ヨハネは1世紀を越えて2世紀に至るまで、生きて居られたそうですが、そのようなお年になっても講壇に立たれたそうです。そしてメッセージの度ごとに、「皆さん、互いに愛し合いなさいよ」と語られるものですから、信徒のみなさん飽いてしまって、「ヨハネ先生、もっと外のお言葉ありませんか」と申し出たそうですが、
 その時、ヨハネは「いいや、これしか無いんだ。皆さん、互いに愛し合うんだよ、これが一番大事だよ」と言ったそうですが、クリスチャンの私たち、よく心にしっかり抱いておくべき使徒ヨハネの言葉として記憶しておきたいと思います。《く》


世界の失業者2億3千万人

 先日の新聞で、国際労働機関(ILO)では、世界経済の急速な悪化で、本年の失業者の数は2億3千万人となるだろうと、発表したそうです。
 多くの人は、殆どすべての人が失業を恐れていると思いますが、なぜでしょうか。こんなことを問うのは野暮なことでしょうが。
 この事についてイエス様はなんとおっしゃっているか、考えたこと、ありますか。
 職業ということは世間一般の通念では、「メシを食うための止むを得ぬ仕事」です。ですから、職を失うと、メシを食えなくなると思うのですね。これは本当でしょうか。
 「ただ衣食あれば足れりとせよ」とパウロは言いますが、これは弟子の伝道者テモテに言った言葉です。私に言わせれば、少々甘い言葉だと思います。私の尊敬した手島先生は言ったものです。
 「伝道者として生きるには、餓死覚悟せよ」。
 ちょっと、乱暴な言葉だと思うでしょうが、私自身の経験では、母と妻と子ども4人、家族扶養の義務感は捨てて伝道生活に入ったものです。何処からも生活援助してくれる当てはありませんでした。神様だけを当てにして伝道生活に飛び込んだのです。
 神様が私の家族を養ってくれると、信じました。一人合点です。実際、金が無くなると、お米も、味噌も醤油も買えなくなりました。妻が泣きました。
 いつもは信仰的で元気のよい妻がこのていたらくでは、困ります。男がいくら大きなことを言っても。実際に衣食のことにかかわるのは妻です。
 私は早速、近くの小学校の運動場に行って、お休み日だったのでしょうねえ、誰ひとりいない広い運動場の真中で神様に祈ったものです。そうしたら、可笑しいことに、主は言われます。
 「仕事をしなさい」。
 「えっ?」
 折角、神様にのみ従って生きるのだ、とがんばっている私に「仕事をしなさい」とおっしゃる神様のお言葉に、私はけげんに思いながらも、直ぐに自転車の乗って首をふりふり、町に出ました。

 2人の人に会いました。私が何も言わない先に、この方々は邦文タイプライターで版下を作って簡易印刷で官公庁や会社などに業務用の資料などを作って納品している仕事があると、言うのでした。私は、「へえ…、面白い仕事もあるもんだな。」と思いながら、自転車に乗って帰っている時、突然心に声がしました。
 「すべて正しきことは2人(または3人)の証人
 によって確かめられる」。
 聖書の言葉です。あとで調べましたが、マタイ18:16です。確かに2人の友人が、このタイピング仕事に私の目を開かせたのです。
 そしてうまい事に、私の親しい友人が大阪でタイプで業務用の印刷をして、かなり大きな会社を作っていました。私は早速、その人に相談しました、彼は「待ってました」とばかりに、
 「いやあ、こちらでは仕事の量が多くて困っていたんだ。タイピストがいないんだ。お宅に相談しようと思っていた。あんたの家は、空港が近かったよねえ、原稿を飛行機で送るよ。そして出来たタイピング・ペーパーを飛行機で送り返せばよい。すぐ金を送るから、それで新聞広告をして、タイピストを集めてくれないか。それから、ちょうど整備済のタイプライターが5台倉庫に眠っているから、それを直ぐ送るよ」。
 数日して、邦文タイプライターが着荷。我が家の6畳の間にタイプライターが、5台並んだ。まだ、職業難の頃で、タイピスト経験者はすぐ集まった。私は大阪の印刷会社の下請け工場の経営者になったわけだ。トントン拍子だった。中小企業どころか、零細企業だったが、ともかく私も小さいながらも企業主になったのである。
 それは昭和39年のことである。ぼつぼつ日本の経済界が調子を上向きになりつつある頃である。後に企業合併して、九州一の印刷会社をつくり、そこの常務取締役に納まるのであるが、そういう段取りが既にその時、神様のほうではついていたのであろう。

 私は別に失業していたわけではない、自分で仕事を棄てたのである。
 職業というが、それは職の腕を持ち、それを活かして世に奉仕出来ることを差すのである。職業とは、メシを食うために嫌な仕事をイヤイヤながら、やっている、それは多くの人の言わゆる職業であるが。
 しかし、本当は世に奉仕するため、自分の特技、持ち味を活かして人々に喜ばれるための職業であるが、それを仕事という。
 仕事とは、「事に仕える」ことである。人に仕えるというより、「事に」である。事とは、世のお役に立つことである。
 だから、最も佳い仕事は無償の奉仕である。それは、聖フランチェスコや、日本の良寛さんなどの生涯に見られる。そのような奉仕の実際を最も良く学ばせてくれるところがある。例えば、京都の西田天香師創立の一燈園に行ってみられると、この境地がわかる。私は何回か、この一燈園に行って実際に学んだ。
 
 だからイエス様は言われる。「何を食い、何を着ようか、と思いわずろうな」と。私は更にイエス様のお言葉につけ加えたい。「どこに住まおうか」と。
 皆さん、理知的に分かるのではなくて、体験的に体に染みて良くわかる。私は30歳台に何度か一燈園に行ってみたし、又自分自身のやり方で無銭旅行などして体験して来た。
 「カネが無ければメシは食えない」というのは迷信であることが分かる。カネは世間を生きるのに便利な道具ではあるけど、しかし本当の使い道は難しい。理想的なカネの使い方も、この一燈園に行くとよく分かる。《く》
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by hioka-wahaha | 2009-02-03 12:13 | 日岡だより