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No.360 キリスト・イエスを信じる信仰とは 2008.11.23

キリスト・イエスを信じる信仰とは

ある方から「イエス様を信じる信仰」について深い質問がありました。それに答えた私の返信を以下に掲げます。


 お手紙を拝読、キリスト様を信じる信仰について、出来るだけ正確に、分かりやすく書いて、お手紙にしたいと思い、ワープロに手をつけました。完成するかどうか、やや不安ですが、やってみます。
 テキストとして、ガラテヤ人への手紙第2章16節と19、20節を使います。

 第一、ガラテヤ人への手紙第2章16節は口語訳聖書ではこう訳しています。
 「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである、なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることはないからである。」
(ちょっと余分なことですが、第1章や第3章ではイエス・キリストとありますが、第2章ではキリスト・イエスとあって、イエスとキリストの位置が反対になっています。このことについてこれまで教えられたことがありますか。礼拝説教では取り上げないかも知れませんが、ひょっとすると聖書研究会などでは取り上げられる可能性がありますね。
 なお、聖書研究会という言葉は内村先生の始めた言葉ですが、英語のバイブル・スタディの訳でしょうが、本当は聖書学習と訳す方が良いと私は思っています。あるいは、明治時代だったら研究という言葉でも良かったのかも知れません。研究という熟語の意味が内村先生の時代と現代とではいささか異なるかも知れませんから。
 少しこだわって書きますが、信仰は聖書を幾ら研究しても分からないのです。聖書は研究ではなく、命をかけて学習すべき書物なのです。ともあれ聖書研究という言葉は内村先生の残した悪い言葉の一つです。無教会という言葉も悪い言葉の一つでしょうが、これは人気が出てしまって、今では名が通っていますねえ。呵々。)
 「人が義とされる」と言うのは、義人として保証される、ということです。しかし律法の行いでは人は義人になり得ないぞ、キリストを信じる信仰によってのみ、やっと義人として保証される」というのですね。
 ここで、よく理解してほしいのは、「キリストを信じる信仰」という言葉です。この言葉は間違いです。これは、ガラテヤ人への手紙第2章16節の口語訳ですが、ここの「キリストを信じる信仰」という日本語訳聖書の翻訳が悪いのです。こういうこともありますから、出来れば皆さんに新約聖書は是非ギリシャ語本文で読んでほしいと思うのですよ。
 聖書のギリシャ語はそれほど難しいものではありません。ギリシャ語でギリシャ古典を全部読もうというのでありません。新約聖書だけで良いのです。それもアメリカ版のギリシャ語と英語の対訳の聖書ですと、ギリシャ語本文の下部に英語をくっつけて印刷してありますから、英語の読める人でしたら、本当に便利なのです。英語がそれほど上手でなくても、クリスチャンである私たちが英語訳の聖書を読むのは割合に簡単です。私は20歳代に、国鉄での通勤途中で日本語聖書と並べて英語の聖書を読んで、少しばかり英語に慣れました。あなたも、やってみてください。あれ、私はこんなに英語を読めるのかと嬉しくなるでしょう。
 さて、「キリストを信じる信仰」という言葉に戻りましょう。この聖書の言葉の正確な訳は、「キリスト様が所有なさる信仰」としたいです。そういう意味で、「キリスト様の信仰」と読んでください。「私たちがキリスト様を信じる信仰」ではなくて、「キリスト様が所有される信仰」という意味です。
 ですから、大事なことは、私たちが「義とされる」というのは、私たちの信仰によるのではなくて、キリスト様の(持っておられる)信仰によるのです。私たちの小さな危なげな信仰ではない。キリスト様の完全な信仰により、私たちは「義とされる」のです。
 信仰の法則によれば、イエス様は私たちの信仰を見て「義と認めて下さる」のです。しかも、認めた上は、私たちを義人として立ててくださる。その時は私たちの信仰というよりは、イエス様ご自身の信仰です。だから私たちが義とされ、義人と認めてくださる神様の側の仕組みは宇宙的完成度を保持しています。ですから、私たちの信仰の完成度は正にバンザイです。私たちは自分の信仰の危うさを心配しないで、神様の保証を信じることです。これも信仰の秘訣です。
 慌てて書きましたので、文章も整わないし、少々のミスはありましょうが、大意は間違いない筈です。イエス様の祝福を祈ります。
           *
 第二に、ガラテヤ人への手紙第2章19節と20節を使わせて頂きます。
「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた」。
 ある日、この御言葉が大名医であるイエス様の御手にある鋭きメスの如く、私の表皮を切り裂き、内臓をズタズタにして、私の息の根が止まったのです。その時のことを詳しく書きましょう。
 この文章は11月23日の主日の礼拝のとき発表します。今日、この日は私にとって大記念日なんです。この日は今は勤労感謝の日ですが、昔は新嘗祭、祭日で役所も学校も休みの日でした。そこで刑務所も休みになります。
 さて、昭和19年11月19日、日曜日でした。私は、この日、1日をかけて終日自分に問いかけていました。「お前はイエス・キリストを信じているか」。
 その前日まで、「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰による」という聖書の言葉に喰いついていました。そして「私はイエス・キリストを信じているだろうか」と問い続けました。特に、11月19日、日曜日になった時、さすがの刑務所でも日曜日はやはり森閑としています。そして終日、「私はイエス・キリストを信じているだろうか」と問い続けた時、ついに最後の結論に達しました。「ああ、俺はイエス・キリストを信ずれば、救われて、神に義とされ、天国に移れることを信じている。その聖書の教えは正しいと信じている。しかし、私は………、本当はどうだ、お前は、どうだ………、」私はそこで立ちどまる。そして、ついに自分の心の中で言った。「それが聖書で言う、救の道だ。それを信じたいのだ。しかし………、私は、それを、信じていないな」。
 こう私の心の中で言い切った時、私の全身がドカーンと響き渡ったような気がした。私の魂が土のかたまりのように見えた、そして、その私の土のかたまりのような魂が「ヒーッ」と絶望の声を上げながら、奈落の底に落ちて行くのが見えた。下は地獄だ。
 そして、翌日から3日間、私は絶望のどん底に埋没する。私は本当の「絶望」ということを体験した。3日間とはイエス様の陰府に下った3日間だと、後日になって気がついたが、最低にして最高の地獄体験である。実は、ややこしかった。私は自分が死ねばよいのに、一向に死にそうにもない自分の頑固な肉の性質に参った。ここで死ぬべきなんだ。「おい、死ねよ、義人よ、おい。死ぬんだよ」、と何度「おい、死ぬんだよ」と自分に語りかけたことか、そして死ぬべき自分に苦しんだ。死なねばならないと思うがしかし、死ねない。あくまで手強い自分の肉の性質に参った。私は叫んだ。
 「神様、到底死ねません」、そう言って絶望した瞬間、聖書の言葉が私の心に響いた。
 「キリストの愛が私たちに強く迫っている。一人の人が、すべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである」(第二コリント5:14)と。
 然り、私は既に死んでいた。イエス様が私のために死んで下さった以上、私が既に死んで居るのだ。私はこの私の死の真実に気がついた時、信仰の大根本を初めて掴んだのである。これを真に悟ることは如何に難しかったことか。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-11-25 23:14 | 日岡だより

No.359 霊錆びた祈り 2008.11.16

霊錆びた祈り

 先師手島郁郎先生が時々、弟子たちに励まして言われた言葉に、「霊錆びるまで祈れよ」というのがありました。私たちの祈りの声に聖霊様が錆び附くまでに祈れよということでした。
 事実、手島先生のお祈りなさる祈りには、そばでお聞きしている私たちに神秘な共鳴震動を与えるような深みがありました。
 あの、共に祈っている私たちに体にビリビリ震える震動のようなものが移ってくる、あのことでしょうか。
 いえ、いえ、一緒に祈りの友と祈っているとき、そういう現象がよくありますが、それとは違うんです。
 もっと何か物質的重みをもって迫って来るようなものがあったのです。私だけかも知れませんが、忘れがたい経験であります。
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 それとは違いますが、先日、県下の先生がたと一緒に祈っていましたら、そばに居られたH先生の祈りの声が響いて来ました。
 なんと言うか、前記に書いたような重みのある声です。これはもう、誰にでもすぐ分かる、非常に祈り込んだ声です。
 この先生はどんなにか、長い間、祈って来たことであろうか、長い間どころではない、熱意をもって、涙をもって、いわゆる雄叫びの祈りを天の父上に捧げてきたことであろうか、その祈りの歴史が伺い知られるような祈りでありました。
 もちろん、沈黙の静かな、イエス様に喜ばれる尊い祈りも多くの兄姉がたの中にあるでしょう。私たちも更に更に祈り抜きたいと思います。《く》


自制心について

 クリスチャンの徳目のなかで案外見落されやすいが、しかもとても大事なものだと思うのが自制心です。この徳という言葉は、聖書の中では新約聖書にだけ出てくる「アレテー」という言葉です。希和辞典には「卓絶した道徳的力」とあり、W・バークレーは「神と人間とにたいする奉仕の実際的力、またそれを行う勇気」と説明しています。
 聖書では、これを聖霊の実の一つとしてあげています。ガラテヤ5:23にその徳、つまりクリスチャンの品性の一つとしています。その最後にありますが、実はもっとも基礎的な重要な徳目だと思います。
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 ある高名な聖書事典を開いて、その事典で「自制」という所を開きましたら、→印で「禁欲を見よ」とあります。つまり、自制と禁欲とは同意義と認めているようです。私はがっかりしました。本当にそうなのでしょうか。私は禁欲は自制の一部ではあるが、自制そのものではない、自制は禁欲をはるかに超えた徳だと思うのです。
 しかし、この事典では、自制とは、タバコを止め、酒を止め、ダンスをしない、テレビを見ない、美食をつつしむ、性欲もつつしむ、そういう修道院の生活のように思っているのだろうと思います。たしかに、自制にはそのような消極的な面もあります。暴走しやすい肉的な思いや言葉や行動を制御することは大切なことです。しかし、それだけでは自制とは単なる行為的律法の一つにすぎないということになります。
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 自制とはもっと積極的な英雄的徳です。人間の本能的な欲望、感情の動き、行動の一切を、自己の思うとおりに支配して、その向かう方向を自在に自己の意志できめる力です。
 外面的行動や行為を自分の思うままに制御することは、あるいは強固な意志力なら可能でしょう。しかし感情の受動的即時発現性や、本能的食欲や性欲の勃発性など、これは私たちの単なる意志力では、その外面な言葉や行為を覆い隠すことはできても、その内面的心の動きを「抑える」ことはできないのです。
 「抑える」ということは、明らかに「禁欲」的意志力です。「自制」というのはそれと違うのです。「自制」というのは「禁じ、束縛する」のではなく、本能や感情が自発的に働いて、それがおのずから正しい方向に動き、悪いほうに働かないようにする力です。
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 説明します。たとえば、タバコを止めようとします。それは、それぞれ本人の嗜好ですから、無理に止めようとするのは、大いに困難です。そこで決心した本人が、厳しく厳しく自己抑制して、禁煙を忍耐して持続し、やっと成功する、そういう人はごく少数です。その方々は本当に称賛すべき英雄的な人たちですが、多くの人たちにとっては不可能なのです。それでも、まあ少数の人は成功します。
 以上のような場合、別の信仰的方法ですが、多くの場合、神様に祈って、具体的にタバコを止める力を神様に求めた上、思い切ってそれを実行してみると案外にうまくゆきます。これには言葉の力を使うことが有効です。
 ところが、非常にいじめられたり、非道な仕打ちを受けたような相手にたいする深い憎しみや復讐の心を愛に変えること、これはいわゆる努力や忍耐や抑制では不可能です。その憎しみを忘れたことにして、そっと放っておいても、ある時ふと思い出したり、当の相手が目のまえに現われたりすると、もう内心おだやかでありません。それを悪いことだと思って、その心を覆い隠すことは出来ますが、それは偽善にすぎないのです。
 本当に、マグマが地殻の下から噴きあげてくるような本能的悪徳の思いがあるものです。特に青年期の男性の性欲の働きなどの場合、特に強力です。抑制が困難です。こうした性的誘惑にたいしては普通「戦うな、逃げよ」と言うほかはないのです。こういう時、本当に聖霊の実としての自制(ガラテヤ5:23)、もしくは神様よりの賜物としての独身の霊性を必要とします(第一コリント7:7参考)。
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 自制心とはこういうことです。たとえばイエス様を見ていると、愛に富んで居られるけれども、弟子やパリサイ人たちに怒るときは何のこだわりもなく怒っているようです。愛のお方ではあるけれど、怒るべきことがあるから表面だけ芝居で怒っているというのではありません。イエス様は本気で怒っているのです。そうです。いつも嘘いつわりなく、偽善でもなく、正直に本気で泣いたり、怒ったり、笑ったり、しているのです。
 つまり、本心の意志で嬉しい時に喜び、悲しい時に泣き、腹がたつ時に憤るのです。いつも自由です。本心ありのままに、本心のままの意志による統制力で感情を動かしています。意志が感情の上位に立ちます。これは普通の心理学の否定するところですが。
 「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦婬したのです」(マタイ5:28)と仰せられたイエス様は、世の男性の性欲の在りようを、よく知っておられることに驚きます。イエス様自身に性欲がおありだったからです。しかもイエス様はそれをしっかりと自在に統制なさって罪の心を微塵も抱かれなかったのです。私たちには見当もつかないイエス様の心的内容です。しかし、自制心というのは、そういうことです。
 私たちに、イエス様ほど完全にそのような自制心を持ち得るとは言いません。しかし、もし私たちが聖霊様にそのことを求め、聖霊様に完全に支配され、また自ずから自分の意志に命令し、言い聞かせるとき、そのことは成就すると私は信じています。(旧稿、1996.6.9記 《く》)
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by hioka-wahaha | 2008-11-18 11:42 | 日岡だより

No.358 かつての戦争を思い出しながら 2008.11.9

かつての戦争を思い出しながら

 先日、ある姉妹から、お手紙を頂きました。その方が最近、かつての戦争の時代、中国などで「慰安婦問題」などと呼ばれている、忌まわしい事件を日本軍が犯していることを知って、心を痛めていると、記してありました。
 戦争中の日本の軍人が犯した慰安婦問題といわれる過去の問題、それは一体なんでしょうか。こうした教会の信徒の諸兄姉に公開する印刷物の中では、ちょっと書きにくい問題ですが、以下に書いてみます。
 軍隊は若い男性諸君の集団です。一般国民の中から選ばれた彼らは、道徳的訓練をまだまだ充分に受けていません。特に敵対国家や、内心軽蔑している外国の民衆に対面する時、得てして非常に頑迷な悪魔的様相を帯びる軍人集団が生まれるものです。
 かつての中国大陸に送り出されて行った、日本帝国の下級軍人たちが、いろいろ失敗、乱行を犯したのは、実際ありそうなことでした。

 戦争が始まって、急に戦闘要員の拡大を必要とするとき、召集という緊急事態を発動します。まず、過去において兵役の経験のある市民たち、実は平素から在郷軍人として予備的軍人組織に組み入れられていますが、この人たちを急遽召集するのです。
 この人たちを収容する兵舎も無いものですから、各戸市民の家を借りて、召集した兵隊さんたちを分散させ宿泊させます。満州事変の頃、私の家にもそうした兵隊さんたちが泊まったことがあります。
 兵隊さんたちは、大分県各地の市や町や村から集まって来ました。そうですね、私の家には4人か5人の兵隊さんが泊まりました。私は面白くて、毎日その兵隊さんにまつわりついて、鉄砲や軍服などに触らせて貰いました。
 いずれも、楽しい愉快な、田舎のオッサンたちでした。その兵隊さんたちが、ついに命令が出て、ラッパの音も景気よく、足音高く、歩調を整えて大分駅から戦地に出征して行きました。
 あの兵隊さんたち、支那に行ってどうしているかなあ。あんな優しいオッサンたちでも、帝国の軍人だが、戦争なんかできるのかなあ、と思っている内に、半年ほどして、その兵隊さんの一人が病気で大分に帰り、陸軍病院に入っている事を聞きました。
 私たちは、母や近所のおばさんたちや、そして私など子供たちも一緒に陸軍病院に見舞いに行って、ベッドにいるその兵隊さんに会いました。

 その時の兵隊さんに、私はショックを受けたのです。その兵隊さんが戦争に参加していろいろ経験した体験を面白く可笑しく話してくれるのですが、ついには話が弾んで、行軍する合間にも道の傍らに倒れて死んでいる女性群がある。また息も残っている可哀そうな女たちもいる。そういう女性群にあれこれと性的いたずらをする。
 面白いんだよ、と鼻をうごめかす、そういう自慢話に一緒について行っている母などは眉をひそめ、居たたまれない困惑さに困っているのに、それにも気づかず、あの優しかった兵隊さんが、こんな残酷な物語りを滔々とやっている。私は戦争というものが、こんなに人の心を変えるものか、と驚いたのです。
 冒頭に書いた、慰安婦問題と言うのも、以上の一連の話題に一度か二度は出てくる事例です。
 若い兵隊たちの性欲処理に慰安婦と称した女性群をあてがっていたのです。前線背後地の都会の酒場のウエイトレスに日本の内地より女性を呼び寄せて働かせた例もありましたし、そうした中で少数の日本女性も上記の哀しい女性群に転落する例も無かったわけではありませんが、まず僅かな数だったと思います。
 私は実は前線に近い都会地で水商売をしていた親父たちを何人か知っていて、その実例を数々聞いていたのです。そして、実は日本女性をそうした働き場所に出すことは、少々憚られて、そこで現地の中国女性に手を伸ばすということになるのです。
 こうなると、最後には暴力的と言ってもいいほどの女狩りが始まります。私はその実例を見た訳ではありませんので、正確さも欠くし、自信をもって、このとおりだよとは、言えませんが、凡そ推測はつくということです。こうした「女狩り」などと呼ぶのは実に品格を欠いて嫌ですね。
 こうして中国人の慰安婦さんが出来上がります。先に書いた慰安婦問題とは、このことです。
 こうした事件の背後に隠れて、犠牲になった中国の女性たちの心理的保障はまだしも、金銭でのお詫びや保障する事後処理すら、何一つ出来ていないだろうということは、およそ想像できます。被害を受けた女性の皆さんの多くはもう生きておられないでしょう。今日まで何一つ保障も出来ていないだろう現状を考えると、今更なにを言っているのか、という虚しさを自分ながら覚えます。

 こうした虚しい事態を起こすのも、つまるところ、戦争のお陰です。戦争というものは国家権力の相剋に関わることですから、その現時点の狭間に生きる人間にとっては肌身に迫る生死の問題であります。
 ちょっと話題が逸れますが、こうした時代では、政府権力の下で、新聞等のジャーナリズムや、また一般の国民思想すら、自ら意識せずして権力追随という情けない状況になります。
 こうした無意識の圧迫下に生きることの困難さに負けて、権威の威圧に抵抗することを諦めてしまい、困難さに加えて、更にその思想攻勢がこちらの内面に攻め込んできて、「やっぱり戦争はすべきだよなあ」などと、心の内側で妥協してしまうことになることです。
 実際問題として、戦争で自分の国が勝っている時、かつての日本のように他国に乗り込んで行って、そこで戦争している場合など、非戦論をぶって「非国民」と非難され、あるいは牢屋に入れられるような事になったとしても、私のように生きては行けます。
 しかし、外国の軍隊から攻め込まれて女性や子供、老人も生命危険になった場合、そこで非戦論を唱えるなんて容易な事ではありません。同胞の全国民の共感も得られません。
 かつて対米戦争が終わり、アメリカ軍から日本が「占領」されたとき、これを「進駐」軍などと呼び、アメリカ軍人のニコニコぶりに日本人は敗戦の厳しさを感じることなく「負けて良かった」とさえ思えてしまって、戦争の厳しさを微塵も感じなかったのです。
 現状では、日本人の意識構造には「戦争などしては大変だ」という意識が全く根づいていないのです。非戦論が日本人に了解されない原因の一つは、こういうところにもありそうです。
 僕の非戦論は内村鑑三の非戦論の影響ですが、内村先生は日露戦争当時に非戦論をぶったのです。ロシアの南進政策により、満州、朝鮮にまで大国ロシアの戦威が及ぼうとしている、日本の領土確保は非常に危なつかしい。現代のように平和論が世界の世論を呼び起せる時代ではありません。国際連盟もまだ無い時代です。
 そのような時代(ロシアの恐喝に怯えている時代)に、非戦論を宣べるということは、まさに当時の人には、奇矯にも見えたし、また反国家的にも見えたでしょう。実際、若い急進愛国者たちに家を囲まれかけ、先生の奥さんなど怖かっただろうと思います。
 ともあれ、自ら真理と信じる信条を守って、国家や、特に世間(!)に抵抗することは容易な事ではありません。しかし、少なくも唯一の神を信じ、十字架のイエス様にあがなわれ、そして人類の文明の終局と、神の御手による新天新地の降下を信じる私たちは、恐れることなく、この真理に己が生涯を投じて惜しまない潔(いさぎよ)さと勇気を持てる筈だと思います。
 まだまだ、書きたいことは多いですが、今日はこれまで。ご祝福を祈りつつ。さようなら。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-11-11 15:29 | 日岡だより

No.357 精神科学と全能の神 2008.11.2

精神科学と全能の神

 生長の家の谷口雅春氏が亡くなって、もう10年を越すが、その時に書いた私の感想があるので、以下に載せたい。
 谷口雅春氏の逝去を知っていささか感慨を覚えた。振り返ってみると、出版活動による伝道などということは、あの速筆達意の名文家でなくては思いつきもせねば始めることもなかったろう。同氏の初期の頃の文章を拾い読みしてみると、総じてみずみずしく張りがある。多少冗舌の気味もあるけれど、それだけに博覧強記のそのルーツまでも律儀に書いてくれてあり参考になる。
 驚くのはその心理学などを通してのいわゆる精神科学的な論証が今なお余り古びていないということで、信仰の一面を出来る限りインテリゲンチャにも知的に理解できるようにし、あるいは又オジチャン、オバチャンたちにも宗教近代化の自信を与えた功績は計り知れぬものがあるし、その後の各宗教陣営に多大の影響を与えたことと思う。
 谷口氏が時代の流れに敏感で、当時の権力筋に迎合的に見えて、私の誤解だったかもしれないが、多少遺憾に思ったものだ。それにも拘らず、充分に尊敬されていい人であった。
 畏友・今橋師が長崎医大の病院で療養中、手島先生が尋ねて来られ、枕もとのバルトやキェルケゴールの本を見て、「こんな本は捨ててしまえ。こんな本を読んでいるから病気がなおらんのだ。………うッ、これ、生長の家の雑誌か、これが良い。これを読むが良い」と言ったというのは有名な話。
 谷口氏自身、まだ開教以前あるインチキ霊媒に「あんたがたの善は、善人の悪」と言われてショックを受けたという話が、その自伝にあるが、たしかに多くのキリスト教徒にこそその弊が大きい。前記の今橋師のバルト、キェルケゴール好みがそのよい例で深刻、緊張、思弁過多症なのだ。
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 ところで、谷口氏の功罪のうち功の方はそこまでにして、罪の方というか、私たちの賛成できない面の方の一つを書いておこう。それは精神科学的心の力を力説しすぎた点だ。それもマイナスに指摘する場合だ。
 人が病気していたり、経済や家庭の問題で苦しんでいたりすると、すぐ「あなたの心の持ちかたが悪いからそうなったんだ。あなたが明るく積極的に感謝して毎日を過ごしていたら、こんな目に会うはずがない」と言う風に責め立てる。人を責めず許してやらねばならぬ教義が、つい度を越して相手を責め、そこで責められた方の信者もまた自分で自分を責めるということになる。この矛盾に多くの生長の家の信徒さんは苦しむことになる。(「世界人類が平和でありますように」の白光真宏会の五井昌弘氏が生長の家から分派したのは、教えの面から言えばこの点からであった)。
 第二は生長の家においてはどうしても天地創造、全能唯一の神がはっきりしない。決して説かないわけではないが、それは全宇宙にみなぎる普遍的神、と言ったあんばいになる。人間神の子、すべての人に神の分霊あり、と言っているうちにいつしか神の個性的人格性が没却される。これはクリスチャンが生長の家の本を読むとき絶対に注意しなくてはならないところである。そして人それぞれ、自分の心で自制、発奮して、精神科学のノーハウを使えさえすれば、うまく立ち直り成功的人生を送り得ると思い込むようになる。(この系譜は現在の積極心理学や行動変容学にあらわである)。
 唯一の人格的神が分かると、「人間に罪無し、人間は生まれながら神の子」とは言っておれない。神の聖と義の前にぬかずこうとすると、どうしても自分の罪とがの極悪さが身にしみる。そのとき初めて神の独り子なるイエス・キリストの十字架と復活・昇天の御業の意味が分かって来るのである。《く》(旧稿、1985年11月月報より)


手を握ってもらう

 又、刑務所の中での話ですが、え、「どうして刑務所なんかに行ったのですか」って。弱ったな、それをまず言わんといけませんね。とにかく、戦争中のことでしょ、戦争に行きたくなくって薬を飲んで死のうとしたが、死にそこなって「兵役法違反」、もう一つなんとかで懲役です。きょうはここへんで勘弁してください。
 さて、その刑務所のなかでも、私は厳正独居といって禁固並。鉄のドアが1日に6回開く、3回の食事、1回の便器出し。それに朝と晩の点検。点検では看守の前で裸かになって手や足を振り、口をアアーンと開けて何も身につけていないことを見て貰う。その他はだれも来ない。ドアには手が差し入れられるくらいの小さな穴がある。冬はそこから風がはいって寒いのです。刑務所は冬の火の気が無いのが一番つらい。
 ある日のこと、突然「ヨシト」と私の名前を呼ぶ声がした。刑務所はすべて囚人番号です。名前を呼ばれると、何事がおこったかとびっくりする。声の主は例の差し入れ口である。のぞいてみると、入所した最初の3か月間あやまって一般の囚人の行く工場で働いていたことがある。その後、「お前は厳正独居だ」というわけで独房に来たのである。その時の工場の雑役(兵隊の班長みたいに看守がわりに囚人の統率し、みんなから恐れられ、嫌われている)のMさんが私を呼んでいるのだ。
 「ヨシト、俺はこんど、ここに来た。さあ、手を出せ。手を握れ。頑張れや。ここは何より体が大事や。コーリャン飯は足らんじゃろうが、よく噛んで、ゆっくり食え。死んだらいかんぞ」という。私は地獄で天使に会ったような気分、驚喜した。彼の手の温みを今でも思い出す。
 詩篇16篇8節、「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右に居られるので、私はゆるぐことがない」。
 いつも主の臨在を覚え、主を尊び、主を賛美し、主と交わる、そこに敬虔の日々がある。信仰生活の奥義だ。ダビデは「主を前に置いた」と言っていたのに、なぜ次に「主は私の右に居られる」というのか。ヘブル語を調べると「私の右」は「私の右手」が正しい。なるほど、そうだ、主は彼の前に居られ、「ダビデ」と手を出してダビデの右手を取られたのだ。そして「ダビデ、強くあれ。雄々しくあれ」と仰せられたのであろう。分かるなぁ。(「恵みの雨」旧号掲載)


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by hioka-wahaha | 2008-11-04 11:33 | 日岡だより