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No.352 「幸運な人」になりましょう! 2008.9.28

「幸運な人」になりましょう!

 あのナショナル電器の松下幸之助さんに、ある人が聞いたことがあります。
 「松下さん、あなたはどのようにして有能な人物を見極めるのですか」
 松下さんは答えました。
 「愛嬌のいい人と、運のいい人だな」
 「愛嬌のいい人というのは分かりますが、運のいい人というのはどうして見分けるのですか」
 「わしが見れば分かる」
 なんとも不可解な言葉です。松下さんに何か神秘な力でもあるのでしょうか。なおも食い下がって聞くと、
 「実に簡単。自分は運が良いと思っている人が運がいいんだ」
 ははーん、なるほど! 分かるような気がしますね。
           *
 「運が良い人」と言えば私は聖書の中のヨセフという人物を思い出します。この話を持ち出そうとすると、実は私も、私の刑務所経験も話したくなります。
 これは、私のよく繰り返す思い出噺で申し訳ありませんが、私は22歳、福岡の刑務所の独房にいました。キリスト教思想による兵役法違反などという、いわば国家反逆罪です。キリスト教関係の本は上からの意向か、読ませてくれない。図書係から貸して貰える本は月に2冊です。毎月、「聖書」と申込書に書きましたが、ボツになって1冊しか貸してくれないのです。
 しかし、図書係の囚人はやさしい人で、間違ったふりをして1か月だけ聖書をニヤッと笑って私の監房に入れてくれました。(この人は細君を殺して無期懲役になっている男だと聞きました。信じられません!)。
 ところで、私はこの聖書を一か月間むさぼるように読みました。その時、旧約聖書の創世記を読んでいて思わず目をこすった個所があります。それがヨセフの物語です。ヨセフは少年時代に、親や兄弟たちが自分をかこんで最敬礼する夢を見ました。それは彼に印象深く残りました。それをまあ彼は坊っちゃんらしく、無邪気に兄たちに言ってしまう。
 なんと言っても、これはヨセフの若さの故の足らない点です。この時の彼はまだ人の心を察することができません。しかしとにかく、この少年時代の夢が、心に燃える幻となって、その後の彼の人生がどんなに過酷な状態になった時にも、ヨセフの人生を支えたのだと、私は思います。
 ヨセフの一つの特質は誠実さにあるでしょう。欠点は人を疑うことを知らず、無邪気すぎて世間の醜さを知らない。でも、その世間知らずも、長い苦難の生活で鍛えられ、賢明な人に変えられて行くのです。それこそ、苦難を与えられる神様の摂理でしょうか。
 ある日、ヨセフは父の命令で遠くに羊の放牧にいっている兄たちの様子を見に行きます。ところが例の夢のおかげで彼を妬み、怒り、憎んでいる兄たちは、やってきたヨセフを掴まえて野の空井戸に放り込みます。
 そこへ、ちょうどイシマエル人の隊商が通りかかって、兄たちの気が変わり急にイシマエル人たちに弟を売るのです。命だけは助かります。さてイシマエル人たちはヨセフを見て何か感じたのでしょう。エジプト政府の高級官僚の家の奴隷に売ります。そして、そこで「幸運な者」となり、非常に信用され、すべてを任されたと聖書にあります。
           *
 しかし、更に悪魔は働きます。その高級官僚の妻が好色、ヨセフは彼女に言いよられて拒絶します。すると、さあ可愛いさ余って憎さ百倍、無実の罪を言い立てられて、牢獄に投げ込まれる。古代の牢獄は、どんなに暗い、悲惨な世界であったことでしょう。しかしそこでもヨセフは「栄える者(原語では先の[幸運な者]という言葉と同じ)」となったのです。彼は看守長から一切を任され自由に仕事をした」と聖書にあります。
 私は刑務所のなかで、「雑役」と呼ばれる囚人がいて、相当の権限を与えられ、結構自由に、又いばって所内を歩き回っているのを見ていましたので、「ああ、ヨセフもあの雑役だったんやな」と、少々シニカルに読んで、鼻の先で笑いたくなりました。「いくら、栄える者となったといっても、奴隷は奴隷。その状況から逃れられた訳ではない。牢屋のなかで栄える者になったと言っても、牢屋のなかでのことだ。その中で、いささか自由も得、囚人仲間で得意な思いをしたというだけのことでないか。…なんだ、つまらない」と思いました。
 しかし、聖書の文章は「主がヨセフと共におられたので彼は栄える者となった」と、客観的な文体ですが、よく考えると、ヨセフ自身その悪しき環境のなかで喜々として働いている様子がうかがえます。自ら喜んで「自分は幸運な人間だ」と立ち働いていた様子が伺えます。看守にペコペコして囚人たちには威張っている、そういうんじゃないんです。
 だから、今の私たちの教会の雰囲気のように、いつも何かと機嫌よく「ワッハッハ」と笑っているヨセフではなかったでしょうか。そういう彼に目をとめて、高級官僚の主人も、牢獄の看守長も喜んで仕事を任せてしまう気になったのではないでしょうか。
             *
 前文でカッコ書きのなかにちょっと挿入しましたが、この「栄える」という言葉を戦後の口語訳や新改訳の創世記39:2では「幸運な」と訳しています。原語を直訳すれば「成功する」と訳すべきでしょうが、同じ言葉が同じ章の3節や23節ではやはり「栄えさせる」と訳されています。私はこの「幸運な」という訳が好きです。
 聖書に従えば、その後、ヨセフはあることから、牢獄から引き上げられて、ついにエジプト王に信頼され、そして遂には宰相となるのです。
 どこの馬の骨かもわからぬポッと出のヨセフがいきなり並みいる諸大臣を飛び越えて総理大臣になるわけですから、前任者たちから妬まれ、怨まれ、足を引っ張られ、仕事を妨害され、陰険な仕打ちにあっても当然だろうと思われますのに、そういう気配が少しもありませんね。ヨセフは、尊敬され愛されて死の日まで安定した生涯を送っています。
 この成功人生の基礎は彼を導かれた神様にあります。しかし、彼のがわに限って言えば、彼自身がしっかりと「私は幸運な男なのだ」と信じていたことにあると言っても言い過ぎではないでしょう。
 彼自身、どんな時にも自分にむかって「自分は幸運な男なんだ」と言いつづけたに相違ありません。あの少年時代に見た夢が、彼をそうさせたのでしょう。彼の一生は夢、(それも確かな形も色も重さも宝石のように輝いて、しかもあたかも軍隊の行進のように響きをたてて迫ってくる「幸運」「成功」「栄光」の)、その実体的夢と幻の実現でした。彼は、たしかに、松下幸之助さんが言ったような「自分は運が良いと思っている人」であったに相違ない。
 私は牢獄の中で、このヨセフ物語にふれた時、どんなに励まされたか知れない。そして今も思う。このヨセフに倣いたいと。さあ私も……、「私は幸運な人間である」と口に出して言おう。「主が私を栄えさせる」と声をあげて叫ぼう。どんな逆境にあっても「主によって成功を与えられる」ことを信じよう。そして、朗らかに笑おう。「ワッハッハ」と笑おう。私の人生のすべてが主によって幸運に運ぶのです。(週報1997・11・8号より再掲載)《く》

〔あとがき〕
先週23日は中津扇城教会にてリバイバル2008 CAN'TSTOP PRAISING! 講師はわれらの永井信義先生、私の日記では「信義先生は午前、午後とも、ユーモラスに、且つ正確に語ってくださり、特に午後はルカ5:1~11を用いて説いてくださった。信義先生、演技力も充分、ますます説教者として円熟してゆかれるであろう」。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-09-30 12:03 | 日岡だより

No.351 「感動する」ということ 2008.9.21

「感動する」ということ

 「感動する」という言葉は、聖書の中に7回も出てきます。原語では五種類あります。特に異色な言葉は、イエス様が「激しく感動された」という個所(ヨハネ11:33)の言葉です。ラザロが死んで墓に納められた時のことです。
 イエス様が墓の前に行かれる前、ラザロの姉マリヤが他のユダヤ人たちと共に墓に行こうとしている途中、イエス様にお会いしたのです。その時、マりヤが言いました。
 「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、わたしの弟は死ななかったでしょうに」。

 その時、マリヤも連れのユダヤ人たちも一緒に泣いていました。イエス様はそれを見て、「激しく感動し、また心を騒がせた」と、聖書にあるのです。
 こういう情景は日本人には、よく分かりません。お隣の韓国に行ってお葬儀の場所などにぶっつかると分かります。日本人は感情を押さえますが、韓国の方々は、こういう時、感情表現が激しい、葬儀が終わってからでさえも、そうです、幾日かたった時でも、お墓に行くと、ぐっと悲しみが込み上げるのでしょう。思わずお墓の前で、それこそ号泣です。私は、こうして無理に感情を押さえることをしない韓国の方々をうらやましくさえ思います。
 もう戦前ですが、私の親友荒巻君が自殺して、その葬儀の後です。一般の会葬の人たちが立ち去って、少数の近親者たちと私と安部君だけが残りました。すると、それまでじっとこらえていたのでしょう、お父さんが「ワッ」と号泣し始めたのです。
 私たちを初め、近親の人々はなんと慰めていいか分かりません。声をあげて泣いているお父さんを黙って見守るだけです。あとで安部君としみじみ話しあったものです。
 「おい、俺たちは親友だ、親友だ、と言っているけれど、あのお父さんの子供を慕う思いにはかなわんなあ」

 先日、荒巻君の実の弟さんが、彼が荒巻君から貰っていた若い時の書簡集をまとめて持って来てくれました。その時の書簡集に弟さんが付け加えてあった感想の言葉があって、あの時のお父さんの激しい号泣のことが書いてありました。
 聖書のラザロの個所を読むと、マリヤや友人たちが一緒に泣いているのを見て、イエス様が激しく感動した云々という記事に、2千年後の日本の私たちも、深く感じさせられるものがあります。
 イエス様ですから、「辺りが泣いているから、私も泣いて見せよう」、そんな事であるはずはない。他の所で、マルコ6:38、39を開くと、会堂司の家の娘が死んだというので、人々が家の中で泣いて叫んで騒いでいたという情景が出てきます。そこへイエス様が這入ってこられて、「なぜ、泣き騒いでいるのか」とたしなめて、群衆を外へ追い出したとあります。
 察するに、これは実は職業的な泣き屋なんです。アジア各地に今でも泣き屋さんという職業が残っているらしく、死人が出た家に泣き屋さんが葬儀の場にやって来て、如何にも悲しげに、淋しげに、泣き喚きます。そのようにして葬儀の場ができあがります。葬儀が終わると、その上手な雰囲気作りに答えて応分の謝礼を葬儀の家から、はずむことになります。昔のイスラエルには、これと同様の職業的泣き屋さんがいたのだろうと思います。
 ところで、ここでイエス様が感動したというのは良い意味での感動ではないのです。ここの文章は原語では「嫌気がさした」というような苦々しい感じの感動という言葉を使っています。
 そしてイエス様は少々乱暴に、その家に這入って来るなり、「なぜ、泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」と言われた。すると、人々はイエス様をあざ笑ったと聖書にありますが、本当はもっと反感を持ったのではないかと思います。
 イエス様は何時も優しい方でもない。時には、怒られたという表現も聖書にはあります。イエス様は泣いても笑っても、怒っても、自由自在です。天真爛漫、感情の表現も、意志の使い方も、自由闊達です。
 ですから、感動が溢れ出る姿が些少荒々しいのです。実は、よく考えてみると、感動という意志表現には一大特徴があります。感情とは違うのです。うっかりすると気がつかないことですが、感動というのは意志の発現です。
 相撲の力士がヤッと四股(しこ)を踏む時、意志の発現です。「力を出すぞ」、「勝ったるぞ」、という意気込みです。
 マリヤがイエス様に言いました。「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、わたしの弟は死ななかったでしょうに」。マリヤも連れのユダヤ人たちも一緒に泣いていました。イエス様はそれを見て、激しく感動し、また心を騒がせたと、聖書にあると既に前述しました。
 イエス様は「激しく感動し、また心を騒がせた」(ヨハネ11:33)。この「心を騒がせた」という訳は甚だ良くない。「心を騒がせた」ではイエス様はラザロが死んだことでマリヤやユダヤ人たちが泣いているのを見て、「不安に思った」のか。あるい「逆上した」とさえ読むことが出来る訳です。
 そうではない。「こんなことで泣いてたまるか、私はキリストではないか、お前たちに私が附いていることを忘れたのか。天の父は死人を起こして命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう者たちに命を与えることができるのだ」。イエス様は興奮しているのです。
 イエス様は、この感動と興奮をもって、命を墓の中のラザロにぶっつけるのです。死人を活かし、死から命に呼び覚ますのです。
 このイエス様を2千年前のイエス様とは思わないで、2008年、今日の日本で、生きて働かれるイエス様だと認識する。いいえ、認識ではない。信じるのです。信じると言っても多くの人は「信じていることにする」だけです。そうではない。
 今、この私の胸にイエス様が生きておられるのです。だから、このイエス様のおられる胸を叩いて言いましょう。
 「イエス様、あなたの力を借りて言います。私の夢よ、立ち上がれ。私の夢は強大な墓の中に閉じ込められて中々出てきません。もう待ちきれません。墓よ、開け。私の夢よ。出て来い」。

 あなたの夢は車ですか。ならば、車の夢を見ましょう。その絵が見えますか。キラキラ輝くフォルクスワーゲンが見えますか。そうです。家でも、土地でも、東大合格でも、牧師なら、アルゼンチン伝道でも。あなたの夢を主に語りましょう。いいですか。主に語りましょう。
 ある人は、大好きな人に直接ラブレターを送って、「失礼な」と怒られました。よい、よい。待ちなさい。主にお願いするんです。イエス様に申し上げなさい。「あの人が好きです。交際したい、結婚したい」とイエス様に申し上げなさい。
 病気が治らん。お医者に行ってもなおらん。行き先が間違っています。病気になったら、まずイエス様に祈るんです。それから、ちょっとイエス様にお願いして「お医者さんに行ってよいでしょうか」と、お断わりするんです。「私は主であってあなたがたを癒す者である」と仰せられたイエス様を後廻しにして、すぐ慌ててお医者にゆく。それでは、何よりもイエス様に対して失礼千万です、ハハハハ。
 さて、今回のお話はこれでおしまいにします。みなさん、イエス様を信じましょう、イエス様に祈りましょう。みなさん、さようなら。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-09-23 17:40 | 日岡だより

No.350 今、世界は果たして平和か 2008.9.14

今、世界は果たして平和か

 本紙の前号の本欄を見て、不審に思った方も多かっただろうと思う。なんとなく立論がインチキ臭いと思ったかもしれない。
 「世界から戦争が無くなる時が来ている」という標題をつけたが、もっと分かりやすく言えば、「今、世界に平和な時がきている」ということである。
 もっとはっきり言えば、「今、世界は平和である」ということである。これは、「今、日本は平和である」というのと同じことなのである。
 けっして、世界の人心が完全に平和であるとか、理想的人類平和の時代が来た、というような完全主義で語っているのでは無い。
 日本の多くの家庭において、「まずまず、平和です」と言っても差し支えあるまい。破産もせず、家族に難病者もなく、そこそこ生活していれば、まず平和です」と言ってもウソではない。
 
 世界情勢で言うなら、「地球上、どこもまずまず平和のようですね。グルジアなどの狭い地域での若干の紛争はあるにしても」ということです。
 情報や経済流通や、ともかく文明というものが地球を一丸に覆うてしまった。こういうことは世界史上初めてのことです。
 貨幣や旅行がもっと自由になってくると、民衆の要求はもっともっと果てしなく広がって行きます。
 日本ではかつての徳川時代が終わり、封建時代がいきなり民権時代に移行した。あの時の日本の急変ぶりには日本人も驚いたが、世界の国際政治家たちも口をあんぐりさせたのではないか。
 今はそれ以上に、民衆の情報取得速度が異常に上がっているのではないかと思う。電子通信機能が民衆を扇動する時代である。
 先だっての北京オリンピックの際に見え隠れしたのもそれである。あの強力な統制国家がテロの心配を隠さなかった。人民内部の較差がテロを生むのである。
 他国との戦争の心配が無くなって、自国内のテロを恐れる、これが今後の問題かも知れない。多分にこれは発展途上国の問題であると思うが、それでは我々日本など、先進国ではどうか。
 他の国はともかくとして、日本はどうか。国民の道徳的自制力の減退が第一の問題ではないか。意味も無く行きずりの他人を殺そうとする。例の秋葉原事件。
 もっとも、人を殺さないが自分自身を何の意味も無く生きる意志を失って自殺する。そのうちに集団自殺でも起こって、それが流行になって行く。
 そうなったら、民族の自立も危ない。改めて日の丸の旗でも振らないと日本はつぶれるぞということになる。
 日の丸の旗は、多くのクリスチャンが反対するから、釘宮センセも言いづらいけれども、一席ぶちたいところです。

 多くの日本人クリスチャンは無国籍みたいな顔をする。国歌は歌わないと言う。そういう信念を持った先生は、学校の儀式の時、伴奏のピアノは弾かないという。その意気には敬意を表します。
 あの戦争中に日本の殆どの教会では礼拝中に君が代を歌った。私の教会では牧師はさすがに君が代は歌わなかったが、多少妥協して礼拝が終わってから、東方(大分では天皇のおられる皇居の方角)に向かって最敬礼を信徒にさせた。
 私はそれでも頑なに一人つっ立って顔をあげていた。もし、その時、警察でも来ていたなら、私は捕らえられ、牧師は責任を問われたでろう。私は今では多少頑固過ぎたかなと思ってはいるが、ああいう社会の空気が国家統制の下で氷のように冷えきっている恐怖政治の緊張感は今の人には伝えにくい。ああいう時代の二度と来ても、へこたれないよう信仰を強めておきたいものである。(未完)


手島先生を憶う

 何度か書いたが、手島郁郎先生は私の唯一の恩師である。私が先生の悪口を言ったという流言があったらしく、ある筋から厳しく批判されたこともあるが、私にはそういう記憶は一切ない。私は心の底から先生を尊敬しているので、そういう言葉が私から出る筈はないのである。
 ただ一つ、前号にも書いたように、先生は義認信仰については冷笑ぎみに語られることがある。それについては、遠慮しつつも私は先生とちょっと違うというような言い方をする。
 先生には強烈な聖霊体験があるので、義認信仰などというものは知性的言葉の言い替えに過ぎないように思われるのだと思う。事実、多くの信徒、いや学者さんの中に義認信仰を説明して、単に知的に言語操作しているのに過ぎないなあ、と思われる方々も多いようである。
 知的に納得して、それで義認信仰を卒業したように思っているらしい人に時々遇う。どうして私の立場を訴えようかと苦慮することがよくある。
 知的に納得して安心していた時と、はっきり聖霊の働きでキリストの御血潮で私の罪は消えゆき、私は義と認められた(又は進んで義人とさえされた)、という信仰の恵みを与えられる場合とは、格段の相違がある。
 似た問題ですが、例えば広島の植竹先生は「聖められた」という潔めの信仰について、はっきりその経験を語っておられる。こういう信仰経験の証しは貴重です。
 正直に告白すると、私はこの「聖潔」の教えについては、今一つはっきりしない。カリスマ的な「力」の信仰が前面にあるので、聖潔派の先生がたには扱いにくい牧師だと思われるでしょうが、先生がたにもっともっとご指導いただきたいものだと思っています。

 さて、昨夜は手島先生の記録を映画で見せて頂きました。大分幕屋の方々のご奉仕による映写会ですが、編集がちょっとしろうとっぽいところも新鮮な感じで良かったです。先生の前半生を辿ってくれましたが、後の出っ歯の先生が青年時代はなかなかハンサムで驚きました。
 伝道に乗り出すときも、恐る恐るの様子で、本当だろうかと思いました。かつての私よりも弱いような格好です、でもこれは世的な知恵ももち過ぎるほど持っていた先生ですから、却って恐る恐るということになるのでしょうね。そういう先生が祈りによって聖霊の取り扱いを受けると一挙に変わるのですね。これが先生の秘密です。(私は世的に無知だったから、案外無鉄砲にやれたのだと言えます。)
 ところで、この映画は折角だが、先生の偉かったところが余り、出ていません。それから先生は怖い方だった。あの怖さが出ていない。先生の、あの怖さといったらたまらなかった。しかも又、愛の方だった。愛して下さる、その先生の愛は身に沁みるような愛。そう言えば、この映画の中で、ご長男の寛郎さんが先生を思い出して涙を流すところがあったが、ああいうところは先生と親子だなあと思ったことです。先生はよく、講義の中で本当に涙を流して泣くことがあった。感情一杯に語ってくださる、力強く愛してくださる、ああいう先生の姿をもっと表現して欲しかったです。
 私たちも弱い愚かなキリストの弟子ですが、イエス様の霊が私たちの内に臨めば、手島先生と同様、一挙に変わる筈です。
 昨夜は手島先生の遺影(映画)に接して感慨無量、私は先生のもとを逃げ出した不肖の弟子ですが、やはり先生の弟子です。「今天界に居られる先生、先生の弟子として、私を認めてください」、と願ったことです。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-09-16 12:04 | 日岡だより

No.349 世界から戦争が無くなる時が来ている 2008.9.7

世界から戦争が無くなる時が来ている

 「戦争は人類の本能だよ。世界から戦争は無くなる時はないよ」と、言う人は多いです。でも私は言います。「昔はそうだったでしょう。しかし、今は違う」と。先日、親しい仲間に「今の世界の模様では、戦争なんて起こりっこないよ」とふれてまわりましたら、みんな「えっ?」といぶかしげに反応しました。
 「どうしてえ?」と聞くのです。私は答えました。「戦争とは一応、大か中程度の国と国が向かい合って戦うのが戦争でしょ。ところで、今現在の地球上の世界で、大や中とも言える国々の間で戦争の起こりそうな気配のある国はありますか?
 とんでもない。みんな仲良さそうでしょ。かつての冷戦同士のアメリカとソ連でも、今は仲良くやってますよ。今、世界中の国々で戦争したがるのは、小さな国々同士の国境付近でのつばせり合いだけです。まとも(?)な戦争なんて、どこもやってません。今の世界は非常に平和なんです」。
 こう言うと、みんな疑わしげに、「へえ?」と私の顔を見る。そんなことを言う人が今世界に一人でもいるのか、というような顔をなさる。
 しかし、よく見てください。前述のアメリカとソ連にせよ、われわれ日本と韓国や中国との間でも、かつての犬猿の仲のフランスとドイツ、または現在のイスラエルとアラブ、どこにも問題がないとは言えないが、しかし戦争までして片をつけようとは思っていないこと、明らかです。
 今、世界はどこの国も、戦争までして領土や権益を獲得しようとか、またこれを守ろうとあくせくしている国はないのです。この様子を見ると、実は今まで一度もなかった平和の時代が、この世界に来ているのだと言えるのではないでしょうか。《く》


世界名文句集より

 ある本を見ていたら、世界名文句集というのがありました。その中で私の心をひいた言葉を2つ。

「一人の敵をも作らない人は、一人の友をも持たない」テニスン
「善い生き方をすればするほど、敵は多くなる」トルストイ

 一応もっともな言葉であるし、思わせ振りな言葉でもある。
 テニスンと言い、トルストイと言い、近世一流の文人である。
 滅多なことには批評しにくいが、これらは果たして真実の言葉であろうか。

 実は私はこの2つの言葉を私に当てはめてみたのである。そして私は狼狽した。どうも困ったのである。正直に、言おう。
 私には目下のところ、敵はない。結構、だれとも平和である。しかも、私にちゃんと友がいるのである。そうすると、以上の2つの定式が私にはあてはまらない。私に敵がいないのなら、友もいないはずである、という事になる。しかし、
 冗談でない。私には友はいる。少数であっても親しい友がいる。特に主にある友なる人が多々いる。
 いろいろ考えてみると、神学的にサタンを数え上げれば、それこそ相応に敵はいるが、一応この世において、私に敵はない。私が意識し、また見る限り私に敵はない。そこで、前述の言葉を援用すると、
 私には友はいない筈という結論が出る。問いつめれば「今、あなたが友と思っているのは、本当の友ではない。あなたが自分に敵がいないと言っているかぎり、それはあなたには真実の友はいないということだ」と、いうことになる。私にとり、この言葉は実に理不尽である。《く》


夢!、ユメですが…

 かつて、頭脳明晰であったはずの当の釘宮センセ、最近は頭脳混乱で辟易しています。一度、神経内科の診察を受けようかと思っていますが、脳髄の中で様々な思いの固まりが右往左往していて、そのまとまりがつかない。これはノイローゼなのだろうか、そういう感じです。
 先々月だったか、まさにウツ病か、と思ったことがあります。これも軽かったのですが、少しでもウツの方の気分が味わえて、牧師としては良い経験だったと思ったです、ヤセ我慢でしょうが。
 病気は、特に精神科の病気は実際に経験したことがなければ、その気持ちは他人には分かりません。私が本格的にかかったのは強迫観念でした。体の中で血液の回流が滝のように流れるという妄想です。
 しかも妄想だと自分では分かっていても、その妄想の度合いがひどくなると、事実、血の流れが激しくなって脳溢血で倒れるのではないかという恐怖心が起こってくるのです。まさに不安神経症です。
 私は少年期から、青年前期にかけて、ひどい吃音(どもり)でした。これも言わば、一種の神経症です。いつも吃る訳ではありませんが、吃ってならない時に吃りそうになるのです。
 しかし、神様の力を信じる信仰は、こうしたことのすべてを解決します。最近のことです。
 雨の日の夕刻でした。車で教会に帰ろうとしていました。運転しにくい、「イヤだな」と思いました。「イヤだ」と思えば思うほど、運転がぎこちなくなる。「86歳の運転技術、大丈夫かい」とサタンが耳元でささやく。そんな感じです。私は思わず、声を上げました。
 「神様あっ、私を守って下さい」。
 一瞬、肩のあたりが楽になりました。
 「神様あ、感謝します」。
 私は喜びの声を上げて意気揚々、帰途を急ぎました。運転免許は今年の2月に切り替えたばかりで、次の更新は3年先、私は89歳になっていますから、もうその時点で運転免許は放棄するつもりです。
 実は、白状しますと、私にとって、この「日岡だより」もぼつぼつ重荷になって来ています。文章書きは苦にならないほうですが、それでもまとめての作文作業は楽でないです。
 もっとも、本業の牧師の仕事、これはまだまだ大丈夫、元気でやれますよ。「もう、先生、迷惑です。やめてください」と信徒の皆さんからお申し出が出て来る日も近いかもしれませんが。
 その日、喜んでか、しぶしぶか、ともかく引退する日も案外近いでしょうが、それまでに後任牧師の候補者、皆さんの中から、沢山出て欲しいのです。
 先日、夢を見ました、夢!ですよ。皆さんの中から、20人の牧師さんが出てきて、それぞれ50人の信者さんをかかえて、大分県中に、いや九州中に分かれて行きました。(いや、日本中に、と言いたい。世界中に、とも言いたいですね。それにしても各50人とは少ないなあ、せめて百人と行かなかったのですか。スミマセン、夢が小さくて……)。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-09-09 16:35 | 日岡だより

No.348 「回心」ということ 2008.8.31

「回心」ということ

 キリスト信仰において「回心」という言葉は重要度ベストテンに入れるべき大事な言葉だと思うけれど、この言葉は私の持っている限りではキリスト教大辞典という類の本には一向に出て来ない。
 ところが、一般の辞典である岩波の広辞苑には立派に載っていた。次のとおりである。
 【回心】(宗)(conversion)キリスト教などで、過去の罪の意志や生活を悔い改めて神の正しい信仰へ心を向けること。なお、一般に、同様の宗教体験を言う。
 回心(えしん)・発心(ほっしん)。私が説明を添えると、「回心(えしん)、発心(ほっしん)」は仏教用語である。回心(えしん)は「廻心」ともあったように思う。これは多く、私が親鸞上人の文章で読んで覚えたものである。
 なお「改心」という言葉はカトリック用語にあった。それはプロテスタントで使う「悔い改め」を差すとある。
 私の書棚を見ると、一冊だけ「異教からの回心」という本があった。だから、使われてないことはないのである。
      *
 私の使う回心という言葉は、上記のカトリック用語としての改心ではない。悪人から善人への転向という意味での世間でよく使われる改心という言葉でもない。
 キリスト信仰における回心という言葉は私は石原兵永先生の本で知った。この本は私は戦前、銀座の教文館で買ったのだったと思う。(この時、矢内原忠雄先生の「イエス伝」もいっしょに買った。この本も私に大きな影響を与えた。ひたひたと押し寄せてくる軍国主義の波に抵抗しようとする雄々しい矢内原先生の姿勢に私は圧倒された。そして私なりの覚悟を決めることになる。私はまだ青年前期、18歳であった。)
 上記の石原先生の本の題名がずばり「回心記」である。私は教文館の図書売場でこの本の頁をパラパラとめくって、チラリと内村鑑三先生の名前を見たので、すぐに買ったのである。こうして、私は私の生涯に一大転機を与える本に巡り合ったのであった。
 この本は戦前、長崎書店から出ていた。戦後、長崎書店の後継社というべき新教出版社から新版として出た。この際、内村先生の小篇「コンポルジョンについて」(たしかこういう題名だった)は削除されていた。これは惜しかった! コンポルジョンというのは内村先生流の読み方である。石原先生は当初から現代風にコンバージョンと書いていた。内村先生はアメリカに留学していた方であるから、英語をわざわざ日本のローマ字読みに替えることはあるまい。すると先生の留学されたころのアメリカではコンポルジョンと読んだのか、と不思議に思う。
 なお余談だが、最近のアメリカ英語に慣れた某宗教家に聞いたら、営業マンなどに説得されてその商品を買う気持に変わった時の心の変化をコンバージョンと言い、宗教的信仰の決意をした時にはコンバーションと言うのだそうだ。
 気をつけて読んでください。ジがシになっている。濁りが取れて純粋になっている、呵々。ある旧友が私に言ったことがある。「釘宮さんの名前ね、義人(ギジン)ですね。これから濁りを取ると奇人(キジン)になりますよ」(?)と。
 石原先生の「回心記」は内村先生と共著と言ってもよい本である。石原先生が内村先生の家に書生のように住み込んで信仰を学ぶ、その時、この回心のことを内村先生から聞き、その回心なるものを求めて苦悶する経緯を書き綴った本である。内村先生は言う、「回心の経験がなければ本当の信仰じゃないよ。そう言えば、カトリックの人たちに回心があったとは聞かないねえ」、カトリックの方は怒らないでください。
 現代のカトリックの方々がどうか知りませんが、少なくともカトリックの歴史では、よく知られた有名な人物を例にあげることが出来ます。アウグスチヌスとか、パスカルとかです。
      *
 アウグスチヌスは逃れがたい多感放縦な好色乱逸の生活に溺れていました、その生活から正に一挙に回心します。彼の「告白録」のちょうど中ごろ(第8巻12章)から読むことが出来ます。非常に簡単です。隣家の子どもの唄うような声が「取って、読め。取って、読め。」と聞こえたそうです。
 彼は、これは聖書を読めということだろう、と思ってそばにあった聖書を開いて読みました。そこにローマ人への手紙の第13章がありました。彼が読んだ個所は、その章の最後です。
 「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと嫉みを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」。
 彼はこう書いています。「私はそれ以上読もうとは思わず、その必要もありませんでした。この節を読み終わった瞬間、言わば安心の光とでも言ったものが、心の中にそそぎこまれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです。
 こうして、初代教会最大の教父が生まれるのです。386年、彼は32歳でありました。これが「回心」です。
 私はこのアウグスチヌスが回心の契機となったのは、この御言の全文であるとは思えない。反対も異論もあろうかと思いますが、この長い全文がアウグスチヌスの魂にハッと気づかせたとは思えないのです。中世の作文の癖として、長々と詳しく書いてあるが、本当の回心のキッカケとなる言葉はもっと短いと思うのです。
 それは、多分、この終わりの言葉ではないでしょうか。文語がよい。「ただ、汝ら主イエス・キリストを衣(き)よ」、このみ言葉がアウグスチヌスの心を根底から回転させたのだと思う。
 パスカルはこうです。彼は17世紀、フランスの人。数学者、物理学者、哲学者、パンセの「人間は弱き葦である」等の言葉で有名。以上のような学者としても、また社交的な魅力でも、サロンの人気者でであったが、しかし彼はそうした世俗を脱して聖なる世界を求める。ついにある日、聖霊によって変えられる。
 その日は1654年11月23日です。(幸いな偶然!ですが、私の回心は1944年の11月23日なのです)彼のその時の「覚え書」が残っています。彼の下着の裏に縫い込んであったのを、彼の死後、発見されたのだそうです。以下のとおりです。

     火
  アブラハムの神、イサクの神、
  ヤコブの神
  哲学者や学者の神にあらず
  確実、確実、歓喜、平安
  イエス・キリストの神
  Deum meum et Deumvestrum.
   (わが神、即ち汝の神)
  汝の神は我が神なり
  神以外、この世および一切の
  ものの忘却
  神は福音に示されたる道に
  よりてのみ見出さる
  人間の魂の偉大さよ!
   「正しき父よ、
   げに世は汝を知らず、
   されど我は汝を知れり」
  歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙
      *
 日本人で同じような経験を、前記の内村先生に見ることにしよう。先生はアメリカのアマストマ大学に留学中、アルバイトの石炭運びをしている時、その信仰の経験をしたらしい。
 内村先生は当初、熱心に律法的に信仰を求めて苦慮していた。この日本からの留学生の苦悩を見かねて、学長のシーリー先生が福音的な信仰のありかたを教える。それが端緒となって内村先生は回心なされたと書いてあった。前記の「回心記」による私の記憶である。
 内村先生は「そのときの記録を君に見せたかった」と石原先生に言っているが、「残念ながら、その記録は捨ててしまったんだよ」とも言っている。まことに、「惜しい」と思う。
      *
 このことについて、実は内村先生は「その記録は捨ててしまった、というのは、その時、「私はだまされていたのだと思ったからだ」と言っていたと覚えているのですが、これは重要な内村先生の「告白」です。
 「あのすばらしかった回心の経験は偽物だった。自分はだまされていた」と思ったということです。それで、先生はその貴重な回心記録を捨ててしまったというのです。もっと突っ込んで言うと、これは「回心という経験が、最初はすばらしい完全な聖霊経験だったと信じていたのに、後にそうではなかった。やっぱり自分は相変わらず駄目だった。昔の自分と大して変わらない自分であるのに失望した。そうだ、こんなもの捨ててしまえ、どっかに行ってしまえ」とその記録のノートか紙片を捨ててしまったということでしょう。
 ここで大事なことは、今となっては矢張り、その捨てた行為を「惜しかった」と言っていることです。「やはり、あれは本物だったのだ」というのです。とは言え、もう一度、振り返って書きなおすほどのエネルギーは、もう無いよ、ということでもあります。ここに秘密があります。
      *
 さすがのこの「回心」という体験、すばらしいものですが、完全ではないということです。回心直後は確かに天下を取ったような征服感があります。「なんでも来い」、というような完全意識があります。意気揚々たるものがあります。
 尤も、これも個人差がありまして、「あ、これが回心か、まあまあだな」と冷静に受けとめる態度の人もいるものです、私はただ一人、そういう人を知っています。実に誠実温厚な人柄でして、その人の回心経験を疑うことは出来ませんでした。生来の謙遜な性質ですが、だからと言って、無理に誇らず偉ぶらず謙遜にふるまっているのでもない。自分の素晴らしい経験だが、それを淡々と受けとめて、さして大仰には語らないのです。そういう人もいるのですね。
 これは聖霊経験というものもいろいろだということです。それから。もう一つ大事な点は回心と一口に呼んでも、義認論的経験と聖化論的経験とは別にしなければならないということです。歴史上で、最も有名な人物で対比すると、アウグスチヌスと、ジョン・ウェスレーの場合です。
      *
 ジョン・ウェスレーは、英国の国教会の牧師でした。また「几帳面屋」とあざけられたほどの規則正しい信仰生活を送る真面目なグループのリーダーでもありました。その彼が英国国教会から派遣されて当時の新大陸アメリカに伝道に行きます。渡航する船の中で忘れられない経験をします。
 突然、激しい暴風雨の襲われるのです。7時間を過ぎても風は収まらず、荒波は甲板を乗り越え、マストは今にも倒れそうでした。乗客はみな恐怖で泣き叫び、ウェスレーも泣き叫ばないにしても、おびえる乗客の中の一人でした。
 その時、別の部屋から不思議な歌声は聞こえてきました。よく聞くとドイツ語の賛美歌でした。驚いて、その部屋に飛び込んでみると、2、30人の人々、子どもも混じっています、その彼らが目を天にむけて平安な顔で歌っているのです。
 一人の女性に聞きました。「あなたがたは、この嵐が怖くはないのですか」「いいえ、怖くはありません。ここにいる者、みんな神様に守られていますから、少しも怖くはありません」。
 しばらくすると、なんと一緒にいたウェスレーの心からも恐怖心が無くなっていました。
 その一行の人々はドイツの田舎からアメリカに向かうモレビアン派の信者たちでした。
 ウェスレーは結局、アメリカでの伝道には失敗し、イギリスに引き上げますが、その後あのモレビアン派の人々の信仰が慕わしくてなりません。そして、あの死をも怖れぬ信仰、ホンモノの信仰を求め始めるのです。ウェスレーはついに、あるときロンドンのアルダース・ゲートという所にある小さな教会に行きます。そこで司会者がマルティン・ルターの聖書講解の序文を読んでいるのを聞くうちに、突如、心に激しい火のようなものが燃え上がるのを経験します。そして彼は自分がキリストのものになったことを自覚するのです。これがウェスレーの回心です。1738年5月24日午後9時前15分のことだったと言われます。
 その瞬間をウェスレーは自分の時計を見たのでしょうね! それ以後、彼は政府から教会で説教することを禁じられ、馬に乗って全イギリスを駈け廻り、公園や墓場で伝道します。彼が創立したメソジスト教会は後に世界第一の教派になるのです。彼が言った「世界は我が教区なり」という言葉は、現実的に成就したのでした。
      *
 私が回心したのは1944年、昭和19年11月23日夕刻です。私も時計を持っていたら、その時刻が分かったことでしょう。残念ながら刑務所の中でしたから、時計はそばにありませんよね。私は以上の2人アウグスチヌスと、ジョン・ウェスレーの回心を慕っていましたので、この獄中の回心を非常な歓喜をもって迎えました。
 後日、私の伝道で第一番目の回心した人、大石美栄子さんが、後にロンドンのウェスレーゆかりの教会に行き、そこで私の説教を思い出して涙を流して泣いたと、そのロンドンからのはがきを送ってくれました。そのはがきのインクも涙で濡れていたのに私もひどく感動したことでした。
 しかし、こうした感動的回心も信仰の成長の一過程であって、完全なものではない。それが前述の内村先生が、後になって「あれはだまされていた」と言って、回心記録を捨ててしまったという理由でしょう、さすがの内村先生も早まったことをしたものです。
 この点、ウェスレーは「几帳面」な人で、しっかり者です。回心したとはいえ、人間の弱さは、相変わらず残されていて、完全にはならないことを見抜いていました。
 ここでちょっと説明したいことがあります。アウグスチヌスの回心とジョン・ウェスレーの回心の間に一つの差があります。アウグスチヌスは全くの不信者の立場から回心によって救われ、そしてクリスチャンになりました。ところがジョン・ウェスレーはすでに信仰を持っていました。十字架のあがないを信じて「几帳面」な信仰生活を送っていたのです。その彼が、十字架のあがないによる「義認」の信仰に加えて、更に回心した。そこを神学的に説明すれば「聖化」の信仰を得たことになるのです。
 ところが内村先生はアメリカの大学でアルバイト中に回心した。それは多分、十字架による「義認」の信仰だったと思います。すると、一時は天下を取ったような歓喜の日々を送り得るのですが、しばらくする。古い人間性に地金が出て来るのです。
 すると、「あれッ、こんなはずじゃなかった」と慌てます。がっかりします。一時の信仰の喜びが失せてしまい「あれはだまされていたんだ」と言う始末になるのです。しかし、後になって「あれはやはり、確かな信仰体験だった。あれはやはり回心だったのだ」と気がついたのでしょうね。
      *
 ここで、ちょっと註をつけると、義認の信仰だけで、それをキリスト信仰とするのがルターやカルヴィン以降の正統(?)的教派と言いましょうか。
 ジョン・ウェスレー流の聖化を信じる教派を日本では聖潔(きよめ)派というのですね。また戦後は福音派と呼んでいます。日本では福音派というと、ホーリネス教会、インマヌエル教会、ナザレン教会等々ですね。(ちなみに私などの教会は以上のどちらにも属せず、ペンテコステ派として類別されるでしょう。異言を語り、神癒などの特別の賜物を信じ、行使する教会ですから。)
 もう一つ、大事な回心のこと。特にコンバージョンと呼ぶ事が多いですが、それはかつて私が属し、今は離れていますが、手島郁郎先生創始の「神の幕屋」と呼ばれ、今は「原始福音」とも呼ばれている団体における爆発的コンバージョンです。(今もこの聖霊体験は保ち続けられているだろうと思っていますが)。
 このコンバージョンも私は体験させて頂きました。いきなり激しい異言が噴出、床の上に転倒して一時間ほど動けなかったのでした。同時に背後からひっきり無しの風の音を聞いたものです。
      *
 なお、最も注意すべき点は、これらの回心体験がないと、「あんたの信仰は全然駄目」という風に貶す人も出るということです。これはいけません。自分の意志をもって「私はイエス・キリスト様を信じます。イエス様の十字架の尊い死によって私の罪は贖われました」と真心をもって信じる人の救を疑ってはいけません。共に主を信じる者として、愛と誠実をもって交わりたいものです。
 手島先生に言わせれば、コンバージョンはクリスチャンの生涯に何度あっても良いのです。何度もあるべきなのです。この手島郁郎先生は大した方です。いえ、私は世界一の人物だと信じています。先生に対する私の尊敬は今も変わりません。
 とは言え、私が少し先生から距離を覚えるのは、イエス・キリスト様による「義認体験」です。先生は聖霊体験が先生の人格の最深度において激しい打撃を受けたのに違いないと私は想像しています、ですから、義認の信仰などは知的な自己欺瞞に思われるのだろうと思います。
 ところが私にしてみれば、22歳の時の義認信仰の受入れは確実な神秘体験です。この体験を手島先生はせせら笑うものですから、私には耐えられないのです。桜井先生も同じようなことを言っていました。桜井先生は一時は手島先生の後を継ぐかと思われていた人です。しかし後日、私と胸襟を開いて話し合った時、先生も私と全く同じ、義認の信仰をしっかり聖霊様に頂いていたものですから、この間隙を埋めようがなかったと言っていました。先生が後に手島先生から去るのも止むを得なかったと思います。《く》
(2007年3月4日の「日岡だより」第270号に多少加筆して転載しました。)
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by hioka-wahaha | 2008-09-02 14:06 | 日岡だより