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No.334 神は一切の物事の創造者である 2008.5.25

神は一切の物事の創造者である

 「神は一切の物事の創造者である」
 この事を今回は強調したい。注意してほしい。
 決して「万物の創造者」だけ、ではない。「一切の物事」の創造者である。
 例えば、この宇宙だが、神はこの宇宙すべてを創造された。「はい、そのとおりです」と多くの人が、いや殆どの人が「はい、そのとおりです」と言うと思うが、そこで、こう聞いてみたい。
 あなたは、この宇宙というもの、果てしなく広く、大きいものと言えば、「その通りだと思います」と答えると思うが、次の事を重ねて問うてみたい。
 宇宙はどこまでも広がっても果てしないものと思いますが、それではどこまで続くのでしょう。
 そんなこと聞くのは野暮です。どこまでも、無限につづくんです。と答えるだろう。
 しかし、考えて見よう。この太陽系、この太陽系を含む銀河系、この銀河系を含む、それ以上を包み込む大銀河系。そいつを含めてもっと大きな星の集団。しまいには、さすがに星は無くなるとすると、あとはもう果てしない宇宙空間。光も宇宙塵もない真っ暗闇の大空間。この闇の空間はどこまで広がりますか。
 それは実は、今の天文学者も何も言えないと思うけれど、それでも闇の空間が広がり続けるんだと言えば、これまでの言葉の延長から、そのとおりと言わざるを得ないでしょう。
 これを無限に繰り返し続けても、言葉の上での論理では、そのまま永遠に続けられる。この強大無限の闇の宇宙空間というものは、こうなると、単なる物ではない。これはモノゴトの中のコトなのですよ、と私は言うのです。《く》


キリストは癒し主である(下)

 K姉は訴えます。
「2人の医師に3べん診て貰いましたが、盲腸炎に間違いないと言います。ぜひ手術しなさい、と言うんです。先生、この盲腸炎の癒しのため祈ってください」
 まだ、戦後の国民健康保険が始まっていない頃です。今だったら、手術が怖いから、「祈ってください」と言う方が多いのですが、その当時は全く事情が違います。
 医者に行って手術を受ければ、多額の金がかかる。だから、まず「釘宮先生、祈って病気を治して下さい」、というわけです。
 貧乏な病人は牧師に行くしかない。牧師も必死です。祈って治らなかったなら、まごまごしているうちに死ぬ恐れがある。盲腸炎ですからね。
 K姉ご一家は、或る旅館の一室を間借りしていました。行ってみると、K姉はもちろん寝ている。枕元に薬の紙袋があり、頭と患部に氷嚢がかぶさっている。
 私はいきなり、その氷嚢を取り上げ、薬は紙袋ごといっしょに火鉢に捨てた。そして
 「神様、よろしくお願いします」
 と祈って家を出た。
(当時の神癒祈祷はその程度である、迫力はなかった。それでも祈りは聞かれた。祈りの声が大きければ聞かれるというものではない)
 その家を出ると、道が坂道だったが、その時の道の様子を今でも思い出すことができる。その道を歩きながら、
「もし、K姉が死んだらどうしよう。自分は警察行きだな」
 と思ったものだ。K姉のことより、自分のことのほうを心配している、この私の心の忌まわしさに私はがっかりした。「私は本当に汚れはてた人間だなあ」、と情けなく思ったものである。
 ところで、心配しつつも3日たった。そして私はいつものビルの一室の集会を開いているとき、突然、扉が開いた。
 「センセーイ、盲腸炎が治ったア」
 と声がする。見れば、あのK姉である。彼女は絶叫する。
 「センセーイ、盲腸炎が治ったア」。
 K姉が両手をあげて叫んでいる。私を含めて信者さん一同、総立ちである。
 詳しくは、分からなかったが、とにかく、痛くなくなった。熱もないみたい。驚いて医者に行った。医者は診察して
 「不思議だな、不思議だな。治っているよ」
 と言いながら、レントゲン透視もして不思議がっていたという。
 私は彼女の言うのを半分聞いて、そこで、叫んだものだ。
「皆さん、まさに主は癒し主だ。皆さん、病人を連れてきなさーい。どんどん、神癒集会をやろう」
 血眼になって叫んでいた。
 数日して、乳癌の女性が来た。私は又、怖くなった。
「なんで、乳癌なんか持って来るのか。風邪か、腹痛ぐらいなら良いのに。乳癌とはイヤだなあ」。
 ともあれ、祈ってあげた。
 「1週間したら、来なさい」
 と言ったものだ。1週間と言ったのは、すぐは治らないだろうと用心して、1週間と日を伸ばしてみたのだ、ところが嬉しいことに、その乳癌が本当に1週間で消えたのだ。
 その日から1週間して、その女性が来て、言う。
 「先生、お乳の癌が消えました」
 私も呆然とした。
 そして、私は気がついた。「言葉だ、私がこの私の口で、『この病気は癒される』と言いさえすれば、病気は必ず治るのだ」。
 この発見に私は身震いした。そして、この神癒の事実を信じ、外に向かっては言わなかったが、集会の中では大胆に「信仰による病気の癒し」を高調した。信徒諸兄姉も興奮した。
 この引き続き起こる癒しの経験は私に非常な自信を与えた。
 私は本来、気の小さい人間であったが、しかし、神癒に関してだけは、気強く「『癒される』と断言せよ、そうすれば目の前で患者の病気は治る。必ず治る」、と自分自身に語り続けたものです。《く》(2008.4.12.)
 

楽しかったチャリティコンサート
 昨夜(5月24日)大分駅南口そば近くあるグレイスチャペルで楽しいチャリティコンサートがありました。来演してくださったのは東京交響楽団のチェロのボーマン・ベアンテさんとピアノの奥様のルリ子さんとの協演で心ほぐれました。バッハの豊かな和音、シューベルトのメロディックな特徴も分かりやすく説明して頂いて、ぼんやり聞いていたそれぞれの名曲を改めて理解でき、かつ深く味わうことができて感謝でした。このチャペルは広田先生のチャペルノアの分教会と言いましょうか、出先教会と言いましょうか、場所もよく、瀟洒な建築です。今後の伝道に益々用いられるでしょうね。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-05-27 18:25 | 日岡だより

No.333 中国・四川大地震被災者に救援を 2008.5.18

中国・四川大地震被災者に救援を

 この度の中国の大地震の規模の大きさには肝を潰しますね。
 私はしろうとだから、よくは分かりませんが、中国の大地の広さ、人口の多さが、その被害を積算させて、目を覆うばかりの惨憺さです。
 食料や建設物資も大量に必要でしょうが、それらの分配搬送管理等、人員を含めての緻密な計画が事前の用意の何も無い震災の特有な事情下ですから、予想もできない混乱が生じるでしょう。
 そうしたことをテキパキと処理出来るのは日本人の得意の分野だと思います。できればそういう面でも良い応援ができると良いだろうなあ、と思っています。
           *
 それはともかく、日本のクリスチャンたちからの特別な救援体制を立てられると良いなあと思います。
 私たち小さな一教会では具体的には何一つ計画すら立てられませんが、中央の教会諸団体の中から良いプログラムを出してくれるだろうかと期待している所です。
 もし、そうした提案が出ない場合は私ども小さな一教会でも出来ることを模索したいと考えています、皆さんも、良い機会ですから、考えてみませんか。
 まず物というより、お金でしょうね。早速でも救援基金をまとめましょうか。しかもこういう資金は少しでも早く現地に届くようにしなければ価値がありません。
 今日、送られてくるでしょう、キリスト新聞等に、そうした救援呼びかけが具体的に出ているかもしれません。期待しています。諸兄姉もよろしく、そうした情報を見つけてならば、報告下さい。また何をなすべきか、ご提案ください。《く》


キリストは癒し主である(上)

 私が「イエス様によって病気は癒されるはずだ」との信仰を持ったのは、まだ34歳のころであっただろうか。
 単純に「神様に出来ないことがあろうか、特に病気の癒しについては聖書に幾らでもその奇蹟の記事が出ている。また、信じる者にはこれらのしるしがあらわれるとちゃんと生々しく書いてあるではないか」(マルコ16:18)と思ったのである。
           *
 1956年の夏、大阪でイムマヌエル教団の聖会があり、私は初めての教団であったが、興味があったので参加してみた。
 その旅に出かける時、中島という老信徒が、ちょうど二女のせつこがまだ満3歳になっていない頃であったが、猩紅熱風の症状が出ていた。
 それを気にして「せつこさんを置いて先生大丈夫ですか」と心配そうにしていたのを覚えている。
 当時、私は神癒の信仰によって、家族が病気におかされても。病院にも行かず、医者にも見せず、薬も与えていなかった。
 だから中島老人の心配も無理はなかった。先生がおればこそ、お嬢さんの病気に医者にも見せず、薬も与えないでも、まあまあ先生の信仰姿勢に敬意を表して黙って見ているが、先生の留守中にお嬢さんの病気がひどくなったら、どうしようと案じたのであろう。
 しかし私は「大丈夫ですよ」と言って、関西汽船に乗ったものである。
           *
 イムマヌエル教団は蔦田先生という牧師先生の率いる教団で、信仰的に私に近かった。特に神癒を信じる教団だったので、私は親近感を抱いていた。(今はその別府教会が別府市亀川にある)。
 だから、そうしたタイプの聖会だから、その大阪聖会に行っている間、祈祷の時間には私は心置きなく大きな声をあげて、せつこのための癒しを祈ることが出来た。
 そして聖会を終わり、大分に帰ってみたら、せつこの猩紅熱は立派に治っていた。
           *
 その当時の私の神癒信仰は熱烈、絶対、微塵の妥協も無かった。医者にも見せず、薬も飲ませず、だから風邪をひいても風邪薬を飲むわけでなく、怪我をしてもメンソレータムをつけてやるわけではなかった。徹底していた(今はそれほどでない)。
 そして、今のように声も高く「神様、この病気を癒してください」とか「この病気よ、出てゆけ」と、どなりつけるような信仰的処置も知らず、ただ黙って神様の癒しを待っているだけの時であったから、不安を覆い隠すのに苦労した。正直言って怖かった。
 しかし、妻や信徒の手前、必死にその恐怖を押し隠して、信仰を守った。これが、私の神癒信仰のごく初期のころの実態である。
 私には格別の指導者はいなかった。神癒でも何でも来いの手島郁郎先生に出会うのは、その翌年のことである。
 ともあれ、こうして聖書だけが頼り、人間的にはどこにも頼るものが無い。
 こうした神癒信仰をたった一人で守り、推進したことは、今になっても感謝、多少とも誇りを感じるのを主は許してくださると思う。
 また、妻がその私の信仰姿勢に従ってくれたことを、今も感謝している。
 というのは、ちょうど妻が婦人科の疾患を覚えて、医者に行ったらしい。そして「手術を受けねば危ない」と診断を受けたという。
 妻は私に黙って隠れて医者に行ったことを詫びた。そして「手術を受けなさい」と言われたことを告げた。
 私は深刻な思いだった。そして言った。「あんた、私と結婚したことを御旨と思って我慢してくれ。死なねばならぬのなら、申し訳ないが、死んでくれ」と頼んだ。
 妻は納得したが、ただ残る子どものことを思い泣いたという。
           *
 その頃、私はあるビルの一室を借りて集会をしていた。10人ほど集まっていたか。その集会で私は神癒説教もしばしばしていた。それを聞いて、「私にも癒しの祈りをしてくれ」という人が出てくる。
 これも怖かったことの一つである。たとえば、今もよく覚えているのが、K姉である。
 K姉がやってきて、「私、盲腸炎なんです」と言う。
「2人の医師に3べん診て貰ったが、盲腸炎に間違いないと言います。ぜひ手術しなさい、と言うんです。先生、この盲腸炎の癒しのため祈ってください」(次号に続く)

〔あとがき〕
最近、よく癒しや、その他の問い合わせが携帯メールで入る。当教会のメンバーからではなく、国内各地から一般の方々からである。たぶん、みなさんクリスチャンであろう。癒しや霊的な疑問の問い合わせである。私も出来るだけ、答えられることはお答えしているが、最近、心配になってきた。携帯電話でのメールは非常に単純、明快、トントン拍子で会話が終わるが、その問答会話が手軽過ぎるのである。これは携帯メールの特徴であろう。それだけに「癒し」や「霊追い出し」が安易に行われる関係上、あたかも路上の夜店の金魚すくいみたいに聖霊様の働きが不敬虔に扱われる思いがする。神様に申し訳ないと思う。最近、癒しや、その他、祈りについてご希望は手紙にしてください、などと申し上げているのは、その理由である(緊急の場合は別)。ご了解下さい。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-05-20 16:00 | 日岡だより

No.332 今日は聖霊降臨日 ペンテコステの日です 2008.5.11

今日は聖霊降臨日 ペンテコステの日です

 キリスト教において、大切な日がいくつかあります。
 まず、イエス様のご誕生日、クリスマスですね。
 次に、イエス様が十字架にかかられた日、私たち全人類の罪をご自身に背負われて死んで下さった日です。
 それから、イエス様が復活された日、イースター(復活祭)です。イエス様が陰府の力に打ち勝って地上に帰られた日です。
 まだあります。それが今日、ペンテコステの日です。あまり聞き慣れない言葉でしょうか。ペンテコステという日のことは、余り大きな声で語らない教会もありますから。
 しかし、私どもの教会では、クリスマスや復活祭にも勝るくらいに、大きな声でペンテコステの日のことを語りたいのです。
           *
 ペンテコステとは「第五十」という意味です。過ぎ越しの祭り、つまりイエス様の十字架の日から50日目、この日をめがけて神様は、驚くべき恵みの贈りものを私たちにくださったのです。
 それは約束の賜物。ヨハネ14章で、イエス様が語られた「助け主」なる聖霊様が、祈りに祈って待っていた120人のクリスチャンたちのうえに下ったのです。
 嵐のような風の音が天から起こり、家中に響き渡って、炎のようなものが舌の形をして各人の上に降りてきて留まった、と使徒行伝に記されています。
 その瞬間、一同は大きな声でどこの国か分からない異国の国の言葉で語り始めました。これが「異言」の最初の現象です。
 その日から、ペテロをはじめとする、それまで気の弱かった信徒一同、雄々しくなって信仰を大胆に語り、種々の奇蹟を行い、信徒が増し加わり、またたくまに初代教会の礎ができあがったのです。
           *
 今日の日付のキリスト教関係の新聞を読むと、どの新聞も今日のペンテコステについて大々的に記事を載せています。
 しかし、ペンテコステの説明や行事などであって、どこにも、あのエルサレムで起こったような大事件は起こっていません。日本にも世界にも。
 私はこれを残念に思います。今日という日、ペンテコステ記念日として、最初の日のペンテコステの思い出を語り、そして、それだけで終わりやすい。それではツマラナイ。
 私は、今も、この日本で、又この小さな大分の教会でも、同じように目を見はるようなことが起こっても少しも可笑しくないと思うのですが、いかがでしょうか。
           *
 よくリバイバルと言います。リバイバルという言葉は、分かりやすく訳せば、「再来」でしょう。あの2千年前のエルサレムで起こった大聖霊降臨事件が今も再来すれば、それは本当のリバイバルです。
 大きいものではなかったけれども、明治時代に起こった当大分市に起こったリバイバルのことに少しふれましょう。
 今、大分市舞鶴町の昭和通りにデンと建っている日本キリスト教団大分教会は大分市ではプロテスタント教会としては最も大きな教会でしょう。
 歴史も古いのです。今は日本キリスト教団に所属する教会ですが、もともとはアメリカの南部メソジスト系の教会だったと思います。
 私はしばらく、ある事情があって。この教会に寄せて頂いたことがあります。その時の牧師先生は案に相違してバルト神学のコチコチでありまして、がっかりしました。私はメソジスト系の聖潔神学を語る牧師先生を期待していたのです。
 しかし、それはそうとして信徒の皆さんには祈りの姿勢が浸透していて、よく祈っていました。たとえば、教会も県庁やその他の事務所界隈に近かったこともあって、そうした事務所関係の信徒の皆さんが昼の休憩時間に毎日集まって祈り会をしていました。当然なことかしれませんが、それまで祈りの少ない教会にいた私は一驚しましたね。
 ああ、これが伝統というものだな、と思いました。この教会の明治22年に起こった小さなリバイバルは、知る人ぞ知る。かなり有名です。
           *
 東九州の一角の大分市、今でもそれほど重要視されている都市とは思えませんが、特に明治20年代初期、どういうわけかアメリカの南メソジスト教会系の伝道の手が、大分にまで伸びてきた理由を私はよく知りません。
 ともあれ、希有なことですが、伝道の第二年の年末には早くも聖霊の著しい働きが現れるのです。その年の除夜祈祷会でした。感動した会衆はそれぞれ異常な行動を起こします。
 床に倒れたり、ベンチの下に頭を突っ込んだりです。それは私と同姓の釘宮辰生先生ですが、血縁関係はありません。後のメソジスト教会の監督です。
 彼は回想します。「私は感激のあまり、涙を流して神の聖座の前に、戦慄してこの罪人を憐れみ給えと祈り続けた。その時、私は栄光に輝く聖なる愛の神の御前にあることを感じた。あの感激は一生忘れ得ない。自分の罪深きこと、汚れた魂の持ち主であることを思うて、ただ恐れおののいて、この罪人を憐れみたまえと祈った。(略)、集会は涙に満ち、懺悔に満ち、熱情に燃えていた。私の心に『なんじの身を神に捧げよ』という、ささやきを聞いた。私は『全身全生涯を捧げまつる』と祈ったのである。これはまさにあの明治22年12月31日夜のリバイバルの賜物であると申し上げざるを得ないのです」と言っています。
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 そうした霊的雰囲気は当時の大分市の諸教会にもあったのかもしれません。私の父が信仰に目覚めるのは、ずっと遅れて大正に入ってからですが、その回心の様子はやはり尋常ではありません。
 深夜の納屋のなかに独り座して、今までキリスト教の集会に出たこともない、無学な一介の若者が、荒むしろに打ち伏して祈る時、彼は神秘な光に触れます。体がおののき、声も出ません、そういう状況下で彼は声を上げます。
 「キリストの神様あ、あなたは神様です。私の神様です。私を助けてください。」
 大きな大会場にでも、また小さな教会にでも、またたった一人の打ち伏す所にでも、聖霊は臨みます。
 実はこういう時、私は「聖霊」と呼び捨てに出来ません。もったいなくて……。そうです、「聖霊様」です。いいえ、時には「御聖霊様」とお呼びします。
 また2、3人で賛美し祈る小さい集会を重んじたいと思います。「ふたりまたは3人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)とあるとおりです。ここで主が言われる「わたし」とは「御聖霊様」のことだと理解しましょう。
 こうした時、特に思いもかけぬ言葉が口から出ることがあります。そういう時、心配しないで、その口や下の動きを禁じないで任せてみましょう。それが「異言」です。
 聖霊様は目に見えません。手で捕まえることができません。しかし、信仰によって聖霊様の働きを知るのです。聖書には「聖霊によらなければイエスを主と呼ぶことは出来ない」とあります。また、最初イエス様による救いの経験をする時、「これは聖霊だ、これは聖霊だ、聖霊の働きだ」と叫ばずには居られません。しかも聖霊そのものを掴えることも見ることも出来ません。
 しかし、異言の現象をわが口に経験するとき、初めてこれは聖霊だ、聖霊様の働きだと証明できることを感じます。聖霊の働きを現象面で確認出来たことを感じます。このように聖霊の働きを見聞きできる形で表出できるところに異言の特徴があるように思います。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-05-13 16:13 | 日岡だより

No.331 老齢化と少子化の問題 2008.5.4

老齢化と少子化の問題

 この日本という国を支えるのは、天皇様でも福田内閣でも、自衛隊でもない。我々日本人であります。 そこで、今の日本人を見ると、非常に不安になります。一応、総人口は1億2700万と覚えていますが、頭はいいし、健康です。ユーモアもあるし、勉強好きです。勤勉です。他の国々の国民に比べると優秀だと思います。
 しかし、私は不安を覚えるのです。それは我々国民の数のことです。この国民の老齢化と小子化です。このままでは日本民族は老齢化と小子化で自然消滅するのではないか。
 この不安は、あながち杞憂とは申せません。本当の愛国者なら、真剣に考えるべきことです。
           *
 ここで、もう一つ私の真剣に言いたいことは、私どもの教会のことです。日本中のキリスト教会にあてはめられることかも知れません。
 私どもの教会の毎週の主日礼拝の出席状況を見る時、その「老齢化と小子化」に心配しないではおれません、いかがでしょう。これは大変な問題です。
 牧師としての私自身の86歳という高齢さが影響しているのでしょうか、並び居るみなさんも続々と年配者の顔ぶれです。そして若い人、またお子さんが殆どいない。これでは年月がたつと、この教会はつぶれてしまいます。これは極論でしょうか。
 敢えて申し上げるならば、私ども自身、教会の礼拝や、その他の諸行事への、ご自分の家族や、特にお子さんがたに対する案内や誘いが、鈍いのではないか、あるいは皆無なのではないかと心配するのです。「信仰は自由です」などという自由主義的悪魔の言葉に操られていませんか。ここでお互い反省しましょう。《く》


自制心の強化と発展

 クリスチャンの徳のなかで案外見落されやすいけれど、しかもとても大事なものだと指摘したいのが「自制心」です。冒頭の徳という言葉は、聖書の中では新約聖書にだけ出てくる「アレテー」という言葉です。希和辞典には「卓絶した道徳的力」とあり、W・バークレーは「神と人間とにたいする奉仕の実際的力、またそれを行う勇気」と説明しています。
 聖書では、これを聖霊の実の一つとしてあげています。ガラテヤ5:23にその徳、つまりクリスチャンの品性の一つとしています。その最後にありますが、それは最も重要な徳目だということです。
          *
 ある高名な聖書事典を開いて、その事典で「自制」という所を開きましたら、→印で「禁欲を見よ」とあります。つまり、自制と禁欲とは同意義と認めているようです。私はがっかりしました。
 本当にそうなのでしょうか。私は禁欲は自制の一部ではあるが、自制そのものではない、自制は禁欲をはるかに超えた徳だと思うのです。
 しかし、この事典では、自制とは、タバコを止め、酒を止め、ダンスをしない、テレビを見ない、美食をつつしむ、性欲もつつしむ、そういう修道院の生活のように思っているのだろうと思います。
 たしかに、自制にはそのような消極的な面もあります。暴走しやすい肉的な思いや言葉や行動を制御することは大切なことです。しかし、それだけでは自制とは単なる行為的律法の一つにすぎないということになります。
          *
 自制とはもっと積極的な英雄的徳です。人間の本能的な欲望、感情の動き、行動の一切を、自己の思うとおりに支配して、その向かう方向を自在に自己の意志できめる力です。
 外面的行動や行為を自分の思うままに制御することは、あるいは強固な意志力なら可能でしょう。しかし感情の受動的即時発現性や、本能的食欲や性欲の勃発性など、これは私たちの単なる意志力では、その外面な言葉や行為を覆い隠すことはできても、その内面的心の動きを「抑える」ことはできないのです。
 「抑える」ということは、明らかに「禁欲」的意志力です。「自制」というのはそれと違うのです。「自制」というのは「禁じ、束縛する」のではなく、本能や感情が自発的に働いて、それがおのずから正しい方向に動き、悪いほうに働かないようにする力、自己推進力です。
          *
 説明します。たとえば、タバコを止めようとします。それは、それぞれ本人の嗜好ですから、無理に止めようとするのは、大いに困難です。そこで決心した本人が、厳しく厳しく自己抑制して、禁煙を忍耐して持続し、やっと成功する、そういう人はごく少数です。その方々は本当に称賛すべき英雄的な人たちですが、多くの人たちにとっては不可能なのです。それでも、僅か少数の人は成功します。
 以上のような場合、別の信仰的方法として、神様に祈って具体的にタバコを止める力を神様に求め、それを神様に委ねた上で、自己の意志力の強化、それを発動する力が与えられることを信じ、かつ言葉の力を補助的に使って、「私はタバコを止める。私はそれが出来る」と何度も声高に宣言するのです。この方法は必ず実現可能です。
 非常にいじめられたり、非道な仕打ちを受けた相手にたいする深い憎しみや復讐の心を愛に変えること、これもいわゆる努力や忍耐や抑制では不可能です。その憎しみを忘れたことにして、そっと放っておいても、時折ふと思い出したり、当の相手が目のまえに現われたりすると、もう内心穏やかでありません。それを悪いことだと思って、その心を覆い隠すことは出来ますが、それは偽善にすぎないのです。
 本当に、マグマが地殻の下から噴きあげてくるような本能的悪徳の思いがあるものです。特に青年期の男性諸君の性的誘惑にたいしては、普通「戦うな、逃げよ」と言うほかはないのです。こういう時、本当に聖霊の実(ガラテヤ5:23)としての自制の力が必要です。特に既婚者に対しては、神様よりの賜物としての独身の霊性を必要とします(第一コリント7:7参考)。
          *
 自制心とはこういうことです。たとえばイエス様を見ていると、愛に富んで居られるけれども、弟子やパリサイ人たちに怒るときは何のこだわりもなく怒っているようです。愛のお方ではあるけれど、怒るべきことがあるから表面だけ芝居で怒っているというのではありません。イエス様は本気で怒っているのです。そうです。いつも嘘いつわりなく、偽善でもなく、正直に本気で泣いたり、怒ったり、笑ったり、しているのです。
 つまり、本心の意志で嬉しい時に喜び、悲しい時に泣き、腹がたつ時に憤るのです。いつも自由です。本心ありのままに、本心のままの意志による統制力で感情を動かしています。意志が感情の上位に立ちます。これは普通の心理学の否定するところですが。
 「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦婬したのです」(マタイ5:28)と仰せられたイエス様は、世の男性の性欲の在りようを、よく知っておられることに驚きます。イエス様ご自身に性欲がおありだったからです。しかもイエス様はそれをしっかりと自在に統制なさって罪の心を微塵も抱かれなかったのです。私たちには見当もつかないイエス様の心的内容です。しかし、自制心というのは、そういうことです。
 私たちに、イエス様ほど完全にそのような自制心を持ち得るとは言いません。しかし、もし私たちが聖霊様にそのことを求め、聖霊様に完全に支配され、また自ずから自分の意志に命令し、言い聞かせるとき、そのことは成就すると私は信じています。《く》

〔あとがき〕
以上は、拡大宣教学院機関誌「マグニファイ」1996年6月15日号に掲載した小生の旧稿です。多分に修正しましたが、今から見ると、まだまだ粗雑な文章です。意のあるところはご理解いただけると思いますが、クリスチャンの聖化論の一部として興味を持っていただけるのではないでしょうか。是非、先生がたのご教示も頂きたく存じています。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-05-06 13:29 | 日岡だより