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No.325 主の復活祭を謳歌しよう 2008.3.23

主の復活祭を謳歌しよう

 今日は教会暦では「復活祭」です。復活節と呼ぶのが一般的かも知れませんが、私は復活祭と呼びたいのです。(イースターという呼びかたは、私たちの耳には聞き慣れていまして、捨てがたい音調がありますが、その語源を調べると、古いヨーロッパの民間信仰による「春の女神」の名から派生したのだと言われている、どうも好ましくないとおっしゃる方もいます)。
 私の伯父、釘宮徳太郎は挑戦的(?)クリスチャンでした。住まいも本家の離れに上から見下ろすと十字形になっているような隠居宅を作りました。まだ五十歳を越えたばかりの時でしたが、家業は甥に任せて伝道一本に生きようとしたのです。
 それまでは大分県では名の知れた実業家でしたから、世間の人には奇異に見えたことでしょう。ともかく、彼が建てたその家に大きな表札を出しました、大分聖書研究会というのですが、実際の通称は「復活社」です。実は彼の発行していた月刊誌の名前が「復活」だったのです。
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 今、私の手元にこの伯父が出していた月刊伝道誌がありますが、一番古いのが「糧の友」です。次が「十字架の光」です。最後が「復活」です。そして昭和11年2月27日に天に帰りました。57歳でした。(今の時代なれば、まだ若いという年配ですが、当時としては、惜しいとは思えても、まあまあ長生きされたなあという感じでした)。
 ところで、その2月27日は、いわゆる二・二六事件の翌日なんです。東京の伯父の友人たちの間では、大分でも東京と同じような青年将校たちの決起事件が起こって、その血祭りに釘宮さんは上げられたのでないか、心配されたそうです。しょっちゅう非戦論を書いてその個人雑誌が発行禁止になっていたような伯父でしたからね。
 伯父が個人雑誌を出していた、それぞれの年代の雑誌名に、伯父の意識の時代的区分が見えて面白いのです。「糧の友」を出している時は、彼が大分市直営の公設市場というマートの場長でした。彼としては珍しい自治体の公務員をしていた時です。ですから、日用のお米や魚や野菜の店舗がズラリと並んでいる市場の2階の事務室に伯父はいました。
 そこで出店している食糧品店主たちへの指導と伝道教育のための雑誌を出していたわけです。そこで、雑誌の名が「糧の友」です。
 さて、真理に固く立って、世の力と妥協しない伯父の立場はしばしば危なつかしくなります。この公設市場の場長の席は、当時の市会議員のいっせい攻撃にあって追われます。もっとも、その追い出した時の名目の退職金で、前記の十字架形の家を建てたわけです。(ちょうど、私がかつて参画していた共同経営の会社から追い出された時、貰った退職金がそっくりそのまま今の教会の会建築資金になったというのに似ています)。
 そこで、伯父は彼の個人雑誌の名を「十字架の光」と変えたわけです。十字架を負って追い出されたのですから。その時の彼の人生の節目に、ふさわしい雑誌の名だったのでした。
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 しかし、この雑誌の名「十字架の光」は、すぐに変わります。「復活」と言うのです。先に書いた十字架形の家は小高い丘の中腹にあって、周辺の、民家からは丸見えであった。それも、その伯父の家が窓を開くと、中で歌っている賛美歌の声や、また当時としては珍しい電気蓄音機(デンチクという)で賛美歌のレコードをかけると、その音声が辺り中に響く。景気がいいのである。豪勢である。
 職業のかたわらの伝道ではない。伝道を真正面に打ち出しての、しかし牧師ではない、しろうと伝道者である。
 クリスマスには近所の子どもたちを集めて、クリスマス会である。お菓子を配る。そして大事なことだが、復活節の日にも、お菓子を配るが、それは特製の押し菓子で、ちゃんと「復活」と大きい文字が浮き出ている。これが伯父の信仰でした。
 最初の雑誌の名は、「糧の友」でしたが、それはつまり糧(かて)→み言葉の友だということです。内村先生に傾倒していた伯父に取り、最大の大事なものは聖書のみ言葉でした。だから「我らは命の糧なる御言の友なるぞ」というアッピールなのです。
 次に出された雑誌の名は「十字架の光」です。信仰はこれのみ、「十字架」以外に信仰は無いという、この時代がしばらく続く。深刻な十字架の体験を通して、キリッとした信仰の持ち主だった私の父に導かれた伯父は、まず「十字架信仰」に密着したかったのだと思われます。
 しかし、積極性に富んだ伯父の性格は、次第に陽気な信仰に転換して行ったと推測できる。近所の子どもを集めて、お菓子をくばり、イエス様のお話しを聞かせ、そして賛美を歌う。(この時、伯父の妻である千代伯母さんの助力は大きかった)。
 その次の、最後の雑誌が「復活」である。晩年の伯父の対社会的活動の時代が続く。地方の自治体や商工会の会合に行って、この伯父の演説が四時間も続いても終わらなかった、などと新聞記事になったことがある。田舎の地方に行って、講演か演説が知らぬが、ともかく四、五時間しゃべって聴衆を飽かせない話力があった、敢えて言うが、話術ではない。話力である。
 これは内から湧き出し、噴き上げ、周囲を圧倒する聖霊の力に他ならない。これを私は今回は名づけて言いたい。「復活の力」であると。
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 今日は、復活祭。祭りである。前記の私の伯父はクリスマスよりも、復活祭を大事にした。クリスマスも勿論大事である。しかし、主の降誕に勝って、主の復活はすばらしい。私どもの信仰にとって、復活の信仰は大事であるというのである。
 残念ながら、私たちの信仰はしばしば、落ち込む。絶対に落ち込んだことが無いという人は、この世にまずないだろう。人はだれでも、時おり、いやしばしば、落ち込む。そうした私たちを救うものは、復活の力である。私たちの自力ではない。聖霊の力である。だから、実は私どもの信仰の経過として、復活の信仰を踏まえて、ペンテコステ(聖霊降臨)の信仰が待たれる理由である。
 聖書によると、イエス様はご復活の後、40日間弟子たちと共に居られて「神の国のことや、ご自分の生きて居られることを数多くの確かな証拠をもって語られた」、とあります。(使徒行伝1:3)
 そして遂にイエス様は雲に迎えられて、天に上げれます。弟子たちは歓呼してイエス様を見送りながらも、主が現に去って行かれた淋しさは覆うべくもなかったでしょう。
 しかし、それから10日たちます。彼らは改めて主を想起して主の証人となりたいと、心を燃やします。淋しいなどと言っておれません。彼らは日夜、「一緒に集まった」のです。(集まるということには特別の力学が働いているようです。私は時おり、空で雲が塊を造って流れてゆくのを見ます。そこに、一種の集合力学があると思うのですが、ともあれ聖霊による特別な集合力学があるのです)。
 主の昇天後の弟子たちが共に集まり、共に祈り、そしてペンテコステ(聖霊降臨)の日を迎えますが、その日こそ、キリスト教会の誕生の日だと、神学者の方々は言います。
 ここで、まず訴えたい。イエス様のご復活は、教会誕生の基礎である。そして、聖霊降臨が来る。これが教会の誕生です。私たちは、この2つの日を大いに歓びたいのです。ともあれ、
 今日は復活日。まずイエス様のご復活をワッハッハハと祝いましょう。かつて、昔のイギリスでしたか、復活祭の朝、教会のメンバーが集まって近くの山に登り、朝日を迎えながら、大いに笑ったものだそうです。この事を私は、いつぞや初めて知って、真似しました。近くの山に行って、呵々大笑したものです、「ワッハッハハ」。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-03-25 15:45 | 日岡だより

No.324 自然治癒力か、自己治癒力か、神の治癒力か 2008.3.16

自然治癒力か、自己治癒力か、神の治癒力か

   一、自 然 治 癒 力

 初め、神様が天と地を造られました。第一日から第六日までに、光や空や植物や太陽や月や、そして海や地上の多くの生物を造られました。最後に人を造られました。
 そこで神様は、すべてのものを見られて、「それは、はなはだ良かった」と仰せになったと聖書にあります。更に聖書の記事はこう続きます。
 「神様は第七日目には創造のわざをやめ、休まれた」というのです。どういうことでしょうか。
 それは、つまり造られたもののすべてが完全であると認められたので、造られたもののすべては自律的に、自分で存在し、自分で活動し、その種の範囲において自ら進化もする、そういう自動装置を神様が、おつけになったということです。
 ですから、生物すべては傷や病気を受けたとき、自分の中にある自律システムで治癒を行う、これが自然治癒力です。
 この力は生物全部に備わっています。もちろん人間にも十分備わっています。昔から、賢い医者は言ったものです。「怪我や病気を治すのは皆さんの体の中にある自然治癒力ですよ。私たち医者はその加勢をするにすぎません。薬を飲ませたり、手術をしたりします。しかしその病気や傷を癒すのは自然治癒力です。信仰をお持ちの人はそれを神様の力というでしょうがね」などと。
 この力は万人に平等です。善人にも悪人にも平等に働きます。ちょうど、太陽の光と熱が、また雨や風が、善人にも悪人にも平等に与えられるようにです(マタイ5:45参照)。
 しかし、ちょっと注意を要する点があります。一般の動物と違って、人間にはどうもその自然治癒力の働きに差があるのです。人によって、その自然治癒力の働きに差があるようです。なぜでしょうか。
 人の場合、その人自身の思考の傾向、態度、心構え、そういったものによって治癒の経過に差が出るので、気分の明るい人、積極思考の人は病気が早く治り、神経質な人、消極的な人、愚痴の多い人は治りが遅い。こういう傾向がありますね。

   二、自 己 治 癒 力

 ここにある人間だけに起る治癒力の較差の問題。それは人間の意識の持ち方しだいで病気は早く治りもするし、その逆もあるということです。ここに目を留めたのが、先年から知られて来た「脳内革命」や「快癒力」等の本です。
 かつてノーマン・カズンズというアメリカの著名な編集者が頑固な膠原病になったとき、寄席や喜劇のビデオを買い込んでベッドに持ちこみました。そして、それを朝から晩まで見て腹を抱えて笑ったそうです。そうしたら難病の膠原病が医師の見通しの3分の1の期間で治癒したといいます。20年ほど前の話です。
 生長の家の信者さんで、癌にかかった人がいました。その人が生長の家の教えにしたがって、すべてのことに「感謝します。感謝します」、と生活しているうちに、その癌がいっぺんに治ってしまったという事実がありました。この事例を、心療内科創始者の池見酉次郎先生がしばしば取り上げたものです。
 ここ10年来、私が「笑いましょう、笑いましょう」というのも、正直に言って生長の家の谷口雅春先生の真似だと言えます。
 ここで分かるのは、自分の意志で、自分の心を働かせて、自然治癒力を倍増させることが出来るということです。(学問的に言えば、脳の中のエンドルフィンをたくさん放出させればよいのです)。つまり、私たちの意識を明るく楽しい方向に変えて行こう、ということに尽きます。
 私は先年、キャロル・ハーシュバという人と、マーク・イーアン・バリシュという人の共著の「癌が消えた」という本を見つけて買いました。
 この本のサブ・タイトルに「驚くべき自己治癒力」とありました。実は私はこの時はじめて、自己治癒力という言葉にお目にかかりました。自然治癒力ではなくて、人間が自己の力で思考の方向をきめ、心構えを変える事によって、病が治癒に向かうと言うのです。
 これは実は、理屈はともかく、宗教的な、また修養的指導者たちが様々に、これまでもずっと奨励してきた方法ではありませんか。

   三、心を変える方法について

 前記で、「思考の方向をきめ、心構えを変える」などと書きましたが、これが多くの人にとって大変むつかしい、と誤解されています。そういうことは、固い決心や、きびしい修業や、神秘的回心経験などを経て、やっと可能なのだと思われています。
 キリスト教でも徹夜の祈りとか、断食祈祷とかが奨励されます。たしかに徹夜の祈りや断食祈祷はすばらしいことです。良いことです。しかし、これを病気の癒しのためにマニュアル化することについては私はやや懸念します。
 「心の方向転換」の方法自体にはもっと容易な道があると思います。病気の癒しだけに限りません。他のことの為にも、たとえば、子どもの登校拒否をなおす、夫婦関係の危機を癒す、憎らしい人を赦す、性格を変える、経営を繁栄させる、落選議員さんの元気回復。かつてもカーターさんのように大統領再選を失敗したが、その後、平和構築に国際的手腕を発揮したようにです。
 こういうくじけない心構えをどうしたら獲得できるか。やはり信仰の力です。主の十字架のあがないによるキリスト教の基礎的信仰を与えられたら、次には自己啓発の力の信仰を持ってもらいたいのです。この力の信仰を得るには「口に言い表す言葉の力」による方法が一番やさしくて、確実だと、私は思っています。私の経験でも、また、最も多くの人が体験できた普遍的方法です。

   四、神 の 治 癒 力

 一応「病気の癒し」だけにしぼって述べてみましょうか。
 実は自然治癒力も、自己治癒力も、神の治癒力の中に包容されて当然なことであります。ただし、次の秩序を知ってください。神の治癒力が、まず基礎であり、その上に他の自然治癒力や、自己治癒力が成り立つのです。
 最近、人気のある中村天風さん。この方はインドの聖者のところに行って覚醒したそうですが、そのとき以来、この方は「造物主」という言葉を覚えられたようです。これはすばらしいことです。日本の八百万の神様と言うより余程良い。しかし、その後にも、「自然治癒力、自然治癒力」とおっしゃる。これが残念。
 どう見ても、中村天風さんのいう造物主は、宇宙の意志、天地の法則というのと、さして違いません。その宇宙の意志、天地の法則に従って自己革命すると、自然治癒力を豊かに自分のものにすることが出来るというのです。こうした一連の言葉使いにはやや不満ですが、しかし、この方の提唱に、私たちクリスチャンも学ぶべきことが大いにあると思います。
 私たちクリスチャンも天風さんと似た方法で、自分の努力しだいで自己の意思を変え、心構えを変え、神様の生命法則ないし神様の御心に従って、私たち自身に、私たちの周りに奇蹟を起すことができるのです。
 この事をあまりにも多くのクリスチャンが知りません。知っていても、それを私には出来ないことだと諦めています。もっと別な言い方をする人もいます。「そんな奇蹟めいたことを期待するのは、新興宗教なみの卑賎な宗教です、我々はそんな下等な信仰は軽蔑します」などと。私は決してそう思いません。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-03-18 14:27 | 日岡だより

No.323 あなたがたの新田を耕せ 2008.3.9

あなたがたの新田を耕せ

 「あなたがたの新田を耕せ」という言葉は、聖書に2回しか出てきません。それはエレミヤ記4:3とホセア書10:12であります。たった2か所しか出てきませんが、しかし、非常に印象深いみ言葉であります。
 新田とは、広辞苑を引いてみますと「新たに開墾した田地」とあります。日本では、それでよいのですが、旧約聖書の言葉としては、ちょっと問題があります。細か過ぎる詮索ですが、聖書の世界、イスラエルには「田んぼ」はありませんよね。あるのは畑か、牧草地です。(田んぼとは稲を飢える土地ですからね)。
 だから開墾地と訳すほうが、良いのではなかと思います。荒れ地や、森林を切り払って、新しい畑地や、牧草地を造る。それが多分イスラエルにおける開墾でありましょう。
 その開墾地に改めて鋤を入れ、耕し、そして小麦や野菜や牧草の種を蒔け、というのです。
          *
 ここで聖書の教えたいことは、人の心に新田を開けということでありましょう。神様の前に出て過去の罪を悔い改め、神の子として新生活を始めたい。
 そうした新しい思いに燃えて、生き生きしているその心に、神の言葉の鋤を入れよう。それが魂を耕すということではないでしょうか。
 スッキリと標準的回心をなされた魂には、尚更のこと、的確な畑地作りと、田んぼならば潅漑等の設計と用意が必要です。そして、
 収穫を目指しての種蒔きです。つまり新生したクリスチャンこそ、み言葉と聖霊の潅漑による全き成育を期待されている新田だということです。《く》


好地由太郎、獄中三十年の男

 好地由太郎、なかなか良い名前ですが、名前に比して幼年時代から悲惨でした。生まれは千葉県は今の木更津市、その年は慶応元年、3年して明治です。
 10歳のとき、父親が出奔、残された母子2人は物置き小屋に住む貧乏さ。それも僅かの間、すぐに母親が死んで孤児になる。親の借金のかたに貸し主の家に引き取られ、奴隷のようにこきつかわれます。
 こういう境遇ですから、悪い道に陥るのも無理はないと同情はできますが、ともかく、ついに東京に家出します。
 そして、しばらくいろいろあって、明治15年、日本橋のある小さな店に雇われることになります。それが悪業の発端。
 彼は欲情にかられて、その店の女主人を暴行の上、殺して金を盗み、火をつけて「火事だあ、火事だあ」と騒ぎたてたわけですが、状況証拠がそろっている。
 本来なら死刑のところ、成年前ということで無期懲役という判決で以後、長い牢獄生活を送るのです。そして、しばしば牢獄生活は人を更に悪くすることが多いのです。
 私は戦時中、たった1年の刑期でしたが、初めの3か月、誤って一般の雑居房に入れられました。その後、厳正独居に代わったのですが、一般の雑居の面白さはちょっと世間では味わえません。
 雑居房には囚人が6人か10人程度いっしょに寝起きしますが、昼は労役に各工場や農場に出て行く。夜、帰ってくると、そこが各自の悪行数々の自慢話、聞く皆には格好いい参考咄です。
 そこで、「よし、今度ここを出たら、この先輩たちの経験を習って、もっと味のある窃盗か詐欺をやるか」と腹をきめるわけです。ですから、多くはもっと悪い意志を持って出て来るのです。
 まして、この好地由太郎、気が荒くて、良い意味じゃないが根性がある。すさみきって、看守たちにも反抗に反抗をかさね、時には脱獄しかねまじき勢いである。
 そういう彼が、ある時キリスト教に入信します。そのいきさつは後日に廻しますが、それから打って変わった人生を始めます。
 そして恩赦により無期懲役のはずを30年で出所できたわけです。彼は慶応元年の生まれ、昭和の初年に天に召されたと聞きます。そうした彼の人生の一端を、以下に紹介します。
 大正年間、大阪か神戸あたりでのことらしいのですが、もちろん彼が既に監獄を出所後のことです。彼の思い出です。
          *
 一人の中学校教師が、肺病ですでに危篤が迫って居るところを訪問しました。彼は大のヤソ嫌いで、最初の一度だけは会いましたが、その後はどうしても会おうとしません。
 私はある日、城山に上って、彼の住まいを見下ろしながら一心に祈りました。それから、山を下りて、案内も乞わないで奥の部屋に回って見ますと、彼は大喀血をしてつかれ切った様子で眠っていました。
 私は静かに彼の枕元に座って祈っていました。やがて彼は目を覚まして、私を見て腹を立てました。
 「貴様は非常識もはなはだしい。誰の許しもなく
 入って来るとは何事だ。家宅侵入罪だぞ。はやく
 出てゆけっ」。
 起き上がろうとして、また大喀血をしました。私は急いで洗面器を持って近づきましたが、彼は受けつけません。
 私の目には同情の涙があふれ、思わず洗面器にあった血痰(結核菌の混じった血液と痰)を一飲みに飲んでしまおうとして、これを口元まで持って行きました。
 すると今まで、半身さえも起きることが出来なかったのに、急に飛び起きて私を抱き止め、涙にむせびながら言いました。
 「神の愛が分かりました」。
 それから私ども二人は、そこにひれ伏して祈りました。
          *
 こうした一見、非常識なこと、黙って他家にはいって病人を怒らせたり、血痰を飲もうとしたり、まさにこの方の無類の信仰のなせるわざです。
 気ままな気分でこれを真似してはなりませんが、彼のこういう信仰はしばしば奇蹟的結果を起したのです。こんなことがありました。
 彼がまだ監獄(当時はまだ刑務所と言わず監獄と称された時代です)にいた頃、病気の囚人を看護する看護夫になったことがあります。
 ある一人の囚人が結核で梅毒です。おしっこが出なくなりました。どんな器械を使っても出ません、医者もさじを投げました。
 病人は「なんとかしてくれ」と手を合わせて看護の彼に頼みます。彼は祈りました。
 「死ぬも主のため、生きるも主のため、決して命
 は惜しみません、ぜひこの病人を救ってください」
 そして口をあてて吸いだすと、なんと膿を含んだおしっこが出始めました。吸っては吐き、吸っては吐きで1リットルにもなったそうです。そして、この病人は回復しました。
 このような命がけの奉仕精神というよりも、おしっこでも飲むような下座奉仕の精神にはもう、語るべき言葉を失います。
 いかなる人も、イエス様による聖霊の愛に裏打ちされなければ、こんなことが出来るわけがありません。「神は愛です」。《く》

〔大事なあとがき〕
中川健一先生が「勝利主義を警戒せよ」という小論を書いていました。言い替えれば「成功主義を警戒せよ」とでも言いましょうか。戦前ではまだノーマン・ヴィンセント・ピールあたりの「成功の法則」のような本はキリスト教世界で異質でした。しかし、1976年、天城山荘でのチョウ・ヨンギ先生の講演以来、日本の教会でも俄然、人気が出て来ました。韓国のキリスト教成長の一役をかったと言われています「繁栄の神学」の走り(?)だったとも言われています。私は既に手島先生のもとで、似たタイプの教えを受けていましたから、深入りはしませんでしたが。この教えの欠点は、信仰の名において世俗的幸福追及に流れやすく、そして「十字架の福音」を、ないがしろにしやすい所です。世の不成功を恐れてはなりません。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-03-11 10:24 | 日岡だより

No.322 信仰の言葉を口に出して唱えましょう 2008.3.2

信仰の言葉を口に出して唱えましょう

 ここ数年、「感謝します」、「ありがとう」と口にする習慣をつけると、運が向いてくる。幸福になる、という人生哲学の声をよく聞くようになりました。これは事実、本当であり、また正しいのです。
 だからと言って、聖書の水準から言うと、少々批判を必要とします。いいえ、うっかりすると、信仰の重要点で道を誤る危険性もあり、注意が必要です。
 人生は唯々幸福であればよいというわけで、そういう幸福哲学は昔からあったわけです。それを高度に作り上げた名品は生長の家です。この教えの源流はアメリカに生まれた人生肯定・生活再建のアメリカらしい明るい哲学です。そのことは谷口雅春先生の自伝に正直に書かれています。
 戦前、私の母は当時の新聞一頁広告の生長の家の宣伝を見て、「これはよい、キリスト教そっくりだ」と感心したものです。まだ小学生だった私が反対して、「母ちゃん、違うよ。この宗教には十字架が無いよ」と言ったら、母はビックリして、「お前は偉いねえ」と感心していました。

 生長の家を始めとして、創価学会等、日本の近年の市民宗教は「家庭人や市民、職業人としての生き方、考え方講習会」です、それに大なり小なりの日本的スピリチャリズム、祖先崇拝等を加えます。
 こうしたゴチャマゼの教義の上に、実践面として言葉の力を高唱します。生長の家では日常生活での言葉の使い方、創価学会ではお題目をガンガン唱え上げて心理強化です。
 私は、これらを茶化したり批判する気持ちは毛頭ありません。それなりに正しいのです。たとえば、先ほどの「感謝します」の活用を例にとりますと、生長の家では、そのごく初期、戦前に既に、「感謝します、感謝します」と言い続けているうちに、当時では不治の病であった肺結核がケロリと治ったなど、奇蹟的な結果を生まれたものです。
 そして、明るく生きましょうと言うわけで、天理教では「陽気ぐらし」を高調しましたが、事実「陽気ぐらし」で病気の貧乏も蹴とばして幸福に生きた信者さんは多かったのです。
 しかし、先に私が母に言ったという、「あの人たちの宗教には十字架が無い」ということは、何を示すでしょうか。

 人間はだれでも、自分が悪い人間だと知っています。「いいや、わしは悪くない」とか、「みんなもしているんや」などと、言い訳をしてみても、それはみんなウソだということは自分で知っています。ただ黙っているだけです。
 「人間はなぜ、苦しまねばならないのか、これは人類の歴史と共に古い問題だ」とカントはその宗教哲学の序文で言いました。しかし、私はあえて言います。「人間が悪を犯すこと、これこそ更に古い問題である」と。
 聖書に従えば、こう言えます。「人間は初め、神の命令に背いた。その時より、人の心に罪が宿った。それ以後、人間は悪を犯さざるを得ない存在になったのである」と。さらに聖書は告げる。
 人類はアダムの罪以来、呪いの下にある。ここに人間の苦難の源がある。その原因は神に対する背きである。人は言うかも知れない。「そのエデンの園の物語は無知の人を言いくるめる古代の宗教家たちが造りあげた子どもだましの物語である」と。
 しかし、人はだれでも知っている。我々の自分の行為は悪いが、心はさらに悪い。なぜ、こんなに悪い心が起るのか、簡単には理解できないが、とにかくそれは我々人間の存在そのものにくっついて生まれて来るものらしい。
 それならば、自分に責任がないのかというと、どうもそうではない。だれでも自分の罪や悪には責任を感じる。それは、先験的(生まれる前から持っている本能的)な感覚らしい。
 たとい意図的でなくて、過失によって人を殺したとしても、だれでも「私が悪かった」と罪を感じて苦しむのではないか。これを感じないという人は、自分で自分に嘘をついているだけのことだ。
まして、母親が誤って子どもを火中に取り落して死に至らしめたとき、「お母ちゃんが悪かった、坊や、赦して」と泣かぬ親はあるまい。こうしてみると、罪意識は人類の根源的自覚である。

 自分で修養し、修行し、善行をして、自分を守って行けば、人格も完成して、老人になるまでには、なんとかなると考えている人もいる。しかし、それはまったくのごまかしであって、不可能であろうことは自分でもよく分かっている。
 お釈迦さんや孔子さんは、その人格の完成度まで修業し悟ったのではなかったかと言う人もあろうが、そのことは今回は考慮に入れないことにする。(考慮に入れたところで、目下のところ我々通常の人間の参考にはならないから)。
 人間が、どこまで、聖い人になれるか、向上できるか。完全に、それができるものか。それは、どうも不可能らしい。人間はその犯す愚かな罪や汚れから、どうしたら脱出できるか。この問題に血みどろになるまで考え尽くしてゆくと、魂は遂には蟻地獄か、無間地獄に落ち込んでしまうのである。
 日本のすぐれた宗教家、法然や親鸞はそこにぶち当たった人だったと思う。「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし(難しい)、虚假不実のわが身にて、清浄の心もさらになし、悪性さらにやめがたし、心は蛇蠍(へびやそり)のごとくなり」、と親鸞さんは述懐している(親鸞和賛より)。
 だから親鸞は言う、「いずれの行も及び難き身なれば」、「よき人(師の法然のこと)の仰せ被りて信ずるほかは別の子細(わけ)なきなり」ということになる(いずれも歎異鈔より)。
 蓮如の十四代の子孫である亀谷凌雲さんは真宗王国北陸の寺の跡継ぎでありながら、クリスチャンとなり、あまつさえその故郷で牧師になった人だ。
 この方は仏教を愛し、尊敬した。しかし、ご本尊たるべき阿弥陀如来の実在がさだかでない。阿弥陀如来はどこか、追及しているうちに聖書にぶっつかった。そして初めて本当のご本尊、その実体はイエス・キリスト様であることを発見した。凌雲先生はこう言っている。「仏教は尊い真理の影、本体はキリストにありと翻然として、私は目覚めた」と。

 人の罪を解決してくださる方はイエス・キリスト様しかいない。イエス様は端的に言えば、神様ご自身である。この方が、人類の罪のために身代わりとなって死の呪いを受け、十字架の上で死んでくださった。そこで私たちの罪は基本的に消える。
そして、この方を信じるだけで、その消罪の事実が私に実現する。更にイエス様は、墓の中からよみがえり、死に打ち勝ちたもうて栄光の生命を私たちに約束された。この命の力こそ、私たちをあらゆる悪魔の誘惑、攻撃から護ってくださる力である。
 しかも、このイエス様は天に帰り、父なる神の権威をまとって天と地とを統べ治められる。また地上に聖霊を送って信者たちを力づけ、品性をととのえてくださり、そして新天新地を用意して再び地上に来て下さる。
 私たちは、この方を信じるほかはない。天の下に私たちを救い得る名はイエス様しかない。この方を「主よ!」とお呼びしよう。そして「私のうちにお出でになって下さい」とお呼びかけしよう。
 これを、口に出して言おう。これが私たちの信仰の究極的実践方法です。すべての善行にまさる信仰の実践です。
 これが「信仰の告白」です。多くの場合、「告白」とは「罪の告白」ですが、本当に一番大事な告白は「信仰の告白」です。つまり信仰の言葉を口に出してはっきり言うのです。もう一度言いなおすと、信仰というより「信念」の言葉を口に出して唱えよ、と言いたい。そうしたら、強固なる「信念」を持った信仰の人になるのですよ。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-03-04 12:14 | 日岡だより