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No.321 一羽のすずめ 2008.2.24

一羽のすずめ

 第二次世界大戦のただ中、ロンドンのある家庭で飼われていた不思議な一羽のすずめ、いつも主人の聖書の、ある頁をくちばしで開いて、つついていたそうです。
 いつも決まった個所でした。果たしてどこだったでしょう。

  一、信仰とはイエス様とのデイトである

 時々、イエス様は群衆に背を向けることがあります。ルカによる福音書第12章1節を見ると、群衆が足を踏み合うように群がって来ているのにイエス様は群衆に構わず、弟子たちにむかって語り始めます。弟子たちとは、この際「小さい群れ」(ルカ12:32)にほかなりません。たしかにイエス様は多数よりも少数に注目されました。
いや、それ以上にイエス様は、聖書を読むと分かりますが、名もない一庶民のペテロやナタナエルやピリポやトマスなど、一人ひとりにじっと目をとめられています。実に単独者を求めておられるイエス様のお姿です。
 かつて旧約の世界で、天幕の外に出て星空を仰いだアブラハム。ヤボクの渡りのヤコブ。ホレブの山で燃える柴の木の前のモーセ。床の上の少年サムエル。ホレブの山のほら穴でエリヤ。彼らはしばしば一人の時に主に触れました。
 もちろん大聖会で、会集一同なぎ倒されるように聖霊の油注ぎの体験をすることは善いことであります。しかし、実はそうした大群衆の中に於いても単独者として主に発見される、そうしたイエス様とのただ2人のプライベイトなデイトが信仰の湧き起こる現場です。

  二、ロンドンのすずめと、私の父のこと

 冒頭に書いた第二次世界大戦の空襲の激しい頃のイギリスのロンドンで、ある人が飼っていた不思議なすずめが、しばしば主人の聖書をくちばしでめくっていたのは、ルカ福音書の第12章6節の個所だったということです。
 なんと「5羽のすずめは2アサリオンで売られているではないか。しかも、その1羽も神のみまえでは忘れられていない」とある所です。
 詩篇102:7には「わたしは眠らずに屋根にひとりいるすずめのようです」と、侘しいすずめの描写がありますが、このロンドンのすずめは、それとは違ってなかなか元気です。こう言っているのでしょうか。
 「私は小さなすずめです。しかし、神様に愛されています。けっして寂しくなんかないのですよ。人間様にも知ってほしいです」
 この驚くべき楽しいすずめの物語は40年ほど前に、あるパンフレットで読みました。そのすずめが主人の聖書の箇所をつついている写真ものっていましたが、その頃の私はそんな奇蹟話は嫌いでしたから、その冊子をよく保存しないままで、そのうちに紛失してしまいました。
 このすずめは私の父に似ているような気がします。私の父はひどい気管支の病気で、よく断食をしました。長い断食の期間、日記にしばらく空白が続きますが、そのあと、ポツンと1行、
 「私は神の愛子である」
 と書いてあるのです。私はそこを読むとき涙が出ます。青年時代の野心も希望もむしり取られて6尺の床に病んでいる痩せこけた父が、そこで叫んでいるのです。
 「私はけっして不幸ではない。寂しくもない。私
 は神様にけっして忘れられていないのだ……。私
 は神の愛子である」
 私は今も、あのロンドンのすずめと、病床の父とがオーバーラップしてまぶたに浮んで来るのです。

  三、4人の友人と中風の男

 この「5羽のすずめ……」と同じ文意を、マタイは「2羽のすずめは1アサリオンで売られているではないか」というイエス様のお言葉で紹介しています。ところが、ルカの福音書では2アサリオンだと1羽をまけて5羽にしてくれているのです。
 「オマケのお添えもの、この余りもののすずめも神様からは忘れられてはいない……」、これは救世軍の山室軍平先生のお得意な説教でありました。
 さて、私はここで、あの「4人の友人と中風の男」の聖書記事を思い出します。この4人の友人は、多分しっかり者です。さしずめ、この辺りの有力者たちでしょう。お金持ちのはずです。
 なぜなら、他人の家を勝手に壊しても大してトラブルをおこさないですむらしいし、また後日お金で弁償する力もあったわけです。それに屋根にかつぎ上げるだけの元気さもあるし、4人それぞれ気の合う仲の良さ、そして何よりもイエス様への大胆な信仰があるのです。
 この4人の人たちにくらべると中風の男はなんとも情け無い。病気で貧乏で、気弱で、ひがみっぽくて、グチばかり言っていた男ではないでしょうか。彼は4人の親切な男たちに言ったでしょう。
 「あっしなんか、どうなったっていいんです。放
 っといてくんさい」
 そうは言うけれど本当は構ってほしいのです。この男は「自分は、必要のない人間、だれの仲間には入れてもらえない人間」と思いこんでいます。しかしこの4人の仲間は、この中風の男を愛しているのです。
 無益で不用の者、集団を離れて「屋根の上にひとり居るすずめのような」中風の男に向かって、神様は同じように「わたしはあなたを決して忘れてはいない」と仰せられているはずです。

  四、ただ一人の私を

 さてさて、もう過ぎ去りましたが、12月8日、この日は日本が太平洋戦争を始めた日です、最近は、この12月8日が来ても、この日のことを新聞もあまり書きませんね。ジャーナリズムは意識的にあの日のことを忘れようとしているのかも知れません。
 しかし、12月8日が来ると、私はあらためて深い感慨をもって、あの日本の戦時下における私の孤独感を思い出すのです。当時、私は日本国民一億人の中で、ただ一人の非国民だという思いがしていました。全日本人から憎悪され疎外されているという、凍りつくような孤独感を味わっていました。
 こっそり書いていた「日本を衝く」という私的小論文が証拠品に取られていましたが、それを読んで若い検事が怒鳴りました。「お前のような非国民は刑務所に送って使い殺してやる」と。
 しかし、送られたその刑務所の独房で、私はただ一人、イエス様に触れたのです。思えば、それまでは単なるキリスト教思想による非戦主義者だったに過ぎませんでした。しかし、その時よりイエス様の十字架と復活によって生まれ変わったクリスチャンになったのです。その時、私は
 「憂い多き獄にしあれど主によりて活かさるる身
 の幸にわが酔う」
 と歌いました。また、
 「イェス君の熱き血潮の今もなお、溢るる思い、
 わが身にぞすれ」とも歌いました。
 それは、「神様は日本人一億をさしおいて、ただ一人の私を救いたもうた」という実感でした。私は空襲警報下の刑務所の中で、喜びと平安と感謝とで一杯になっていました。
 刑務所の独房の窓から、よくすずめが見えました。独房の囚人にとって窓際のすずめは、まことに親しき友人であります。主の救を受けた日、その日、私は如何なる感慨をもって、そのすずめたちを見たことでしょうか。《く》

    *   *   *

〔宮崎福音キリスト教会新会堂成る〕
 既報のとおり、かねて建築中の宮崎福音キリスト教会(高森博介牧師先生)が竣工なり、去る2月18日、献堂式を上げられました。すばらしい新会堂を見て、当教会より参賀列席した釘宮牧師と甲斐兄も、大いに喜び、また大分教会もあのような会堂がほしいなと思いました、ハハハハハ、《く》
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by hioka-wahaha | 2008-02-26 15:45 | 日岡だより

No.320 わが友 荒巻保行、そして芥川龍之介 2008.2.17

わが友 荒巻保行、そして芥川龍之介

 1930年(昭和5年)3月12日、私の父が死んだ。その3月28日内村鑑三先生召される。翌年9月に満州事変が始まる、後の対英米戦争、いわゆる太平洋戦争へ拡大の端緒となった。(脱線するが、太平洋戦争の戦争責任を日本だけに負わせるのは酷だと私は思っている。しかし対中国戦争については日本に同情する余地はほとんど無いと私は思う)。
 思い出してみると、この昭和6年ごろから東北の冷害はあるものの、日本の国内事情はやや明るくなっていたのではないかと思う。
 日本中「東京音頭」で踊っていた感もある。年賀はがきの特別取り扱いが始まり、鉄道の機関車が形だけでも流線型になった。
 大分市ではデパートができ、エレベーターなるものに驚きの目を見はった。政府や軍部が戦争するも良し、と判断するだけの経済的余裕が日本にできかけていたのかも知れない。
           *
 1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校らによる首相襲撃事件、いわゆる5・15事件が起こる。4年たって、1936年(昭和1年)2月26日、青年将校らによる大臣諸公襲撃、相当規模の反乱事件が起こる。
 その翌日、2月27日、伯父の釘宮徳太郎が永眠、東京の信仰の友人たちは一瞬、釘宮さんは大分の軍人たちに殺されたのかと思ったそうだ。
 その通夜や葬儀の席上で加藤虎之丞氏(後に伯父徳太郎の主宰する聖書研究会を継いでくださった、すぐれた弁護士さん)から当時の国際、国内の政治事情を聞いて、私の世界や東洋、日本に対する平和主義的関心と熱情が高まったのであった。
 後々の非戦主義はこの時から私の内に醸成されていったのである。もちろん、叔父徳太郎の残した信仰日記に大きい影響を受けたのは当然である。
 その時、私は14歳、大分商業学校2年生、小学校時代のブクブク肥えていた肥満体が消えて痩せ型の美少年に変わりつつあった時である。
 その頃か、友人たちとガリ版ずりの同人誌のひよこみたいなものを作って、学校の成績はどんどん落ちていった。(当時の同人、後藤君は時代ものの大衆小説を書いて榊君のお母さんを喜ばせた。榊君の妹さんにこの週報を送っているので、彼女を喜ばせたくて無理にこの記事挿入した、呵々)。
          *
 この商業学校の3年生のとき、荒巻保行君と親しくなった。彼が病気で休んでいるとき、私は彼に一篇の詩を送った。それが彼を喜ばせた。そして、生涯(!)を通じての心の友となったのである。
 彼がこの商業学校を卒業するとき、彼は文学好みで特にフランス文学をやりたくって、外国語大学に行くと言う。
 初め大分市内にある大分高商、後の大分大学経済学部に進学が母の希望だったが、私は文学部に行きたかった。ところが当時の学制では商業学校から文学部へは行けない。私は進学を断念した。
 これは私の短慮というか、失敗だったと思うが、とにかく叔父徳太郎の残した肥料問屋の店に勤めることにしたのである。私の家がその支店として肥料小売商をしていたので、まあ商売の跡継ぎ、かつ実習見習ということでもあった。
 ところで、荒巻保行のことだが、彼は東京外大の受験寸前に倒れた。胸を病んでいたのが分かった。当時の多くの青年をむしばんだ結核である。
 彼の父親は別府の山手にこじんまりとした別荘を建てて、そこに彼を保養させた。食事や身の回りの世話に年寄りのおばあちゃんを同居させた。
 彼は最初は結構この生活を楽しんだ趣きもある。玄関には柔らかい字だったが書道の先生に書いてもらって名を掲げた、「蒼瞑荘」。彼の好きそうな名である。
 周辺は落葉樹の林が多くて、彼はその環境が気に入っていたようである。私はよくそこに彼を訪ねた。
 今でも、その付近をとおると、私は胸がツーンとする。地に伏して泣きたいような気持ちになる。
           *
 ある日、彼は言う。
 「このごろ、哲学を勉強している。ショーペンハウエルって奴だがね、知ってるだろ、厭世哲学の。この人は厭世哲学というけれど、70歳も越えて若い娘に恋愛しているんだよね。バカにしているねえ(彼は私をのぞきこんで言った。つづけて)、
 僕は死の哲学を作ろうと思うんだ。多くの哲学や人生論が、すべて生きているは善い事だ、ということを前提に始める。これはインチキだと思うんだ。生きていることが良いことか、悪いことか、そのことに何の疑いも抱かず、それを肯定して、その前提に生の哲学を立てている。もし生きていることが無意味なのだときまったら、その哲学は全部崩れてしまうだろ? 僕は死の哲学を作りたいのだ」。
 「おい、おい。それ可笑しいんじゃないか。君が死の哲学を立てるのはよい。そうしたら、生の哲学ならいざ知らず、死の哲学を本当に立てたのなら、その哲学のノートや原稿を書く余裕はないぞ、その場で死んでしまうんじゃないか、はははは」
 彼とは、そんな会話を交わし、そして私は彼の住まいを辞した。それが最後であった。
 1941年(昭和16年)7月12日、彼の父から電話があった。「保行の行方が分からない」
 私はびっくりして別府に飛んで行った。しばらくして、彼が以前住んでいた下町の別荘でガス自殺をしている姿が発見された。
 呆然として私は彼の死体のそばに座りこんでしまったが、ついに耐えきれなくて大分の自宅に帰った。すると、彼から小さなノートが届いていた。彼の最後までの日記であり、また私への遺書でもあった。
 私はそれを読んで泣いた。大分川のほとりに行って、川辺で泣いた。一夜泣き明かした。水辺に遊ぶかもめの姿が今も目に焼きついている。現在、元・西鉄グランドホテルが建っているところである。
           *
 彼はその小さな手帳に「紫荊」という名をつけていた。読み方は「はなずおう」というのだそうだ。弱々しい花びらが彼の心を引きつけたらしい。辞典を引けば「花蘇芳」という正字が別にあるのだけれど、彼は「紫荊」という字にこだわっている。私のひそかな憶測だが、その字を「しけい」と読んで「死刑」を連想していたのではないか、とさえ思う。彼は彼自身を死刑にしようとしたのである。
 彼の遺書をかいつまんで紹介すればこうなる。「人間の生というものは感覚的なものである。そして感覚は快なるものを良しとする。そして快なる感覚は人を罪に誘い込む。感覚も快も罪ではない。しかし、それを肉に持つ私自身は、それを契機として罪を犯してしまう。友よ、私は死ぬことによって、私の罪を消そう、赦して貰おう、というのではない。ただ、一刻もはやく、罪の生にピリオドを打ちたいだけなのである。
 友よ、今、死に臨んで、君が冗談のように言ったあの言葉が、私の心に、あいくちのように刺さる。まさしく君の言うとおり、死の哲学が完成したならば、『その場ですぐさま死なねばなるまいね』。でも、私は今、不思議に幸福感に満たされている」。
        *
 私はそれまで軟弱な文学青年であった。しかし、その時から死と生の問題に思いをひそめ、死からの呼び声におびえながら、それからの解決を求めた。父が信じ、伯父が信じたイエス・キリストに救いを求め始めたのである。
 しかし、そのイエス・キリストを体験するまでに3年かかった。福岡刑務所の独房の中に於いてであった。1944年11月23日のことである。
 最近、奥山実先生の「芥川龍之介」の評論を読んだのである。奥山先生が指摘する芥川の深刻な内面史に、私が前述した荒巻保行の魂の面影を二重写しに見た。私は深い溜息をついた。奥山先生の芥川観は荒巻保行にそっくりだと思ったのである。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-02-19 14:04 | 日岡だより

No.319 祈祷の秘訣 2008.2.10

祈祷の秘訣

 今回は「祈祷の秘訣」などと大仰にタイトルをあげたけれど、実はざっくばらんに気軽に書きたいのです。祈祷についての本は山ほどある。有名な本はE・M・バウンズの「祈祷の目的」でしょう。この本の初版は1925年(大正14年)、名著です。同じ著者の「祈祷の力」も有名です。このバウンズの本には祈祷の英雄というか、祈りの鉄人というか、そういう人たちが山ほど出てきて、私たちを発奮させるどころか、気落ちさえさせる。
 知る人ぞ知る、祈りと瞑想の人だった桜井信市先生が夜行列車に乗っていて、この本を読んでいた。一夜、8時間祈っていて、まだ祈り足らないと泣きながら部屋から出てくるような凄い人物の記事が出てくる。さすがの桜井信市先生も「これはたまらん、バウンズの奴、くたばれ」と、その本を列車の窓から投げ捨てたと言う。今と違って窓ガラスの上げ下げができる汽車ポッポの時代だ。桜井先生一流の逆説的身体表現だが、その気持ちは私にはよく分かる。
 「ジョージ・ミューラーの祈り」という、あの2千人の孤児を養ったジョージ・ミューラーの伝記はよい本であるが、その彼の祈りの実際についてだけ編集した本があった。これもよかった。10年ほど前、早天祈祷会でこの本を毎朝少しずつ朗読してみなさんに聞いてもらったことがある。
 「祈りのハイド」という本がある。18世紀から19世紀にかけてインドにつかわされたアメリカ人宣教師です。彼は本のタイトルのとおり、祈りの人であった。私が注目させられたのは、彼がある時、祈っていて神様から「笑いの霊」を与えられたという。彼は、我らの神はイサク(笑い)の神であると言い、又、箴言8:30によって、神の家の子は「毎日喜び、いつも御前で楽しむ」のは当然である、と言っている。このように、祈りが高揚して「笑い」になることがある。一種の瞑想に近づくのである。
           *
 今朝(11月17日)、私は3時に目が覚めて、事務室でちょっと仕事。4時になって祈るために会堂に行きました。講壇の前のカーペットに坐ると、思わず笑いが込み上げた。「ワッハッハハ」。私は楽しんでイエス様に申し上げたことです。「イエス様、ありがとうございます。実は昨日はいろいろあって愉快ではありませんでした。体も疲れ果てて、ご承知のように早く寝てしまったのです」。「そうだったね、だから今朝は早く起こしたのだよ。どうだ、嬉しいだろう」。「はい、嬉しいです、しかし、キノさんが家出しているかもしれません。もう冬も近づき、寒くなりました。金もないはずです。どうしているでしょうか」。「大丈夫、安心しなさい」。笑いは対話の祈りさえ生むのです。
 キノさんはK君の女房である。昨夜、私はK君の家に行って酒に酔っぱらって寝ているK君を叩き起こして、「なんということだ」と叱った。事情はくわしく書けないが、彼は酒を飲むどころの筈ではなかったのである。しかし私は思いなおして、彼のうちにある酒の悪霊に向かって、出て行くよう命じたのだが、その時、キノさんは家にいなかった。たぶん、彼女はK君に愛想をつかして家出をしたなと思った事です。彼女にはしばしば家出する悪癖があります。
 ところで、私が「ワッハッハ」と笑って祈っているうちに5時になった頃、そのキノさんが会堂にはいてきたのです。いつもの早天祈祷会の時刻よりは早い。「やあ、あんた、居たのかい。ようもまあ、家出せんかったなあ、よかった、よかった。ワッハッハハ」、私は笑った。そこへ中野兄が来た。彼も長いこと早天祈祷会に来ていなかった。昨日、妻から厳しく言われたらしい、「明日は必ず早天祈祷会に出なさいよ、祈ってあげるから」と。実は最近、中野兄は体が異常に弱っている。医者に行っても、はかばかしくない。病気はますます悪くなるのである。そういうわけで、彼も今朝は重い足を引きづって来たのであろう。そこへ妻もやっと入ってきた。やっとと言っても、ちょうど早天祈祷会の定刻、午前5時半である。デザイナーの緒方兄も来た。
           *
 昨日の早天祈祷会は私たち夫婦に相良姉がきただけの3名のさびしい祈祷会だったが、どうしてどうして、淋しくなんかはない。ちょうど、ジョン・R・ライスの「祈りの秘訣」という本があったので、その一頁を読んだ。弱冠20歳代のジョン・ライスが、日照りで苦しむ農村地帯の教会で集会をもった。祈った。「神よ、24時間以内に雨を降らせてください」。その祈りに神様は答えてくださった。数十日にわたるカンカン照りの枯れ果てた作物の上に、豪然と雨が降り注いだのである。「そのような雨を今、今朝のこの祈祷会に注いでください」と、私は心に祈ったことである。
 雨といえば、雲のことを私は思った。実は、昨夜、妻と話し合ったことの一つに、「雲消し」のことがある。以下の記事を読むクリスチャンの方々は怪訝の思いがするだろうし、あるいは異端ではないか、悪魔の所業ではないかと、つまずきはしまいかと心配もするのだが、
 この際公開すると、仏教詩人の坂村真民さんは「念ずれば花開く」と言うが、私は「念ずれば雲消える」という。空を見上げて、じっと念じていると、雲が消えてゆく。これはニューエイジの人たちの気に入る事だろうと思う。聞いてみると、驚いた。妻は四十年も前から面白半分に、こっそりやっていたという。そのうちに雲を増やすことすら覚え、そして雲を増やしているうちに神様からの言葉を聞くようになったという。そうしたことのおかげで、「あの貧乏や困難で苦しんだ時代を乗り越えて来れたのです」と妻は言う。あの頃、信仰一筋はいいが家庭のことは全然顧みなかった私、頭をかいた。
 この雲消しはやってみれば簡単である。誰にもできる。聞いてみたら、先日これを教えておいた中野兄も「出来ました、ちゃんと出来ました」という。何事も尻込みしやすい中野兄には珍しく、思い切って早速ためしてみたものである。これを汐になんでも実行してみる進取の気象に富んだ人になるであろう。ともかく、この雲消しの練習は精神集中のよい訓練になる。
 実は40年前のこと、先師手島先生に、「先生、祈祷の秘訣はなんでしょう」と質問したら、先生は言下に「それは、君、精神集中だよ」とおっしゃった。神学的な答えを期待していた私は、あまりにキリスト教離れのした実技的な答えにびっくりしたことを覚えている。
           *
 「祈祷の秘訣」というような本にはいろいろな実例、奨励が載ってはいるが、「精神集中」などという奨めは案外少ないと思う。しかし重要です。例えば、「熱心に祈れ、長く祈れ、飽かずに祈れ、徹夜で祈れ、断食して祈れ、異言で祈れ」、こうした祈りの奨めは、実際上の結果としては、精神の集中を生むのです。
 アブラハムは天の星を見、イサクは野を歩きました、このイサクの個所で、英訳聖書はしばしば「瞑想する」と訳しています。我らの永井明先生が常にご励行なさる「ウォーキング・プレアー」(歩行祈祷)が、それです。これは実技的に、しかも割合に容易に実行出来る瞑想法と言えます。(散歩が欝病によい所以です)。
 歩行祈祷のよいのは、座りこんで何もしないで祈るのと違い、体を動かしながら祈るという特徴です。これは、生活上のあらゆる仕事、活動のさなかで、祈ることができるという発見でもありますし、またその訓練でもあります。
 森や野や密室において、独りの祈りを試みることは良いことです。しかしやってみれば分かりますが、密室はよいのですが、森や野という野外の祈りは案外難しい。気が散るのです。
 ともあれ、こうした野外や、密室において、歩行の祈り、ワッハッハの呵々哄笑、念じて雲を消す。すべてこれらは一種の精神集中法です。祈祷の秘訣の一面とも言えましょうか。(一部旧稿)《く》
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by hioka-wahaha | 2008-02-11 16:48 | 日岡だより

No.318 声をあげて祈ろう、機嫌よく笑おう 2008.2.3

声をあげて祈ろう、機嫌よく笑おう

 快活な人はいったいに声が大きい。しかし、なんでも声が大きければ良いというわけではない。「朝はやく起きて大声でその隣り人を祝すれば、かえってのろいと見なされよう」と旧約聖書の箴言にあるくらいだ。また「心の痛める人の前で歌をうたうのは、傷の上に酢をそそぐようなものだ」ともある。そういう場所や場合はわきまえねばならないが、しかしやはり快活な大きな声は気持ちのよいものである。
 しばしば、低い声でお通夜の挨拶のような祈りをする人がある。けっして批判ではない。悲しい時、苦しい時、さもあろうと思う。
 確信がない時も、そうである。とは言え、確信のない時こそ、なおさら大きな声で祈ってみてください。そう言う場合、しばしば神様に詰め寄るような尻まくりの祈りになる。せっぱ詰まった危機的状況下では、それも仕方ない。ほかならぬ私もそうであった。
 しかし、いつもそんな風では、息が切れてしまう。やはり楽しい明るい声の祈りをしたいものですね。
 あなたの祈りについて、お聞きしたい。あなたは家の中などで一人で祈るとき、声を出しますか、どうですか。私は思う。一人で祈るときでも、声をあげて祈るほうがよい。
 イエス様が祈って居られる様子を見て、弟子たちが「主よ、私たちにも祈る事を教えてください」と言ったと聖書にある。弟子たちにはイエス様の祈りが聞こえていたのである。またゲッセマネでのイエス様の祈りは、まさに主の孤独な祈りであったが、その時、はるか離れた弟子たちにもイエス様の祈りの声は聞こえたのです。イエス様の祈りの声はかなり大きかったに相違ない。
           *
 先日の祈祷会で、私は言った。「寝るとき、床の上で声を出して祈りなさい。寝るときの祈りは朝の祈りの先取りです」。
 ところで、あとで考えた。実は私自身、恥ずかしいことに寝る前の祈りを、それほど忠実に声を出して祈ったことがない。
 そこでちょっと決心した。その夜、私は大きな声を出して祈ったのである。隣のベッドで妻が聞いていたので、やや照れくさい、そんなことでは牧師として落第だと思うが、私は元来こうした恥ずかしがり屋。こういう時、慣れないことをするときは必ず照れてしまう。
 さて、その次の日の朝、目が覚めると、とたんに布団のなかで思わず祈りの声が出た、そして叫んだ、「ハレルヤ!」。
 それから、隣のベッドの妻に「ハレルヤ!」と声を掛ける。そして機嫌よく「ワッハッハッハ」と笑ったものだ。なぜ笑うのか、格別に理由はない。不思議に機嫌がよかったのだ。
 これは発見だ。なるほどねぇ、その前夜の祈祷会で自分が言ったことではあったけれど、こいつはいいや。寝る前に声を出して祈るのはいい。ほんとうにいい。それなら、そうだ、あれもそうだ。
 たとえば食堂や電車の中で、弁当を開くとき、食前の祈りをしますね、これもやはり大きな声で祈るのがよいだろうな。神様は耳が遠い訳ではないから、声を出さなくても私たちの心の祈りを聞いてくださる。それは確かだ。心の中は全部お見通しだから。
 だからと言って、神様にとって、大胆に胸をはって大きな声で祈るクリスチャンの姿は、やはり大いに嬉しいに相違ない。これは人に見せるために、路傍に立って敬虔そうに祈るパリサイ人とは全然違うんだよね。
 さて、先の朝の経験のあとで主は私に言われた。
「あなたは、昨夜は声をあげて祈ったら、さっそく今朝は、起床してすぐ祈ったね。そしてすぐワッハッハッハと笑ったよね。陽気な声で私を賛美もしたね。お前にはよい体験だった。同じように、私のこと、イエスのこと、信仰のこと、教会のこと、なんでも率直に、どこででも、誰にでも、明るく話せる人になりたいと思わないかね。そう思うなら、いつも声をあげて祈っていなさい、必ずそういう人になれるよ、ね」。
           *
 数年前、カナダのトロント空港ヴィンヤード教会に行ったことがある。その時、聖霊の働きを受けて、笑った、笑った。その後、フレイソン先生が来て、日比谷の公会堂で、また笑った、笑った。
 笑えない人から見れば、異様であるし、そこで非難の声もあがる。無理もないと思うが、当時、世界中、トロント・ブレッシングと言って、世界中のキリスト教界で論争の的になった。ともあれ、
 聖霊様の直接的な働きでなくても、笑うことができたら、やはりそれも良いと思う。
 みなさん、笑ってみませんか。おなかを抱えて、呵々哄笑してみませんか。そんな阿呆なマネできるかという人が多いでしょう。
 しかし、幼子のような気持ちになって、笑っている人のマネをしてごらんなさい。最初はぎこちない笑いでも、それを続けているうちに次第に笑えるようになるものです。
 もちろん、決して笑うことが信仰ではありません。そして、あんな風に笑えなくても信仰を持っていさえすれば、大丈夫、天国へゆけます。
 しかし、信仰を持っていて、その上に愉快に笑えたら、更に快活なクリスチャンになれて、伝道もしやすいし、快活な良い証し人になれます。
 また、信仰はないけれど気軽に「ワッハッハッハ」と笑える人がいて、その人がクリスチャンになるなら、もっと良い笑いが出来るようになります。
 天国ではニヒルな笑いはないし、滑稽な笑いというものもないんだよ、と主はかつて私に教えてくれましたね。
 聖書に「心に信じて義とせられ、口に言い表して救われます」とあります。心の中でイエス様を信じさえすれば、行いはなくても神の国の国籍を与えられ、死んだら天国に行けるということです。
 その人の信仰は確かなのです。しかし、この地上に生きている間、クリスチャンらしい快活で勝利の生活を送ることが、難しいのです。
 そこで、お奨めします。信仰の言葉を口に出して言いなさい。それを「告白」と言います。罪の告白ではありません。信仰の告白です。すると、てきめんイキイキ人間になれます。
 声を出して大胆に祈るのです。生活が変化します。言葉でも笑いでも、大きく明るい声で周辺に撒き散らしましょう。
 そうすると、あなたの表情も行動も変わり、周囲に影響を与えるようになります。しかも、心→言葉→行為という原則によって信仰は向上します。
 イエス様の十字架を心に信じて義と認められ、信仰を口に言い現わして生活が救われ、体の行動が変わって、サタンと世に勝利します。
 どんな困難がやってきても「ワッハッハッハ」と笑って乗り越えることができるのですよ。《く》
       (1996年3月24日週報再掲載)


癒しのテレホンを聞いてください
 
 最近のテレホン聖書は5分メッセージを減らして3分にし、以前お送りしていた「癒し」の祈りを最後にしています。
 もう10数年も前に、小橋 護 先生から、癒しのテレホンを始めたらどうですか、と勧められたことがあったのです。それがきっかけでした。
 先生ご自身、私の電話の祈りで頭部の後遺症が癒されたご経験があったからです。
 そこで、やっと腰を上げて始めたのが、このテレホン聖書でした。あちこちの方の病気や痛みが癒された、また朝会社に出かけるとき、この電話を聞くと気分がすっきりする。あるいはイエス様を信じる信仰がはっきりして、長らくさぼっていた教会に毎週出席し始めました、などというご報告を頂いています。
 ちなみにこの「教会に毎週出席しはじめた」というお証しを初め、殆どのかたが当教会の信徒諸兄姉ではないのです。他教会の一般聴取者の方々なのですが、どうぞ、お近くの教会に出席されるようお薦めします。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-02-05 15:29 | 日岡だより