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No.313 不戦時代を迎える 2007.12.30

不戦時代を迎える

 2007年で世界の旧時代は終るのではないか。そして2008年の新時代を迎える。それは戦争の無い時代である。
 この1月に私は雑誌「ハーザー」に熱心に非戦論ないし非戦主義を書いた。しかし今、私は「不戦時代を迎える」と書きたい。なぜか、戦争はもう時代遅れであると言いたいのである。
 いわゆる戦争というものは、中近東あたりの小国間の近辺では小競り合いも起るだろうが、大国間においては、原爆使用を招きかねないような火遊び戦争を起すバカなことをすることは、もうあるまいと私は思うのである。
 なぜか。アホらしいからである。原爆をぶっ放すような戦争の結果は何が残るか、戦端が切られれば、互いの国がほとんど同時に原爆の投げ込み合いであろう。そこには、荒れ果てた爆撃の跡地と、意志阻喪した国民が残るだけである。
 日本がどこからか原爆でも落されれば、東京は吹っ飛び、天皇さんも政府機関も無くなってしまう。そんな始末になるのである。
 今では原爆くらいはどこの国でも造れるのではないか。原爆の被害はひどい。その戦争の様子をニュースで聞けば、戦争国の国民たちは一斉に戦意を失い、呆然とするであろう。
 愛国心などという小賢しい意識は捨ててしまえ。この地球を守るためには、もう国家間の戦争はまっぴらだ、という世論が起るであろう。
 日本で明治維新の時、廃藩置県、侍は廃刀令で刀を捨てた。同様に地球表面から国境を消し、軍備を捨てよう。もう戦争は止めだ。これからは、各国とも戦争をしない約束をしよう。こういうことになるだろう。
 こうしたことは、まだ、この世界では夢物語りであろうか。私のいうことは理想主義者のたわごとに見えようか。しかし、時代の変化はガラリと来る時がある。明治維新のように、急激に起るだろう。
           *
 すでに現時点、世界はそういう時代になってきている。みんなが、気がつかないだけである。
 今、突然、どこかの大国が、中国でも、インドでも、メキシコでも飛行機や軍艦で攻め込み得ると思いますか。できません。映像や言語の交信機器の発達した現今、それらの暴挙はどこの国民にもリアルタイムで丸見えですから。
 全世界の全住民の見る前で非道な軍事行動は出来はしません。何よりも自国民自身の不審、反感を買います。自国民の愛国心を期待できなければ戦争はできるものではないのです。
 大体、明治、大正、昭和前期のような愛国心を、現代の国民に期待出来ましょうか。愛郷心に類した愛国心は残りましょうが、命をかけて国を護るなどという愛国心の必要は無くなる時代が来るのです。
 昔の日本で、侍が刀を抱いて敵国(つまり今で言えば隣の県です)に斬り込むようなことを現代に想像することはまるでマンガです。即近未来、隣国同士は、今の隣県同士のような感じで、お互い気軽な国々になるでしょう。
 何故なら、お互いにパスポートも不要、国境もあって無きがごとし、現在の県境のごとし。自由に行き来して、同じ流通貨幣を使って買物をする。多少不便でも、言葉も通じる時代が来るでしょうから。
 第一、結婚が自由で、人種・民族の差が曖昧になる、要するに地球は一つになりつつあるということです。
           *
 少々、急進的に書き過ぎたでしょうか、そこまで行かないにしても、戦争は出来ない時代になりましょう。戦争をするような不経済なことはしたくない、ということです。戦争は無駄が多すぎるし、後始末にも苦労するのです。不経済です。
 戦争のような馬鹿なことをするより、話し合いで決めた方が、安上がりだ。少々の損をしてでも、鉄砲、爆弾を打ち合い人の命まで損をして、無駄な犠牲は払うようなことはしたくない。
 昔はなぜあんな無駄な戦争をしていたのだろう。いいえ、当時としてはまだ世界社会は未発達、やむを得なかった仕儀でした。残念だが。
 内村先生や、その亜流の私の非戦論などは、そのことを知らずして、この少し先の時代、つまり不戦の時代を見越していた結果では無かったかと言えましょうか。
 今、ようやく、その時代が来つつある。それをあの当時、直感的に勢い込んで、早手回しに言ったに過ぎなかったのか、今そのことに思い当たるのです。


クリスマス体験と平安感覚

 先々週、東京方面を巡った時、メッセージとして最も語りかったことは、この標題の「クリスマス体験と平安感覚」でした。残念ながら、集会を持つことが出来なかったので、特別にこのことを強調する機会がありませんでした。
 クリスマス体験と私が格別に言うのは、クリスマス行事を共に持ちましょうなどということではない。各自、イエス様を各自の魂に迎え入れる体験を持とうということです。
 「各自の心に」とは言いません。「各自の霊に」とも言いません。「各自の魂に」と言います。何故か。心では軽すぎるし、霊では硬いのです。なぜか。
 霊においてイエス様を受け入れることは最も望ましいことですが、これは聖霊様によって起る事です。各自の意志によるのではないのです。
 心において、イエス様を受け入れることは誰でも一応出来ることですが、しかし、一旦自分の心で受け入れても、また自分の心でイエス様を捨てる人が起るのです。それに比べ、
 魂で受け入れることは、かなりの意志力を要する。聖霊様の助けが要る。そばから、聖霊様の助けを求める、他者の援祷も必要である。
 教会で、牧師や先輩信徒の信仰の勧めや、バプテスマを勧めるのは、この点で有利なのである。
(ちょっと説明すると、心は人間の精神の最も表面、その下に見え隠れするのが魂である。深い意識である。その底に潜むのが霊、自分でも意識できないし、見えない。しかし、当然存在するはずの、その人自身の自我、実存、である)。
 もう一度言うと、私のいうクリスマス体験とは教会のクリスマス礼拝や、祝会に出席することではない。あなた自身がイエス様の誕生をあなたの霊魂に経験することある。
 しかも、その日以後、毎日でも改めて、自分の中にイエス様が生き続けておられることを再確認すること、これが「毎日がクリスマス」と言い続けてきた私の意図である。
 1948年4月1日前後のある日、私は部屋の片隅にイエス様の影像を見た、「これは私の空想力の所産であって、決して神の幻ではないぞ。騙されるな、騙されるな」、と私の知性は疑ってかかっているのだが、その間にも、その影像は私に迫ってきて、遂に私の胸に飛び込んで来たのだ。「あっ、イエス様だ」、その感覚を拭うことは出来なかった。
 そしてその翌日、目が醒めて、ふと家人に小さな小言を言おうとしたとき、内なる主は「ハハハハハ」と笑って言われた、「おい、おい。一晩寝たら私は居なくなったと思うのかい。私はずっと、お前の中に住んで居たんだよ」、そのお声は私の魂を貫いた。今もその主の笑い声を忘れる事は出来ない。
 その時、即座に私は聖書の言葉を思い出していた、「われ更に汝を去らず、汝を捨てじ」(ヘブル書13:5文語)と。これが私の第二次コンバーション(回心)であった。それ以後、主の内的臨在と平安を失ったことはない。
 今回は荒っぽい文体で思いのまま書きました。読みづらい個所や欠陥も多かろうと思いますが、読み直す余裕もありません。お許し下さい。末文になりましたが、先生がた、諸兄姉の上に、越年と年始のご平安とご祝福を祈ります。(釘宮生)
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by hioka-wahaha | 2007-12-31 20:17 | 日岡だより

No.312 祝クリスマス 2007.12.23

祝クリスマス

   主のご降誕を感謝、賛美いたします。
   あなたの上に、ご家族の上に、
   お仕事や学びの上に、
   すべてのご生活の上に、
   神様の豊かなご祝福を祈ります。
   佳き歳末と新年をお迎えください。
   ご平安を祈ります。
         主の2007年12月佳日
           キリストの福音大分教会
                 牧師  釘 宮 義 人


毎日がクリスマス

 クリスマスという言葉の意味は「キリスト祭」であります。キリスト様の誕生を祝うクリスマスの日が、12月25日に決まったのは、いろいろな説がありますが、要するに当時のローマ世界での冬至祭という民間の習慣が教会暦に組み込まれたのであろうと言われています。
 冬至の日が来ると、夜の長い日々が終って、次第に昼が長くなります。そのように、夜明けを告げるような日をキリスト様の誕生の日ということにしたのだと言うのです。まさに暗黒の世に光輝く神の国の福音をもたらす御子のご誕生の日ですから。
 イエス様の実際のお誕生は5月頃ではなかっただろうかという説など、いろいろありますが、そうしたことの論議はさておき……、
           *
 私たちのそれぞれの魂に、個人的にイエス様がお出でくださった日はいつだったでしょう。それこそ、まさしく私たちのクリスマスの日ではありませんか。
 そして又、ただの一日と言わず、キリスト様のお迎えを、私たちの人生において、日々体験したい、日々というよりも、時々刻々とさえ言いたいとは思いませんか。
 絶え間なく、主におまみえするという神秘な信仰体験を漏らしてくれる聖なる人物が、教会の歴史に何人かいます。
 一般にはブラザー・ローレンスが有名です。2年ほど前、これらの方々に関する記事を集めて、一部の方々に回覧して読んで頂きました。ご希望の方には、再編してお送りしますから、お申し出ください。ともあれ、
 こうした意味でも、改めて「毎日がクリスマス」という信仰を味わいたいと思います。教理的にも、実践的にも、是非、確認したいですね。《く》


「感情」を沸きたたせよ

 先週、東京に行きました。秋川市と八王子市の各ご家庭を訪問しました。今回はまとまった集会ができなかったので、非常に残念でした。
 というよりも、遠く離れている皆さんのために、各自の信仰の再確認、あるいは再構築のために何かをしなければならない大事なことがあると、今回強く感じたことです。
 私も老齢化して、ぼつぼつ旅も億劫になりつつあります。東京方面には、特に強力なお導き手が生まれる必要があると感じました。心ある人は、その使命をご自分に感じて頂きたいと思いました。
 私はご存じのように、個人独立伝道者であって、背後に団体も組織もありません。内村流の無教会に似ています。「私と組織を別にしてもよいから、後継者よ、出ませんか」と、言いたいほどです。分裂的でも良いのです。分裂も発展の一形式です。
 さて旅程も終って、羽田に向かうJR中央線では、折角の近くを通るので、降りてご不沙汰を埋めたい方々が多々おられる。そうした方々にも失礼して今回は通過してしまいました。(ここで紙上を借りてお詫びします)。
 そうした次第で、急いで羽田空港に向かう。羽田空港に行くと、必ずのように2階の山下書店に寄る。酒好きの男は酒屋や飲み屋の前は素通り出来ない。本好きの男は本屋の前でちょっとでも覗いてみて、本棚にならんだ背文字を見る。大抵、本選びは背文字で決まる。今回はこれだった。「人は『感情』で老化する」という本です。
 もっとも、これは拙い標題ですね。読んでみて、そのことがはっきりした。私なら「人は『感情』で若返る」と題をつけますね。ともかく。この本を買って、早速、ゲートを入り、大分行きの飛行機に搭乗する。
 席に着いたら驚いた。私は3人席の通路側で、もう一方の通路側になんと立木稠子さん、「さん」では失礼で、新聞なら「氏」か「女史」にせねばなるまい。しかし、会話では「稠子先生!」とお呼びします。
 中の席が空いていて、ちょうどよかった。隣り同士ではちょっと気がつまる。あまり離れていては折角の同乗組なのに、話も出来ないで欲求不満が起ります。先日の稠子先生が設けて下さったある会合で、お父さんの立木勝(元大分県知事)氏の古いメモを見せて頂いた。「釘宮君のような青年と少しの金をもって一緒に仕事してみたいものだ」と。そのメモを見て私は心に泣いた。
 立木さんは公吏として、腕は立つし、気迫があった。しかも、身辺は潔白だった。あんな役人さんは到底二度と出ないと思う。この方が、当時、大分市社会課長だった。私は戦災孤児や浮浪者の世話をしていて、今で言えば全くのボランティアだったが、この奉仕をやめて伝道に専念する決心をしていたのだ。
 そこで、この立木さんに挨拶に行った。「課長さん、戦災孤児たちの世話は私に代わってやる人も出来そうですから、私はこの仕事はやめて伝道に専念したいのです」。
 立木さんは「えっ、困るなあ。あんたにして貰いたいこと、これから山ほどあるのに」と、お世辞でなく、真剣な顔でそう言った。私も本当に立木さんの期待に応えることが出来ないで申し訳ない気持ちで一杯になった。
 その頃、稠子さんはまだ小学校6年生くらいの少女でなかっただろうか。私が立木さんのお宅を訪ねると、稠子さんは私のことを立木さんに訪ねたらしい。そして父親の立木さんに言ったそうだ。「私は大きくなったら、賛美歌歌手になりたい」。
 「釘宮君、賛美歌歌手なんて、職業ありますかねえ」と立木さんは私に聞いた。「ええ、ありますよ。欧米では尊敬されている仕事です。日本ではまだこれからでしょうが」。そんな会話を思い出して、今、世界に通用する一流の宗教音楽家として名をなしている稠子さんを見ると、私も一種の誇らしい気持ちになる。
 ともあれ、そういう誇らしい懐かしい思い出を孕みつつ、大分への空路に身を託していた。さあ、大分だ。私の神様からお預かりした尊いエリアである。
 ところで、先に買った本だが、「人は感情によって老化する」とある。しかし、私は既に書いたように、「人は感情によって若返る」のだと、言い替えたいのだ。
 「常に喜べ」という言葉は、よく読むと、単なる希望ではなくて、実に命令である。イエス様も宣教の初期にはっきり言われた、「喜べ、喜べ」と。これは原語では「欣喜雀躍、踊り上がって喜べ」という活気に満ちみちた命令碁なのである。
 これは徹底して、陽気に満ち、溢れんばかりの活気であふれた、感情が沸き返っている世界です。この感情の沸き返る気分をもって、日々を生きて行こう。人生は楽しい、成功的。勝利感に満ちて、昼も夜も過ごそう。つまり、昼の生活の場でも、夜の夢の中でも、精力一杯に生きて行くということ! ああ、神様、感謝、感謝! 《く》
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by hioka-wahaha | 2007-12-25 16:19 | 日岡だより

No.311 ヨセフの系図、ヨセフの正義

ヨセフの系図、ヨセフの正義

   一、新約聖書の最初の頁

 新約聖書の最初の頁はカタカナばかりがならんでいる。マタイによる福音書第1章です。
 むかし、救世軍の山室軍平先生がはじめてキリスト教にふれて感激した時のことだ。なんとかこの尊い教えをみんなに知らせたい。トラクトなどという気のきいたものを先生はまだ知らない。先生は当時、印刷屋の活字拾いをしていた少年工であった。
 新約聖書を買ってきた。先生は、それを1枚1枚やぶって、道行く人に配ったそうである。このすばらしい聖書のなかの、たった1枚、つまり2ページだが、これだけでも人の心を変える力があるに相違ないと、少年山室軍平は考えたのである。
 もらった人のなかでは、この最初の1頁のカタカナばかりのところを読んで目を白黒させたろうと、先生の伝記には必ず出てくる話である。
 さて、この系図。もちろんイエス様の系図である。読んでみると、ひっかかるところが2つある。
 第一は、このなかに出てくる女性の名である。4人いて、一人はタマルという。くわしくは聖書を読んでほしいのだが、義父のユダに街娼のまねをして近づき子どもを産んだ人である。
 次はラハブ、異邦人の遊女である。この女もイエス様の系図の一人だ。更にルツ。この名は内村鑑三先生が自分の愛娘の名前にしたくらいだから、悪い名ではない。しかし、異邦人なのである。旧約聖書の律法では「異邦人の女をめとってはならない」ときびしくきめられているのにかかわらずである。
 4人目の女はダビデ王の妻になったバテシバという女性だが、この人はもともと将軍ウリヤの妻であった。このバテシバをダビデは一目みてムラムラと悪心をおこし、王宮につれこんで関係をむすぶ。そしてこの罪をおおいかくすために、その夫のウリヤを巧みに戦死させてしまう。つまり姦淫と殺人の二重犯罪である。もちろん、こういうことはただごとではすまない。ダビデは預言者ナタンにきびしく糾弾され、神様の裁きを受ける。
 以上、簡単にのべたが、こういういまわしい血がイエス様の系図にまじっているということは何を意味するか?
 第二の問題点は、この「いまわしい系図」が、実はヨセフの系図であって、マリヤの系図ではない。イエス様は聖霊によってマリヤの胎に宿ったのだから、ヨセフの系図はイエス様にはなんの関係もない。文章の理屈としてはヘンテコである。これは又、何を意味するのか。
           *
 イエス様は、その生涯の最後において、十字架にかかられ、人類の罪を背負われた。ところで、インドの聖者サンダー・シングは「イエス様はその誕生からして十字架なのだ。イエス様がこの地上に生まれなさるということ、すでにそれが十字架だ」と言ったことがある。
 まさしく、この系図は以上のサンダー・シングの言葉を裏打ちするのである。ヨセフの系図にはユダ族のなかの特にいまわしい血がまじっていた。イエス様はそのような血筋を負われるのである。
 イエス様は「人々の考えによれば、ヨセフの子であった」(ルカ3:23)と聖書に記されている。素っ気ない書き方であるが、実は重要な意味を持っている。イエス様の誕生は、人類の罪の系図を身代りに背負いたもう、そのご生涯をすでに示しているのである。《く》(1992年12月8日の夜の祈祷会にて)


   二、ヨセフの正義とはなにか

 マタイによる福音書第一章の後半を読んでみよう。
 ここはルカによる福音書を読むともっとくわしいが、要するにヨセフの婚約者マリヤが聖霊によってイエス様をみごもったという、いわゆる「受胎告知」の場面であるが、じっさいマリヤは面喰らったにちがいない。
 私たちはその後の成り行きを知っているので、あまり驚かないけれど、マリヤにとっては大変な事である。もし本当に男の子をみごもったとして、その子が聖霊によってみごもった神の子であるなどと、だれが保証してくれるであろうか。ヨセフがこの事態を理解してくれるであろうか。乙女マリヤにとって身ぶるいするような難問である。
 ところで、ヨセフのほうだが、彼はどの時点でマリヤの受胎に気づいたのだろうか。聖書をみると、その点ははっきりしないが、ともかくマリヤの前では何くわぬ顔をしながら、実はそのことに早くより気がついていて苦慮していたのではないか、というように見える。聖書はこうしるしている。
 「ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した」(マタイ1:19)。
 「公けになる」という言葉を新改訳では「さらし者にする」という風に訳しているが、どちらにしてもここの所がどうも分からない。つまり、ヨセフがマリヤを離縁すればこそ、彼女は「さらし者」になるのであって、だまって結婚してやれば、周りの者たちは誰ひとり、マリヤが生んだ子をヨセフの子であることを疑うものはいまい。
 しかし私はこう解釈する。ヨセフはこのまま婚約状態にしておくと、正直者の彼は、自分が告発者になってマリヤを裁きの座におくらねばならないことになる。それはイヤだ。今、破談にしておけば、マリヤの妊娠はローマの兵隊か、だれかに犯されたというように世間からはみなされよう。(実際、ヨセフはそのように思ったかもしれない)。そうすれば、マリヤは恥を負うにしても、律法違反ではないから、石打ちの刑にあうことはない。
 そこで、「ヨセフは正しい人であった」というが、その正しさではマリヤを救うことは出来ない。ヨセフがマリヤを花嫁として受け入れないかぎり、いくら考えても、マリヤを救う道はない。
 かと言って、ヨセフがいかにマリヤを愛しているといっても、自分の子でない子をみごもっている彼女を受け入れることはできない。それはヨセフの正義感がゆるさないし、彼の潔癖感がゆるさない。ヨセフの持っている正義ではマリヤを救うことができないのだ。この地上の正義の限界である。
           *
 ここで、マリヤを愛するヨセフは思い惑わざるを得なかった。そのギリギリの所で、天使は夢のなかにヨセフに現われたのである。
 神様が人間の世界に干渉なさる時、しばしば当の人間たちにとっては災難であることが多い。この時、マリヤもヨセフもたいへんな問題に巻きこまれたわけだ。
 しかし、このような時、天使の声を聞き、天使の姿を見ることができる人は幸いである。「聞く耳と、見る目とは神が作られる」(箴言20:12)と聖書にあるが、一時は驚愕もし惑いもしたけれど、マリヤもヨセフも、天使の言葉を聞き、その夢を見て、絶対の平安を得たのであった。
 そして「イエス」という御子の名前すら、頂いた。神様がその独り子に与える「御名」であった。使徒行伝4:12でペテロが言うとおり、この御名のほかに私たちを救い得る名は天下のだれにも与えられていないのである。《く》(1992年12月10日の朝の祈祷会にて)

〔あとがき〕
東京に行く日が迫って、この「日岡だより」を書く時間が無くなり、やむなく古い原稿を捜しだして来て、再掲載する仕儀になりました。お許し乞う。このヨセフ苦慮の物語、彼の心理状態と信仰にまで立ち入って考えると、ずいぶん込み入って来ますが、少々、小説じみてきますね。▼来週はクリスマス礼拝です。万難を拝してご出席ください。もっとも、普段の礼拝でも、きちんと忠実にご出席なさることをお勧めします。礼拝は神様に対する義務であります。私の父などは隣家が葬儀でも失礼して教会に行きました。▼もうすぐ、幸いなクリスマスでありますが、この日にバプテスマを受ける人が無くて残念です。来年はどうか新しい求道者の方々がどんどん招かれ、バプテスマを受ける方々も多く増えるように祈っています。皆さんもお友だちなどを礼拝にお誘いください。▼本日、私は東京・秋川集会のクリスマス礼拝と、2、3の方々を問安する予定です。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-12-18 15:10 | 日岡だより

No.310 クリスマスが近づきました 2007.12.9

クリスマスが近づきました

 当教会では、この月の22日にクリスマス子ども大会、23日にクリスマス日曜礼拝、24日にクリスマス・イブ礼拝をする予定です。
 信徒の皆さんも出来るだけ連日、ご出席ください。クリスマスはイエス様のお誕生日です。そのお祝いの日です。
 いつも教会にお出でにならないお家の方々も、お近くの親しい方々も、どうぞご遠慮無くお出でください。
 本当のクリスマスは、2千年前のユダヤのベツレヘムの馬小屋の中でした。イエス様は馬の食べる飼葉桶の中に寝かされていました。
 イエス様は元々、神様の独り子、折角のお誕生なのに、なぜそんな粗末なお迎えしかできなかったのでしょう。
 それは将来、イエス様は私たちの心の中に生まれなければならなかったからです。
 つまり、卑しい、汚れた、私たち人間の心にイエス様はお住みになる筈でした。
 「イエス様、私の心の中に来て下さい」と、お願いする私たちの心に喜んでお入り下さり、私たちを神の子どもにしてくださる、その尊いお仕事をイエス様は目指しておられたからです。
 ですからクリスマスは、単に2千年前のことであるだけでなく、現在の私たちの心に起ることなのです。ですから、あなたも神の子になれます。
 あなたの心が、たとえ馬小屋の飼葉桶のように汚臭に満ちていても、あなたが「どうぞイエス様、私の心にお出でください」と申し上げさえすれば、すぐにイエス様はあなたの心の中にお出でになります。
 イエス様をお迎えしましょう! 《く》


「回心」について

 「ハーザー」1月号に、私の「平和論を超える」の(二)を載せて貰っています。同じ自分の文章なのに、こうして雑誌に堂々(?)と活字になって載ると立派に見えるから不思議です。社主の笹井さん、有り難うございます。
 「ハーザー」には毎号、手束先生や奥山先生の文章も載っています。みなさん、読んでください。このお2人の先生、お2人とも知識該博、文章達意、意見独特、感動無比ですね。
 また、田中菊太郎先生の各地のキリシタン殉教事情探訪記事も毎月載っています。絶対、欠かせない読み物です。
 さて今月号には特に、尾形守先生の「リニューアル組織神学」と題した連載32回目の、重みのある論文があります。
 是非、みなさんに読んでほしい好ページです。尾形先生の今回のタイトル、「回心」です。私の最も好きなテーマです。
           *
 この「回心」については、私は一度、本年7月15日の289号に書きました。私は非常に狭い角度で書いています。それに比べ、尾形先生は広範囲にわたって穏当な書き方です。私は神経質なほど究極的に押し詰めて書いていますので、ひょっとしたら不安や反感さえ抱く方もおられるかも知れませんが、辛抱してお読み下さい、呵々。
 私は前述の本紙289号でも書きましたが、内村鑑三先生は石原兵永先生との対話の中で、この回心をコンポルジョンと呼んでいます。当時のアメリカ英語でしょうが、ともかくその中で、「この回心が無ければ信仰とは言えない」などと言うような事をも言っているのです。本当でしょうか。
 この言葉、日本ではコンバージョンと言い習わしていますが、一般の意識や思想の転換と違って信仰上の意志転換に関してはコンバーションとジョンではなく、ションと末尾が濁らないのが本当だということを聞きました。
 最近、福音歌手の上原令子さんが見えられて、話題がたまたまこの事に及び、「そうです、そうです。コンバーションです」と英語に慣れた上原さんがおっしゃるので、びっくりしたことでした。
 営業マンから、ある契約を勧められる。渋っていたが、とうとう考え直して契約を決心した。そういう場合の意志転換はコンバージョン、つまり人間の意志による意志転換だが、聖霊による霊の深みにおける意志転換、それがここで言うところのコンバーション、私の言いたい回心なのです。
           *
 こうしたコンバーションの中でも特に際だったコンバーションは、聖書ではパウロのダマスコ途上の回心です。使徒行伝第9章1~9節に見られる「天からの光」体験です。インドの聖者サンダー・シングもこれに似ています。私の父・釘宮太重という人もそうでした。
 私がしばらくお教え頂いた手島郁郎先生の手元では、よく転倒したり、電気に打たれたようにビリビリしたりで、信仰に入りました。
 これらすべてを、手島先生の集団(幕屋と言った)ではコンバージョンと呼びました。
 しかし、私の体験したコンバージョンはいとも静かでした。それは前述の内村鑑三先生や石原兵永先生式のコンポルジョン同様でした。
 それは、かつて書きましたように、戦時中の福岡の刑務所の独房の中で、外見的にはヒッソリとした回心でした。1944年11月23日午後5時頃のことです。そばに時計があったら、ジョン・ウェスレーのように、その時刻を覚えられたと思います。
 光も見えず、声も聞えず、倒れもせず、心の内面だけで、確実な霊的転換の事実を体験するのです。だれも、これを否定できません。いや、自分自身でも、如何に否定しようとしても、否定できません。
 内面深く、金剛石に更に固い鑿でもって印刻されたように、霊の深みに刻み込まれるのです(第二コリント3・3参照)。
 さて、こういう信仰の霊的(また意識的)な大転機を私の父は何の予備知識もなく、経験したのですから凄い恵みです。だって、失礼ながら、多くの先生がたや信仰の先輩がたも知らない、信仰の秘義とも言うべき経験を、いきなり受けたのですから。
 彼は家に帰り、暗い納屋の中で、「キリストの神さん、私は何もあなたのことを知りませんが、今日、教会の牧師さんに聞いてあなたのことを知りました。天道是か、非か。神も仏もあるものか、と人からいじめられて腹も立つし苦しんでいます。『祈ったら分かるよ』と牧師さんに言われましたが、どう祈ったいいか分かりませんが、お願いします、神様、あなたのお顔を見せてください」。
 そう叫んだ時、突然。光がさした、と彼には思えた、そして、何か偉い方がそこに来ておられるような。近寄りがたい荘厳な空気が辺りを支配した。父は「ヒェーッ」と平伏した。
 「神様、わかりました」、これが父の見神体験である。確実な「回心」であった。
           *
 父は私の7歳の時、天に召されたので、この父の回心のことは母から聞いたのですが、そうした信仰には初心(うぶ)な母でしたが、父の信仰を求めて、毎朝大分川のほとりに祈りに行ったそうです。そして。この同じ体験をしたのでした。
 私は思春期の頃、いわゆる宗教年齢期であった。親友の厭世哲学からくる自殺願望が日々忍び寄ってくる。私は人生の確かな解決を求めた。それには、信仰しかなかった。私の求道が始まるのである。
 時代はちょうど、大東亜戦争の不安な時代、青年たちは国家の軍事的愛国心に騙され踊らされた時代であったが、私は伯父たちの影響もあって、そうした興奮時代にたいし冷静であり、醒めて時代を見ていた。それのみか、反戦思想がふくれあがって行く。
 私の苦悩は深まる。正比例して、私の信仰渇望度は急角度で上向いて行くのだ。あの軍国時代、そのまっ只中で反戦思想を心にいだき、それを口にするということは、当時の国民にとっては到底、考えられない非国民的思向だったのです。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-12-11 12:47 | 日岡だより

No.309 大東亜戦争を覚えよ 2007.12.2

大東亜戦争を覚えよ

 今年も12月8日を迎えようとしています。大東亜戦争が始まった日です。私は今でも、この日を迎えると身震いがする感じです。
 あの日の朝、ラジオを聞きっ放しでした。もちろん、当時テレビなどありませんからね。
 耳に聞こえるのは、昂奮したアナウンサーの声。そして大本営発表の某大佐の声。軍艦マーチ。そして上ずった東條首相の声。この東條さんの声が私は嫌いでした。(こんな感じを持ったのは私だけだったでしょうか。多くの国民にとり、東條さんは英雄の一人でした)。
 ともあれ、あの日本海軍航空隊の真珠湾攻撃、あれは劇的でした。今は滅多にみることはできませんが、あの時の日本の飛行機の姿は格好良かったですよ。というのも、前々から映画のフィルムに収める用意をしていたし、その撮影技術も相当なものだったということです。
 後々の話ですが、日本軍がボルネオの内陸部に河川を上ってゆく大型ボートの戦隊のニュース映画がありました。これも良かったです。日本ニュース映画社と言っていましたか、当時の統制会社ですが、私の脳裏には今もその映像が残っています。
 さて、あの真珠湾攻撃ですが、日本人は、誰も昂奮しましたよ。人間は勝っている限りは、戦争好きなんですね。まして、あの真珠湾攻撃の格好良さには拍手喝采、バンザーイです。
 さすがの、非戦論者だったはずの私でも、痛快気味でワクワク昂奮しながら、ラジオの放送を聞いていましたね。
 しかし、この突如始まった戦争はどうなることだろう。非戦主義者の私の、これからの運命を思って慄然としたものです。一億の日本人がすべて私の敵になったという実感がありました。
           *
 後に、第二次世界大戦とも呼ぶこの戦争を私は時おり、昭和十五年戦争と呼びます(日中日米戦争とも呼びますが)。
 世界大戦というのは、ドイツ、イタリアと日本とが世界新秩序を目的として三国同盟を結び、これを自分たちで枢軸国と称した時からです。
 すでにドイツはオランダに、イタリアはエチオピアに侵攻していました。こうして日独伊三国がアメリカとイギリスに敵対するに至った時、戦争は世界的規模になりました。
 日本にとっての戦争の経過は、昭和六年の満州事変から始まります。翌年、上海事変、そして満州国建国と続きます。
 事変というのは当時の日本政府の呼び方で、天皇名で宣戦布告をしていない戦争行為を事変と呼ぶのです。宣戦布告をすると戦争です。
 前述の昭和16年に真珠湾攻撃を始めた時、対米宣戦布告をしました。同時に中国にも、イギリスにも、オランダにも、フランスにも宣戦布告したはずです。この時から戦争です。中国に対しては、それまで事変でしたが、この時から戦争に格上げです。
 それではイギリス、オランダ、フランスに対して何故、戦争か? それは、イギリスやオランダもインドや東南アジアに、それぞれ植民地を持っていたからです。日本は、それぞれの植民地解放と称してノロシを上げたわけです。
 事実、この戦争のお陰で、アジアから白人国家の支配力が一掃されたのです。単なる名目でも、目的を宣言し、行動を起すと、その行動自体は失敗しても、その目的が実現するとうことが見て取れます。
 これは面白いです。なんでも、良いことは宣言、行動することだなあ、と思うことがあります。私たち個人の人生においても。
 ともあれ、この東南アジアの解放の事実はアジア各地から日本が尊敬されてよいことです。
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 ところで、私は既に反戦主義者だったでしょう。一億一心、戦争に邁進する好戦民族日本人の中で、たった一人、反戦主義者であるということは、まさに自殺行為です。
 今でこそ、平和日本などと唱えていますが、日本人は本来戦争好きだったなと思います。神武天皇東征以来、九州のクマソ征伐、東北のアイヌ征伐、戦国時代、(徳川時代は措いて)、明治になると大陸からの攻勢に備えてとは言え、日清、日露の戦争ですよ。
 誰も気づかぬようですが、日清、日露など、いつも日本は宣戦布告せず、いきなり不意打ち、なぐりこみで戦争をはじめるのです。日清、日露の戦争の歴史を調べてご覧なさい。真珠湾攻撃と同じです。
 これは弱い者が、強いものに戦いを仕掛ける戦法で、情けないですし、残念ですね。しかし戦争の常識としては、油断していた先方の負けなのです。
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 さて、私の反戦主義は伯父の釘宮徳太郎の影響でもありましたし、また矢内原忠雄先生の本を読んで、すっかり非戦論に傾倒していました。
 大東亜戦争を、アメリカはこれを太平洋戦争と呼びました。たしかに彼らに取っては、戦場は太平洋でしたし、戦い守るべき国益も太平洋領域だけでした。しかし、日本に取ってはあくまで、それは大東亜です。少なくとも、中国から、フィリピン、ベトナム、マレー半島。それにインドも欲しいなということです。インドで欲しいのは綿だったでしょうね。
 大東亜戦争の始まった年の8月に私は徴兵検査を受けますが、私は第二乙種でした。甲種合格にでもなれば現役です。
 そうなれば、「私は戦争に反対です、兵隊にはなりません」と意思表示するつもりでしたが、主任将校が「第二乙種だ、甲種にはなれん。残念じゃったのう」との宣言を受けて、拍子抜けして家に帰ったのを覚えています。
 徴兵検査の現場で、私が兵隊に行きませんと言うや否やひっぱたかれて、尋常には家に帰れないことは必然と覚悟していましたから、私は却って予定のなかった平穏な時間の中を帰って行くわが身が奇妙に思えて仕方ありませんでした。
 私が徴兵検査を受けたその年の暮れ、12月8日にいよいよ対米戦争がはじまります。真珠湾攻撃です。あれは先にも書きましたが、華々しかったですね。反戦主義者のはずの私も、毎日ラジオに耳を傾けっぱなしでした。
 大国のアメリカの軍艦をコテンパーにやっつけるのですから、痛快、面白くて仕方がない。愛国心というものが肉親愛、身びいきの国家大にしたものだと、よくわかります。
 ともあれ、こうしてアメリカがわに言わせれば太平洋戦争が始まるわけです。まさにアメリカにとっては太平洋戦争です。
 あの戦争は早くよりルーズベルトが罠をかけるように準備していたと、訳知り顔に言う人がありますが、準備していたかどうかは別として、用心していたことは当然でしょう。
 昭和五年頃の私どもが読んだ少年雑誌には、既に「日米もし戦わば」という扇動的な記事が出ていましたよ。ですから、いつ日本と戦争が起っても慌てないように心構えしておくのは当時のアメリカ大統領としては当然のことです。《く》

〔あとがき〕
教会暦では今日からアドベント・待降節です。つまりクリスマスを迎える節に入りました。クリスマスの準備、心も集会や、設備等の準備も整えましょう。さて、▼先々週の土曜日から手束先生の高砂教会にお招きを受けて行って来ました。私のすることは僅かで「笑いの講習(!)会」だけでしたが、私の「笑えば必ず幸福になる」の小冊子は大層、捌けましたよ。実は、手束先生ほど私の「笑いの提唱」を評価して下さる方はいませんし、笑いの価値と、ここ10年ほどの世界的「笑いの運動」の発展についても、熱心に語ってくれる人はいません。▼一見、学者然としたところもある手束先生が「笑いの推薦」を語られると意外の思いもしますが、私と違って大きな声で「ワッハッハハ」とはやらないが、先生の表情は何時も笑いを含んでいることに気づきます。また高砂教会の信徒のメンバーも、いつもニコニコです。▼「イエス様に笑いの記事が無いのはイエス様が常時笑っていたので、それが当たり前のことだった。だから特別に記事にならなかったのだ」、と手束先生は早くより気づかれていたそうです。先生はじめ信徒の方々に愛され、守られて「高砂聖霊カリスマ・アシュラム」の3日間を過ごして参りました。感謝! ▼アシュラムということについて、私は当教会であまり語っていないことに気づきました。私自身は戦前からガンジーさんなどの自伝で本来のアシュラムのことは知ってはいました。当教会の独自のアシュラムとしては、会場として由布院の望岳荘は最適だなと、思っています。いつか実現しましょう。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-12-04 14:38 | 日岡だより