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No.291 日本を救う道はあるか 2007.7.29

日本を救う道はあるか

 日本を救う道はあるか。ある! 絶対にある。私は先日(7月10日)の夜、祈祷会でそのことを語った。
 その夜は実に淋しい祈祷会だった。集まる者は、私と娘のせつこと、大平君、首藤君のみ。
(皆さん、もっと祈祷会を大事にして下さい。牧師を励ますのは祈祷会出席が一番です。この「日岡だより」は、あちこちの親しい牧師先生がたにお送りしています。たった4人出席の定例祈祷会のことなど書くのは、私としては如何に恥ずかしいか、考えてみてください。(ハハハハハ、例の得意の哄笑です。少々ヤケッパチの笑いですが。)
 さて、その先日の祈祷会で学んだ聖書の個所はテトスへの手紙第3章8節のみ言葉である。言わく、
「この言葉は確実である。わたしは、あなたがそれらのことを主張するのを願っている」。
 この「主張する」という言葉は、ディアベバイオウサッサイという少々言いにくいギリシャ語、「強く確信をもって断言的に主張し続ける」という意味である。(文法的には現在形不定法、習慣的継続的行為をさす。)
 「この言葉は確実である」とパウロは、それまで書いてきた彼の書簡の言葉を振り返って、「だからテトスよ、これらの言葉を強く確信をもって断言的に主張し続けることを願っているよ」と言うのである。
 この夜の祈祷会で、私はもともと「回心」について語っていたのであるが、つい私の父の回心と、伯父徳太郎の画期的な伝道活動のことについて触れたのであった。父の聖霊感動にあふれた回心について語るのが本来の狙いであったが、つい釣られて伯父の伝道姿勢のほうに言葉がはずんだ。伯父はミッションにも教団にもよらず、自費を用いて独立会計で大分市中心の会館で集会、また自分で書いた署名入りの伝道文書をあらゆる方面に向かって送付した。
 また、講演活動では、今で言えば田舎の農協などに行って、その壇上に立って農業の将来、政府機関への主張、国際情勢等の紹介を信仰談を交えて語った時、それが3時間にも及び、聴衆を飽かせなかったと、大分市の地元新聞の記事に載ったことがある。
 伯父にはそれだけの社会的地位もあったのである。県知事クラスの並居る宴会の場で、彼は酒を絶対飲まない。
 昔の伯父を知っている芸者さんたちは、「まあ、クーさん(放蕩時代の伯父の芸者仲間のニックネームである)。昔は酒樽を背中に飲んでおらしたのに」と評判したと言う。
 この伯父の主筆伝道雑誌「復活」は、よく戦前の内務省検閲で発禁を喰った。発禁というのは雑誌類の発行禁止、発売禁止である。
 その雑誌の巻頭に「醒めよ、日本。軍部あたりでは、ヒットラーの真似でもあるまいが、しきりに強硬外交を唱えているとか」などと書いている。これでは当時の日本では発禁を喰うのは当然であろう。この伯父に感化されて、私の信仰は当初より信仰的「祖国愛」と密着し、後の私の兵役拒否にまで影響するのである。
 伯父は昭和11年2月27日に天に召された。青年将校クーデターの2・26事件の翌日である。伯父の死の電報が東京の先生がたに届くと、どなたも皆、大分の陸軍聯隊の青年将校たちに殺されたのかと思ったそうである。実は肺炎の病死であった。今で言えば、まだ60歳前の若さであったが、当時としては、既に老爺の風格があった。
 ともあれ、テトスへの手紙の「いかなる反対、圧迫にも、動ぜず、確信ある主張を続ける」ことについて、この伯父の例を引用して語ったのだが、私も次第に興奮したのだろう。たった3人の姉妹たちを相手に、臆面もなく語りだした。
 「日本は変わらねばならぬ。キリスト様の福音によって、日本は変わる筈だ。キリスト様の福音にはその力がある。だれか、一人がそれを信じて、テトスのように主張するならば、たとえ、私一人であっても、私一人の主張で日本は変わると信じる」
 まさに、向こう見ずの大胆説教である。もっとも、聞く者はそれこそ、せつこと大平君、首藤君の3人。私は「井戸の中の蛙」であろうか。照れもせず、いや少々照れたが、真剣だった。
 祈祷会が終わって、9時半に夕食。その夜は、私は何の変哲もなく、遅くベッドに行って、すぐ眠ったのだが……。
               *
 その翌日、7月11日(水)だが、私は5時前に目が醒めて起き、5時半に会堂に行って早天祈祷。8時まで、ほとんど念祷の祈りでを続けた。(念祷の祈りというのは、後日説明する。)
 その祈りの終わりの時、思いもかけない事が起った。みぞおちのあたりだが、奥のほうから何か柔らかい棒状の塊のようなもの浮き上がってきて、それがわずか4、5秒ほどの間だが、私の心に匂いとして、また美しい色として、また何か音楽的響きとして、迫ってきたのである。
 「わあー、嬉しい」と思って私は胸を抱いたが、その現象はすぐ消えた。わずか4、5秒ほどのことだったが、その印象はしばらく私の胸元に残った。私はそっと右手を胸にあてて、その感触を想い返し、また温存しようとさえした。この忘れがたい霊的感触は感動的であった。前夜の「私一人で日本は変わる」と不敵な宣言をしたことと、今朝の念祷の祈りに関係があると、私は信じている。
 ところで、冒頭に書きかけていた「日本を救う道はあるか」の続きを書きたいのだが、それには10年ほど前の週報「キリストの福音」の1996年12月29日(つまり年末号)に載せた「昭和天皇のこと」という短い文章が適当だと思うので、以下に転載する。
               *
 最近(1996年年末当時)、日本のキリスト教界において天皇家の問題が大きく浮上しつつあります。
 明治天皇の孫にあたると言われる小林隆利先生という牧師先生が現れて、明治天皇と昭和天皇はクリスチャンであった、というような破天荒なことを発表されて以来です。
 一昨年でしたか、ある敬愛する姉妹からこの小林先生の講演テープを送っていただいて、最初聞いたときはびっくりしました。
 おだやかな話しぶりですが、説得力があります。私は最初、ユダヤ人十部族と日本人の祖先との問題で権威者の小石先生に尋ねたものです。
「あの小林先生ってホンモノですか」、「ええ、ほんものです。いい方です」というような簡単な問答ですませていたのです。また、ある会合でこの方に会ったことのあるという他の某兄弟に尋ねました。すると「正直そうな人です」とのお答え。人物に問題はなさそうです。わざわざ話題を創作して噂の渦中の人になりたい、そんな人ではない。
 そこで、夢が湧くのです。こうして明治天皇もクリスチャンだった。昭和天皇もクリスチャンだったという。天皇家の中に、その周囲にクリスチャンがどんどん生まれていると聞く。今は宮内省の役人の3分の1がクリスチャンだ。そういうニュースもある。
 この勢いで行けば、日本のリバイバルは、ほどなく日本貴族階級から起りそうな気配です。
 そこで考えました。なるほど、日本では万事が上から下へ。仏教が日本にはいってきた時も然り、天皇家がまず仏教を信じた。ある天皇は「朕は御仏の奴(やっこ)である」とさえ言ったという。
 ならば、今の天皇様が「私はイエス様のしもべであります」と告白したところで可笑しくない。
 私は想像しました。今の天皇様がテレビに出て、世界に向けてこう言う。「私は罪人でした。私は悔い改めます。私はイエス・キリストを信じます。私は今後、イエス・キリストの忠実なしもべとして日本の天皇の務めにつきます」。
 まさしく世紀の大ニュースですよね。ところが、私はその後も小林牧師の講演を何本かテープで聞いたのです。そして最近のテープで昭和天皇のことを聞いた時、「おや……?」と思ったのです。こんなお話でした。
 「敗戦のとき、昭和天皇は責任を感じて切腹を図ったのです。ところがそれを知られたお母さんの昭憲皇太后が戒めました。『なんと言うことをなさるのです。あなたはクリスチャンではありませんか。自殺なさるとは何事です。戦後の日本国復興のためなさることは一杯あるでしょうに』と」。
 昭和天皇はそこで切腹を思いとどまったのです。私はこの話を聞いた時、信じられませんでした。昭和天皇に切腹などという、そんな気概があったなら、その後の昭和天皇にはもっと違ったご様子が伺えたはずではないか、と思うからです。
 どうも、昭和天皇がクリスチャンだったというのは、私には信じられません。小林先生は、昭和天皇に惚れこみ過ぎているのではないか。私はひねくれているのかも知れませんが、そう思うのです。
 なるほど、昭和天皇はキリスト教的思想にも理解あり、平和な人柄であったかも知れません。しかし私には昭和天皇が如何ほどキリスト教に近い方であったにしても、天皇様ご自身が、ご自分の罪を認め、ご自分の罪を悔い改め、イエス・キリスト様をご自身の罪の贖い主として受入れておられたとは信じられないのです。
 昭和天皇が戦争責任に関する弁明をしたり、外国の大統領に戦争中のお詫びを述べたりされる時、外務省の作文をそのまま無表情に読まれていたような記憶があります。
 本当に信仰を持って居られたらならば、ご自身の真実の声を一種の「失言」でもよいから、その真実の声を表現するくらいの勇気は出せたはずと私は思うのです。いいえ、テトス3:8のように、強く確信をもって、断言して、主張して欲しいのです。
               *
 以上は先に述べた10年ほど前の私の文章ですが、こんな文章を書いていたこともすっかり忘れていました。
 ところで、近上天皇陛下はいかがでしょうか。近上(きんじょう)天皇という呼び方は今のかたは知っていますかねえ。
 現天皇様は皇太子の時、昭和天皇のご希望で、家庭教師としてヴァイニング女史に学ばれました。ヴァイニング女史はクリスチャンであるとして広く報道されました。
 当時の皇太子さまが、美智子さんとご婚約中、軽井沢の路上で田中先生の思い切った著書進呈でお近づきになれたことは有名です。そのご、田中先生の師である滝元先生や、また別のルートなんでしょうが、奥山先生なども那須のご用邸には時々お招かれになるようです。
 こうした事から、天皇陛下をはじめ、皇族の方々に宣教的接近は案外容易なことなのだとは理解でます。しかし亦、そうは言ってもさまざまな障碍はあるだろうとは誰でも見当つくことです。しかし、もはや金城鉄壁の難所ではないということです。
 皇室の伝統的密室体質を気にして、最初から伝道は困難だろうと、ビビることはないのです。相当の準備、用意は大切でしょう、しかし用心しすぎて身動き出来ないなあという態度は禁物です。いかなる伝道の場合でも、大胆、慎重にアプローチ、アタックしようではありませんか。
 こうして、日本一千万救霊どころか。日本民族総福音化は夢ではない。必ず、実現する。まず天皇家にアタックする。(すぐ、美智子さんにトラクトを送る? そんな幼稚なことではない。それでは、どんな高等戦術?) そう、御霊に頼る高等戦術、だれでも参加できる高等戦術がある。
 たとえ、社会の下積みにいる若者でも、如何に貧しい無学な老人でも、誰でも出来る皇室へアタックは、祈りです。祈りです。祈りましょう。
 皇室では秋篠宮殿下がクリスチャンであるとは、私は早くより聞いていましたが、こういう例はなぜか公表されない。公表しにくい何かがあるのでしょう。それだけに皇族方こそ気の毒です。この閉鎖性を打破せねばなりませんね。日本のために祈るとき、天皇陛下ほか、皇室の方々のために祈らずにはおられません。日本国民と天皇家とのきずなは切っても切れないものなのですから。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-31 14:42 | 日岡だより

No.290 信仰の基本を学ぼう 2007.7.22

信仰の基本を学ぼう

 茨木キリスト福音教会の教師をされている米川明彦先生が、新しい本を出された。「使徒信条と主の祈り」という、題名だけを聞くと面白くない本に思えるかも知れないが、どうしてどうして……。
 先生は博士号を持っているれっきとした学者だが、俗っぽい世間の言葉が好きだ。言わく、「読んでニンマリ 男と女の流行語」という著書もある。
 かつて一度、当教会にも来られて、お証しと、ご講義を願ったことがありますね。
 先生のお証しと言えば、まず「耳の不自由な女性との結婚」である。けっして、いわゆる障害者への憐憫からではない、本当に愛されて求婚された事情をお聞きしているが、更に聞いて微笑ましいのは、いつも奥様とは熱烈なる愛の会話が手話でなされるということです。
 そして上達された手話の特技(?)をもって、「日本語-手話辞典」を完成された。こんな辞典は世界にも他に無いのではないか。
           *
 さて、この「使徒信条と主の祈り」という本のことだが、これがすばらしい。ちょっと聞くと、堅苦しい教理の解説だろう、「取っつきにくいな」と思うだろうが、そうではない。
 先生の日本語(!)は正統派だが、そして分かりやすい。「教理学などイヤーン」という人も、すぐ理解出来る。しかも、学問的にはピシッと正しいのだから、安心です。
 「使徒信条と主の祈り」は信仰の基本です。クリスチャンの信仰の背骨をチャンと真っすぐ立たせてくれる教科書、みなさん張りきって、この本を買って下さい。釘宮先生、さっそく米川先生の真似をして面白い講義をしてさしあげるつもりです。《く》


「癒しの賜物」について

 私たちの神様から頂いている信仰、確信、霊的賜物について、時に応じてはっきりと大胆に人々の前で告白し、宣言すべきなのです。
 なんだか厚顔すぎるような、慎みのない礼儀知らずの人間のように思えて、躊躇したくなるが、必要な時には思い切って自分に与えられている霊的賜物を誇示することは、その賜物の与え主なる神様への恩の報いでもある。大いに良いことなのだと思ったのは、最近の私の経験であった。
 先だって、ある教団のセミナーに参加した。その際、ある分科会に顔を出した時のことだ。
 ある先生が、「よく教会で『癒し、癒し』と声高に言うけれど、あれは少々問題じゃないか。病気だって、時には神様の御心だから、一概に悪いものとは言えない。もっと落ち着いた、真摯な福音宣教の方向を考えるべきじゃないか」というよう意見を語り始めた。
 癒しを前面に押し出した過度な伝道のやり方を批判したものだろうか、と私は思って聞いていたのだが、その先生のシニカルな、やや否定的なお話がなかなか収まらないので、私もたまらなくなって、つい口を出してしまった。同席の信徒のみなさんに悪い影響を与えそうな気がしたからである。
「先生ねえ、少し差し出がましいけれど、ご免なさい。私も癒しということが福音の中心とは思いませんが、しかし大事な要素だと思います。少なくともイエス様のご生涯を拝見すると、癒しはイエス様の宣教の大事な一部ですよね。
 私は『癒しが無ければキリスト教ではない』、というようなことは一度も言ったことはありませんが、しかし求められれば必ず癒しのご奉仕をしています。口はばったい言い方でしょうが、私は神様から癒しの賜物を頂いていると確信しています。私は決して病人の方に手をおいて祈って差し上げて10人が10人癒されたなどとは申しません。10人祈って差し上げて明確に癒されるのは2人か3人しかないかも知れません。それでも私は自分は神癒伝道者としての尊い賜物を頂いていると確信を持っているのです。
 ですから、申し上げますが、癒しは尊い神様からのギフトです。これを控え目に遠慮して、『有っても無くてもよい』もののようにいうのは反対なんです。繰り返しますが、私は神様から賜物として癒しの力を頂いているのです。私は神癒伝道者としての自覚を失ったことはありません。」
 こう言い切ってしまって、少々言い過ぎたかなと顔を赤くする思いをしたのも事実ですが、また気分がスキッとしたのも事実です。その先生もバツが悪そうに黙っていましたが。
           *
 この旅行から帰ってすぐ、熊本のN姉から「愛猫シャローム君が便の出が可怪しくて心配です、祈ってください」とおっしゃる。私は半ば吹き出しながら、祈ってあげた。2、3日してすっかり癒されたと報告がありました。
 次は、別のN姉がやって来た。胸のあたりが痛いという。肋骨か筋肉か分からないが痛いのですと言う。手を当てて祈ってあげたのだが、私は又、「病院に行ってお医者さんに見て貰いなさい」とも言っておいた。
 2、3日して、そのN姉のご主人が来た。腰が痛いという。腰に手を当てて祈ってあげた上、これまで痛かった腰のあたりの動きをためしてもらうと、「不思議ですねえ、もう直っています。」と言う。「本当かい」と念を入れて聞くと「はい、直っています」と言いながら、「ここだけが、ちょっとまだ痛いです」と、大腿部のほうを指差します。
 そこで私は、そのまだ痛いと言っている個所に私の指を突っ込むようにして祈った。すると、一瞬に痛みは消えたと言う。
 そこへ、2、3日前、医者に行ったはずのN姉が私のところに来て言う。
「先生、例の胸の痛いところが治ったようなので、医者に行って『痛い所なおりました』と言ったら、お医者さんが言うのです、『それどころじゃなかったんだ。痛かったのはともかく、実はあなたの病気は血液の病気だったんじゃ。それが治っているんですよ。こんなに簡単に治る病気じゃない、不思議だよ。私は、すぐにも学会に報告しなくちゃならん』と言われました」と。
           *
 こうしたことが連続して起るので、私は驚いてしまった。そして、一つのことに気がついた。
 例の某分科会で「私は神癒伝道者です」と発言したことだ。滅多にあんなことを会合で言う事はないのだが、あの時だけはどうしたわけか、堰を切ったように私は言ってしまった。
 しかし、ああいう自己確認というか。自己宣言というか、時には遠慮なく大胆に発言することは良いことなんだな。あれが、ここ数日の強力な癒しの効果の発現の原因ではなかったが、と気がついたことです。
 本文の冒頭に書いたことですが、自分の自慢、誇りではないのです。神様から頂いた賜物と、その恵みについて、はっきり告白することは、神様の誉れのため必要なことなのです。また神様への感謝と証しとして、しっかり表白すべきことなのです。これが又、私たちの信仰の力をはっきり表すためのコツでもあるのです。コツという言葉は平俗すぎて神様に申し訳ないですが、そのように確信させられたのでした。
 神様から与えられている恵みの賜物を、大胆に人々に向かって公開し、自分でも確認する、これは折角いただいた神様の恵みをいたずらに内緒にせず、人々に示して多くの神の民のための共有財産とする、これは非常に大切なことなのだ。神様から頂いた賜物を無為に眠らせず、しっかり神の民のために役立てるのだ、そういうことを教えられた今回の経験でした。《く》

〔あとがき〕
はじめに書きましたが、米川明彦先生の「使徒信条と主の祈り」と。宮崎県日之影町で大胆な開拓伝道をされて、今回新会堂を建設された城尾マツ先生の「日の陰に光あふれて」(林黛子著)が教会に送られてきています。お買い求めください。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-24 15:49 | 日岡だより

No.289 忘れ得ざる日 2007.7.15

忘れ得ざる日

 先週の7月12日、終日、私の友・荒巻保行を偲んだ。この日は私の忘れ得ざる日である。昭和16年7月12日、彼は死んだ。自殺であった。
 私はそれ以降、何度か自殺願望に捉われた。兵役を嫌って自殺を図ったのも、実は荒巻の後を追いたかったのだと言ったほうが、正しかったかも知れない。
 1903年のことだが、「人生不可解なり」と言って、華厳の滝に跳び込んだ藤村操をはじめ、それ以後、芥川や、太宰治など、世に一種のまじめな自殺がいろいろあったにしても、わが友・荒巻保行のような真摯な自殺行は、私は聞いたことも読んだこともない。
           *
 その数日前、彼を訪ねた。彼の父が建ててくれた別荘に住んでいたが、彼はその前年、発病した肺結核の療養中なのであった。その病気ゆえに心を病んで、自殺したのだと周囲の者は思っていた。
 彼は私にこう語った。人の生き様を見ていると、要するに人はすべて、善につけ、悪につけ、自己中心である。「俺は善いことをするんだ」と善意をもって為すにしても、それも自己中心である。自分のように善を為し得ない連中を見ると心の中で彼らを蔑む。そういう心の卑しさから人は免れえない。
 人はすべて、このように根底的に自己賛美者だ。自己中心だ。そして自己憐憫、自己憎悪に陥る。それらはすべて自己中心の裏返しではないか。そこから、俺は抜け出したいのだ、だから死ぬ外はないと、私に言った。そして、事実死んだのである。
 私には分かる。彼は、そこで死んで自分の生存悪が許されるとは思わなかった。彼はただ、ひたすら彼の人生にピリオドを打ちたかっただけなのだ。《く》


「回心」ということ

 私が「回心」という言葉を知ったのは、石原兵永先生の「回心記」(現在絶版)を読んだ時である。そこには確実な魂の転換があった。私はまだ20歳にもなっていなかったが、私はそれを一心に求めた。
 その初版の本には内村鑑三先生の「コンポルジョンについて」という解説が載っていた。「コンポルジョンが無ければ本当の信仰ではない」などと先生らしく、やや過激な語り口であった。コンポルジョンは明治調の翻訳語で、今で言えばコンバージョンである。
 内村先生は札幌農学校で、すでにクリスチャンになっていた。しかし、離婚や何やかやで信仰の自信を失っていた。信仰の一新をしたいと思っていたであろう。そこでアメリカに渡った。そしてアマストマ大学でアルバイトの石炭運びをしている時、回心を体験した。彼は歌った、「あるものの胸に宿りしその日より輝きわたる天地(あめつち)の色」と。
 インドのタゴールも同じような経験をしている。その時、彼が振り仰ぐとヒマラヤの山々が神秘に輝いていたという。
           *
 回心について最もくわしい本はウイリアム・ジェイムズの「宗教経験の諸相」(日本教文社刊)であろうか。プラグマチズム哲学者らしく実例を沢山あげている。今でも結構古びていない。
 この本は賀川豊彦先生も愛読したという。(「回心」という言葉を平凡社の百科事典でひいたら、かなりよく書いてあったので感心した。特にゆるやかな回心と突然の回心に分けてある箇所など、実際に回心を体験した人や、それを求め、期待している人々に参考になる記事だと思う)。
 先日、某兄から電話で、「信仰が分からなくなった」と言ってきた。何ごとか問題が起こって信仰的にもショックを受けたのであろう。「自分の信仰は果たしてホンモノなのか」、「そもそも自分には信仰なるものがあったのだろうか」などと悩むのである。前記の回心という経験を持たない人はこういう時に弱い。回心経験を持っている人は、患難に襲われても、どんな信仰の危機にひんしても、容易に突破できる。
 先日、古い私の日記を発見した。読んでいたら、終戦後まもなくの頃、私が散々に苦しんでいる文章があった。ああこんなこともあったなあ、と思い出した。死んでしまいたいほど、苦しんでいた20歳代の自分の姿を思い浮かべて感慨無量であった。
 そのような苦労を乗り越えることが出来たのは、獄中における記念すべき回心体験が私にあったからである。当時の私は自分の信仰に疑問が湧いた時、しばしば時間系に沿って自分の信仰史を振り返ったものだ。そして結局はあの獄中回心まで辿り着く。ああ、あれは本当だった。だから、今のこの私の信仰も間違いないな、とホッとしたものである。
 それは私が22歳の秋であった。例の兵役法違反や出版言論法違反で福岡の刑務所の独房にいた時である。私はまだ自分がイエス様の十字架の血潮によって救われているという確信がなかった。聖書を開いてみると、ガラテヤ2章16節に「人は律法の行いによらずキリストを信じる信仰によって義とされる」と書いてある。私は「そうか、そうか」と、この聖書の言葉を感謝した。
 そして「私はイエス様を罪の救主として信じているかな」と自分を反省した。ところが、これが地獄の始まりとなった。私はイエス様を信じたいと思い、またイエス様を信じたら義とされ救われるということは認めることはできたが、この自分がイエス様を信じているとは思えなかった。私はそのことを信じたいと思うけれど、どうしても、「この自分」が救われるとは信じられなかったのである。
 この「私には信じられない」という一種の「信仰」だが、この不信仰に苦しめられて3日間、のた打ち回るように苦しんだ。そして3日目の夕刻、「一人の人がすべての人のために死んだので、すべての人は死んだのである」という第二コリント5章14節のお言葉が突然私の心に一瞬の光のように飛び込んだ。そして、あっと思う間もない。「私はその一人だ。私は救われている」と、信じられたのである。
 あの3日間はまさに地獄体験だった、自殺したくても死ねなかった。あの荒巻保行が羨ましかったが、しかし荒巻はまさしく、この付近を通り過ぎていたのである……! ともあれ、
 私は自殺する意志力も奪われていて何もできない、無力のどん底、無為力のどん底にうめいていた。
 その私が前記の第二コリント5章14節のお言葉で一瞬に甦ったのである。死から生への生還である。1944年11月23日の夕刻である。それからというもの私は刑務所の中にいても、天国に居る者のように過ごした。
  「愁い多き獄にしあれど主によりて生かさるる身の幸にわが酔う」
  「イェス君の熱き血潮の今も尚、溢るる思いわが身にぞすれ」
 これらの歌は、この時ほとんど一瞬に私の心に生まれた。私は歌人ではない。このほかには、私の一生に短歌がやっと2首出来ているが、すべて一瞬のうちに私の心に湧いて生まれた。不思議である。
 この私の体験は鋭角的な回心の証しであるが、そうではなくて、鈍角的な回心をなさる方もある。たとえば、CTCの古林先生など、人に向かっては「『証し文章』を書きなさい」などと文書伝道の講義をするのであるが、先生ご自身が「あかし文章」を書こうと思ったら、これという目だった事件や経験がなくて困ったということです、呵々。
 有名なモラビアン派を率いたツィンツェンドルフなど、彼はついにはジョン・ウェスレーに大きい影響を与えたほどの人であるが、その回心経験については、どうもはっきりしないのです。
 「しかし、やっぱり回心していた筈だ」と、歴史家の諸氏は認めているようですが。
 普通、回心経験は多く青年期にするのですが、かのトルストイは髄分年をとってから有名な回心をします。年長の方々、ご安心ください。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-17 11:25 | 日岡だより

No.288 素晴らしかったイスラエル・セミナー 2007.7.8

素晴らしかったイスラエル・セミナー

 先々週、先月末は滝元順先生のセミナー、先週はスティーヴンス・栄子先生のイスラエル・セミナーということで、恵まれ続きでしたが、会場を受け持つ当教会としては信徒の皆さんのご奉仕もあわただしく、落ち着いて講義を聞く余裕もない諸兄姉も多かったでしょうが、それぞれの賜物に応じて熱心なご奉仕してくださるお姿に感銘を受けました。まことに感謝でした。
 スティーヴンス・栄子先生の集会の7月2日(月)という日程は元々集まりにくい日だと思えるので、世話役の私としては、この日を当教会に当てたのです。翌日は、別府のイムマヌエル教会、その次は広田先生のチャペル・ノアと、それぞれ別府と、大分で最も大きな教会にスティーヴンス・栄子先生をお送りすることが最善だと信じたからです。
           *
 それにしてもスティーヴンス・栄子先生はすばらしいレクチャーをなさってくれました。今後も定期的に年1回か、2回のセミナーを開いていただこうと思っています。もちろん、大分・別府地区一円の複数教会で合同して持ったらと思っています。期待してください。
 スティーヴンス・栄子先生のふくよかなご様子、そして自信に満ちた面持ち、イスラエルにお住まいなのでしょう、該博な現地・イスラエルの歴史と民情、習慣等にも詳しく、分かりやすく、また聖書の記事の理解にピッタシの知識とご説明で、実に教えられるところが多かったのです。
 ご同行の入路久美子姉は、日程等のコーディネイトやお世話で大変だったでしょうが、よくお気配りくださって、私どもも安心、有り難かったです。《く》


神様のご計画、聖書の預言は、必ず成る

 スティーヴンス・栄子先生のご講義の中心は「神様のご計画、聖書の預言は、必ず成る」ということでした。私どもも、皆さんも、漠然とは「神様のご計画は必ず成る」と、そのように信じていたでしょうが、こうもはっきり、そして聖書のお言葉と歴史的事実や、現代の世界に歴然と新聞記事にまでなっていた事など示されて、愕然としました。そして神様のお言葉の厳密さ、確実さに驚くのです。
           *
 たとえば、今、世界中の国々でユダヤ人の居ない国はありません。なぜでしょうか。かつて長い歴史の以前からユダヤ人、つまりイスラエル人は世界にまき散らされたからです。それは主なる神様のお言葉のとおりに成ったことなのです。
 旧約聖書のレビ記が神様によりモーセに語られたのが紀元前13世紀のことですが、それが口誦により伝えられて、成文化したのは前4世紀の頃でしょうか、その中にこういう預言があります。(預言とは単なる予言ではなく神様から人の口に預けられて人により語られた神の言葉です)。
「わたしはあなたがたを国々の間に散らし、つるぎを抜いて、あなたがたを追うであろう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は荒れ地となるであろう」(レビ26:33)。
 預言者エゼキエル(前6世紀の人)も同じような預言を残しています。いえ、イエス様にも、こんなお言葉があります。
「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。……、彼らはつるぎの刃に倒れまた捕えられて、諸国へ引きゆかれるであろう」(ルカ21:21,24)。
 このお言葉のとおりに、紀元66年よりローマの軍隊の包囲が始まったようですが、遂に70年には陥落し、神殿のすべてが破壊されます。
 そして、ユダヤ人は追い出され、彼らは全世界に放浪の民となり、また全世界の民から嘲られ、罵られ、憎まれて、まともな仕事につくのも難しくなります。実にユダヤの民は以後、1900年間世界を流浪に散らされるのです。聖書に予言されたとおりでありました。
 (そうした中で、不思議な国は日本です。日本にもユダヤ人が来ていたことは、明らかなのですが、日本人はすべての外来人、外来文化に対して鷹揚です。彼らを受入れ、吸収し、同化して、一緒くたにしてしまう。ユダヤ人はどこへ行ったか分からなくなってしまうのです。これらの文献は実は昔から多いのです。最近の本ではケン・ジョセフさんの「失われたアイデンティティ」をお薦めします)。
           *
 さて現代になって実現したユダヤ人にたいする聖書の預言、それは彼らの祖国、イスラエルへの帰還であります。まず、その聖書のお言葉。
「恐れるな。わたしはあなたと共にいる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。わたしは北に向かって『ゆるせ』と言い、南に向かって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果てからこさせよ」
 いつごろからか、知りませんが、近代になって、イスラエルはイギリス領でした。第一次世界大戦の時、イギリスはユダヤ人に対して、領地返還を約束しました。たぶんユダヤ財閥よりの財力寄金を期待したのでありましょう。その約束履行をいくらせつかれてもなかなか「ウン」と言わなかったような印象を覚えていますが、ここでスティーヴンス・栄子先生から聞いた滅多に聞かれない秘話があります。
 まず、イスラエルの山々ですが、みな禿げ山です。私は先年イスラエル旅行をした時、この禿げ山に非常な印象を覚えました。さて、その禿げ山の原因はどこでしたか、北のトルコかシリヤだったか、私はお聞きした話を忘れていますが、そうした2国から山々の木々を持って行かれたのです(盗伐?)。
 そこへユダヤの有名な秋の雨、春の雨、激しいのです。この雨で土が洗われて流されてしまい、禿げ山になってしまいます。禿げ山になるとどうなりますか、値打ちが無くなってしまう。山の価格が暴落です。そこへユダヤ人の祖国帰還運動が盛んになります。さあ、ユダヤ財閥の出番です。
 世間ではユダヤ人は金持ちだという評判です。今は日本人も金持ちだというもっぱらの評判です。現実は貧乏人も一杯いる。ユダヤ人も同様です。それはともあれ、ユダヤ人の金持ちは凄い。ユダヤの山地、安くなったと言っても、膨大な面積。しかし、それでもやすくなった山地を含めてイスラエルの全地をユダヤ人は買い戻したのです。公式にはイギリスから返還された祖国の領土ですが、それをユダヤ人たちは彼らの金で買ったということでしょうか。
 こうしたことなど、様々の隠れたいきさつも多々あると思いますが、とにかく1948年、イスラエル共和国の建国という世界を驚嘆させた事態が起ります。聖書に残された神様の預言はこういう宗教離れした国際政治の中で起るのですね。《く》

〔推薦します。カトリックの文献〕
 以下、小さい字で印刷しますが、大切なことを書きます。私たちの霊性を如何にして聖め、高め、強め、深くするかということです。こうしたことについてカトリックの古典が非常に参考になります。▼まず誰も知っているトマス・ア・ケンピスの「キリストのまねび」です。最近のものでは、聖母の騎士社発行・SMPガブリエル著「祈りと対神徳」が良かったです。さかのぼって、イエズスの聖テレジア著「霊魂の城」を読んでください。聖イグナチオ・デ・ロヨラ著「霊操」はどうでしょう。▼イグナチオは日本の伝道にきたフランシスコ・ザビエルの同窓の師です。体の訓練が体操であるように、霊の体操は霊操だということです。ザビエルは戦国時代の日本に来て、足で歩いて、山口や大分等伝道しましたが、今の大イベントを張るような伝道会や聖会を開いたわけではありませんでした。しかるにあれだけの強力な殉教者を生み出す霊的指導はどうして出来たのでしょうか、その秘訣はあるいはこの「霊操」にあるかもしれません。▼先に書きましたが、イグナチオを師匠としましたが、大学では同窓であったらしい。このザビエルが謙遜に学んだものは単なる知的学問であっただろうとは夢々思われません。彼の学んだ伝道や信徒養成の秘訣は、この「霊操」にあったかもと思うのですが、これは、決して思い過ぎではないと私は思うのです。心して、これらの本に接してみては、いかがでしょう。皆さんにお薦めします。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-10 11:33 | 日岡だより

No.287 主よ、立ち上がって下さい 2007.7.1

主よ、立ち上がって下さい

 今から15年前のことですが、野球で有名な甲子園球場で3日間、延べ13万人の会衆を集めて大伝道集会が開かれたことがあります。大成功でした。
 私たち、このキリストの福音大分教会からも牧師の私をふくめて10人のメンバーが参加しました。
 第一日、今にも雨の降りそうな気配でしたが、みんな等しく「雨よ、降るな」と祈ったものです。
 雨は降りませんでした。有賀喜一先生の開会宣言で大会は始まりました。開会祈祷は、この甲子園ミッションのきっかけを作った下条末紀子先生でした。
 そして力強い宣教メッセージを語られたのは、この大会の主唱者である滝元明先生でした。
 滝元先生の招きに応じて、続々と前に出てきた信仰決心者は前後を合わせて2千人を越えました。
 日本の伝道史上、前代未聞、空前絶後の大イベントでした。滝元先生の信仰と勇気には脱帽でした。
           *
 その前年、すでにこの甲子園ミッションの準備は始められていました。そのための聖会も開かれました。今回、当教会にお出でになってセミナーを担当してくださった滝元順先生も、そのスタッフでした。
 準備聖会のスタッフたちは愛知県県民の森に登って徹夜祈祷を持ちました。何日目か。ゴーッという風のような音と共に、何十メートルの高さの津波が襲ってくるような感じがしたと言います。
 滝元順先生以下、思わず平伏しました。聖霊の殺到です。皆さんがバタバタ倒れ始めました。怖くなって逃げ出すと、その音は後を追って来るのでした。
 主は立ち上がって、甲子園ミッションを祝福し激励したのでありました。そうです、主よ、今も、
 この私たちのために立ち上がってください。《く》


損失を2倍にして返してくださる神

 今回の2日間にわたる「霊の戦いセミナー」は感動的でした。恵まれました。こうした言葉が常套語として用いられやすいですが、今回は掛け値なしに本当です。
 講師は前頁に名を出させていただいた滝元順先生です。主催者は大分カルバリ・チャーチの橋本先生のように発表してきましたが、ひょっとしたら私の認識不足でして、私を含めてSPと言い慣わしている少数牧師祈祷グループの共同企画で、滝元順先生を招請したというべきであったかもしれません。
 順先生は私を見て、「あ、先生、お髭を取りましたね」とおっしゃったから、私が髭を剃ったのは80歳の正月でしたから、もう5年もお会いしていないことになります。私も先生を見ますのに、若かった先生もさすが、オッチャンになっておられた。失礼! それだけに、重厚な感じがしましたよ。
 今回のテーマは「霊の戦い」ですが、よく聞きなれた「悪霊よ、出て行け!」と怒鳴ったら、悪霊がヨタヨタと出ていったというような安易な話ではなかったのです。日本の民衆の中にひそみ、地域の共通無意識の中に生きている、日本特有のアニミズム、原始的庶民的精霊信仰に、先生がじかに接して直感し、理解整理してきた内容を、るると述べられる。説得力もあるし、実感がヒタヒタと聞くものに迫ってくるのですね。
 息をも継がせぬ面白さに、思わず拳を握って次の言葉を待っている。多分に名人の講談を聞いているみたいです。前後、5回のセミナー、飽きさせませんねえ。もっとも終わったら、疲れが出ちゃったです。身構えて聞いているもので、肩が凝っちゃうのです。
           *
 まず、教えられたことは、家系上の先祖たちが悪魔と結んだ契約を破棄せよ、ということです。このことは奥山先生などの祈りのなかで聞いた言葉ではあったけれど何のことかはっきり理解できていなかったのである。
 契約という言葉は、我々日本人には堅苦しく感じる。森有礼という明治時代の文部大臣、アメリカで影響を受けて結婚を男女の契約と理解して、結婚式の前、まず花嫁と結婚の契約を結んだという、なんだかヘン感じがしたものだ。
 しかし、旧約聖書を開くと、信仰とは神様との契約のことだと分かる。厳粛な誓いである。
 新約聖書を開くと、信仰ということが割合に簡単に書かれている。一旦「主よ、信じます」と告白する時、神様はしかとその人を自分のものとして受け入れてくださる。その神の一存的な確かさを信じる、ここに信仰の確かさがある。(私がしばしば語るコンバーション的確かさ、人間のがわの確かさと逆の面をさしているのであるが)。
 そこで先祖たちが、そんな大事なことと知らずして、あちこちにあるお寺やお宮に行ってお祓いを受けたり、うっかり悪魔の祠やお祓いの場でパンパンと拝んだりして、そこに住まっている悪魔の手に乗せられてしまう。悪い金融業者にだまされて高利の借金をするように、一生を悪魔の手に委ねるような契約を結んでしまう。その契約の実効が今の子孫の我々にへばりついている。この家系の契約を破棄せよという訳である。
           *
 代々似たような難病や、不運が親族縁者に広がっている場合、そういう疑いもあるものだと、これは滝元順先生のお話です。あるいはエバのようにうっかりサタンの言葉にだまされて智恵の実を食べ、子孫に罪の負い目を残して行く。だからカインは弟を殺し、遠くに逃げて行って、町を建て、その子孫たちは楽器を作り、青銅や鉄の刀を作る。つまり、都市文明や諸文化や軍備もカインの末裔(*有島武郎の小説の題名)の所産である。
 現代文明、そして人類の誇っている文化すらも、その汚損から逃がれられない。所詮は、人類は自分の罪の結果を背負って滅んで行かねばならない。家系上の契約からくる損失を払わねばならない。
 ところが、この損失を全く支払ってしまって、尚も天国に行ける多大のおまけがつくのがイエス様の十字架の血潮による、悪魔との契約破棄の徹底策である。これを見逃す手はない。イエス様に借金を代払いしていただくのみか、2倍にして返してもらえるという算段である。
 出エジプト記第22章7節に、盗まれた金銭財物は、その盗びとを見つけた場合、彼より2倍にして償わせよとある。だから私たちの祝福を奪った盗びとであるサタンを見つけたなら、彼より2倍の祝福を奪い返す権利が我々にはある。だからヨブを見なさい。彼は最後にはすべての財産の2倍を神様から与えられた。サタンの汚れた手からではなく神様の清い手から2倍の財産を得たのである。
 私たちも、サタンから騙され、あらゆる祝福をサタンから奪われたとしても、私たちの信じ、従い、慕う、イエス様から2倍の祝福を受ける。しかも、主の御国に入れる。永遠の生命に生きる事が出来る。
           *
 滝元順先生の、こうしたセミナーを受けて、みなさんの顔も紅潮したですねえ。そして、すばらしい賛美が沸き起り、会堂が揺らぐ感じもした。そして、激しい祈りが引き続き、いつまでも続いた、最後には去りがたい会衆も、やむ無く惜しみつつ会堂を去って行ったけれども、なおも残って順先生のカウンセリングを受け、またびっしり祈っていただく人々も多かった。2日間にわたり、休憩時間もおろそかにし、休む間もなく、ご奉仕くださった順先生のご苦労には感謝のほかはない。すばらしい2日間でした。《く》

〔あとがき〕
筆者(釘宮)は、順先生の講義を拝聴するのに、夢中で、ノートもとれず、うなずいて、アーメン、ハレルヤ、と言っているばかりでした。そこで、翌日の土曜日になって、主日礼拝のための週報と恒例の「日岡だより」を作ろうと思うと、順先生の講義についての記事をはずす訳にはゆかないが、書こうとしてもノートが無い。講義の内容も夢中で聞いているせいで、記憶は不確かですし、気分に乗って書いた点があります。不行き届きの点、不備の点、また謬りがありましたら、お許しの上、ご教示ください。また、今回のセミナーにつき諸兄姉のご感想等を、お寄せくださると幸いです。また会場の設営、運営についての不行届きのことも多かったでしょう。お詫びします。ご祝福を祈りつつ。特に今回は牧師先生方、ご夫妻で、また宮崎県からと、多数の先生がたがお出でくださりご祷援くださり感謝でした。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-03 14:14 | 日岡だより