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No.269 感謝による奇蹟 2007.2.25

感謝による奇蹟
        ―中野渡信義先生のご説教よりー

 先週の主日礼拝は、秋田キリスト教会の中野渡先生を迎えて、感謝と喜びの一日を過ごしました。
 先生の自由闊達、明朗率直な人柄は神様が生まれながらの先生に与えられた性格の賜物でしょうが、また先生が信仰生活の途上で聖霊様に取り扱われ、訓練され練り上げられた恵みの結果なのでしょう。
 某先生のもとで、3年ほど掃除ばかりさせられ、「献身したい、献身したい」と幾ら言っても取り上げて貰えず、外の人には「神学校へ行かないか、神学校へ行かないか」と献身をすすめている。
 そういう状況下でたまらなくなって、自分で勝手に飛び出して山形の田舎に行って、誰一人クリスチャンのいない所で、小さな家に十字架を立てて伝道を始めた。どこか牧師さんのいなくなった教会に行けば、少なくたって信者さんも何人かはいる。小さな会堂もあるかもしれない。そういう所に行くのではないのです。
           *
 誰ひとりいない所に行って伝道を始めるのです。何も無いところから始める。祈るしかない。自分に何の力も無いのですから、力の無い私に力をくださるのは神様です。
 そこで、何も無い所で、神様に感謝するんです。文句を言っても扉は開きませんよ。神様に感謝する時、扉は開きます。そうすると、人が不思議に集まってくるのです。
 後に秋田に来ての伝道も、一切何もない所から始めました。既存の諸教会からの迫害を受けたくらいです。然し、神様は真実です。そういう所から数年ならずして1億円与えられて800坪の土地の大きな会堂が与えられるのですから、感謝です。感謝するたびに奇蹟が与えられるのです。(文責・釘宮)


母の泣き笑い

 先週の礼拝が終わってから家に帰ろうとしていると、母が私に何かしきりに言う。
 よく聞いてみると「祝福」と言っている。
 「祝福の祈りをしてほしいの?」
 うなずく。
 「誰に?お父さんに?」
 首をふる。
 「中野渡先生?」
 母はそれに答えて「中野渡先生」と口を動かす。
 鸚鵡返しのようでも、かなり意志的な感じがしたので、車椅子を押して礼拝室前方の恵みの座に押していった。
 先生は他のかたにお祈りをしていた。
 待っている間に、母に「自分で先生に祈ってくださいと言おうね」と言うと、うなずく。
 母がより自分の意志で行動しているという証拠が見たかったのだ。
 番が来て、母の言葉が通じないといけないので、先生に大体の説明をする。そして母に「先生に言って」と言うと、私に「あんたが言ったのでそれでいいやんか」と言う。あらら。
 先生に按手の祈りをしてもらう。
 
 その後、家に帰ってベッドに移し、食事をしようとしていると・・・・母が泣き出した。
 思い通りにならない辛さや悔しさからなのか、母は時々泣くことがある。
 しかし、今日は全然違う泣き方だ。いつもなら横をむいて体を丸めるようにして泣くのだが、今日は上を向いて、嗚咽するように泣き、動く左手で涙をぬぐっているのだ。
 霊的な感動を受けたときみたいだ、と思った。
 先生の祈りだ、とピンと来た。
 「どうしたの?感動したの?」と聞くと、うんうんとうなずいて「感動した」と言う。
 それからかなり長い間、母は何度もおーんおーんと声に出しては泣き、合間にはわははと笑い、また思い出したように泣いては自分で「嬉し涙だ」と言い、その言葉につられるようにまた笑った。
 なんということだろう。食事の世話をしていた姉と私はあきれたように母を見ていた。
 どうしたのかといろいろ聞く私たちに受け答えする言葉もとても聞き取りやすく、母の頭の中に何かが起こったみたいな感じがした。
 私が報告すると、父や教会員の数人もやってきて、いっしょに喜んでくれた。
 母に「みんなにお祈りしてあげようよ」と言い、頭を差し出して「手をおいて『祝福あれ』と言ってよ」と言うと、ひとわたり全員にしてくれた。
 ベッドの手すりをほとんど常につかんでいる左手をほどくのは、ふだんはとても大変なのに、今日は自分から手を離して祈ってくれた。
 
 ついつい、「おなかがすいた?」とか「TV見る?」とか、そういう会話のみになってしまいがち(そういう事柄でも「会話」できる状態は嬉しいことだけど)で、母が生理的本能的な感覚のみで生きてるように考えがちだけど、決してそうではないことがわかった。
 頭の中で心の奥底で、知的な霊的な母の本質がちゃんと残っているのだ。燠火のようになっているのかもしれない。でも、霊的な磁場とか祈りとかがきっかけでちゃんと燃えるのだ。そう気づかせてもらえたことは本当に感謝だった。         (せつこ)


対話的説教とは

 先週の礼拝の後、中野渡先生のご祝福の祈りを頂いて、喜んで自宅に帰った後の妻の様子を娘のせつこが日記に書いてくれてあった。「これは良いなあ」と思い、前葉の見開きに入れさせて貰った。
 妻のことは、私も見ているつもりではあったが、さすがにそばにいたせつこは娘の目でよく見ている。妻の聖霊による喜びが手にとるように分かる。
 私の目ではこうは行かない。私は妻のことより、牧師の目で他の方々のほうを見ているので、妻に対しては不親切である。
 さて、先週の木曜の祈祷会で、私のメッセージの前に30分ほど、集まっている皆さんに中野渡先生の説教をお聞きした時の礼拝の感想を話してもらった。と言うのも、
 一種の対話的説教にしたかったのであるが、なんと昨日手束先生から頂いた先生の高砂教会の月報に「対話的説教」についての記事があるので驚いたことです。
 説教のさなかで、会衆のだれそれに声をかけて、その反応をたしかめるやり方を手島先生はよくなさっておられたが、そのことを思い出した。尤も、手島先生はもっと凄い、説教(と言っても先生は講義と称したが)の中で、しばしば顔を天に向けて「主様!」と神様に問いかけることがあった。
 会衆と神様と三者の会話で説教をすすめるこういうやり方もあるのだなと、今、粛然として感じ入っている次第である。《く》

〔あとがき〕
尚、前述の手束先生の高砂教会の月報では、某西洋の神学者の「聖霊論重視の神学」という中にある「聖霊の多声」による「対話」というはなはだ理解困難な主題にふれておられたが、私の悪い頭にも何か分かりそうな気もする。もっと勉強したいですね。▼勉強というよりも体験でしょうが、最近も教会に一度だけ出席されたことのある方で、私の「笑えば必ず幸福になる」の小冊子を持って帰られた方、その後、入院された由なので訪問して祈ってさしあげたら、脳障碍からくる失明が癒され、見えるようになりましたというご報告、こういう体験がもっと欲しいです。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-02-27 15:22 | 日岡だより

No.268 豊かな人生 2007.2.18

豊かな人生

 「豊かな人生の条件は……」という賛美の曲があったが、最近は、この教会ではあまり歌わないようですね。ところで、この「豊かな人生の条件」ですが、その条件は幾つも並べるほど、沢山あるわけではない。端的に言えば、答えはただ一つ。
 それは「神を信じなさい」という答え、たった一つでよい。神様は天と地とを造られた方、万物は主のものである。だから、「豊かな人生」は、神様のところにあるのです。
 「豊かな人生」は、神様に求めればよいのです。「求めよ、さらば与えられます」である。
           *
 世の中で、多くの人が一番、求めるものは金でしょうが、このお金だって、求めるものには神様は豊かに与えて下さるのだと信じようではないか。
 最近、問題になったのは「パワー・フォー・リビング」という新聞やテレビによる呼びかけだ。なんだか不気味な感じもしたものだ。
 申し込んでみると、キリスト教の信仰の本を送ってくる。タダである。この本は未信者の人だけにあげます、という単純な申し出である。
 調べてみると、どうもこの運動のためには10億円の資金が用意されているという。金は有るところには有るものだなあ、と感嘆しますねえ
 そうです。クリスチャンは貧乏であってよいはずはない。「金ぐらいなんですか」と言ってみたい。神様が背後におられるなら、それくらいは言える筈です。
 そうだ、「金ぐらいなんですか」と言ってみよう。まず、神様に求めよう。「信仰を、聖霊を、賜物を、勇気を、知恵を、愛を、喜びを」、そして遠慮せず、金も大胆に求めましょう。《く》


今こそ変革の時

 先日の手束先生と小沢さんを招いての「今こそ変革の時」の特別聖会、良かったですね。自慢させてもらえば、ケズィックよりも良かった!
 あの聖会の準備打合せの時、「この聖会の名前、どうしようか。「××リバイバル聖会かな」などと、どなたかが、言いだした時、永野先生だったか。「リバイバルというのは、古いことを、もう一度という感じですよ。面白くないなあ」とつぶやいた。
 そこで、
「そうだ、先のことは言うまい。古いことの蒸し返しじゃないんだ」という声が飛んだ。そして、「変革ですよ。新しいことが起こるんだ」というわけで、主題聖句はイザヤ43章18、19が選ばれたんです。
 「今こそ変革の時!」という橋本先生のところで作ってくださった宣伝チラシもよかったですね。
 そして、会場を広田先生のチャペル・ノアにお願いしたのもよかった。会場の広さもちょうど良いし、会場前面に大きく「今こそ変革の時!」と活字体で書いてくださった。これも良かった
           *
 それにしても、講師の顔ぶれがこれ又、良い。タイプがまるで違うのですが、テーマに対して打ってつけ。一見、おだやかな学者タイプですが、どこか楽しい手束先生の「日本民族総福音化運動」の総説、日本民族に対する自虐史観を打破して日本民族の誇りを掲げつつ、キリストの福音による日本歴史変革の夢を確信をもって告げて下さる、聞いているだけで私は興奮した。
 その後に続く、小沢さんの打々発止と語られる声も身振りもいい、あれでは創価学会当時もさぞカッコよかっただろうと思われる壇上の闘士ぶり。
 創価学会の錚々たる信徒諸君の世上各界への浸透、影響は凄いものらしい。つまり政府内に、芸能界に、新聞情報世界に、とどまる所をしらぬ異常な波及力を語ってくれた。
 しかし、この創価学会にも陰りが生じつつあるそうだ……。今こそ黄金時代だが、ぼつぼつ次の時代が来つつある。そうした宗教界の時代の変化を早く見取って、キリスト教各界は結集して時代を先取りすべき時が来ているのではないか。その予感を与えてくれる小沢さんの説得力ある講演、いや演説であった。
           *
 ある人に言わせると、日本人は時代の変化に鼻が利く。全国民が川の水が滝壺に落ち込むように、なだれを打って時代の変化相にのめりこんでゆく傾向があるという。
 明治維新しかり、終戦時もしかり。終戦後、2か月で、軍国主義から民主主義へと転換した。その身替わりの早さは、驚くばかり。
 かつて万代先生が言った。昔のキリシタン伝道成功は、ザビエルの頂点伝道のせいだと。将軍や各大名、まず頂点から攻めこんで行く。
 なるほどこの大分県の豊後では大友宗麟。いきなりザビエルは宗麟に会ってものにしてしまう。
 私は長い間、宗麟は西洋の鉄砲や火薬など、もの欲しさにキリスト教を形だけ受け入れたイヤな奴だと思っていた。ところが、大友家に追い出された田原家の子孫の一人が宗麟に反感を抱きつつ調べた結果だが、彼言わく「先生、宗麟の信仰は本物ですよ。死ぬ時にはクルス(十字架)を胸に抱いて瞑目しています」と私に教えてくれた。
 この宗麟の改宗のお陰で豊後には沢山のキリシタンが生まれ、その後の殉教者の群が、他のどこの国よりも多いというか、信仰の質がよいというか、聖イエス会の篠先生がわざわざ大分市猪野のキリシタン殉教公園のすぐ前に教会を建てられたのも、その故だと語っておられたのに、私は感銘したことがある。
 伝道の頂上作戦についての万代先生の説を思い出して以上のことを私は納得したことであった。
 日本伝道もどこからすべきか、かつて田中政男先生が現天皇様ご夫妻、当時の皇太子ご夫妻に伝道なさった逸話を単なる逸話ならしめず、皇室ご一家や、もちろん華族の各ご一統、また政治家や財界の諸メンバー等に対する頂上伝道も考えたいし、また新聞や、その他言論界や文筆界の人々に福音を伝え行くこと、そうした努力も努めたい。
 そうして、シーソーの片方が上から下へといきなりバタンと落ち込むように、日本の宗教世界が急激に転換することも決して夢ではあるまい。
 日本では、かつて仏教が一挙に乱入してきた。一返に神道の国が仏教国になってしまった。余りになりふり構わぬ変身ぶりであるが、今の日本もキリスト教に向けて同様に変身する見込みは十分ある。
 現在のキリスト教式結婚式の旺盛さ、クリスマスのイルミネーションは各家庭で飾られ始めた。最近のヴァレンタインデーのチョコレート騒ぎ、この日本人の軽々しさに注目しよう。
 実はミーチャンハーチャンの宗教転換を期待しているわけではない。しかし、そういう変革の時代がいつ来ても可笑しくないと思う。はりきって時代の変化を予想しながら、地味な信仰持続でも結構、信じて待ちつづけるところに、変化は必ず起こりますよ。期待しましょう! 《く》

〔あとがき〕
先週の本紙、「内村先生の非戦論」の中で、言論検閲のこと書いたら、早速ある方から、戦後の占領軍GHQの検閲の実態について書いてほしいというお申し出が某姉をとおしてあったが、私は終戦直後に出版的なことをしたことがないので、何もそれに類した経験はない。▼しかし、それに似たことを書こう。私は終戦後、2、3年間大分市郊外の鶴崎(今は大分市)の中心部、林兄のお宅で毎週日曜の午後、定期集会を開いた。ちょうど道路に面した適当な壁があって、その頃よくあった壁新聞を書いた。言わく、「この日本を救うものは誰か。アメリカか、ソ連か。そのいずれでもない。ただイエス・キリストである」と。▼ところが数日して、当時、私は県立の聾学校の教師をしていたが、校長から呼ばれた、校長のところに特高の刑事がきて、「釘宮という教員はどんな人か」と聞かれたのだそうだ。「釘宮先生が、どうかしたのですか」と尋ねると、刑事は「鶴崎の壁新聞の件」を打ち明けたという。校長は顔色を落して、不安がっていたが、私は笑って「大したことじゃないですよ」とお答えした。しかし戦後になっても尚、特高は生きていたのかと、憤懣に耐えなかった思い出がある。中国だけではない、いわゆる公安は今も日本にもあるのか?▼今、先週号に書いた釘宮徳太郎の「復活」というA4の四頁雑誌を引っ張り出し読んでいるのだが、全頁「玄米食のすすめ」という号がある。「自然食は神様の御心にかなっている」と創世記を引用しながらの、大論説。「徳オイサン、面白いナー」と膝をたたいて、これは甥の私の応援である。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-02-20 15:42 | 日岡だより

No.267 常に喜び続けよ 2007.2.11

常に喜び続けよ

 ピリピ人への手紙4:4や、第二テサロニケ5:16のお言葉の「いつも喜んでいなさい」や「いつも喜びなさい」を、標題のように「常に喜び続けよ」と、私は訳し直したいのです。このほうが原文の気勢にかなっていると私は思うのです。
 気勢と言うのは、パウロの言葉には多くの場合、彼特有の勢いがあるからです。パウロはいつも意気ごんでいる人のように私には見えます。そのような馬力のある勢いで「喜びを続けよ」と命じていると、私は読むのです。
 この言葉の原語のギリシャ語は、2人称命令現在形でして、「あなたがたは喜びを絶え間なく繰り返し、継続し、習慣となるまで、そして人格に染み込んで性格となりきるまで、喜び抜け」というように読むことができます。
           *
 イエス様は、70人の弟子たちが伝道旅行から帰ってきて、その成功の報告を申し上げたとき、「聖霊によって歓喜された」とルカ10:21にはあります。この「歓喜された」という言葉の原語は「狂喜乱舞する」とまで訳してよい言葉です。
 しばしば見受けるイエス様の嘆き苦しまれているようなお姿の絵は、人類の罪のすべてを背負う宇宙的悲劇のど真中にあるイエス様のお姿を描いた絵であって、平素の主イエス様の本来のお姿ではありません。
 イエス様は弟子たちの小さな成功に対してでも過激反応して喜ばれるお方だと、私は理解するのです。
 ですから、私たちは少しでも御心にかなう小さな言葉や行為ができた時に、それに対し大いに喜んで下さるイエス様を信じ、かつ仰いで、いささかの事ができた私たち自身の幸いを感謝したいのです。 《く》


内村先生の非戦論

 雑誌「ハーザー」3月号の「内村鑑三の『非戦論』特集」を読ませて頂いた。特に、編集長の笹井さんの「内村鑑三の『非戦論』をめぐって」の中に、こういう個所がありました。
 「鑑三は最初に『私どもは戦争が始まりたればとて、私どもの非戦主義を止めません』と書きながらも、『戦争中のやるべき事は、声高に戦争反対を唱えるのではない。一つには、出征兵士の家族を慰問することだ』というのだ」云々。
 私はこういう事をいう内村先生は卑怯だと思うのです。内村フアンの私としては申し訳ないが、このお言葉の気持ちは分かるにしても、私は先生に反対したくなる。例の花巻事件の時は、まあまあ斎藤宗次郎の家族に対する世間からの風当たりを想像して、「家族に迷惑をかけるな」という程度の思いやりと考えてよい。
 しかし、一応この花巻問題が収まって東京に帰ってからの事として、もし戦争がいよいよ始まった場合、その時には内村先生は先生の主宰誌である「聖書の研究」紙上では、もう非戦主義のことは書くまいと言うのでしょう。「声高に戦争反対を唱えるのではない」とは、そういうことのはずです。
 万朝報を引いたあとの内村先生には、他に先生の非戦主義を載せてくれる新聞、雑誌などがあるはずもない。もし、あったとしたら、その新聞社や雑誌社に押し寄せてきて投石騒ぎにでもなるでしょう。二・二六事件の時には朝日新聞が活字台を押し倒されました。
             *
 さて、時代を30年ほど繰り下げて、上海事変や満州事変の頃のこととして考えてみたい。その頃、私の伯父の釘宮徳太郎は彼の個人伝道雑誌に戦争批判の記事をしばしば書いた。その時、内務省の検閲にあってズタズタに削られたものである。削った場所には〇〇〇〇〇〇と検閲削除の跡がずらりと並んでいる。
(こういう時、日本の政府のやり方はお手柔らかだった。戦後の日本でのアメリカ占領軍の検閲は手厳しい。事前検閲で削り取ったところは読者の目に分からないように文章を書き直せというのである。検閲したことさえ読者に悟らせないという事だ。これに比べ、かつての日本当局の検閲の幼稚さには驚く)。
 ところで、もっと時代が下って昭和16年、大東亜戦争の頃になれば、もう検閲ぐらいでは納まらない。発行禁止、さらに没収ということになる。なおかつ、徳太郎の個人雑誌のような性格のものの場合、累はその各読者にも及ぶと考えねばならない。こういう性格の雑誌の読者たちは、その雑誌と同類の連中だろうと見なされるからである。つまり、官検の取調べや嫌がらせが、そういう読者たちにさえ及ぶ怖れが十分にあるのである。
 私が徴兵忌避で警察に引っ張られた時、ある日、取調べ室の前を連れられて通った。ふと扉が開いて部屋の中を見た私は「あっ」と声を上げた。私がしばしば会って、聖書の話を聞いてもらっていた女性が一人いたからである。私の事件の参考人として呼ばれていたことは明らかである。ほかにもそういう人たちは居たはずである。
 あの真珠湾攻撃が始まった時だった。その直後、私は教会の牧師を訪ねた。私がかねてから青年会などで非戦論をぶっていることは先生も知っているはずだった。私は先生に申し上げた。「いよいよ、時局(「時局」などという言葉は当時よく使われた)が厳しくなりました。私がいることで、教会に迷惑をかけるといけませんから、正式に私を退会、もしく除名にしてください」と。牧師はホッとしたように見えた。
 それでも、私の事件が起こってから、やはり参考人として教会関係の人々は多数取調べにあったことを後で聞いた。しかし一応、穏便に収まったらしい。私のおもんばかりは効いたのである。(後日、私は決してこの穏便策を良かったとは思えなかった。そのことは又、別の機会に書きたい)。
             *
 内村先生のような方が、戦時下に非戦主義の論陣を張ることを躊躇するのは、たぶん以下のようなそれぞれの心配があるからであろうかと思う。
 第一は、自分たちの祖国の国策にダメージを与えたくないという気持ちである。自分の国を滅ぼしたくはない。自分の非戦論が功を奏して戦争熱が収まり、無事に平和がやってくれば、一番良いのだが、逆にいよいよ戦争が始まったとすれば、やはり負けてほしくはないのです。
 「いや、良いではないか、天国に行ったら、非戦主義により戦争に負けてしまった国の、天皇様、総理大臣、その他の偉い人々、国民諸君、皆を神様は大いに誉めてくださると思うよ」とまで言っていた平和原理主義の私だったが、それでも私は自分の国に勝ってほしい。だから、あの真珠湾攻撃大成功のニュースなどを聞いた時には、胸をワクワクさせてラジオを一日中聞いていたという始末。当時、テレビなどはありませんよ。
 これは、矛盾です。しかし、内村先生にしろ、小物の私にしろ、その時の日本の軍隊の大勝利を聞けば、双手を挙げてバンザイを叫びたくなる尋常の愛国心がウズウズしている生身の日本人なのだ。その彼が理想論として一種の信仰的理屈として、非戦論を言っているのですからね。自分の国を滅ぼしたくはない。
 これは矛盾した心配だが、「実際に戦争に負けたら大変である。少しでも祖国の戦力に損害を与えたくない」という、そういう心配を抱きながらの矛盾した非戦主義?! 非戦主義者自身の内に温存されている前述の「生身の日本人」としての次元の低い愛国心なのである。もともと武士の子である内村先生には、この心は十分有ったと私は思う。この辺の心理は、現代の方々は分かりにくい心理状態だと思うが。偽りない告白です。
               *
 もう一つは私の小人的な、うがった見方であるが、先生はご自分の伝道組織が受けるダメージを怖れていたと思う。当時、先生の「聖書の研究」という雑誌は五千部発行されていたという。もし、戦時になってからも、先生が大非戦主義の大風呂敷を広げれば、国内世論は大騒動である。新聞は上を下への大論評、一般国民の反応は目に見えている。「聖書の研究」誌の読者諸君の受ける非難、攻撃は目に見えている。
 大東亜戦争中の時代世相に繰り下げて想像すれば、読者名簿は全部警察に押収され、一人一人が警察の取調べを受ける。内村聖書研究会は壊滅です。内村先生が、そういう不安をちょっとでも感じたとしたら、「非戦主義を声高に語らない」ということは、常識として止むを得ない姿勢である。しかしそこが、私が「先生、それは卑怯ですよ」と言う論点でもある。
               *
 実際に国が戦争態勢になる時、現代戦は総力戦なのです。戦時下に非戦主義を声高に語るということは実際問題として不可能なのです。たとえば、「声高」と言っても街角やホールで声を上げて語ることではないでしょう。実際は印刷物を作ってアッピールすることに外なりません。
 ところが現代の戦争下では、すべてことが政府の統制下にはいります。お米も衣類も、旅の切符も、何もかもと言ってよい。そして、出版報道、また用紙の配給、等々。
 ですから、政府の意向に反する出版物は許可されず、また用紙の手当が出来ません。だから、戦時下に非戦主義を唱えるということは、実際は秘密裡に小人数でボソボソ語っているという程度のことになります。
 しかも折角集まってくれた人々も、政府組織の厳戒におびえて私などの非戦論の話を一語聞くだけでも、特高警察がどこかに居やしいかと辺りを見まわすようになります。出版どころか集会すら開けなくなるのです。戦時、私の受けた「出版言論集会結社等に関する臨時取締り令」という罪名の一つを見ても分かります。
               *
 最後に、もう一つ。ローマ人への手紙第13章1節、2節の「すべての人は、上に立つ権威に従え。神によらない権威はなく、すべて世に存在している(国家の)権威は、神によって立てられている。だからこの権威に逆らうことは神に対しても罪である」(私訳)という聖書の言葉である。
 だから、国権に逆らって、戦争は罪だ、戦争反対、兵役拒否せよ、そんなことを言うのは国戝であるだけでなく、神様への反逆である、ということになります。
 国家体制や、国家の憲法、法律が神の戒めに背いている時、クリスチャンはどうしたらいか。この問題を解いた人は歴史上残念ながら、教会にはいなかったように思います。
 この重い命題を最初に解いた人はノン・クリスチャンだったガンジーだったと私は思います。或は、古い歴史のソクラテスをあげてもよいかも知れませんが。後にやっとマルティン・ルーサー・キングが追従するわけです。
 本日は建国記念日(昔の紀元節)です。偶然、今回の本文は適切なテーマでした。現今、憲法改正論が盛んですね。私は今の憲法は偽装憲法だと呼んでいます。そこで「真の平和憲法を造れ」と呼かけているのです。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-02-13 19:24 | 日岡だより

No.266 天使のごとき人 2007.2.4

天使のごとき人

 去る1月31日、私たちの敬愛する原田光子姉が天に帰られた。大分ゆふみ病院にて、本当に天的平安のうちに主に召されて行かれた。
 私はその前日、1月30日の午後、姉妹をベッドにお訪ねした。お声もかすかだったが、私に向って何事かを語ってくれた。ご主人がそばで聞いてくださって、私に取り次いでくださった。「先生は凄い」と言ってますよ、というのである。
 何を言われたのか、私には分からなかったのだが、それは私への最後のはなむけの言葉となった。でも、本当に「凄い」のは光子姉妹ご自身であった。
 姉妹は、神様のため、人のため、何事をも喜んで、隠れて、注意深く、ご奉仕してくださるのであった。意志強固、助けを必要とする人々のため、努力も物も金も惜しまず、捧げてくださる方であった。
           *
 イエス様の言葉のとおり、「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、主なる神を愛し、また自分のごとく隣の人々を愛する」方でした。
 だから姉妹を天にお送りした今、姉妹を追想して、ただ「素晴らしい方だった。愛の人だった。行き届いた人だった。謙遜な人だった。信念の人だった。等々」と、抽象的に称賛の言葉を述べることはできても。具体的に姉妹のなさったことを述べることが出来ない。残念である。しかし、それが姉妹の隠れた良き行いの特徴である。
 イエス様は言われた。「右の手でなしたことを左の手に知らせるな」。まさに姉妹はそれである。これこそ、実に天使の姿である。「天使は人に仕える者である」と主は仰せられたが、光子姉妹こそ、天使のごとき人であった。 《く》


念ずれば雲消える

 たしか、坂村真民とおっしゃる方だったと思いますが、一部の方々には良く知られ尊敬されている仏教詩人であります。この方の口癖の言葉に、「念ずれば花ひらく」という言葉があります。まことに詩人らしい、美しく且つ真理を帯びた言葉であります。
 それに比べると、散文的、ひからびた言葉ですが、私のソッと心に確かめている言葉、それは「念ずれば雲消える」というのであります。これは美的修飾語ではなく、そのまんま(宮崎県知事さんの事ではない)私の事であります。
 私が空の雲に向かって「この雲よ、消えなさい」というと、2、3分はかかりますが、必ずその雲が消えます。もっとも、まだ大きな雲に向かって試みたことはありませんが、太陽かお月さんくらいの大きさの空中に浮かぶ雲でしたら消えます。
 まだ、人様の見ている前で実験したことはありませんので、自信をもって言うのは、危険ですが、たぶん皆さんの前でやっても消えると思います。
 ある時、妻に向かって「僕は念じて雲を消せるんだよ」と言ったら、妻もなんでもないことのように、「私も消せるわよ」と言うので驚いたことがあります。
 聞けば、私の初期の伝道時代、貧乏でしたが、私は妻が内職することを禁じましたから、掃除整頓するほどの家具もなく、時間が余ると、つい暇つぶしに雲を消していたそうです。しまいには、もっと手がこんで雲を増やしたのだそうですから、そんなことは私もしたことがありません、呵々。
          *
 これは私の理解ですが、雲は水蒸気ですから、念じると雲が消えるというのは、水蒸気が私の念力によって完全に気化してしまったということになります。そこで、心には水に影響を与える力が有るということになります。
 水というものを、こうも考えてみました。誰からも承認された理屈ではありませんが、水には人の心的影響を受ける受容力があるらしいということです。(これについては、江本勝氏の「水の波動理論」が強力な傍証理論になります)。
 イエス様の「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16上)というお言葉について、以下のように説明できるようです。受洗する本人や牧師や周囲の信徒諸兄姉に信仰という心(信念)の力の働きを受けると、その水が受洗者に救という魂の大変化を与えるということです。
 イエス様は又、別のところで言われた。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と。この腹から流れ出る水とは何であるかは、私たちには分かりにくいが、ここでイエス様が「水」というものに、特別の価値を認めておられることは確かである。
 旧約聖書の創世記第1章2節も面白い。ここには万物が創造される基本的基盤の大地はまだ出来ていない。そして、水が淵を作っており、その上に神の霊がおおっていたとある。
 こうしてみると、やはり水は神様の万物創造の時から、重要な役目を負っているらしい。水は他の物質と違い、神の霊的力と何らかの親しい関係があるらしいということは想像できる。
          *
 さて、人間の肉体の70パーセントは水分であると言われる。血液などがその大部分であろうが、また細胞の内部も、水分が大部分である。
 私は30歳代より神癒の奉仕をしてきた。一昨年、日本にやってこられたT・L・オズボーン先生の本を学んで、初期の神癒体験をしたのである。それ以来、小さいご奉仕ではあるが、些かなりとも信者さんや、未信者の方に対して、難病、奇病の癒しをさえ経験してきたのである。
 正直に言いますが、決して高率な癒しではなかった。まず30パーセント程度がせいぜいだったと思いますが、しかし、癌や神経痛や、白内障や、裂かれた肉が1、2時間でくっついてしまうなど、癒しの業が、この私の言葉や手をとおして起こったのは事実です。実に感謝なことです。
 これらを、肉体内の水分の変化によるのだと言いきってしまえば、疑問どころか反論がおこることは予測できるが、しかし私にはそのように思えるのが、正直なところである。
 ともあれ、これは私の素朴な仮説であって、これに固執するつもりはない。ちょうど原稿を載せるべき紙面が空いたので、それをふさいで書いているだけのことです。
           *
 実は、最後に言いたい大事なことは、次のことである。信徒の皆さん、とくに私の教会の皆さんや、全国にわたる私のフアンのみなさん、私の癒しに対するご奉仕の効果が30パーセント程度では困るのです。残念です。100パーセントとまでは行かなくても、せめて80パーセントの効率で癒しの実績をあげさせてもらいたいのです。
 なお、大事なことは、そのような成功が私の奉仕に起こっても、この私が世的な成功感に酔いしれないで、あくまで謙遜に神様に忠実に仕えて行けるよう、祈って頂きたいということです。人は、そうした驕り高ぶりに陥りやすいものです。私を守ってくださるよう神様に祈ってください。また私を励まし、注意してやってください。
 伝道者として神癒はそれほど大事なことではありません。最も私の望むところは、やはり純粋にイエス様の十字架の福音、しかりキリストの福音を伝えることが私の心の底からの願いなのです。とは言え、
 このたびの原田光子姉が天に召された時、非常に残念でした。私は絶対に光子姉の回復を信じて祈っていましたので、本当に心がくだけました。
 神様もっともっと、私に癒しの賜物を十分にお与えください、と求めているのです。みなさん、祈ってください。 《く》

〔原田光子姉の思い出を〕
本日の礼拝で、いつもの証しの時間に原田光子姉の思い出をお語りください。また、今日の礼拝に不在の方、また今日お語りになった方々も含めて、光子姉の想い出の文章を送って下さい。 《く》
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by hioka-wahaha | 2007-02-06 14:58 | 日岡だより